海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

ノンジャンル

「ボクサー」ピート・ハミル

映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作者として日本でも馴染み深いピート・ハミル。気骨のあるジャーナリスト/コラムニストとして著名で、作家活動の中ではハードボイルド小説にも挑んでいた。1979年発表の本作は、ボクシングを通して成長する青年を情感豊か…

「戦場の画家」アルトゥーロ・ペレス・レベルテ

沖に向かって泳ぐ一人の男……これが幕開けと終幕の場景となる。物語の中で、時間はゆっくりと流れている。静寂と孤独。変わらないのは、それだけだ。ラストシーンで、読み手は冒頭と同じ男をそこに視ることはない。何故、海を目指したのか。何が、変わってし…

「雪は汚れていた」ジョルジュ・シムノン

1948年発表、シムノン初期の代表作とされている。フランス文学界の重鎮ジッドやモーリアックらが絶賛、アルベール・カミュの「異邦人」を凌駕するほどの評価を得たという。舞台はドイツ軍占領下の小都市。19歳のフランク・フリードマイヤーは、占領軍相手の…

「死よ光よ」デイヴィッド・グターソン

人生の光芒を鮮やかに切り取るグターソン1998年発表作。自らの死と直面した老境の男が、その最後となる「旅」の途上で、様々な境遇の人々と出会い、別れていくさまを情感豊かな筆致で描いている。重い主題を扱いながらも、真っすぐなヒューマニズムを謳い上…

「白の海へ」ジェイムズ・ディッキー

ミステリではないが、根幹には冒険小説のテイストがあり、予測不能の展開もあって強烈な印象を残す。 日米戦争末期、焼け野原と化していく東京でB29型爆撃機が墜落する。投げ出された機銃兵マルドロウは奇跡的に命拾いするが、敵国にただ一人取り残される。…

「コリーニ事件」フェルディナント・フォン・シーラッハ

短編集「犯罪」によって一躍名を馳せたシーラッハ初の長編で2011年発表作。戦後ドイツが抱える国家的/人道的諸問題を鋭く抉り出した本作は、現代ミステリとしてよりも戦争文学/社会小説としての読解を求める。シーラッハ自身の祖父が紛れもない戦争犯罪者…

「蛍」デイヴィッド・マレル

デイヴィッド・マレルが1988年に上梓した極めて私的な作品だが、同業の作家らを中心に多くの反響を呼んだ。愛する息子マットの早すぎる死を、虚構を交えて小説という形で書き記しており、厳密にいえばノンフィクションではないのだが、その重い題材故に深い…

「誓約」ネルソン・デミル

打ち震える程の感動の中でラストシーンを読み終える。「この小説を書きたかった」と感慨を述べたネルソン・デミル、その積年の想いが伝わる渾身の大作である。本作を書き終えた瞬間の充足感は相当なものだったろう。1985年発表の「誓約」は、1968年3月のソ…

「フリッカー、あるいは映画の魔」

高い評価を得ている作品だが、さほど映画の世界に思い入れのない私にとっては困った代物だった。 本筋を単純化して述べれば、草創期のサイレントから70年代サブカルの隆盛期まで、退廃的ホラーの制作に、十字軍の時代から迫害され続けてきたキリスト教のカル…

「娼婦の時」ジョルジュ・シムノン

冒頭数ページの情景描写は、ひたすらに美しい。パリ郊外。氷雨の降り続く闇を切り裂き疾走する車。放心した状態でハンドルを握る若い男。しばらく田舎道を走り続けた車は山中で故障し、男はやがて古い宿に辿り着く。酒を飲んだ後、男は電話を借りて警察を呼…

「卵をめぐる祖父の戦争」デイヴィッド・ベニオフ

邦題は暗喩なのだろうと漠然と思っていた。だが冒頭を読み進めた段階で、捻りも無く物語をそのままに表したものだと判る。日常から卵が消えた街。つまりは人間社会が存続するために不可欠な家畜などの生き物が失われた世界である。1942年、ナチス・ドイツに…

「きず」アンドニス・サマラキス

ある街のカフェで酒を飲んでいた1人の男が、特高警察に逮捕される。反政府運動組織の人間が、そこで接触するとの密告があったからだ。怪しいやり取りで密会を果たした様子の2人。1人は逃亡中に死亡。あとの1人「〈カフェ・スポーツ〉の男」を捕らえるが…

「大聖堂」ケン・フォレット

ようやく最終章に辿り着き、ある種の幸福感の中で読み終える。読者は、長い長い道程を登場人物と共に歩き、年齢を重ね、喜び、哀しみ、怒り、人間としてのあらゆる感情の発露と類稀なる経験を通して、成長し老いていく。この長大な物語を著わしたケン・フォ…