海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ザ・ボーダー」ドン・ウィンズロウ

麻薬戦争の実態を抉り出し、巨大カルテルに立ち向かう男の熾烈な闘いを熱い筆致で活写/記録した現代の犯罪小説/ノワールの極北「犬の力」(2005)、「ザ・カルテル」(2015)。この続編が発表されたと知った時は、かなり驚いた。凄まじいカタルシスを得て物語は完結しており、ウィンズロウ自身も完全燃焼したのだろうと不遜にも捉えていた。あの血も凍るような悪夢が、まだ続くのか。それよりも、前作から〝僅か〟4年で、みたび創作へと向かわせた動機が気になった。翻訳にして1500ページを超え、さらに厚みを増した本作を読み終え、当然のこと打ちのめされた。同時に、私の安易な疑問が氷解した。

腐敗したメキシコ政府と結託して麻薬王へと上り詰めたシナロア・カルテルの首領アダン・バレーラは、台頭する他の勢力との利権/縄張り争いの果てに、旧友にして積年の敵/米国麻薬取締局(DEA)のアート・ケラーが放った銃弾によって死んだ。無辜の市民を無差別に引き摺り込み、血みどろの地獄同然の様相を呈した潰し合いは、結果的に共倒れとなって終焉したかに見えた。だが、アダンという軸を失ったことで対峙するカルテル間のバランスは崩れ、弔い合戦/覇権闘争へと一気に傾れ込む。アダンは遺言によって側近ヌニェスを後継者に指名していたが、カルテル三巨頭のエスパルサが反発。加えてアダンやケラーに煮え湯を呑まされていた老獪な元ボス・カーロや麻薬商ルイスらが刑期を終えて復帰、絶大な権力を糧にバレーラ/ヌニェス/エスパルサの他、強力な勢力を保持するアセンシオン、タピアらを巻き込んで操り、またも凄惨な殺し合いが展開する。
一方、アダンとの闘いの中で出逢った不屈の医師マリーを人生の伴侶とし隠居生活を送っていたケラーは、策謀家の米国上院議員オブライエンの要望を承諾してDEA局長の座に就く。メキシコ・カルテルの最大の買い手は、紛れもなくアメリカだった。カルテルのボスを何人排除しようとも、米国への流入を堰き止めることは適わず、逆に増えていく。麻薬問題の根は、アメリカ国家自体にある。さらに、眼前に立ち塞がる障壁とは、「麻薬カルテルアメリカ政府の最高レヴェルの権力を金で買っている」という事実だった。ケラーは誓う。カルテルと薄汚いカネで結び付いた米国金融界の実態を明らかにし、摘発することを。つまりは、米国市民を蝕む麻薬の供給ルートを、国内に於いて根絶するのである。違法も厭わず盗聴や脅し、潜入捜査官の奮闘によって、徐々に資金洗浄の実態が曝かれ、証拠が集まるが、大きな難題が立ちはだかる。カルテルと手を結んだ米国側シンジケートの一人は、間もなく結果が出る次期大統領選の共和党候補デニソンの娘婿だった。デニソンは、メキシコとの国境に壁を造ることで不法移民や麻薬流入は解決できる、などと短絡的思考を平然と曝し、世間に物議を醸すことで成り上がってきた超タカ派の独善主義者であった。現民主党政権が敗れた場合、デニソンを窮地に陥れるケラーは圧力を受け、DEA局長を辞めざるを得ない。時間は限られていた。
新たな権力者の足元に擦り寄る卑しい取り巻きども。その代表格オブライエンは、局長継続を確約することと引き換えに新大統領を破滅させかねない証拠隠蔽をケラーに強要する。もし拒否すれば、今まで培ってきた全てを失うことを意味した。すでに、ケラー自身がアダン・バレーラ殺害を告白したことで、最愛の妻マリーは離れていった。孤立無援の男は孤独を噛み締めながら、40年にも及んだ苦闘を振り返り、自問する。
――この戦争を戦い、よりよい善のために悪を為し、取引きを交わし、神のごとく振る舞い、悪魔と組んで踊った四十年。……取引きに応じろ。やつらの望みを叶えてやれ。――
ケラーは決断し、答えを告げる。「くそくらえ」
最大最強の敵/アメリカ合州国に挑む気骨の男。その死闘は、やがて全国民が眼前にすることとなる。

前二作とは大きく違う点がある。それは、アメリカ国内で悪化の一途を辿る麻薬問題を「終結」させるための思索と主張、その土台の上に物語を構築しているということだ。つまりは「麻薬の合法化」であり、最近富みに現実味を帯びて議論されている極めて冷徹な構想/策だ。ウィンズロウは自らの信念を伝え、合法化実現に向けた更なる動きを促すために、本作を著したのではないだろうか。
ケラーとカルテルの闘いに焦点を絞った前作までに比べて小説としての完成度は落ちるが、ウィンズロウは重点を置く位置を変えているため当然のことだ。カルテルを如何にして潰すか、国内に蔓延る麻薬患者をどうすれば救うことが出来るか。メキシコと米国それぞれの問題点を掘り起こし、検証し、辿り着いた答えを明確に主張している。その大胆且つ激烈な手段「麻薬の合法化」を、ケラーを通して明瞭に説くのである。逆転の発想で危険に満ちているようだが、論理的で整合性がとれている。麻薬に関わる死を如何にして防ぐか。銃器と同様、より身近で切迫した課題である麻薬問題を最終的に終息させるこの荒治療は、米国市民であればすんなりと受け止めることができるのだろう。

さらに、巻末解説で批評家杉江松恋が指摘している通り、ウィンズロウが本作に着手した大きな動機とは、ドナルド・トランプという名のワスプを象徴する男の登場にあったのだろう。物語の中で、より醜悪な人物に脚色してあるとはいえ、全編にわたり第45代米国大統領とその政権に対し痛烈な批判を浴びせている。政治の腐敗/横暴は、人心を荒廃させる。麻薬を唯一の救いと崇め、依存後に自滅する人間を生み出す一端ともなる。ウィンズロウは、最下層の麻薬中毒者や不法移民の少年が密売人として生きざるを得ない現実を、物語の中に敢えて挟み込み、麻薬によって個々の人生が狂っていくさまを、多角的且つ非情な視点で描き切る。本筋と密接に絡むことはないが、それらのエピソードこそが本作の核であり、全体を揺り動かす重要な基点ともなっている。

結果的に三部作となった本シリーズが、米国とメキシコのみならず、世界中の人々を苦しめる麻薬問題を捉え直す機会となり、解決に向けての大いなる一石を投じたことは間違いない。ケラーの闘いは終わったが、恐らく、ウィンズロウはまた違うカタチで再開し、本シリーズの主題を更に掘り下げるのだろう。〝最終作〟読了後に、それを強く感じた。本作はいわば、次のステップのための総論となる作品であり、そのラディカルな問い掛けは、本来の「文学」の力に根差している。


以下は余談だ。
残念ながら、この国では、ウィンズロウのような真に気骨のある作家をもたない。米国の子飼いであり、稚拙な思考/無能な政策/保身のみを優先する醜悪さではトランプに引けを取らないアベ某、血税を浪費するしか能のない政治屋、特権意識に凝り固まった官僚、貧富/差別を助長しつつ肥え太る資本主義の申し子ら。大型シュレッダーさえあれば、何でも隠蔽可能という幼稚なまやかしが〝通用〟する政権。他国からみれば嘲笑の的にしかならないが、なめられた国民はより刺激的な芸能ネタに興味を移し、その隙に愚劣な輩どもは薄汚い冷や汗を拭い、再び戦争のできる国へと向けて悪知恵を働かせていく。
その腐り切った実体を暴き、創作を通して批判の声を上げ、人々を鼓舞するほどの力を持つ骨太な作家が、どれだけいるだろうか。このぶざま極まりない醜態は、恰好の〝素材〟になると思うのだが。無論、麻薬戦争という巨悪とは比べものにならない粗末な悪ではあろう。けれども、この国でさえ麻薬は「買える」のであり、〝高潔〟なる日本人が米国と同じ情況へと陥るはずが無いと考えるのは浅はかだ。
ウィンズロウが鉄槌を下したトランプの隣りで、己一人が日の丸を背負っていると妄想するエゴイストのニヤケ顔に「くそくらえ」と叫ぶことに意味は無い。しかし、我々の生活に直結する「腐敗」を糾弾する意志を示すことによって、変革への道は拓く。それこそ、ウィンズロウが本シリーズで為した偉大な功績だと思う。

 評価 ★★★★★

 

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)

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ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)

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