海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「復讐者の帰還」ジャック・ヒギンズ

ヒギンズの翻訳作品中では、最も初期にあたる1962年発表作。サスペンスを基調とした小品ながら、ハードボイルドタッチで硬派な世界を創り上げている。スタイリッシュな好編だ。

1958年、英国の街バーナム。土砂降りの雨の中、路地裏で気を失っていた男が、悪夢から目覚めた。傷だらけの全身、両手には手錠。教会へと逃れ、旧知の神父と再会した男は、これまでの道程を回想する。
元英国軍兵士マーティン・シェイン。朝鮮戦争で頭部に重傷を負い、7年にわたり入院、ようやく記憶を取り戻したばかりだった。この街には、かつて共に中国軍に捕われていた戦場の仲間が暮らしていた。その中に、友人サイモン・フォークナー銃殺に関与し、シェインを地獄へと突き落とした裏切り者がいた。それが誰かを突き止め、復讐を果たす。そのための〝帰還〟だった。
時間は限られていた。シェインは今現在も進行性の記憶喪失症を抱え、間もなく手術を受けることになっていた。成功率も生存率も極めて低く、この僅かな機会を無駄にはできない。復讐者は、新たな生活を送っていた男達を訪ね歩く。遺産を継ぎ悠々自適の資産家、怪しい噂の絶えないクラブ経営者、殺気を漂わせたバーテンダー、そして生真面目だが考えの読み取れぬ考古学者。北側へ情報を売り渡した奴は誰か。
戦死したはずのシェイン。彼らは一様に驚いたのち、頑なに口を閉ざした。フォークナーの妹ローラに、サイモンの死は仲間の裏切りが原因だと告げるが、反応は鈍い。やがてローラを含め、シェインと接触した者が、それぞれに不可解な行動を取り始めた。誰と誰が、何を目的に繋がっているのか。隠された事実を探るシェインは、逆に罠を仕掛けられていることに気付く。
冒頭の教会でのシーンへと戻るのは終盤になってから。予想外の真相を掴んだ主人公は、厳然と報復の場へと赴く。

シェインはタフだが、榴霰弾を受けた際の破片が頭部に残っており、常に強烈な頭痛と記憶障害に悩まされている。現実と妄想の間を彷徨う後遺症を抱えた男の眼を通した情景自体が、ミスディレクションとなり、読み手を翻弄する。本作は、ミステリの技法を生かしてプロットに捻りを加えたヒギンズとしては異色作なのだが、当時からすでに優れた技倆を備えていたことが分かる。

現在90歳を越えたヒギンズは、本作発表時点では、まだ三十代前半の若さ。教師を続けながら1959年に作家デビューし、数々のペンネームを使って冒険小説を書きまくっていた時代だ。畢生の大作「鷲は舞い降りた」(1975)が大ベストセラーとなり、過去作品も含めて相次いで翻訳されたのだが、その殆どは絶版となり、今では新刊の紹介もなく、話題にすら上らない。特に初期作品は習作として軽視されているようだが、ヒギンズの魅力は本作でも充分味わえる。


以下は余談だ(以前掲載した「『海外ミステリ専門誌』という呪縛」の続稿に近い)。冒険小説が衰退(出版社の問題と捉えているが)している今こそ、ヒギンズら真の傑作を著した数多の作家に再びスポットを当て、復刊や未紹介作品の発掘をするべきではないのか。心から冒険小説の復権を望む者が、損得勘定抜きでマーク・グリーニーを代表格とする無味乾燥なアクション/軍事小説を〝褒め称える〟訳がない(残念ながら、実際は唖然とするほど多く存在する)。
出版社も批評家も〝自称〟冒険小説ファンも、80年代にトム・クランシーが登場して以降延々と続いている戦争シミュレーションの凡作/駄作にいまだに狂喜している現状(本気であれば恐れ入る)を見れば、復権など到底有り得ないという暗澹たる気持ちになる。わざわざ覇権国家の権力者に成り代わり机上の空論に過ぎないパワーゲームに勤しむ愚劣。それこそ、マクリーンやヒギンズらが唾棄し、人間の尊厳を守るために闘う者の誇り高き勇姿を描いた冒険小説の真逆をいくものではないか。出版社も批評家も〝自称〟冒険小説ファンも「売れる作家こそが偉大」(その本質はマンネリ/アナクロニズムの残滓に過ぎない)であり、我々は時流に乗っているという慰撫が得られれば、それで満足なのかもしれないが。

要は、冒険小説を侮るな、ということだ。そもそも〝カテゴライズ〟は読み手の便宜を図るための指標であり、エンターテインメント小説として一括りにすればいいのだが、敢えて戦争ゲームもどきのフィクションを冒険小説と称して売り出し、ヒギンズらと同じ俎上に載せて喧伝するケースには納得できないため、断固として異を唱えたい。
実は本サイトのレビューで最も参照されているのがスパイ/冒険小説のジャンルだ。やはり、変わらずニーズはあり、最近の似非スパイ/冒険小説に飽き足らず、本当に面白い作品に出会うための情報に餓えているという証しではないのか。それを出版社や批評家らは繊細に読み取っていない。そうでなければ、この時代にクランシーの亜流を汗水垂らして売り込み、ますます冒険小説が読まれなくなる状況を作り出すはずかない。つまり、真の冒険小説ファンを舐めているのである。

評価 ★★★