海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「木曜日の子供」テリー・ホワイト

心の片隅にいつまでも残る余韻。あの後、登場人物たちはどんな人生を送ったのだろうと、日常の中でふと思いを馳せる物語。デビュー作「真夜中の相棒」(1982)は、そういった読後感を与えた数少ない作品だった。女性作家テリー・ホワイト(Teri White)が、男の世界を見事に描き切ったことでも随分と話題になった。翻訳された当時は、新たなスタイルのクライムノベルとして読んだが、裏社会に生きる無法者らの喪失と再生を描いたストーリーは、現在定着した呼称〝ノワール〟として捉え直した方がしっくりくる。ドライ且つ甘美なムードに、とにかく痺れた。


闇を照射する一条の光。大都会の最下層で交差する生と死。束の間の光芒に吸い寄せられるように、生きづらさを抱えた者たちが出会い、刹那的な物語を紡ぎ始める。幸福な結末などありえない。序盤から、そう感じる。けれども、読まずにはいられない。

殺し屋ロバート・ターチェックには、仕事抜きでケリをつけねばならない男がいた。チンピラのボイド。弟アンディを刑務所内で襲い、植物人間にした外道。ターチェック兄弟は幼くして両親を失い、孤児院や里親を転々とした。二人の夢。アンディが大リーガーになること。投手としてズバ抜けた才能を持っていた弟を、ロバートは誇りに思っていた。怪我のため一時的に横道へ逸れたとはいえ、必ず復活できるはずだった。そのすべてをボイドが打ち壊した。ロバートはギャングの親玉らから請け負う殺しをこなしつつ、間もなく出所するボイドを狙う。
或る夜、街のごろつきに絡まれていた少年。彼を救ったのは、仇の情報を仕入れるために通り掛かった殺し屋だった。ボー・エプスタイン、15歳。騒乱の南米の地で両親を失い、ハリウッドの富豪である祖父ソールのもとへと引き取られていた。ソールにとっては唯一の跡継ぎで、反抗した末に異国で死んだ息子の代わりをボーに求めた。だが、寡黙ながら聡明な孫も同じく反発し、家を抜け出した。互いの孤独感を舐め合うように、ロバートとボーは引き寄せられ、行動を共にする。少年は殺し屋を恐れつつも、非情な外面の裏にある弱さを自分と重ね合わせた。
一方、ソールが依頼した私立探偵が動き出す。子どもの失踪捜査を専門とするギャレス・シンクレア。元刑事としての経験、何よりも鋭い勘によって実績を上げていた。ギャレス自身もまた問題を抱えていた。若くして妻が死に、一人娘は失踪、その行方は今も分からなかった。ボーの境遇を知るほどに、探偵もまた自分の家族へと思いを巡らせる。ギャレスは地道に少年の痕跡を追い、殺し屋の存在に行き着く。

純粋でありながら屈折した少年、目標を失い寂寥の中で生き急ぐ殺し屋。そして彼らを追う探偵は、子どもたちを〝真〟に救済することができないことに苦悩する。恵まれた環境にありながら、なぜ少年少女は家を出て、欲と暴力が蔓延る過酷な社会へと身を投じていくのか。この探偵のパートこそが、物語をより深く読み解くテーマを含んでいると感じた。少年ボーは〝保護者〟となったロバートに父親の理想像を視る。ロバートは、報いることの出来なかった弟をボーに重ね、朧な未来を夢見る。探偵ギャレスは、崩壊した家族の行き着く果てを表象するかのような二人の姿に心を痛める。
現在の有り様に幻滅し、虚しい希望を語り、距離を縮めていく三人。彼らは、薄れてゆく光へと必死に手を伸ばす。だが、終幕へと続く闇は次第に漆黒の度を深めていく。


1991年発表の本作は、名篇「真夜中の相棒」(原題「Triangle」)の焼き直しでもあるのだろう。男たちは須く大切な者を失い、悔恨と孤独の淵にいる。少年は奔放な両親を眼前で殺された。殺し屋は自慢の弟を理不尽にも奪われた。探偵は妻子を失い自省の中でもがいている。共通するのは、不器用な愛の発露だ。互いを知り、己の過去と向き合い、実存の意味に気付く。その心理的な揺らぎを、様々なエピソードの中へと染み込ませ、劇的なエピローグへと集束する。琴線に触れる心象風景、ホワイトはやはり巧みだ。

読み進めるごとに、切なさが増していく。感傷が情景を青く彩る。哀しくも温かい残像を読み手の心に焼き付け、熱く静謐な物語は幕を下ろす。

 評価 ★★★★