海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

極私的傑作(★5以上)

「暗号名レ・トゥーを追え」チャールズ・マッキャリー

ジョン・F・ケネディ暗殺事件は、20世紀における米国史上最大のミステリともいわれている。今も数多の陰謀論の種子となっている要因は、混迷した世界情勢下で国内外問わず「敵」と目されていた存在があまりにも多く、加えて各々が多種多様な動因を抱えてい…

「傷心の川」ジョン・バカン

心の奥深く、いつまでも波打つ感動をもたらす「最後の、そして最高の冒険小説」。翻訳数は僅かながら、不慮の事故死(1940年2月11日)を遂げた翌年に出版された「傷心の川」がジョン・バカン畢生の名篇であることは間違いない。本作は、厳格さと慈愛を兼ね備…

「ロセンデール家の嵐」バーナード・コーンウェル

伝統の英国冒険小説の底力に平伏すコーンウェル1994年発表作で、没落した貴族の末裔である主人公の挫折と再生をドラマチックに謳い上げた傑作。 俗世間との関わりを厭忌し、洋上の漂泊者となっていたジョン・ロセンデールが4年振りに帰郷する。久しぶりの再…

「エヴァ・ライカーの記憶」ドナルド・A・スタンウッド

1912年処女航海の途上で沈没した豪華客船「タイタニック号」を題材に、半世紀にわたる連続殺人事件の謎を解き明かす壮大なミステリ。練り上げられた緻密なプロット、巧みな人物造形、臨場感溢れる情景描写など、重厚な読み応えに唸る傑作だ。 1941年、ハワイ…

「沈黙の犬たち」ジョン・ガードナー

1982年発表の英国海外情報局員ハービー・クルーガーシリーズ第3弾。クルーガーが築いた東ドイツ諜報網を壊滅させたソ連の宿敵ヴァスコフスキーとの最終的な闘いの顛末を描く。「ベルリン 二つの貌」から繋がるストーリーのため、まず同作を読んでおくことは…

「夜を深く葬れ」ウィリアム・マッキルヴァニー

マッキルヴァニー1977発表作。骨格は警察小説だが、単にミステリとして読むだけでは、滋味深い本作の魅力を半分も味わうことはできない。舞台はスコットランド最大の都市グラスゴー。夜の公園で発生した少女殺害事件を発端に、機動捜査班警部ジャック・レイ…

「大洞窟」クリストファー・ハイド

淀みなくストレート。冒険小説の神髄をみせる一気読みの傑作。派手な活劇を排し、培われた経験と研ぎ澄まされた直感、結実する智恵の連鎖によって、数多の窮地を脱し、ひたすらに生還を目指す者たちの冒険行を活写する。ハイド1986年発表。今だに冒険小説フ…

「蜃気楼を見たスパイ」チャールズ・マッキャリー

肉を削ぎ落した骨格のみで作り上げた構成だが、読了後に滲み出る哀感が忘れ難いスパイ小説の傑作だ。自身もCIA局員であったチャールズ・マッキャリー1973年発表作。 物語は、或る委員会に提出された工作員の報告、通信文、盗聴された会話の記録、監視報告な…

「27」ウィリアム・ディール

確かな世界観、魅力的な人物設定、分厚い物語の構造、巧妙な語り口など、全てが一級のエンターテインメント作品である。ヒトラー/ナチズム台頭期の不穏な世界情勢を背景とした上質のスパイスリラーであり、終盤での山岳地帯/孤島を舞台とする冒険小説とし…

「誓約」ネルソン・デミル

打ち震える程の感動の中でラストシーンを読み終える。「この小説を書きたかった」と感慨を述べたネルソン・デミル、その積年の想いが伝わる渾身の大作である。本作を書き終えた瞬間の充足感は相当なものだったろう。1985年発表の「誓約」は、1968年3月のソ…

「将軍の娘」ネルソン・デミル

巧い作家だ。プロフェッショナルと呼ばれるためには、ネルソン・デミル並みの力量を持たねばならないのだろう。米国陸軍基地内で将軍の娘が殺された事件を巡るメインプロットはストレートなミステリなのだが、舞台背景も含めてテーマの掘り下げが広く深い。…

「眠れる美女」ロス・マクドナルド

1973年発表リュウ・アーチャーシリーズ第17作。錯綜する謎は終盤に向かうほど乱れ縺れていく。ラストシーンで暗鬱なる真相へと辿り着いたアーチャーは、ひとときの安らぎの中で眠る娘の額に口付ける。美しくも哀しい、心に残る幕引き。ミステリ史に残る傑作…

「血の極点」ジェイムズ・トンプソン

圧倒的な疾走感で冒頭の1行から息つく暇もない。全てが突き抜けている。本作は第3作「白の迷路」の後日譚であり、限界まで追い詰められた男が己の家族と仲間を守るために私的な闘いをひたすら繰り広げるだけの話だ。凄まじい勢いで燃焼する男の情動を濃密…

「ベルリン 二つの貌」ジョン・ガードナー

スパイ小説の王道ともいうべき、冷戦下の東西ベルリンを舞台に、非情な諜報戦の只中で繰り広げられる謀略と裏切りの顛末を、緊張感に満ちた筆致で描き切った傑作。英国海外情報局員ハービー・クルーガーを主人公とする第2弾で1980年発表作。前作「裏切りの…

「深夜プラス1」ギャビン・ライアル 【名作探訪】

冒頭の1ページからラスト1行まで痺れる小説など滅多にあるものではない。冒険小説の名作として散々語り継がれてきた「深夜プラス1」だが、読者が年齢を重ねる程に味わい方も深くなる大人のためのエンターテイメント小説であり、陶酔感でいえば当代随一で…

「ザ・カルテル」ドン・ウィンズロウ

本を持つ手が真っ赤に染まっていく錯覚に陥るほどの膨大な量の血が流れる。延々と繰り返される殺戮と虐殺。ウィンズロウは、いつ、どこで、誰が何人殺されたと丹念に書く。死者を積み重ね、カウントする。なぜ省くことなく、記録するのか。不毛の大地。対抗…

「雪の狼」グレン・ミード

凍てついたロシアの墓地から始まる静謐なプロローグ。アメリカ人の男が40数年前にこの地で死んだ父親の〝二度目〟となる葬儀を見詰める。1953年の冷戦期、米国政府による極秘作戦。おぼろな回想が挿入され、未だその全容が解き明かされていないことが示され…

「ピルグリム」テリー・ヘイズ

近年のスパイ/冒険小説の衰退に憤りを感じていたファンの渇きを一気に癒やす紛れも無き傑作。三分冊の大長編にも関わらず、中弛みや無駄なエピソードの類は一切無く、凄まじいテンションを保ったまま終盤まで疾走する。散りばめられた枝葉が最終的には全て…

「裏切りの街」ポール・ケイン

1933年発表のポール・ケイン唯一の長編。ハードボイルドの隠れた名作であり、古典であるばかりでなく、犯罪小説としてもノワールの先駆としても重要な作品である。冷徹でタフな主人公の格好良さ、複数の犯罪組織と腐敗した市政を内部からぶち壊していく骨太…

「白の迷路」ジェイムズ・トンプソン

ジェイムズ・トンプソンの地鳴りのような怒りに打ち震える2012年発表のカリ・ヴァーラシリーズ第三作。ノワールという小説の枠を突き破り、フィンランド黒書ともいうべき苛烈な批判の書として、更なる深化を遂げている。 「物語の先に」と題されたトンプソン…

「悲しみのイレーヌ」ピエール・ルメートル

やはりルメートルは只者ではない。カミーユ・ヴェルーヴェン警部を主人公とする2006年発表の第1作。近年稀な大ベストセラーとなった傑作「その女アレックス」でも触れられているカミーユの妻イレーヌの残酷で悲劇的な顛末が明らかとなるのだが、出版事情が…

「技師クズネツォフの過去」ジェームス・O・ ジャクソン

声高に理不尽なこの世の無惨さを叫けぶ訳でもなく、派手な諜報戦とは無縁の片隅で人知れず滅びてゆくスパイ。愛する者のために祖国を裏切り、ささやかな人生のやり直しをひたむきに望むものの、不条理な運命の歯車が回り、孤独の闇の中で朽ち果てていく名も…

「天使と悪魔」ダン・ブラウン

読者を徹底的に楽しませることに主眼を置いた傑作エンターテイメント小説。冒頭の1ページ目を読み始めたら、最後まで一気読みは必至である。映画もヒットしているが、バチカンとローマの名所を巡りつつ展開する物語は極めて映像的で、観光ガイドとして活用…

「ゴーン・ガール」ギリアン・フリン

間抜けな男を翻弄する悪女を描いた作品と単純化すれば身も蓋も無いが、ひたすらに構成の巧さに唸る秀作だ。早くも倦怠期を迎えた若い夫婦、夫は独白、妻は日記という交互の視点で語っていく。発端で既に妻は失踪し、その日記は過去のエピソードから始まって…

「ボビーZの気怠く優雅な人生」ドン・ウィンズロウ

不覚にもラストシーン数行は涙で翳んでいた。物語作家としてのウィンズロウの底知れぬ才能に平伏し、惚れ直す。テイストはクライム・ノベルだが、苦いユーモアを交えた先の読めない奇抜なプロット、ロードムービー的な展開の中で繰り広げられる臨場感溢れる…

「凍氷」ジェイムズ・トンプソン

カリ・ヴァーラシリーズ第2作。無残な人間の業がもたらす犯罪の顛末を陰影のあるノワールタッチで描いた前作に続き、本作も発端から結末までダークなトーンで包まれており、息苦しくなるような緊張感に包まれている。物語は、ロシア人実業家の妻が拷問の果…

「パーフェクト・ハンター」トム・ウッド

凄まじいボルテージのアクションで埋め尽くされた圧巻の活劇小説。プロ対プロの暗殺者の闘いを終始ハイテンションで描き切る。殺し屋を主人公とするスリラーは吐いて捨てる程あるが、完成度に於いて本作は傑出している。ロバート・ラドラムの傑作スリラー「…

「逃亡空路」スペンサー・ダンモア

冒険小説とは、何よりも誇り高き男(女)たちの物語である。自覚した己の弱さを克服し、眼前に立ち塞がる様々な試練を経験と知恵で乗り越え、時に生命の危険を顧みず、強大なる自然の脅威や圧倒的な敵に敢然と立ち向かう。例え他人には愚かと罵られようとも…

「L.A.で蝶が死ぬ時」ロバート・キャンベル

ロサンジェルスの私立探偵ホイスラーを主人公とする三部作の第1作。ハードボイルドの定式におさまらないオフビートの魅力に溢れた作品で、ハリウッドの最下層、女優の卵や未成年者を食い物にする裏社会の無惨な暴力の実態を描き出す。 事務所を持たないホイ…

「エージェント6」トム・ロブ・スミス

壮大なる実験でもあった理想国家ソ連の闇を照射する傑作シリーズ完結編。三部作其々が喪失と再生を主題にしているが、本作では遂に主人公レオが最愛の人まで失う。絶望と退廃の中で行き場なき怒りが暗流を漂い、復讐と呼ぶにはあまりにもやるせない本懐を遂…