海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「最終兵器V-3を追え」イブ・メルキオー

まずは、長い前置きから。
近現代史を背景とするスパイ/冒険小説で、最も登板数の多い〝敵/悪役〟は、言うまでもなくナチス・ドイツだろう。
総統ヒトラーを軸に集結した多種多様で強烈な個性を持つ側近や軍人、科学技術を駆使した軍事兵器の〝先進性〟、排他的ナショナリズムを公然と掲げた大胆不敵な侵略政策、さらには、優生思想やオカルトなどを混ぜ込んだ珍妙な理論体系まで、ごった煮/融合したナチズムの狂気に満ちた世界観は、究極の悪を具現化している。
無論、同じ枢軸国であった日伊、そして英米仏露ら連合国自体も、植民地を巡る縄張り争いを主導/加担した覇権国家に過ぎず、単純に善悪の境界を引くことはできない。また、日本やアメリカ、ロシアなどが無差別に敵国/被侵略国の市民を大量虐殺した史実を視れば、短絡的にナチス・ドイツだけを最悪の国家と断罪することもできない。
だが、その中においてさえ「第三帝国」という得体の知れなさ、異様さが突出していることは間違いない。スターリン毛沢東、或いは中東やアフリカ、南米などで突発的に出現する圧制者らは、一個人に権力が集中する恐怖政治を敷き、概ね大衆とは乖離していた。同じく独裁でありながらも、「第三帝国」がそれらと大きく異なる点は、大衆の熱狂的な支持を得て〝国民総ぐるみ〟となる極めて異常な集団性を有していたことにある(「神の国」という虚妄の下、天皇制と結び付いて軍国主義化したニッポンと、宗教色を排したナチスヒトラーを唯一無二の〝神〟と崇めたドイツの根っ子は同じなのだが)。
政府主導のファシズムレイシズムは末端にまで刻印され、ナチス・ドイツという怪物を生み出し、その崩壊後も瓦礫の下には〝悪の種子〟が残存していた。ネオ・ナチズムを旗印とする残党/イデオロギーはしぶとく生き残り、現代の世までも影響を及ぼしている。その強固で卑しい残滓を視れば、ナチスがいかに人類史上の脅威だったかを物語る。
特異な国家「ナチス・ドイツ」の全貌は、完全には解き明かされたとはいえず、稀に見る独創性故に、陰謀のシナリオを練る上での〝素材の宝庫〟となり、今も作家らの創造力を刺激し続けている。つまりは、現在も数多の文学/映像作品に登場して「悪」を演じ続け、人間の傲慢さと脆弱性、さらには〝暴力〟を表象する存在であり続ける理由となっている。要は「正義の国/ヒーロー」を、ひたすらに輝かせるだけのために。

余談が過ぎた。
1985年発表の本作は、典型的な「ナチスの陰謀」物のひとつで、妖怪の〝悪巧み〟は荒唐無稽ながらも、シンプルな筋立てでテンポ良く読ませる佳作。
第二次大戦末期。敗色濃厚なナチス・ドイツは、起死回生の策として毒ガスの最終兵器「Vー3」を開発、イギリス壊滅を狙っていた。その極秘作戦はヒトラーの死によって放棄されたが、狂信的残党が戦後40年を経て、再び実行に移そうと謀る。「Vー3」はイギリス海峡で沈んだ潜水艦の中にあった。毒ガスの入った679個にも及ぶドラム缶は腐蝕して漏れ始め、すでに近海で漁業に携わる人々にも影響が出ていた。
ナチス残党の不穏な動きを掴んだ米国政府は、土地鑑のある元連合軍情報部員アイナー・ムンクをドイツへと派遣。かつて、毒ガス製造に関わった者の所在を探り、行方の知れない「Vー3」に繋がる過去から現在へのルートを辿ろうとする。間もなく、元ナチスの徒党が襲い、ムンクは命懸けの戦いを強いられる。

メルキオーは、ナチス・ドイツ一筋のスリラーを発表したいわば〝専門家〟。手を替え品を替え、過去と現在を交差させ、いまだ死することなき魑魅魍魎が世界を危機に陥れるストーリーにこだわっていた。60年代のSF映画製作にも携わった異能の人物で、名前からはゴツい印象を受ける(メルキオールとの表記もあり、途端にソフトな感じになる)が、筆致は簡潔でスピード感を重視、プロットに捻りはないが冒険的要素を前面に出してエンターテインメント性を高めている。主人公が今ひとつ魅力に乏しい点がマイナス。終盤のサルベージでは、ダーク・ピット張りのシーンを用意し、ケレン味たっぷりに仕上げている。

評価 ★★★

 

最終兵器V‐3を追え (角川文庫)

最終兵器V‐3を追え (角川文庫)