海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「アメリカン・タブロイド」ジェイムズ・エルロイ

1995年発表、「アンダーワールドUSA」三部作の第一弾。アメリカ現代史の闇をエルロイ独自の史観と切り口で描いた野心作だが、拡げた大風呂敷の上に混沌の種子を散乱させたまま強引に物語を閉じているため、結局は収拾がつかずに投げ出した感がある。
本作も唯一無二の文体による過激且つ虚無的な情念の世界が読者を翻弄することは間違いない。だが、ノワール史を塗り替えた「LA四部作」での重厚且つ精緻な構成力は衰え、登場人物らのインパクトは強いものの極めて雑であり、総体的な完成度は低い。エルロイの意気込みだけが終始空回りしていると感じた。

60年代米国の「光と闇」を象徴するケネディ家に擦り寄り、カネと色と欲のみで結び付いた悪党らの狂騒。偽善と悪徳で腐り切った為政者、形骸化した元支配層の金満ワスプ、最下層を恐怖で牛耳るマフィア、独裁体制下で暴走するFBI、策謀に溺れ無駄な血を撒き散らす戦争屋CI A、労働者を骨抜きにし権力中枢へと食い込む巨大労組。脈絡無く積み上げられていく覇権争い。その隙間を飢えた狼ども、すなわち本作の主人公格となる三人の男が涎を垂れ流しつつ駆け回り、最終的にはJ・F・ケネディ暗殺へと至る濁流へと飲み込まれていく。

アメリカが独善的「自由」という大義の下に、傲慢な蛮行を繰り返してきたのは事実だが、エルロイは捩れた陰謀史観に捕らわれ過ぎている。肥大化した果てに内部から破裂する時を迎えつつあった覇権国家の実態を曝こうとする試みは、リアリティに乏しく、虚構性のみを強めている。ポピュリズムを建て前とする権力機構が「無法者/異端者」を野放しにするはずもなく、闇組織の如き自浄能力の欠如は、体制そのものの崩壊に繋がるからだ。時の要人らを我流にアレンジし、容赦無き俗物化を施して、米国の暗黒面を表象させているが、そこには、支配者層に対するエルロイ積年のルサンチマンさえ感じる。

まやかしの「正義」よりも、雑じり気のない「悪」こそが権力の源泉となり、目的が手段としての暴力を正当化する。けれども、その果てには破滅があるのみだ。
エルロイはこの先どこへ行こうとしていたのだろうか。

評価 ★★

 

アメリカン・タブロイド〈上〉 (文春文庫)

アメリカン・タブロイド〈上〉 (文春文庫)

 

 

 

アメリカン・タブロイド〈下〉 (文春文庫)

アメリカン・タブロイド〈下〉 (文春文庫)

 

 

「白い国籍のスパイ」J・M・ジンメル

1960年発表、オーストリア人作家による独創的且つユニークなスパイ小説。恐らくジンメルは、ナチスドイツなどの非人道的蛮行を間近で見ていたはずだが、その実態をストレートに表現するのではなく、戦争の無意味さと、先導者/煽動者らの愚昧さを徹底したアイロニーを用いて描く。暴走する国家/組織の内側から変革を試みようとする主人公の揺るぎない気概が全編に横溢しており、いわば捻りを利かせた反戦小説としての読み方もできるだろう。筆致は簡潔で、舞台劇を小説化した趣きで躍動感に満ちる。

第二次対戦前夜。英国の銀行家として若くして財を成したリーヴェンは、祖国でもあるドイツ出張時に、否応も無く諜報員に仕立てられてしまう。共同経営者の裏切りによって全てを失いはしたが、智力と武術に長け、さらに多言語を操れるため、諜報と工作活動には適任だった。以後、英仏独の二重/三重のスパイとして、動乱のヨーロッパを戦争終結まで駆け巡ることとなる。
愛国心など端からないリーヴェンに、どこの国家であろうと帰属意識は無い。つまり「白い国籍」であり、アイデンティティを持たないが故に、己の行動基準を明確に律することができた。即ちそれは「敵味方問わず、絶対に人を殺さない状況を作り出すこと」だった。人殺しが使命となる任務を全うしつつ、人を殺めない己の信条に従う。この相反する課題をどうクリアしていくかが、本作の読み所となる。

戦時下において、リーヴェンは数多くの難題に対して瞬時に解決策を見出す俊英として活躍することとなるが、その困難を打破する有効な手段として用いるのは「料理」である。本作は様々なエピソードを書き起こした連作短編ともいえるのだが、敵や仲間を騙し引き入れる際に、リーヴェンは必ず料理の腕を振るう。転換をもたらし、人命を救い、平和へと導く。美味な料理さえあれば、道は拓ける。この大胆な発想が絶妙な仕掛けとなって作用していく。合間には、本作に登場する料理のレシピを載せて娯楽性も高めている。

プロットや構成、人物造形にパロディ色が強く、展開も現実離れしているのだが、決して嫌味にならないのは、筋金入りの平和主義者である主人公の叡智溢れる言動によって、かえって陰惨な戦争の本質が浮き彫りになる鋭い批判性を有しているからだろう。さらにいえば、これまでの生ぬるいスパイ小説群を嗤う紛れもない「反スパイ小説」でもある。

評価★★★★

 

白い国籍のスパイ〈上〉闇の部 (ノン・ポシェット)

白い国籍のスパイ〈上〉闇の部 (ノン・ポシェット)

 

 

白い国籍のスパイ〈下〉光の部 (ノン・ポシェット)

白い国籍のスパイ〈下〉光の部 (ノン・ポシェット)

 

 

「死が二人を」エド・マクベイン

1959年発表の「87分署シリーズ」第9作目で、スティーヴ・キャレラの妹が結婚する一日に巻き起こる騒動を描いた番外編的な一編。他の作品に比べて舞台設定や登場人物は限定されているが、その分ストーリーは淀みなく快調で、マクベインの技倆を存分に堪能できる一作となっている。
結婚式当日に届いた義弟への脅迫文に端を発する物語は、隣人の不可解な殺人事件を絡めつつ、ドタバタの様相を呈していくのだが、読者のつぼを押さえた起伏をしっかりと盛り込み、無理のない展開でまとめ上げている。招待客でもある刑事らは、華やかで賑やかな現場で混乱しつつも、プロとしての能力を発揮。事件の発生から解決までがリアルタイムで進行する中、個性溢れる登場人物が奔走するさまはスピード感に満ちている。
肉体派のコットン・ホースが〝最強の女〟に出し抜かれるなどエピソードも豊かで、何よりもファンにとって本作が印象深い作品となるのは、この日にキャレラの愛妻テディが双子を産むことだろう。刑事達が繰り広げる喜怒哀楽のドラマが、いつのまにか我が身のことのように感じられること。この共感の度合いが高いのは、マクベイン熟練の腕あってこそである。

評価★★★

 

死が二人を (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 13-10))

死が二人を (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 13-10))

 

 

「音の手がかり」デイヴィッド・ローン

1990年発表作。主人公は元音響技師ハーレック。映画撮影中の事故で全盲となるが、聴覚はより一層鋭敏となり、繊細な音の違いを聞き分ける能力に長ける。さらに、記録した音から実体を掴み取るテクノロジーにも精通する。以上が前提となり、リアリティよりも、音のみで謎/事件を解決していくスリルの創出に作者の主眼がある。
物語自体はいたってシンプルで、ハーレックの姪を誘拐した犯人グループの所在を、電話から流れてくる音を頼りに突き止め、奪還へと導くというもの。音を手がかりとした捜査法は新鮮だが、幾つもの好条件をクリアすることが必須であり、展開にはやや荒さが目立つ。さらに、誘拐事件であるにも関わらず、被害者の身内にしか過ぎない素人に警察やFBIが頼りっぱなしという流れには違和感が残った。
とはいえ、駄作では無く、多少の中弛みはあるものの、クライマックスとなる身代金受け渡しでのシーンは高い緊張感に包まれ、劇的だ。障害を負った主人公が悲嘆に暮れるのではなく、堂々と前向きに生きようとしている姿勢にも好感が持てる。舞台となるシカゴの地形や雪が降り積もる真冬の設定も、プロットにしっかりと活かしている。
本作は好評だったようで、以降シリーズ化された続編も飜訳されている。

評価 ★★★

 

音の手がかり (新潮文庫)

音の手がかり (新潮文庫)

 

 

「カメンスキーの〈小さな死〉」チャールズ・マッキャリー

米国諜報機関工作員ポール・クリストファーシリーズ1977年発表作。翻訳数が少ないため一概には言えないのだが、マッキャリーは一作ごとに趣向を凝らしており、同一の主人公でありながらも随分と印象が異なる。基本軸は、激動の国際情勢を背景に謀略の渦中へと否応もなく巻き込まれていく諜報員らの苦闘だが、扱う題材や全体的な構成、登場人物の掘り下げ方、文体や文章の流れなど、作品ごとに敢えて変化させているようだ。
本作は、原題「シークレット・ラヴァーズ」が内包する通り、〝純粋でない愛〟を主旋律とする退廃的ムードに満ちた異色のスパイ小説であり、新境地へと向かうマッキャリーの野心作でもあると感じた。
ソ連の反体制作家カメンスキーの未刊原稿を切っ掛けにスペイン内戦で暗躍した工作員らの過去が炙り出されていくというプロット自体は、総じて曖昧模糊としたもので、「暗号名レ・トゥーを追え」で為した重厚且つ緻密な構成は、残念ながら本作では弱まっている。謀略の闇へと消えた諜報員らの「その後」に焦点を当て、決して表舞台に登場することのないスパイの運命が、歪んだ〝愛〟によって捩れていく過程を冷徹に描き、諜報戦の只中でこそ生々しい人間の業が浮かび上がる構造に重点を置いているからだろう。その筆致は時にアンニュイで、時に幻惑的である。

詩人でもある主人公クリストファーの抒情とストイシズム、愛情の表出を絡めつつ対照させ、非情なる諜報活動に携わる一個人の宿命を、極めて情動的な〝愛〟の寓話として仕上げた本作は、マッキャリーの奥深く豊かな創造性を同時に物語っている。

評価 ★★★★

 

カメンスキーの「小さな死」 (扶桑社ミステリー)

カメンスキーの「小さな死」 (扶桑社ミステリー)

 

 

 

「ゼロ・アワー」ジョゼフ・フィンダー

1996年発表のスリラー。不法行為によって国外に逃れるも、妻と娘を追跡者に殺された富豪の男が、復讐のためにアメリカ経済破綻を狙ったテロを計画する。その実行に赴くのは、かつて南アフリカ諜報組織の敏腕工作員であったボーマン。思想を持たず、カネのために動く非情且つ狡猾な男で、目的遂行のためには殺人を厭わない。暗号名ゼロを用い、要人暗殺などの数々の謀略に加わっていた。

ボーマンが刑務所から脱走するプロローグから米国潜入後の準備/遂行までが物語の主軸となるが、目論見を察知したFBIの捜査活動を同時進行で描く。リーダーは女性捜査官のセーラ・カーヒル。離婚後は育児をしつつ、キャリアアップのために仕事に打ち込むが、プライドと驕りがミスを誘発する。この時代を反映したものなのだろうが、設定自体は常套で、FBI内部にまで接近したボーマンが、カーヒルの弱点を突いて捜査状況を探り出す展開にも新鮮味があるとはいえない。

本作には、銀行業界の高度なコンピュータシステムをはじめ、諜報分野の通信技術や暗号、破壊工作における爆弾製造法など、綿密な取材を基にしたデータがたっぷりと盛り込まれている。その情報は細部にわたるのだが、プロット上どうしても必要という訳ではない。かえって大量の注釈の挿入によって、肝心のテンポが殺されている。終盤での盛り上がりも今ひとつで、計画が頓挫する過程に捻りが無く、カタルシスに乏しい。

本作の創作は「911テロ」以前だが、1993年の世界貿易センター爆弾テロが及ぼした影響にも言及しており興味深い。同時に、2001年の悪夢を防げなかった米国の楽観主義的な情況も垣間見ることできる。

評価 ★★★

 

ゼロ・アワー (新潮文庫)

ゼロ・アワー (新潮文庫)

 

 

「腰ぬけ連盟」レックス・スタウト

ネロ・ウルフシリーズ第2弾で1935年発表作。探偵の特異なライフスタイルが、物語の展開に少なからずの影響を及ぼす奇抜さが本シリーズの特徴であり、面白さでもある。ウルフは「本格ミステリ黄金期」に活躍した探偵らのカリカチュアであり、アームチェア・ディテクティブのパロディともいえるのだが、強烈なオリジナリティを主張し、いまだに本国では根強い人気を誇っているようだ。英国などの気取り屋探偵らを大胆に換骨奪胎、より都会的にアレンジした上で、マンハッタンを舞台とする洒脱で躍動感に満ちた作風に仕上げたことが受けたのだろう。

本作は、大学時代に受けた集団でのいじめによって身体に障害を負った男の復讐が、予想外のかたちで為されていく顛末を描く。今ではそれぞれが富裕層に属し、たった一人の男の報復に脅える加害者らは「贖罪連盟」を組んで贖おうとはしていたが、所詮はまやかしに過ぎなかった。遂にメンバーの中から不可解な死に見舞われる者、突然失踪する者が出るに至り、事態の収拾をウルフに頼ることに。だが、傲慢な俗物である依頼人らと巨漢の探偵によるやりとりは、どちらがより狡猾かを争う様相を呈した。

シリーズの秀作としての評価もあるが、推理物としては凡庸で、構成にもまとまりがない。特にメインとなる「贖罪連盟」の連中が一気に数十人も登場するのだが、人物造形がおざなりなためにかなり混乱する。ウルフの手足となる皮肉屋アーチー・グッドウインの軽快さは相変わらずだが、プロットに捻りがないため、単なる揉め事解決屋で終わってしまったという印象。

評価 ★★

 

腰ぬけ連盟 (ハヤカワ・ミステリ文庫 35-2)

腰ぬけ連盟 (ハヤカワ・ミステリ文庫 35-2)

 

 

「リラ作戦の夜」マーヴィン・H・アルバート

1983年発表作。第二次大戦中のフランス南部にある港町ツーロンを舞台とした戦争冒険小説で、史実と虚構を巧みに織り交ぜている。

1942年秋。ドイツに敗北後、実質は傀儡に等しいヴィシー政権下のフランス。休戦協定によって小康状態にはあったが、所詮はまやかしの平穏に過ぎなかった。ソ連北アフリカで苦戦を強いられていたドイツ軍は、戦況を覆す反撃を画策。だが、アフリカ戦線での逆攻勢を仕掛けるためには、ツーロン碇泊中のフランス軍艦隊を奪うことが必須となった。一方、連合国司令部は、極秘裏に南部侵攻を謀るナチスの動きを察知、工作員潜入に着手する。課せられた使命とは、艦隊司令部と接触後、速やかに出港を促すか、もしくは自沈遂行を説得し果たすこと。ドイツの顔色を窺う仏政府は頼りにならず、しかも限られた時間の中で極秘裏の任務遂行が求められた。選ばれたのは、英国特殊作戦執行部の精鋭ジョナス・ロイター。地の利を得てはいたが、当然のこと未知の試練を乗り越える必要があった。

物語は、独仏水面下の攻防を絡めつつ、現地レジスタンスの協力を得て工作活動に邁進するロイターを追っていく。プロットは手堅いが、主人公を含めて登場人物に抜きん出た魅力が感じられない点は残念。あまり取り上げられることのない歴史的事実を題材とした着眼点と構想力は光る。

評価 ★★★

 

リラ作戦の夜 (ハヤカワ文庫NV)

リラ作戦の夜 (ハヤカワ文庫NV)

 

 

「静寂の叫び」ジェフリー・ディーヴァー

ディーヴァーの名を知らしめた出世作で、大胆且つ緻密な構成と簡潔且つ流れるような語り口が見事に結実した傑作である。冒頭から結末まで、常に読み手の予想を超える展開で、ページを捲る手を止めさせない。
本作は、聾学校の生徒と教師を人質に取り廃棄された食肉加工場に立てこもった脱獄犯3人と、FBI/警察合同の対策チームによる一触即発の攻防を描き、登場人物一人一人の息遣いまで感じさせる濃密な世界を創り出している。二重三重に仕掛けを施し、単調な犯罪小説に終わらない趣向も凝らしてエンターテインメント性を重視。加えて全編シリアスなムードに徹し緊張感が途切れることがない。

狡猾で残虐な犯罪者と、冷徹で経験豊かなネゴシエイターとの心理戦が最大の読みどころとなるが、特に主人公格のFBI交渉人ポターの造形が深く、一人でも多くの人質解放を為すために過酷な決断を迫られる男の苦悩を余すところなく活写している。限られた時間と凄まじい重圧の中で繰り広げられる駆け引きは、攻勢/防御の合間に持久戦を挟みつつ、柔な楽観を瞬時に打ち砕く劇的なプロセスを経て、限界まで加速していく。
障害を持つ子どもと女性に限定した人質の設定には、ディーヴァーの〝悪魔的〟な着想/算段が読み取れる。つまり、寸断される意思疎通や暴力への微弱なる対抗手段など、須く残酷な情況へと陥らざるを得ず、活路を開く起死回生策が如何に困難極まりないかを、よりクローズアップできるからだ。

臨場感溢れるリアルタイムでの追体験と、前へ前へと煽られていく疾走感は、読み手に対して少なからずのストレスさえ強いるだろう。
持論だが、サスペンスの極意とは、謎をはらんだ危機的情況へと一気に追い立てる序盤、更に追い詰められて精神的緊張/迷走へと向かう中盤、ようやくの転回/逆転を経て窮地を脱し最終的な開放或いは破滅へと至る終盤のカタルシス、以上の三段階にある。当然、小説家の筆致如何で出来不出来は決まるのだが、本作に於けるディーヴァーの冴え渡る技巧は、サスペンス/スリラーの手本とも成り得るものであり、「交渉人」を主題とした数多い作品の中でも白眉の出来である。

評価 ★★★★★

 

静寂の叫び〈上〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

静寂の叫び〈上〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

 

静寂の叫び〈下〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

静寂の叫び〈下〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

 

 

「眠る狼」グレン・エリック・ハミルトン

ハミルトン2015年発表のデビュー作。
職業軍人バン・ショウが10年振りに帰郷する。音信が途絶えていた祖父ドノの不可解な呼び出しに応えたものだった。だが用件を確認する前に、ドノが何者かに撃たれ重傷を負う。生命を狙われた理由を探るべく、ショウは祖父の仕事仲間をあたる。ドノは現役の泥棒で、かつてショウ自身も盗みの手ほどきを受けていた。やがて工業用ダイヤモンド強奪の「大仕事」にドノが関わっていたことを掴むが、それは同時に新たな暴力の火種へと通じていた。

フレッシュではあるが、全体的に物足りなく、読後には何も残らない。プロットや人物設定は「いつかどこかで読んだ」という印象。いわば著名な犯罪小説を継ぎ接ぎして仕上げた感じなのだが、掘り下げが浅く新鮮味が無い。そもそも本作で重要な役割を担うドノの泥棒稼業について、その技量の凄さが全く伝わってこない。弟子でもある孫に対して大した人生訓を述べる訳でもなく坦々と教えているのだが、風格が無い。主人公が軍人というバックボーンも生かされず、結局は祖父さんの泥棒仲間が、トラブル処理の段取りを殆どこなし、終盤へと繋げている。邦題の「狼」とは、ドノを指しているようだが、冷徹な野生を剥き出す訳でもなく眠ったままでは、盛り上がるはずがない。気負いは空回りし、凡庸な展開に終始する。

評価 ★★

 

眠る狼 (ハヤカワ文庫NV)

眠る狼 (ハヤカワ文庫NV)

 

 

「スノーマン」ジョー・ネスボ

時流に乗る北欧ミステリ。中でもノルウェーの俊英ネスボの人気は高く、順調に翻訳出版が続いている「幸福な作家」の一人だ。本国ではロックミュージシャンを兼ねているらしく、勢いのままに突っ走る独特のリズム/熱気に溢れた文体は、バックボーンに根差すものなのだろう。ただ、構成の緻密さには欠け、破綻すれすれとなる危うさも抱えていると感じた。
本作はオスロ市警察の刑事ハリー・ホーレシリーズ、2007年発表の第7弾。雪に覆われた街で女性を狙う殺人鬼が出没する。過去10年間にわたり未解決となっていた失踪事件との関連性も浮上。いったい何人が犠牲となったのかも不明で、事態は混沌の様相を呈した。不遜にも殺人者は現場近くに不気味な雪だるまを残すことで存在を誇示し、警察を挑発する。「スノーマン」の意味するものとは何か。凍てついた街の闇へと潜り込んでいったホーレ自身だったが、やがて窮地に追い込まれていく。

下地は警察小説だが、一匹狼的な主人公と謎解きを重視したマイクル・コナリーボッシュシリーズに近い肌触りで、ハードボイルドのテイストが強い。独特の呼称を持つ登場人物が多く、カットバックの手法もこなれていないため、多少混乱する。プロットは練り込まれており、連続殺人の真相を巡り二転三転する展開は刺激的だが、ホーレ以外にインパクトを与える登場人物がいない。もう少しケレン味を加えれば、完成度はより高くなったはずだ。

評価 ★★★

 

スノーマン 上 (集英社文庫)

スノーマン 上 (集英社文庫)

 

 

 

スノーマン 下 (集英社文庫)

スノーマン 下 (集英社文庫)

 

 

「最高の銀行強盗のための47ヶ条 」トロイ・クック

軽快なタッチの疾走感を楽しむクライムノベル。
レビューとしては以上で事足りる。器用だが深みに欠けるため、読後に何も残らない。個性的な小悪党らを多数配置し、適度なユーモアを交えたエピソードは多彩だが、コメディにしろ、シリアスにしろ、物語へと惹き付ける強度が足りないと感じた。決して悪くはないが、良くもない。要は読者の好み次第だろう。

主人公タラ・エバンズは、銀行強盗を生業とする父親ワイアットに幼い頃から手ほどき受けてきた。22歳となった今も拘束/ガードされ、不満を募らせている。現状に耐えかねたタラは、或る田舎町で一目惚れした保安官の息子マックスを連れて飛び出す。血気盛んな21歳の若者は喜び勇んで強盗の真似事を始めるが、怒り狂ったワイアットは、娘を取り戻すべく跡を追う。当然の流れでマックスの父親も参戦、さらにはワイアットが隠し持つ金を狙う間抜けな元仲間らも乱入。若い犯罪者二人を巡ってのドタバタ劇が急ピッチで展開していく。

本作の登場人物で唯一「異質」な存在が、狡猾な犯罪者ワイアットで、その不快なまでの狂気/残忍性が、爽快なイメージとなるはずの全体をぶち壊している。表題でもある「最高の銀行強盗のための47ヶ条」は娘が継承し、事あるごとに呟くのだが、含蓄や捻りが無いのも痛い。

巻末の解説では、村上貴史が著名な作家を並べて絶賛に近い評価をしている。犯罪小説界隈の簡単なガイドともなっており、実は本編よりも為になる。しかし、本作はハイアセンの社会悪に対する批判精神も、ウェストレイクの犯罪者へのドライな眼光も、レナードのモダンで柔軟なスタンスも、さらにはブレイクのアウトローらの愛に満ち溢れたパッションも、残念ながら感じ取ることは出来ない。本作結末の甘さは、その「物足りなさ」を端的に示している。

評価 ★★☆

 

最高の銀行強盗のための47ヶ条 (創元推理文庫)

最高の銀行強盗のための47ヶ条 (創元推理文庫)

 

 

 

「奪回」ディック・フランシス

1983年発表の競馬シリーズ第22弾。後にフォーサイスが「ネゴシエイター」でも題材とした誘拐交渉人を主人公とする。
犠牲/被害を最小限に抑えるべく、如何に行動し解決へと導くか。その心理的な駆け引きが最大の読みどころとなるが、本作のミソは交渉人が誘拐対策企業に勤める派遣スタッフの一人に過ぎないという点にある。通常は防衛策を施すサポートに徹し、不幸にも誘拐となった場合には犯人との交渉、奪回まで責任を負う。要人を対象とする誘拐事件は国内外問わず発生する恐れがあるため、ネットワークを駆使できる専門企業の創出は、リアリティを持たせる上でも不可欠だったのだろう。
当然、警察や関係者らとの連携/折衝など、瞬時の処理能力と大胆且つ柔軟な交渉術が求められるため、心身共にタフでなければならない。フランシスの着想は当を得ており、これまでのストイックで頑強な精神を持つヒーロー像は、そのまま本作に於いても生彩を放つこととなる。
卑劣で狡猾な誘拐をテーマとする物語は、やや中弛みはありながらも結末まで緊張感を失うことはない。特に終盤に於ける誘拐犯、交渉人相互の「逆転劇」は周到で、流石はベテランといったところ。最後の最後で間抜けな失策を犯す誘拐犯の腰砕けぶりには脱力したが。

評価 ★★★

 

奪回

奪回

 

 

「深層海流」リドリー・ピアスン

1988年発表、米国の実力派作家ピアスンによる警察小説の力作。主人公は殺人課部長刑事ルー・ボールト。僅かな手掛かりを掘り起こし、検証/実証して犯人像を絞り込み、浮かび上がる痕跡を追う。その極めて実直な捜査法を抑制の効いた筆致で丹念に描いている。地味ながらもプロットは練られており、ボールトをはじめとする刑事群像も鮮やかで、飽きさせない。

シアトル湖岸一帯の限られたエリアで独身女性のみを狙った連続殺人が発生。絞殺後に胸を十字に切り裂く異常なパターンを持つことから「十字架殺人」と呼ばれていた。8人目の犠牲者が出た後、ようやく被疑者逮捕となるが、その男は裁判中に被害者家族の一人によって射殺されてしまう。殺人は途絶え、事件は解決したかのように見えたが、ボールトは疑念を抱いていた。悪い予感は適中し、同じ手口による新たな殺人が起きる。しかも同時期、真犯人とは別の者によって「十字架殺人」を模倣した犠牲者が出る。模倣犯は、証拠を残さない狡猾さも備えていた。一向に解決しない猟奇殺人に震え上がる市民。貴重な情報は警察内の何者かによってマスコミにリークされ、捜査は行き詰まる。

殺人者は二人。しかも模倣犯は、明らかに警察内部にいた。ボールトは、殺人者の眼となって状況を再現する心理的側面と、複数の殺害現場から矛盾点と被害者らを結び付ける接点を見出す物理的/科学的側面の両面からアプローチする。
殺された9人目の殺害現場を丹念に捜査した結果、向かいに住む少年が犯行の様子を目撃していたことを掴む。最初は頑なに拒否していた少年の心をようやく開かせたボールトは、真犯人に繋がる大きな糸口を手にした。だが、またしても内部情報は漏れ、特定された少年が殺人者に拉致される。父母は惨殺され、胸には血の十字が刻まれていた。憤怒の念に駆られ、少年の行方を探すボールト。胸を突き刺すような傷みを伴う後悔は、事件とは別となる己自身の悔恨にも根差していた。

冒頭で子どもを見詰める主人公の心境を描写するさり気ないシーンがあり、どのような伏線なのか気になっていた。後に、子どもを望んでいた妻にボールトが中絶を強要していた過去があったことが分かる。事件に巻き込まれた少年に対するぎこちなくも愛情に満ちた接し方や、導入部での複雑な眼差しは、荒んだ中年の刑事が自覚無き「父性」に目覚め始めていたことを表しているのだろう。
無常にも奪われていく生命。その罪の重さを、子を失った妻の無念に重ね合わせ、ボールトはようやく自戒するのである。不条理な暴力によって「愛する者」を奪われる悲痛が、より深く印象付けられる巧みなエピソードといえる。終盤でボールトが流す涙が心に響く理由もそこにある。

評価 ★★★★

 

深層海流 (新潮文庫)

深層海流 (新潮文庫)

 

 

「女王のメッセンジャー」 W・R・ダンカン

舞台となる東南アジアの濃密な空気感まで見事に再現した1982年発表のスパイ/スリラーの秀作。新興国家に渦巻く謀略の顛末をスピード感溢れる筆致で描き、劇的な流れで読ませる。

厳格な規律のもと、英国の最高機密文書を全世界で運ぶ〝メッセンジャー〟マーストンが香港の空港から失踪した。抱えた鞄の中には、タイの密林に潜み、貴重な情報を送り続けている正体不明の男「エクスカリバー」のメッセージが含まれていた。背後に浮かび上がるKGB工作員の影。同時期にマーストンの娘が誘拐されており、その父親は脅迫による拉致だったことが判明する。事態は謎をはらんだまま錯綜し手詰まりに。英国秘密情報部は、「エクスカリバー」が受け手として唯一指名していたMI6局員ゴードン・クライヴの派遣を決める。過去に同地で工作班を率いたことがあり、土地鑑があった。課せられた使命は、マーストン追跡と秘密文書の奪還。香港、タイへと消えた男の痕跡を辿りつつ、クライブは決死の工作活動を繰り広げていく。

緊張感をはらみ展開する物語は、構成力と人物造型に優れ、ボルテージは終盤に向かうほどに加速する。特筆すべきは、タイの思想風土を偏見無く描いている事で、死者を弔う古来からの仕来りや、継承した文化を守り続ける人々を真摯な眼差しで捉え、違和感なくストーリーに組み入れている。クライヴが現地採用するタクシー運転手と元ボクサーの用心棒との交情など記憶に残るシーンも多く、枝葉をきっちりと彩色していることにも好感が持てる。主人公は敏腕だが陰影があり、任務遂行のためには暴力も辞さない非情な面を持つ。裏切り者と対峙し、積年の遺恨を晴らす終幕は、苦いカタルシスに満ちる。

評価 ★★★★

 

女王のメッセンジャー (ハヤカワ文庫 NV 344)

女王のメッセンジャー (ハヤカワ文庫 NV 344)