海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

2020-01-01から1年間の記事一覧

「血の夜明け」ロバート・モス

1991年発表の濃密なスリラー。長きにわたりメキシコは政治腐敗の極みにあり、「制度的革命党」は不正選挙で半世紀以上も独裁体制を敷いていた。政権に対する私怨を持ち、北部の分離独立を目指す首謀者カルバハルは、麻薬密輸業者を引き込み、政府転覆のプロ…

「暗殺者の烙印」ダニエル・シルヴァ

あとに美術修復師ガブリエル・アロンシリーズで著名となるベストセラー作家の1998年発表作。大統領選に絡む軍需企業の策略を主軸に、CIAの敏腕工作員と元KGBの凄腕暗殺者の対決を描く。謀略自体は散々使い古されたもので、背後の秘密組織も007もどきだが、政…

ジョン・ル・カレの航跡

既に報道されている通り、2020年12月12日にジョン・ル・カレ(本名デイヴィッド・コーンウェル)が死去した。享年89歳。私は熱烈なファンという訳ではなかったが、訃報を知って或る喪失感に陥ったのは、偉大な作家をまた一人失ったという寂寥と、スパイ小説…

海へ

その冬、初めての雪だった。夕刻から降り出した風花は、街を抜けて湾岸道路を走る頃には勢いを増していた。ヘッドライトの光芒に乱反射し舞い落ちてくる雪片は、幻影のように私を淡い記憶の彼方へと導いた。揺れ惑う結晶のプリズム。その残像に軽い目眩すら…

「わが母なるロージー」ピエール・ルメートル

パリ警視庁犯罪捜査部カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ、2013年発表の〝番外編〟。翻訳文庫本で約200頁の中編のため、読み応えでは物足りない面もあるが、その分、全編を覆う緊張感はより濃密になっている。比較的シャープなプロットの中に、技巧派なら…

「暗いトンネル」ロス・マクドナルド

本名ケネス・ミラー名義で1944年に発表した処女作。執筆時はまだ28歳の若さで、ミシガン大学在学中に書き上げている。当時カナダ提督であった作家ジョン・バカンの講演を聞いたことがきっかけで構想、その影響下で執筆したと述べている。とかくミラー時代の…

「拾った女」チャールズ・ウィルフォード

思い掛けなく翻訳された1954年発表作。各誌の年間ベストにも選出され、概ね好評を得ていた。ウィルフォードは、80年代に始まったマイアミ・ポリス/部長刑事ホウク・モウズリーシリーズで著名なのだか、どちらかといえば玄人好みのマイナーな存在という印象…

「脱出せよ、ダブ!」クリストファー・ウッド

1983年発表、冒険小説本来の魅力を存分に味わえる隠れた名作。巻末解説で翻訳者佐和誠が熱を込めて述べている通り、本作の〝主人公〟は、縦横無尽に活躍する単葉飛行機《ダブ》である。オーストリアで生まれ、第一次大戦でドイツの主力戦闘機となり、初めて…

「ウェットワーク」フィリップ・ナットマン

近年の欧米ホラー映画の定番は、いわゆる〝ゾンビ物〟のようだ。宇宙からの怪光線や謎のウイルスによって死者が蘇り、人間の生肉を喰らい、噛まれて死んだ者は同類となって蘇生、頭部を破壊しなければ永遠に生きる屍となって地上を徘徊する。カニバリズムな…

「死のドレスを花婿に」ピエール・ルメートル

現代フランス・ミステリの底力を見せつけるルメートル。2009年発表の本作でも繊細且つ大胆な仕掛けを施した超絶技巧が冴え渡り、暗い情念に満ちた濃密なノワールタッチの世界と相俟って読み手を魅了する。 ソフィー・デュゲは、悪夢から目覚め、現実の地獄へ…

「ダブル・カット」ウィリアム・ベイヤー

エルサレムを舞台とする異色のサスペンス/スリラーで、1987年発表作。本作執筆にあたり現地に一年間滞在したというだけあって、ベイヤーの実体験に基づくディテールがリアリティを生み、物語の強度を高めている。永遠に混じり合うことのない異質の文化/民…

「心を覗くスパイたち」ハーバート・バークホルツ

1987年発表作。コンセプトは邦題の通りで、他人の思考が読み取れる特殊能力を持ったスパイたちの工作活動と葛藤を主軸にストーリーが展開する。SF的要素を生かすには、それ相応の腕が必要だが、概ね違和感なく組み込んでいる。特異な能力を備えた人間が一…

「手負いの森」G・M・フォード

1995年発表、シアトルを舞台とするハードボイルドの力作。過激な環境保護団体にのめり込んだ孫娘を連れ戻してほしい。依頼人は裏社会のボスだった。私立探偵レオ・ウォーターマンは、早速怪しげな団体の周囲を探り始める。やがて嗅いだのはインディアン保留…

「迷いこんだスパイ」ロバート・リテル

冷戦期を背景とするスパイ小説のスタンダードは「亡命もの」である。同テーマの〝職人〟ブライアン・フリーマントルをはじめ、これまで多くの作家によって傑作が書かれてきた。亡命を巡る諜報戦には敵味方問わず謀略が渦巻き、不信と裏切りに主眼を置くエス…

「八番目の小人」ロス・トーマス

1979年発表のスパイ・スリラー。玄人向けと評されるトーマスだが、決して敷居は高くない。スタイルの近いエルモア・レナードと同様、生きのよい会話を主体にテンポ良く展開するストーリーは、時にうねるようなグルーヴを伴い陶酔感をもたらす。第二次大戦終…

「木曜日の子供」テリー・ホワイト

心の片隅にいつまでも残る余韻。あの後、登場人物たちはどんな人生を送ったのだろうと、日常の中でふと思いを馳せる物語。デビュー作「真夜中の相棒」(1982)は、そういった読後感を与えた数少ない作品だった。女性作家テリー・ホワイト(Teri White)が、…

「鉄道探偵ハッチ」ロバート・キャンベル

土砂降りの雨の中、暗い山の尾根を走る列車。シカゴ発、サンフランシスコ/オークランド行き「ゼファー号」に、ジェイク・ハッチは乗っていた。職業は、様々な犯罪やトラブルの解決に当たる鉄道探偵。今夜もひと仕事終えて、馴染みの女の家へ向かう途中だっ…

「ユダの窓」カーター・ディクスン

1938年発表作で、古典的名作として世評が高い。法廷を舞台に殺人事件の被告が有罪か無罪かを問う論証をメインとし、〝本格物〟の醍醐味を味わうには最良の設定。その分、場景は固定されたままで動的でないのだが、読み手は陪審員の一人として、じっくりと裁…

「ワインは死の香り」リチャード・コンドン

百万ポンドにのぼる莫大な借金。またしても賭け事で負けた。あと1カ月のうちにカネをつくる必要があった。英国海軍将校コリン・ハンティントン大佐は、追い込まれていた。起死回生の策を思い付くが、穴だらけだった。元部下のシュートに会い、プランを練り…

「死者の書」ジョナサン・キャロル

ダーク・ファンタジーの代表的作家と称されるキャロル、1980年発表の処女作。数々の名作を遺した伝説の童話作家マーシャル・フランス。高校教師トーマス・アビイは、少年期から憧れ続け、若くして逝った児童文学者の伝記を書くことが夢だった。そんな折、古…

「スパイよ さらば」ブライアン・フリーマントル

すべては生きるためだった。大戦終結後、ナチス・ドイツが併合していたオーストリアは英仏米ソが分割占領した。同時にウイーンは各国諜報機関の主戦場となった。ナチ戦犯追及機関の職員フーゴ・ハートマンは、頭脳明晰な現地工作員を求めていたKGBに勧誘…

「ハント姉妹殺人事件」クラーク・ハワード

1973年発表作。何とも素っ気ない邦題(原題は「killngs」)だが、警察小説の魅力を存分に堪能できる力作だ。舞台はロサンゼルス。或るアパートでハント姉妹が惨殺された。二人は一卵性双生児だった。死体は上下逆の向き合った状態で互いの頭と足を結ばれてい…

「ミステリガール」デイヴィッド・ゴードン

地元米国よりも日本で評判になったという「二流小説家」でデビューを果たしたゴードン、第2作目となる2013年発表作。タイトルから洒脱なハードボイルドを想像していたが、過剰なデフォルメを施した〝くせ者〟らが繰り広げる物語は、どこまでもオフビートな…

「孤独なスキーヤー」ハモンド・イネス

1947年発表作。南欧の雪山を舞台にナチスの金塊を巡る争奪戦が展開する。今では格別目新しさもない題材だが、発表年を考えれば先駆となる作品であり、後にスタンダードとなる着想をいち早くカタチにしたイネスは流石だ。主人公は元軍人ブレア。文筆で生計を…

「倒錯の舞踏」ローレンス・ブロック

1991年発表、マット・スカダーシリーズ第9弾。「八百万の死にざま」(1982)で80年代ハードボイルドの頂点を極め、中堅作家だったブロックは一躍大家として大輪の花を咲かせた。だが、以降スカダーの物語は急速に色褪せていく。あくまでも自論だが、枯れた…

「復讐者の帰還」ジャック・ヒギンズ

ヒギンズの翻訳作品中では、最も初期にあたる1962年発表作。サスペンスを基調とした小品ながら、ハードボイルドタッチで硬派な世界を創り上げている。スタイリッシュな好編だ。1958年、英国の街バーナム。土砂降りの雨の中、路地裏で気を失っていた男が、悪…

「狼の時」ロバート・R・マキャモン

1989年発表作。スパイ・スリラーとホラーをクロスオーバーさせた快作で、当時絶好調だったマキャモンがパワー全開で突っ走っている。第二次大戦末期、連合軍はノルマンディー上陸作戦に向けた準備を秘密裏に進めていた。そんな中、ドイツ占領下のフランスに…

「追跡者〝犬鷲〈ベルクート〉〟」ジョゼフ・ヘイウッド

1945年5月2日、ベルリン陥落。その2日前にアドルフ・ヒトラーは自殺した。1987年発表の本作は、ナチス・ドイツ総統の死は偽装であり、逃亡を謀っていたという前提に立つ。事前から綿密な計画を練っていたヒトラーは、妻となったエヴァと己の替え玉となる男…

「盗聴」ローレンス・サンダーズ

あとに「大罪シリーズ」で著名となるサンダーズ、1970年発表のデビュー作。ニューヨークを舞台に大胆不敵な犯罪の顛末を描く。ミステリの定型を打ち破る実験的な意欲作であり、犯罪小説の手法を一変させる革新性をも内包する傑作だ。 不法侵入罪で投獄され、…

「9本指の死体」ジャック・アーリー

サンドラ・スコペトーネの別名義による1988年発表作。〝女性作家〟という読み手の先入観を嫌い異性のペンネームとしたのかもしれないが、本作はどこまでも女性的な視点/トーンに包まれている。原題は「ドネートと娘」。父親と同じ警察官の道を歩んだ娘がコ…