海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ボクサー」ピート・ハミル

映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作者として日本でも馴染み深いピート・ハミル。気骨のあるジャーナリスト/コラムニストとして著名で、作家活動の中ではハードボイルド小説にも挑んでいた。1979年発表の本作は、ボクシングを通して成長する青年を情感豊かに描いた名篇。ボクサー経験もあったというハミルの自伝的要素が物語にしっかりと息づいている。翻訳文庫本350頁ほどの作品だが、読み終えてしまうのが惜しく、中途からはゆっくりと読み進めた。

主人公は18歳になるボビー・ファロン。ブルックリンで生まれ育ち、6歳の時に失踪したギャンブラー、父ジャックの激しいアイリッシュ気質を受け継いでいた。或る日、ボビーは親友カークと共に訪れた店で喧嘩騒ぎを起こす。警官を殴り倒し、逮捕された。判決はボビー1年、カークが3年。ボビーは白人、カークは黒人だった。これに怒ったボビーは、またも裁判所で一悶着起こし、二人は〝平等に〟懲役2年をくらう。娑婆よりも酷い人種の壁に阻まれるも、ボビーは身に付いた剛腕によって他の囚人から一目置かれる存在となっていく。そして看守の勧めで始めたボクシングに覚醒、才能が開花した。向かうところ敵なしで、まもなく刑務所外からアマチュア・ボクサーを招待したイベントが組まれる。ボビーは強敵ともくされていた男をたやすく倒し、そのトレーナーだったガス・カピュートとの運命的な出会いを果たす。

前半の粗筋は、ボクサーをテーマとする小説や漫画、映画の類によくあるパターンだろう。刑務所を出たのち、ひたすらに頂点を目指して突き進む後半の展開もありふれたものかもしれない。けれども、ストレートであるからこそ、ひとつひとつのエピソードが濃く、鮮やかだ。
ボクシング業界はすでに斜陽化していた。ビッグイベントは減少の一途を辿り、ボクサーは貧しい境遇から成り上がろうとする黒人やプエルトリコ人で溢れていた。白人の若者は生活のために血を流す必要はなかった。誰もがチャンピオンになる日を夢見ているが、その大半はスパーリングの段階でノックアウトされてマットに沈む挫折を味わうのが関の山だった。
物語は、主人公を軸にして、端役として登場する多くの孤独なボクサーの肖像を描き出す。歴然とした格差社会/人種差別の棲み分けの中で、己の拳を糧に這い上がろうとする男たちの憤り。いきがっていても、心根には甘さや脆さがある。彼らとボビーを対比/対峙させることで、ボクシングの世界がより鮮明になっていく。

本作には当然のことファイトシーンも多いのだが、ラウンドの描写はさほど長くない。それでも、ボクサーが瞬時に繰り出すパンチや息遣い、セコンドの焦り、観客の興奮と緊張感がまざまざと伝わってくる。要は、的確で無駄がないため、物足りなさを感じることはないのである。
ボビーは、最初は反発し合っていたトレイナーのガスを次第に信頼し、トレーニングと試合を忠実にこなし、絆を深めていく。悪友カークは雑用係を務めていたが、相変わらずやさぐれてトラブルを引き寄せる。そんな中でも、地方をドサ回りして連戦連勝を重ねるアイリッシュ・ボクサーの名声は着実に高まっていた。しかし、実直だが頑固なガスは、ボビーを大試合に立たせることはまだ早いと拒否し続ける。彼は何人ものチャンピオンを育ててきた敏腕トレーナーだったが、冒険を好まず慎重過ぎた。才能あるボクサーは、より多くのカネを稼ぐために、ガスのもとを離れていった。案の定、プロモーターからの評判はすこぶる悪かった。ある時ボビーは、カネにならないボクシングをなぜ続けるのかと尋ねた。ガスは「美のためだ」と穏やかに答えた。物語は、この泥くさいともいえる美学に貫かれているといっていい。

登場人物の殆どが孤独と焦燥を抱えている。主人公、その母親、トレーナー、ボクサーや囚人仲間、そして社会の底辺であがく無名の人々。街の情景が、彼らの心象と合わさり、色調を変える。凍てついたニューヨークを視るボビーの眼。それは、アイルランド系移民の子として、決して順風満帆の青春時代を送ったとはいえない作者自身の眼でもある。
物語はボビーの一人称で進むが、時に突き放すように「あの時のおまえは」と自分を客観視し、過去を振り返る主人公の成熟した「今」を読み手に伝える。情況/意識の流れに応じて文体を自在に変えるという高度な技巧も使っているのだが、不自然さはなく、かえってリズミカルになり、詩情を生み出している。これを硬質で洗練された日本語へと小林宏明が翻訳。内省的でありながらも、瑞々しい感性に満ちた青年の喜怒哀楽が見事に表現されている。

実は、本作で最も強い印象を残すのは、主人公とその母親の関係だ。まだ38歳という若さの母親ケイトに対するボビーの愛情には、いいしれぬ飢えがあり、時にアブノーマルな危うさも表出する。この屈折した愛は頻繁に挿入され、時が流れるほどに母と子は泥沼へと堕ちていく。さらには、二人の前には家出した父の存在が常に大きく立ちはだかり、終盤での或る〝清算〟へと向かうことになる。下手な作家なら生々しく悲惨になるだけの設定を、これこそ純粋な愛のカタチなのだと、いつのまにか読み手を納得させてしまうだけのパンチ力/筆力を持つハミルは、やはりツワモノである。

終盤の舞台はラスヴェガス。対戦相手は、世界ヘヴィ級第1位。仕組まれた薄汚い大試合。それに敢えて挑む若きボクサー、世界ヘヴィ級第2位のボビー・ファロン。グラブを合わせたのち、コーナーへと戻る。これまでのすべてを懸けて、男は一気に燃える。
歓声と怒号に包まれたリングに、非情のゴングが鳴り響く。

評価 ★★★★