海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「戦場の画家」アルトゥーロ・ペレス・レベルテ

沖に向かって泳ぐ一人の男……これが幕開けと終幕の場景となる。物語の中で、時間はゆっくりと流れている。静寂と孤独。変わらないのは、それだけだ。ラストシーンで、読み手は冒頭と同じ男をそこに視ることはない。何故、海を目指したのか。何が、変わってしまったのか。

主要人物は僅か三人。そのうち一人は既に死んでいる。かつて戦争カメラマンとして名を馳せたアンドレス・フォルケスは、地中海を臨む望楼に籠もり、その内部に壁画を描いていた。戦争画の創作。著名な画家ゴヤらに学びつつ、自らが体験した戦場の実体を絵筆によって表現しようとしていた。

そんな折、見知らぬ男が訪れ、あなたを殺すと告げる。元クロアチア民兵イヴォ・マルコヴィチ。10年前のユーゴスラビア紛争時、フォルケスは戦場の有り様を撮り続けていた。硝煙漂う中で擦れ違った民兵。名も知らず、その後二度と会うことがなかった男を写した一枚。発表後、疲弊した兵士の象徴として大きな反響を呼び、フォルケスは名声を手に入れた。元カメラマンに覚えはなかったが、マルコヴィチはその被写体だったという。いまだ吹き荒れていた殺戮の只中で、世界中に顔を知られることとなった男の人生は一変、さらなる地獄を味わっていた。復讐。フォルケスは、逃げるでもなく、立ち向かうでもなく、筆を動かし続け、対話する。マルコヴィッチは、直ぐに行動に移ることなく、元カメラマンの過去と現在を知ろうとする。それは幾日も続いた。戦争の惨禍、人間の底無しの愚劣さ。愛する者との別れ。

やがて、その日が訪れる。

2006年発表、スペインの小説家/ジャーナリスト、レベルテの集大成。自らの眼に焼き付いた惨状をどう表現するか。一人の人間の、戦争に対する重いメッセージを含ませた本作は、どこまでも静謐でありながら、極めて残酷な情景を脳内に刻み込む。

一枚の写真が大きな衝撃/影響を人々に与えることはあるだろう。けれども、歴史の流れを変えるほどの力を持たないことも明らかだ。報道写真家は、伝えることに重きを置く。その被写体が行き着いた運命が、生であろうと、死であろうと。

現代では、戦場の実態を伝え、捉える手段は幾らでもある。だが、情報が氾濫する中で、何が「事実」かを見極めることは難しい。マスメディアが「正しい」情報を発信するとは限らない。時の権力によって統制された一方的な偏向報道もある。飴と鞭に翻弄された末に思考停止に陥る。抗うこともなく従順に付き従い、時勢を見誤り、国家/民族/宗教の道連れとなって破滅へと向かう。これまで何度も繰り返されてきたことだ。自覚無きままに「暴力」の片棒を担ぐ。それは全てが無に帰した果てに悟るのである。戦争写真/戦争画は何も語らない。それを視る者が、物語を作り上げる。その殆どは、メディアもしくは国家が代作したものを、素直に受け入れる。正義であろうと、悪であろうと。

フォルケスの愛人オルビド・フェラーラは、ボスニア紛争で地雷を踏み絶命した。カメラマンは、女の亡骸に近づき、真上からシャッターを切った。それをあとに狂った人生を送ることとなる民兵が見ていた。

自分を殺そうとしている男との最後の対話で、フォルケスは衝撃的な告白をする。フェラーラの死の真実。何故、彼女は〝見殺し〟となったのか。カメラのファインダー越しでしか、自らの罪過を直視できない傍観者と成り果てた卑き人間の末路。例え、そこに愛する女が離れていく怖さがあろうと。例え、崇高な信念のもとに人々に戦争の無意味さを伝えていようとも、一人の女を逃さないためには、自らも殺戮者らと同じ狂った愚行を犯す薄汚い畜生であることを悟る怖さ。そして、カメラマンの存在自体が、新たな死を招き寄せてしまうという怖さも、また。

本作は、読み手によって様々な解釈がなされるだろう。カメラであろうと、絵筆であろうと、戦争に関わる生と死を写し取る傲慢さ。突き詰めれば、戦争での殺し合いは、人間一人一人の業に収束/集約できるという昏い観念。その罪と罰を二人の男の対比/シンメトリーを通して描き出す見事な筆力に圧倒される。

海へと消えゆく男。まるで、忘失は決して許されないと告発する自ら記録した写真と絵から、逃げるが如く。あとには、ひたすらに「無」という泡が漂うことを知りつつも。

評価 ★★★★

戦場の画家 (集英社文庫)

戦場の画家 (集英社文庫)