海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「砕かれた夜」フィリップ・カー

私立探偵ベルンハルト・グンターを主人公とする1990年発表の第2弾。権力を掌握したナチス・ドイツ侵略戦争に邁進した時代、その真っ只中のベルリンを舞台とするハードボイルド小説史上、極めて異色のシリーズだ。緊迫した情況をリアリティ豊かに組み込んで構築した世界観は、デビュー作「偽りの街」(1989)において既に完成していたのだが、第二次大戦前夜の重苦しい不安/焦燥が、凄まじいまでの緊張感を伴い読み手に迫ってくる。プロットには、刻一刻と相貌を変えていくナチスの不穏な動きと、実在した幹部らの思惑を絡め、国家社会主義を掲げた独裁国家の欺瞞ぶりを徹底的に暴いていく。手法/文体はハードボイルドのスタイルを踏襲、卑しい街に生きるヒーロー像を鮮やかに印象付ける。
元刑事でもあるグンターは、反ナチスを明確に意思表示する骨太な男だが、失踪人探しなどの依頼された仕事をこなしていく中で、独裁政権と一体化した警察機構やゲシュタポ、果てはヒトラーの側近らと否応もなく関わり合うことになる。言動を誤れば即命取りとなり、通常のハードボイルドであれば〝シニカル〟な体制批判のワイズラックも、相手次第では身の破滅を招くのである。
本作は、ホロコーストの前章となるユダヤ人迫害、1938年11月9日に起きた所謂「水晶の夜」までの流れを追うのだが、物語は、同時期に発生したドイツ人少女連続殺人事件の真相を探るために古巣に戻ったグンダーの捜査活動が主軸となる。その不可解な謎の解明とともに狂った国家の謀略が立ち現れていくさまは異様な迫力に満ちており、カーの構想/構成力はさらに深化している。本シリーズが停滞したハードボイルド小説に斬新な設定によって新風を吹き込んだことは間違いがなく、それも英国の作家によって為された意義は大きい。
前作の終幕で、グンターが愛した女が突如行方不明となったのだが、遂に闇に葬られた事実を掴み、暴力的な復讐を果たす。その衝撃的なシーンは、敢えて感傷を排してるが故に、より一層哀しく虚しいカタルシスとして心に残る。

評価 ★★★★

 

砕かれた夜 (新潮文庫)

砕かれた夜 (新潮文庫)