海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「殺戮のチェスゲーム」ダン・シモンズ

他人の意識と行動を操る異能者〈マインド・ヴァンパイア〉。その起源は不明だが、古来から極少数の者が生まれながらに特殊能力を備えていた。様々な仕事に就いて表向きの顔を持つ彼らは世界中に散らばり、時代の変化に順応しつつ生きながらえていた。
容姿は人並み、個々の人格や能力には違いがあったが、善人は皆無だった。異能を持つ代わりに、完全に欠落した理性や倫理。その異常な嗜好は、人間を狩るという〝遊戯〟によって満たされ、互いの残虐性/インパクトの強さを競い合っていた。戦時の大量殺戮、要人や著名人の暗殺、そしてサイコパスの猟奇殺人。歴史的な重大事件の影には必ず異能者がいた。
彼らは、力を行使することで精力を補完し、普通の人間よりも老化を抑えることができた。当然のこと、十字架などの馬鹿げた宗教的迷信によって流布された弱点は無かった。この化け物たちに狙われたら終わり。待ち受けているのは無惨な死のみだった。
異能によって成り上がり、巨大な富と権力を手にしたマインド・ヴァンパイアの一部は闇の組織を作り、年に一度、絶海の孤島に集結した。殺戮のチェスゲーム。人間を駒にみたてた地獄の享楽。かつて、この狂気の宴から生還した人間は一人もいなかった。

剛腕シモンズ、1989年発表作。翻訳文庫本3分冊、計1500頁を超える大作だ。さすがに一気読みとはいかないが、巧みなストーリーテリングで長さを感じさせない。モダンホラーならではの簡潔且つ映像的描写を駆使し、娯楽要素満載の作品に仕上げている。かなりの大風呂敷を広げてはいるのだが、アウトラインは至ってシンプルで、主要な登場人物と舞台を絞っているため、物語の密度は濃い。加えてスピード感を重視、細かい点を気にする暇もなく読み手は引っ張られていく。

何より、或る種の超能力者ともいうべきマインド・ヴァンパイアという着想がユニークだ。彼/彼女らは、群れずにはいられない脆弱性を持つが、決して一枚岩ではなく、常に反目し合っている。そこには信頼感などなく、ただ〝同族〟という意味においての繋がりがあるのみだ。高貴さとは無縁であり、徹底した俗物である点でも共通している。この矛盾に満ちた人ならざる者どもが、己らの快楽のために人の命をもてあそぶ。
精神/身体を支配する彼らに対抗する手段は無く、ターゲットは朦朧とした意識のまま操られる。本作が言い様のない恐怖感を与えてくるのは、この「無力感」にある。
では、人間はマインド・ヴァンパイアのなされるがままの運命にあるのか。抗う者はいないのか。物語はここから始まる。登場するのは、一人の老いたる男。彼は何一つ特殊能力はなかった。武器はただひとつ。理不尽な死をもたらす悪への煮え滾る怒りのみ。

主人公は、精神科医ソール・ラスキ。ホロコーストを生き延びたユダヤ人で、かつて死の強制収容所で〝人間チェス〟の駒となった。ソールを操ったのは、ナチスのボーデン大佐で、マインド・ヴァンパイアの中でも飛び抜けた能力を有していた。狂気のゲームが進行する中、ラスキは不意を突いて奇跡的に逃げおおせた。大戦終結後は米国へと渡り、数十年にもわたり密かにボーデンの痕跡を追っていた。彼は唯一の生存者として、悪を滅ぼす決意を固めたのだった。
そんな中、南部の都市チャールストンで不可解な事件が発生する。全く面識のない9人の老若男女が突然狂ったように殺し合ったという。これはいがみ合う3人のマインド・ヴァンパイアが引き起こしたものだった。背後にボーデンの存在を嗅ぎ取ったラスキは現場に向かい、加害者であり被害者でもあった黒人男性の娘ナタリーと出会う。父親の無惨な死の真相を探っていたナタリーは、この老いたユダヤ人によって驚愕の事実を知る。さらに、事件の捜査を担当していた保安官ジェントリーは、不審な行動をとるラスキとナタリーを当初は疑っていたが、説明のしようがない状況を間近に見ることで二人の味方となり、共闘することとなる。

以上は序盤に過ぎない。ここから「善対悪」の血みどろの闘いが繰り広げられていく。
マインド・ヴァンパイアは、どんな強力な武器をもってしても倒すことはできない。彼らは敵対者の脳内に侵入し、自らの手先としてしまうからだ。ラスキとナタリー、ジェントリーの三人は、重苦しい焦燥感の中で試行錯誤しながらも、ひたすらに人間の顔をした悪魔を追い続け、対決に備えて知恵を絞り、計画を練る。だが、敵はボーデン大佐だけではなかった。
本作には、悪の権化ボーデン以外にも、様々なマインド・ヴァンパイアが登場する。暇を持てあます元貴族階級の女メラニー多国籍企業の経営者として政財界を牛耳る冷血漢バーラント、映画プロデューサーという地位を利用して女を喰い物にする破廉恥ハロッドなど、それぞれが己の特殊能力を使って社会に溶け込み、何食わぬ顔をして隣にいる。この設定が後々生きてくる。
実は、かつてないほどの不快感を与えるであろう者が冒頭から〝語り手〟として登場し、物語を進行させる。前述したマインド・ヴァンパイアの一人、老婆メラニーだ。物語は彼女の独白を合間に挟み、呪われた異能者の視点から、過去から現在へと至る悪の側面を綴る。この頻繁に挿入されるパートはとにかく凄まじく、この醜悪な女に対して徐々に読み手は畏怖し憎悪することだろう。徹底した傲慢なエゴイストとして随所で残酷非道ぶりを見せ、生半可なホラー小説を軽く超える恐怖を植え付けてくる。邪悪さという点で他のマインド・ヴァンパイアを遥かに上回る老女の腐り切った狂気を抉り出すシモンズの筆致は容赦ない。

中盤から終盤にかけて、サスペンスが途絶えることはなく、多彩なエピソードを盛り込みつつ、怒濤のラストステージ「殺戮のチェスゲーム」へと突入する。
このゲームを主宰するのは、圧倒的な権力によってマインド・ヴァンパイアを束ねるバーラントだ。この男がライバル視するボーデンも招待客として参戦する。
生け贄として〝選び抜かれた〟人間の駒。その中に、ラスキがいた。彼は単身、大佐に挑む。どうすれば脳内への侵入に抗うことができるか。ラスキはこれまでの闘いをサンプリングし研究を重ねていたが、結果的に非科学的ともいえる手段を用いる。読み手は、その手法に瞠目するだろう。地獄の強制収容所を生き延びた者、数多の非業な死を眼にした者にしか為し得ない最終的対決の行方に。そして、余りにも感動的なクライマックスに心を揺り動かされるだろう。希望を失わず、身を挺して闘う老いたヒーローを描きたいがために、シモンズは長大な物語を著したのだろう。

評価 ★★★★