海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「獅子の怒り」ジャック・ヒギンズ

のっけからの余談、ご容赦を。
またしても早川書房「ミステリマガジン」について書き記しておきたい。2022年9月号で「ヒギンズの追悼特集」をすると告知していた。少なくとも、ジョン・ル・カレ追悼(2021年7月号)並みのボリュームはあるはずだと、と古くからのファンは期待したことだろう。しかし、書店で手に取り、その余りの薄い内容に「やっぱりな」と私は妙に納得したのである。僅か5分程度で全部を走り読みした。手元に置いておく価値もないため、当然のこと同号の購入は控えた。
2020年7月号で「冒険小説の新時代」と謳い、現在のドル箱であるマーク・グリーニーを推した勢いのかけらもない。自著の宣伝を兼ねた日本人作家のぼんやりしたエッセイ、名作「鷲は舞い降りた」以前/以降に分けて作品を紹介したあまりにも駆け足のダイジェスト、過去に掲載したインタビューからの抜粋。以上である。この浅さは何だろうか。驚くべきことに、私が一度も読んだことのない同誌連載の漫画よりも、ページ数が少ない。これが冒険小説の一時代を築いた巨匠の扱いなのだろうか。ル・カレとの露骨なまでに違う扱いの差は何なのだろうか。少なくとも、ヒギンズがベストセラーを連発していた時代は、日本でも大いに売れ、当の出版社に少なからずの〝貢献〟をしていたはずである。
しかも「追悼特集」内に作品リストすらない。これでは、今後も読者が手にできるのは「鷲は舞い降りた」のみで、ヒギンズの奥深い魅力に触れ、冒険小説の世界へと旅立つファンが開拓されることなど一切ないだろう。この表面をなぞったような、いかにも「かつての巨匠を追悼」的なやっつけ感で、ヒギンズのファンが狂喜して同誌を買い求めると考えているのだろうか。いったい、骨のある編集者はどこへ消えてしまったのだろう。これではヒギンズに限らず、〝冒険小説の復権〟など、到底望めるはずはない。

閑話休題

本作はハリー・パタースン名義による1964年発表作。
英国情報部所属の工作員を主人公とし、ストレートなスパイ活劇を展開する。ヒギンズのヒーローといえば、ドロップアウトした陰影のあるアウトローの印象が強いが、本作は当時人気を博していたイアン・フレミング/ジェイムズ・ボンドシリーズの影響が色濃く、作家として売れることを優先していた若きヒギンズの意欲を感じる。といっても007のような荒唐無稽さはなく、主要な登場人物のバックボーンは掘り下げられており、時代背景も手を抜くことなくしっかりとプロットに生かしている。
長らくフランスの植民地だったアルジェリア独立。その後の不穏な世界情勢を背景に、フォーサイスジャッカルの日」にも登場する極右軍事組織OASの暗躍に立ち向かう英国情報部員の活躍をド派手に演出。真っ当なヒーロー小説として、ストーリーはスピード感に満ち、起伏に富む。あとにヒギンズが好んで描く原型が良い形で固まっている。強大な権力で謀略をめぐらす孤島の大ボス。揺るぎない闘志を燃やす主人公と、それを影で支える準主役級のタフな相棒。かりそめの出会いの中で一瞬にして燃え上がる男女のロマンス。そして、臨場感豊かなアクションと、味わい深いセンチメンタリズム。
ヒギンズを読む幸せは、本作でも充分に噛み締めることができるだろう。

評価 ★★★