海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「殺戮の天使」ジャン=パトリック・マンシェット

持論だが、ストレートに悪と対峙して正義を成すことに比重を置くのが「ハードボイルド」、逆に悪の側面から正義のあり方を問い直す小説を「ノワール(暗黒小説)」と定義している。要は、主人公(=作者)の立ち位置がどちら側にあるか、で決まる。必然的に、前者の結末は〝再生〟、後者は〝破滅〟となるケースが多いが、共通する主題は「暴力」である。だがマンシェットは、そんな安易なカテゴライズを嘲笑するかのように、善と悪の二項対立を相対化し、暴力の普遍性のみを抽出して、物語の軸に据える。そして、あらゆる権威を否定/破壊する虚無主義アナキズムの思想を根底に置いたまま、暴力による破滅と再生の文学を構築する。その極点となるのが本作だ。全てのまやかし/幻想に鉄槌を下し打ち壊す。1977年発表、マンシェットの「最も黒い(ノワール)作品」。

裕福な男を殺し、金を奪う美貌の女。すでに自分の夫も含めて8人を殺害していた。名と容姿を変え、次の街へと向かった女は、エメ・ジュベールと名乗った。港町ブレヴィル。この街の実権を握る実業家らが集うサロン。エメは購入した自転車に乗って通い、情報収集し、標的を吟味する。今回は一人に絞る必要もなかった。全員が腐り切っていた。エメは、街の住人に除け者扱いされている堕落した貴族に近づき、高慢な野郎どもに罠を仕掛けるために利用した。各々の醜聞を拾い出して脅迫する。〝ブルジョア〟らは結束して対抗しようとするが、エメは逆手に取り、一旦は投降したと見せ掛けて逃走。そして、ひとりひとり順々に異なる方法で抹殺していく。

心理描写を排したドライ且つハードな視点、鋼の如き硬質な輝きを放つ文体、モノトーンの映像を喚起させる鮮烈な空気感。それまではジョゼ・ジョバンニなど或る種の泥臭さが際立ったフランスの暗黒小説は、マンシェットによって磨かれ、熟成した。洗練の極みともいうべき豊潤な味わいは唯一無二だ。
終盤は、ひたすらに狂気の淵にいる女の殺戮を追う。マンシェットは暴力に一種の美を表出させ、俗物らが死に至るさまを冷酷に、しかもニヒリズムを漂わせつつ描く。原題は「ファタル」。返り血を浴びて真っ赤に染まったドレスを身に纏い、雪の彼方へと消えゆく女。ドラスティックでありながらも、どこまでも甘美な世界観には圧倒される。マンシェットが最後の一文に込めた思いとは、何だったのだろう。
創作期間は僅か10年余りに過ぎないが、筆を絶つ直前の三作「殺しの挽歌」(1976)、「眠りなき狙撃者」(1981)、そして本作でのクオリティは他を圧倒し、70年代ノワールの到達点を示している。

評価 ★★★★ 

殺戮の天使

殺戮の天使