海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「死の統計」トマス・チャスティン

1977年発表作。重厚な警察小説/カウフマン警視シリーズの脇役として、いい味を出していた私立探偵J・T・スパナ―が堂々と主役を張る。

6月、夜のマンハッタン。奇妙な事件はクイーンズボロー橋の上で始まった。愛車に乗るスパナ―を猛スピードで追い抜いた車は、橋の片側へと寄り、人を放り出して走り去った。欄干に拒まれたのは、裸の若い女だった。全身血塗れで既に死んでいた。スパナ―は馴染みの警察署へと通報する。この探偵は元刑事だった。

一人称一視点だが、原文は代名詞(私/おれなど)を一切使わず、地の文は全て現在形。翻訳した真崎義博は、人称の問題は難なくクリア(これを自然な文章に仕上げた力量の凄さ)したが、現在進行形の文章は「リズムを整えるため過去形を混ぜた」と後書きで述べている。読み手が〝人称の無い〟文章で戸惑うのは冒頭だけで、すぐに慣れるだろう。

探偵事務所へと戻ったスパナ―に、警察から電話が入る。死体を運搬中に襲われ、強奪されたという。スパナ―が目撃した車とは違うようだった。その後の調べでは、殺された女は空港から姿を消した客室乗務員ジルと推測。しかし、鑑識の写真を確認した母親は即座に否定したという。顔は無惨に潰されて識別できないはずだったが……。
直後、新たな依頼が入る。娘を捜して欲しい。ジルの母親からだった。
殺された女とジルは同一人物なのか。スパナ―は関係者を当たり、空港が絡む麻薬密輸事件と推理する。だが、次第に浮かび上がってきたのは、より大掛かりな犯罪の匂いだった。

ダイナミックな16分署シリーズとは打って変わって、ストレートなハードボイルド小説。簡潔な文体を駆使し、スピーディーな展開で読ませる佳作だ。
タフな好漢であるスパナ―は、元刑事という経歴を最大限生かして、マンハッタンを自在に駆け、都会に生きるアクの強い者たちとやりとりする。元妻二人を秘書に雇い良好な関係を保ちつつも、新たな色恋にも余念がない。今回は〝引き立て役〟に回るカウフマンを適度に絡ませるなど、スピンオフらしいサービスも盛り込んでいる。ワイズラックは抑え気味だが、ハードボイルド・ファンには「ニヤリ」とする箇所も多々あり、本作を通して先達の作家たちにオマージュを捧げたことが分かる。実は、強烈な印象を残すのは、僅かしか登場しないジルの母親と祖母にまつわる異様なシーンなのだが、端役とはいえ手を抜かないベテラン作家の筆力が精彩を放つ。「死の統計」は、都市小説としての味わいもある。

チャシティンは創作期間が短く寡作だったが、警察小説、ハードボイルド、ホラー、ペリイ・メイスンのパスティーシュ、果ては懸賞小説まで、何でも器用に書いていた。ただ、やはり読み応えのある16分署と、スパナ―の続編をファンは待ち望んでいたと思うのだが、作家として涸れてしまったのは残念だ。

評価 ★★★