海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「盗聴」ローレンス・サンダーズ

あとに「大罪シリーズ」で著名となるサンダーズ、1970年発表のデビュー作。ニューヨークを舞台に大胆不敵な犯罪の顛末を描く。ミステリの定型を打ち破る実験的な意欲作であり、犯罪小説の手法を一変させる革新性をも内包する傑作だ。

不法侵入罪で投獄され、1年の刑期を終えたジョン・アンダースン(デューク)は、新たな犯罪計画を練る。マンハッタンの一角にある資産家のみが住む高級アパート。この建物を占拠し、全室の金品を強奪する。5階建てで警備員が常駐していたが、デュークには成功させる自信と秘策があった。懇意のマフィア幹部に話しをつけ、軍資金を調達。分け前の他に提示された条件は、同組織が用意したメンバーを加えるというものだったが、不可解にも仕事を終えた後に、その男を消すことを命じられた。
デュークは、住人の一人である中年女に色仕掛けで近付き、アパート内部を探る。準備段階には念入りに時間を掛けた。当然助っ人も必要だった。警報装置解除や金庫破りに長けた技術屋、住人を脅し監視するコワモテ、金目の物を即座に見分ける鑑定人、奪った金品を運ぶトラックドライバーなど。彼らを巧みに動かし、事前にあらゆる情報を収集し、吟味した。決行は1968年8月31日の夜。住民への暴力は無用。デュークには、プロの犯罪者として譲れない信念があった。事は順調に運ぶ。ただ一点、大きな落とし穴を除いては。

プロットに謎解きの要素はなく、ストレートなクライムノベルに近いのだが、本作は極めて特異な構造を持つ。全編を通して目撃者の証言、捜査機関が盗聴したテープ録音、尋問記録、書簡などを時系列で並べて構成。情景描写など小説の基本スタイルとなる地の文が一切無い。〝記録者〟としての書き手が補足する状況説明以外は、登場人物が交わす会話と独白のみで進行する。つまり、読み手は〝言葉〟のみで前後の流れを汲み取り、繋ぎ合わせていく。この極めて難易度の高い〝縛り〟は、下手をすれば物語自体を破綻させかねないが、サンダーズは技巧を駆使して強烈なサスペンスを生み出し、逆に完成度を高めている。

設定上、主要人物の内面描写が皆無なのだが、一人一人の表情さえ鮮やかに目に浮かんでくる。特に、犯罪グループのリーダーとなるデュークの造形が深く、強い印象を残す。その過去/素性は殆ど明かされることはないが、事件の記録を辿ることによって、孤独な男の姿が浮き彫りとなっていく。冷徹な犯罪者が抱える闇、そしてどんな局面においても誠実さ、優しさを忘れない人間性。この複雑な相貌を持つ男を中心にして劇的な展開が続く。計画が頓挫し、追い詰められた果ての情景は、台詞のみにも関わらず鮮烈で感傷的な余韻をもたらす。住人の一人として捕らわれていた少年と僅かな言葉を交わしただけにも関わらず「あの人を殺さないで」と警官に懇願させるまでに心を動かした男。かりそめの情事を重ねていた闇社会の女の前だけで弱さを見せる男。その破滅していくさまは、どこまでも哀しく、無常だ。

「盗聴」は斬新なスタイルのみに目を奪われがちだが、犯罪者の肖像を描くことにおいて抜きん出ており、この重厚な味わいは筆舌に尽くしがたい。それはひとえに作者の並外れた筆力があってこそだろう。創作に3年を掛けたというサンダーズ、本作発表時は既に50歳を超えていた。それまでの雑誌編集で培った経験を生かし、「自分ならもっといいものが書ける」と作家へ転身、以降ベストセラーを連発するのだが、やはり人生経験が豊かでないと、このレベルの作品を生み出すことはできないと感じた。
サンダーズは、本作終盤で登場する刑事ディレイニーサイコキラーとの凄まじい闘いを描いた「魔性の殺人」(1973)で更に評価を高めるのだが、その実力は既に本作で十分確かめることができる。

評価 ★★★★★