海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ダ・フォース」ドン・ウィンズロウ

現在も深刻な麻薬問題を抱える米国の実態を凄まじい暴力の中に描いた一大叙事詩「犬の力」(2005)/「ザ・カルテル」(2015)/「ザ・ボーダー」(2019)。作家人生の集大成ともいうべき、この渾身の三部作によって、ウィンズロウは紛れもなく頂点に達した。アクチュアルでラディカル。麻薬に関わる者は全て死する運命にあるという暗鬱なる黙示録。現在進行形の鋭利な文体を駆使して生々しい諸悪を抉り出した現代ノワールの境地。どの作品もページを捲る手が白い粉と紅い血に染まっていくような錯覚に陥ったほどだ。現時点での最終作「ザ・ボーダー」に取り掛かる前に構想した本作は、馴染みの〝ウインズロウ節〟が炸裂する犯罪小説の延長線上にあるが、根幹に麻薬戦争を置いており、三部作を補完する作品といっていい。

「ダ・フォース」では、米国/麻薬取締局(DEA)とメキシコ/カルテルは登場しない。フォーマットは悪徳警官物だ。舞台はニューヨーク。物語は、ここから一歩も離れることはない。それだけに分厚い。富裕/貧困という歴然とした格差社会保持の潤滑油としても機能/蔓延する麻薬。吹き荒れる暴力の嵐。ウィンズロウは、通り名や店名などの固有名詞を執拗に列挙してリアリティを高め、汚れた街に生きる者どもの生態を克明に描写する。

主人公はNY市警マンハッタン・ノース特捜部(通称〝ダ・フォース〟)部長刑事デニス・マローン。叩き上げの刑事で、荒々しく狡猾。不条理な犯罪を憎みつつも、男を突き動かすのは、徹底して打算的なエゴイズムだ。そのために小さな綻びから破滅を招くこととなる。マローンは、冒頭で既に何もかも失った男として姿を現す。つまり長大な本篇は、男がいかにして転落の道を辿ったのかという記録なのである。

この街を浄化したいというマローンの理想/清廉さは、ニューヨーク最下層の現実を前に脆くも崩れ去り、体内から腐り切る利己主義へと変転する。焦燥と居直り。私利私欲を貪り、掴んだ権力を過信した果てに堕ちてゆく泥沼。すべては偽善と虚構であった、とマローンが気付く時には、何もかもが手遅れになっている。

本作で特に印象に残るのは、独善的な正義と悪を主人公と共有し、常に行動を共にする「マローン班」各々の関わり方だ。そこには仲間意識よりも、おれたちの縄張り/特権を守るためには不正/暴力を辞さないという閉鎖的で排他的な帰属意識がある。平然と大物麻薬ディーラーを殺し、莫大なカネに代わるヘロインを掠め取り、懐に捩り込む。共犯関係にあるマローン一味は、限界を超えた傲慢に起因する事件を機に崩壊し、強固であったはずの信頼/愛情から、不信/裏切りへと急転直下し、互いを憎悪する最悪の結果へと至る。己の命を捨ててでも〝友〟を守り抜くと誓った男たち。マローンは、それが幻想に過ぎなかったことを、追い詰められ、易々と国家権力に屈する己の甘さを前に痛感するのである。終盤で延々と続く羞恥心の吐露。アンチ・ヒーローの末路は憐れではあるが、敢えて読み手の共感を拒むが如く、作者は主人公を突き放し、正義と悪に境界など無いことを示唆して、物語を断ち切る。

快楽に通じる歪んだ自愛こそが人生の麻薬である。ウインズロウの達観は、さらに深まっている。

評価 ★★★

ダ・フォース 上 (ハーパーBOOKS)

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ダ・フォース 下 (ハーパーBOOKS)

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