海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「裏切りのキロス」ジャック・ヒギンズ

先日綴った通り、本格物のみならず、ハードボイルドやスパイ/冒険小説の名作を再読し、レビューするつもりでいるのだが、如何せん未読の山を眼にすると、つい先に手を伸ばしてしまう。特にヒギンズの場合、初期には読み残しが多い。いつ「鷲は舞い降りた」(1975)に辿り着くか分からないが、この不世出の作家のルーツを探るためにも、あらためて発表順に読もうと無謀にも思い至った。といっても我慢出来ずに「死にゆく者への祈り」(1973)だけは、早々と〝探訪〟してしまうだろうが……。

ナチスの戦いで裏切り者の汚名を着た男、元英軍大尉ロマックス。彼は隠蔽された事実を掘り起こすため、時を経てエーゲ海のキロス島を再訪する。17年前、島にあるドイツ軍事拠点の破壊工作でロマックスに協力した島民らは何者かに密告され、強制収容所で地獄を味わっていた。ドイツ軍に捕らわれたロマックスが消えた後のことで、誤解を与えたのも無理からぬことだった。積年の恨みを晴らすべく待ち構えていた彼らの暴力と対峙しつつ、ロマックスは密告者が誰かを探り始める。

1963年発表作。美しい孤島を舞台に、過去と現在が交差するサスペンス主体の作品。過去を振り返る中盤ではマクリーン「ナヴァロンの要塞」(1957)に倣った戦争冒険小説のエッセンスもある。ただ、まだ模索期で、ハードボイルドと冒険小説の間を行き来し、巧く溶け合っていない。主人公を裏切り者に仕立てた島の人間を追求するというメインプロットは捻りがなく、勘のいい読み手でなくても真相を推測できるレベルだ。そもそもヒギンズは謎解きに力を入れるつもりは毛頭無く、ヒーロー小説をどう成立/発展させるか、作品を書き飛ばしながら、自分の資質/方向性を見極めようとしていた節がある。成熟した後の小説を考えれば、完成度が低く、小慣れていない面が目立つが、原石は確かにここにある。淡いロマンスを絡めた彩りも良い。

余談だが、本作にはジョン・ミカリという名の神父が端役で登場するのだが、設定は全く違うものの、隠れた名作「暗殺のソロ」(1980)の主人公と同じ名前だ。他にもドイツ人のシュタイナなど、後の作品で堂々と主人公を務める名を用いている。ヒギンズは似たような設定や情景が多いという指摘があるが、人物名についても一度気に入ったものは気にせず使ったようだ。それらは作品の質とは無関係であり、ヒギンズの世界観にぴたりと嵌まればファンとしては何の文句もない。

評価 ★★☆

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