海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「デス・コレクターズ」ジャック・カーリイ

モビール市警カーソン・ライダー刑事シリーズ第2弾。デビュー作「百番目の男」での〝変態的〟な真相が大いに受けて話題となったが、カーリイの真価が問われた本作も、ミステリファンには概ね好評だったようだ。だが、筋の面白さで読者をぐいぐいと引っ張っていった前作に比べ、全体としてそつなくまとまっており、やや物足りなさも感じた。殺人者に関わる凶器や所有物を収集するキワモノたち、所謂デス・コレクターを題材として扱っているのだが、彼らの異質ぶりや狂気を、アイロニカルにオブラートに包んで描写しているため、単なる俗物としての印象しか残らない。カーリイは単に素材として使っただけだろうが、偏執狂的な収集家らの異常な世界をより掘り下げれば、さらに厚みは増していただろう。また、プロットの核となるサイコキラーが遺した「病的な絵画」を巡るやりとりにおいて、肝心の絵の〝凄まじさ〟が文章を通して伝わってこないのも、本作に対する吸引力を弱めた。

本シリーズの最大の〝キモ〟は、要所要所で登場する主人公の実兄にして連続殺人者ジェレミーの存在なのだが、サイコキラーの〝定型〟から外れることがないとはいえ、やはり情景を引き締める効果を持っている。トマス・ハリスが「羊たちの沈黙」で創造したハンニバル・レクターの役割を近親者に移し替えたカーリイのアイデアが光っており、同系ミステリの換骨奪胎で成功した稀なケースだろう。

余談だが、翻訳では第1作目から一人称に「僕」を当てているのだが、未成年ならともかく、大人の刑事に相応しいとはいえない。本シリーズに限らず、〝未熟〟〝弱さ〟のイメージを植え付ける「僕」を使った翻訳物は、個人的には敬遠している。

評価 ★★★

 

デス・コレクターズ (文春文庫)

デス・コレクターズ (文春文庫)

 

 

「大洞窟」クリストファー・ハイド

淀みなくストレート。冒険小説の神髄をみせる一気読みの傑作。派手な活劇を排し、培われた経験と研ぎ澄まされた直感、結実する智恵の連鎖によって、数多の窮地を脱し、ひたすらに生還を目指す者たちの冒険行を活写する。ハイド1986年発表。今だに冒険小説ファンに読み継がれている名作でもある。

ユーゴスラヴィア・カルスト台地の大洞窟。遥か4万年前に描かれたネアンデルタール人の壁画発見により、国際調査団が派遣される。だが調査中に発生した地震のために洞窟が倒壊し、著名な考古学者や助手らが閉じ込められる。漆黒の闇の中、微かな灯火を頼りに地底から抜け出す穴を探り、肉体を極限まで酷使するケイビングで活路を開く。揺らぐ理性と野性の狭間、眼前を力強く照らす根源的生存本能の命ずるまま、歩み続け、光を求め続ける。
物語には、隠された陰謀も邪悪な裏切りも強大な敵も存在しない。地獄巡りの先に待ち受けるものとは、土砂流、水没洞、大瀑布、毒虫など、未曽有の恐怖と行く手を阻む障壁のみ。閉所と闇、欠乏と餓えに挫かれていく希望。極限的状況下で脱落する者、狂気へと墜ちゆく者。次々と人命が奪われていく中で、いつ果てるともしれない死闘を繰り広げる。

未知の世界が拡がる大洞窟で展開する究極のサバイバルが本作最大の魅力だが、予測不能の困難に協力して立ち向かう人間ドラマとしても充分読み応えがある。中でも、ストーリーが進むにつれて中心人物として一行を率いることとなる日本人の地質学者・原田以蔵の造形が素晴らしく、ハンス=オットー・マイスナーの傑作「アラスカ戦線」に登場した軍人・日高を彷彿とさせる。日本人に対するエスプリ的な理想化がやや過剰な面もあるが、時に太古の人間と呼応し死地を脱するエピソードは本作に深みと安らぎをもたらし、中盤からの主軸として動いていく。

終盤に向かうほど息苦しさは増す。そして、全てを越えた先で僅かな生存者と共に味わう光の美しさ。恐らくハイドはこのクライマックス・シーンを描きたいがために本作を著したのではないだろうか。

評価 ★★★★★

 

大洞窟 (文春文庫)

大洞窟 (文春文庫)

 

 

「皇帝のかぎ煙草入れ」ジョン・ディクスン・カー

「アリバイ崩し」の傑作として名高い本作だが、精緻なトリックよりも、男女の愛憎や金銭でのいがみ合いなど、人間の泥臭く生々しい修羅場を盛り込んだ〝ドラマ〟仕立てのストーリー自体が面白い。部外者であるはずの探偵自らも邪心を起こし、事件関係者らのもつれた痴情に加わってしまうという「厳格な本格」を〝脱線〟したラストには、謎解きのスリルのみならず、娯楽性の高い筋書きを重要視したカーのユーモア感覚/異才ぶりが表れている。
勘の良い読者なら、序盤の流れで犯人の目星は凡そつくだろうが、幾重にも捻りを加えたプロットは、読者の甘っちょろい推理を引っ掻き回す。綿密に練り上げたはずの殺人計画は、実行犯さえも意図せぬ事態によって、さらに捩れ、迷宮へと嵌まり込んでいく。雑多な下働きの登場人物であろうとも、しっかりと本筋に絡める仕掛けの見事さは、やはり巨匠だけのことはある。
1942年発表でありながら、科学的捜査は別として些かも古びていないのは、機械的な推理物では飽き足りなかったカーの小説家としてのプロ意識が成せた技だろう。

評価 ★★★★

 

皇帝のかぎ煙草入れ【新訳版】 (創元推理文庫)

皇帝のかぎ煙草入れ【新訳版】 (創元推理文庫)

 

 

「モルグの女」ジョナサン・ラティマー

酔いどれ探偵ビル・クレインをはじめ、一癖も二癖もある登場人物たちの破天荒ぶりが楽しい1936年発表作。ハードボイルドの要素は薄く、スラップスティックすれすれの展開だが、不可解な謎の提示などミステリの仕立てはしっかりとしている。テンポの良い会話、情景ごとの印象的なエピソード、大団円に向けての盛り上げ方など、映画脚本家としても活躍しただけあってラティマー流石の筆致である。

真夜中のモルグから身元不明の女の死体が盗まれる。抵抗したらしいモルグの番人も殺された。依頼を受けた私立探偵のクレインが、失踪した娘の身元確認のために訪れた直後のことだった。クレインは自身の嫌疑を晴らすが、対立する大物ギャングのボスらが「俺の女をどこに隠した」とクレインを追い掛け始める。消えた女の死体を探すために探偵社からクレインの仲間が駆け付けるが、酔っ払う機会は更に増え、女の正体は二転三転し、事態は益々混乱を極めていく。

雑多な風俗が入り乱れるアメリカ1930年代のムードが書き込まれ、舞台となるシカゴの街も明るい色調で描かれている。様々に様相を変えた正体不明のモルグの女を巡る謎は、クレインがラストできっちりと解き明かす。オフビートでありながらも、ミステリの定石を踏まえた職人技が冴える。

評価 ★★★★

 

モルグの女 (1962年) (世界ミステリシリーズ)

モルグの女 (1962年) (世界ミステリシリーズ)

 

 

「魚が腐る時」マシュー・ヒールド・クーパー

所謂「ケンブリッジ・ファイブ」を題材にした1983年発表作。

舞台は1951年、ソ連の二重スパイから英国内要職に12人の工作員が潜入していることを掴んだ外務省次官ストラングとSIS長官メンジーズは、公けに暴露されて失墜することを恐れ、或る秘策を練る。同時期に反政府ポーランド人グループから「カティン虐殺」がソ連軍によるものという証拠がもたられていた。第二次大戦中、カティンの森で1万5千人にものぼるポーランド人将兵らの死体が埋められているのが発見されたが、ソ連は関与を否定し、ナチス・ドイツに責任転嫁していた。折しもポーランド情勢は不安定で、この事実が明らかとなれば、これを機に衛星国から脱する可能性があった。ストラングらは自国政府には隠密でソ連と直接裏取引を試みる。虐殺の公表を控える代わりに、ソ連スパイの存在もなかったことにしろという脅しである。独裁者スターリンは怒り狂い、強引な後処理を秘密警察長官べリアらに命ずるが、敵対する陸軍情報部のオルロフが交渉の窓口として選任された。一方、ストラングの私設秘書で正義感の強いペラムは、カティン虐殺の事実を知り単独行動に出る。ペラムの動きは取引の破綻を招くため、メンジーズはソ連側に「処理」を依頼。だが、その時オルロフは意外な動機でペラムに接触していた。

長々と前半までの大筋を綴ったが、アメリカで不遇の扱いを受けていたCIAの思惑も絡み、事態は不穏な空気の只中で動いていく。終盤にはペラムとオルロフによる逃避行が描かれているのだが、堕落した権力者の腐り切った保身の足元で崩壊していく人間らの脆さと虚しさを無常な世界観の中で描いている。特筆すべきは、スターリンの狂気を描いたシーンで、凄まじいまでのリアリティで迫ってくる。

評価 ★★★

 

 

魚が腐る時 (サンケイ文庫―海外ノベルス・シリーズ)

魚が腐る時 (サンケイ文庫―海外ノベルス・シリーズ)