海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「拾った女」チャールズ・ウィルフォード

思い掛けなく翻訳された1954年発表作。各誌の年間ベストにも選出され、概ね好評を得ていた。ウィルフォードは、80年代に始まったマイアミ・ポリス/部長刑事ホウク・モウズリーシリーズで著名なのだか、どちらかといえば玄人好みのマイナーな存在という印象を持っていた。いかにもアメリカ的な気風に満ちた〝粋の良さ〟は、エルモア・レナードのスタイルにも通じている。ただ、本作を読む限りでは、創作初期には意外と文学志向が強い作家だったようだ。

舞台はサンフランシスコ。30歳過ぎの男ハリー・ジョーダンが働くカフェに、客としてふらりとやってきたブロンドの美しい女、ヘレン・メレディス。一目惚れした〝俺〟は女を口説き、同居生活を始める。女は既婚者だったが、反りが合わない夫の元を離れ、実家も飛び出し、この街へ来たという。俺はヘレンを愛し、ヘレンも俺を愛した。仕事を辞めた俺にカネは無く、女が持参していたカネも底をついた。職を転々とし、酒に溺れた。ヘレンは重度のアル中だった。怠惰な日々にも、いよいよ限界がきた。俺とヘレンは、或る決意を固め実行する。

 物語の起伏は緩やかで、鬱屈した虚無感が漂う。ファム・ファタル的な犯罪小説ではあるが、全体のトーンやストーリーの流れ方は独特で、正直なところ何を描こうとしているのか掴みきれない部分もあった。〝話題〟となったラスト数行で、ようやく物語は〝修正〟された上で、作者の本意が明確となるものの、改めて読み返すほどのインパクトは無かった(終盤での主人公と精神科医の会話の中に強めの伏線が張られている)。主人公の内面描写は繊細だが捉えどころがなく、画家志望であったという過去も、真に重みを増すのは、読み終えてのちのこととなる。いわば本作は、米国が今現在も抱えている根深い問題へのウィルフォードなりのアプローチだった、と深読みすることも出来るのだが、結末はいかにもミステリ的とはいえ、何ひとつ答えを見出せていないもどかしさが残る。このテーマを生かすのであれば、やはり冒頭からストレートに物語を動かして欲しかったと感じた。ハリーとヘレンが表象するのは、現状に対する憤りを抱えながらも、あるがままに受け容れざるを得ない〝敗残者〟の弱さだ。硬い表現だが、1950年代のアメリカ社会に生きる実存的不安を抱えた人間の内省を描いたものだ、と勝手に解釈している。

また、本作の惹句には「傑作ノワール」とあるが、ごく〝普通〟の男である主人公も含めて悪漢は登場せず、違和感を覚えた。或る種の「破滅」を描いてはいるものの、肌触りが違うのである。綺麗にまとまり過ぎている、とでもいえばいいだろうか。何にせよ、最近は〝ノワール〟の呼称を乱雑に使う(私自身も含めて)傾向にあるのだが、定義付けが曖昧なままブームが先行した余波なのかもしれない。

 
余談だが、本作のような渋い作品を発掘し、きちんと出版してくれる扶桑社の〝ハードボイルド〟な姿勢には頭が下がる。扶桑社ミステリー文庫(旧サンケイ文庫時代も含める)のラインナップは結構〝宝の山〟で、日本では無名の作家を数多く紹介してきたという功績も大きい。同時期に冒険/スパイ小説ファンをザワつかせた気合いの入りまくった二見書房(「ザ・ミステリ・コレクション」……いつのまにかロマンス専門になっていたことを知った時はかなり落胆した)も同様。翻訳ミステリ隆盛期に新規参入した出版社のリストは、その殆どが絶版とはなってはいるものの、今でも飽きもせずに眺め、チェックした本を入手する日を夢見ている。

評価 ★★★

拾った女 (扶桑社文庫)

拾った女 (扶桑社文庫)