海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ベルリン・レクイエム」フィリップ・カー

私立探偵ベルンハルト・グンターシリーズ第3弾で1991年発表作。デビュー作でハードボイルド、次作では警察小説、そして所謂〝ベルリン・ノワール〟の掉尾を飾る本作ではスパイ小説へのアプローチを試み、何れも高い評価を得た。

同一の主人公で一作ごとにコンセプトを変えるという離れ業を披露したのだが、これを可能にした理由は、ナチス・ドイツという極めて特異な国家を舞台に選んだことが大きい。各作品の間では大きく時間が流れているため、主人公を取り巻く情況も激変している。つまり、スタイルは違っても読み手は違和感無く没入できる訳だ。同時に、カーの秀れた着想のもと、三部作を構想していたことも分かるだろう。

史上嘗てない妖怪ナチスが崩壊するさまを描いた作品は枚挙にいとまがないが、カーは一介の私立探偵を通して独自の視点/解釈を加え、戦争がもたらした惨禍を激烈に描き切り、歪んだ体制の本質を暴き出している。決して正義と悪をストレートに語ることはないが故に、尚のことその無残なる醜悪さが際立つのである。さらに、膨大な犠牲を強いながらも勝戦によって息を吹き返した英米仏/ソ連覇権主義を捉え、決して完全に戦争が終わった訳ではないことを数多のエピソードを盛り込んで表現している。
本作ではナチス壊滅後、闇市が罷り通る混乱期1947年が物語の背景となり、東西冷戦の象徴となるベルリン封鎖直前までを追っていく。要はスパイ小説として、これ以上ない設定な訳だ。米英仏ソ分割占領下の混沌とした街の情景、荒廃した人倫が主人公の眼を通して余す所なく描写されている。そこには暗鬱なニヒリズムが漂い、色調は極めてダークだ。

終戦から一年以上経過しても、略奪と殺しは横行。特に駐屯するソ連兵の非道ぶりは恐れられていた。一方、水面下で東西両陣営のイデオロギー闘争は激化し、覇権を巡り熾烈な諜報戦が繰り広げられていた。グンターは米国軍人を殺した罪に問われた知人に関わる依頼を受け、真相を探るためにオーストリアへと渡る。敵味方の判然としない者どもが跋扈するウィーンの袋小路を彷徨う探偵は、より達観の度合いを深め、虚無感が増しているように感じる。プロットは、スパイ小説の例に漏れず、やや捻り過ぎて話の流れを堰き止めてしまった部分が目立つのが残念だ。

序盤でグンターは仕事で列車に乗る。そこへ現れたソ連兵が金品を要求。格闘の末、兵士を殺した探偵は、列車から死体を叩き落とす。直接、本筋に絡まない挿話のひとつだが、当時はナチスの残党よりも恐れられていたソ連への恐怖/嫌悪感を物語り、強烈な印象を残す。

当初グンターシリーズは、カー自身が本作で打ち止めとする意思を明らかにしていたが、2006年に再開して五作を上梓、ファンを喜ばせた。享年62才という早過ぎる死があまりにも惜しい。

評価 ★★★