海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「流刑地サートからの脱出」リチャード・ハーレイ

監獄と化した絶海の孤島を舞台とする異色の冒険小説で1987年発表作。ハーレイの翻訳は、現在のところ本作のみのようだが、筆力があり一気に読ませる秀作だ。

同様の設定で連想させるのは、実話を基にしたクリント・イーストウッド主演の映画「アルカトラズからの脱出」(原作はクラーク・ハワード)だが、島全体が監獄となった「流刑地サート」には、看守などの役人は一人も常駐していない。衛星カメラによる監視システムと海岸周辺に張り巡らされたレーダー探知によって、囚人の行動は終始モニターされ、下手な動きは死に直結した。つまり、脱出は100%有り得なかったのだが、それ以上に大きな障害として立ちはだかるのは島の住民自身だった。極刑同然の島流しを喰らった男らは、更生不能の凶悪犯ばかりであり、限られた物資と食料を巡り、生存のための闘いを日々繰り広げていた。法による秩序は望めず、弱い者は淘汰されていく。送り込まれた囚人の大半が、死刑の方がまだ慈悲深いと思い知るような最期を迎えることとなるのである。

主人公ラウトリッジは、身に覚えのない殺人事件で有罪となり、英国本土で眠らされた状態で流刑地へと移送される。目覚めた先は〝ヴィレッジ〟と呼ばれる砦の中。島の囚人は大きく3集団に分かれて対立していたが、唯一〝ヴィレッジ〟のみが規律ある共同体として、政府が定期的に投下する物資を独占していた。リーダー格として君臨する男〝ファーザー〟の命により、新入りは「砦の外で一定期間生き延びる」ことを仲間に加えるための条件としていた。〝ヴィレッジ〟の外では己の知恵と力のみに頼らねばならない。更に深刻なのは、凶暴な犯罪者らがうろつく無法地帯に放り出されるということだった。ラウトリッジは生きて再び〝ヴィレッジ〟へと戻る覚悟を決めるが、早速新顔に感づいた一味が襲撃を加えてくる。

本作の読みどころは、後半の山場となる脱出劇よりも、生き残りを懸けた中盤までの〝デスマッチ〟にある。不毛の地で餓えを凌ぎつつ、さらに凶暴化した犯罪者らと繰り広げる死闘。一瞬の気の緩み/判断の誤りが死を招くことになるため、逃げ場無きサバイバルは当然のこと凄まじい緊張感を伴う。
平凡な人間に過ぎなかった男が、絶え間ない闘争を通して成長するさまも読みどころの一つだ。男しか登場しないため、アブノーマルな一面も描いてはいるのだが、ハーレイはあくまでも異常な世界での冒険行にウエイトを置いている。

評価 ★★★★

 

流刑地サートからの脱出 (新潮文庫)

流刑地サートからの脱出 (新潮文庫)

 

 

「グリッツ」エルモア・レナード

1985年発表作。エルモア・レナードがミステリ作家としては稀ともいえる脚光を浴びて、一躍著名人となった時期にあたる。当時レナードは本作タイトル「グリッツ(金ぴか)」の通り、昂揚感に満ち、充実した生活を送っていたのだろう。本作も生きの良い会話が主体で、刑事とギャング、小悪党らが俗語を用いて丁々発止の掛け合いをするさまが楽しめる。

主人公はやさぐれた刑事モーラ。けちなチンピラに弾丸をくらい療養の身だったが、その後ろ姿を執拗に追う男がいた。復讐の機会を狙うのは、モーラが刑務所送りにした悪漢テディ。人殺しは朝飯前だが、あまりにも小者であることと、予測不能の行動をとるために、尻尾を掴ませない。一方モーラは、療養先で知り合った娼婦アイリスがカジノ・ホテルのホステスとしてスカウトされたことを知る。どうにも胡散臭さを感じたモーラはホテルのオーナーに接触を図るが、アイリスを引き止めることはかなわなかった。悪い予感が当たり、後日アイリスが不審死を遂げる。モーラは、真相を探るべく、ぎらぎらと妖しい光を放つ街アトランティック・シティへと向かう。

クライムノベルを通してアメリカ社会の一断面を鮮やかに切り取り、所謂〝レナード・タッチ〟と称された作風にも更に磨きが掛けられている。
卑しい街に曲者揃いの登場人物を放り込めば、あとは勝手にストーリーが動き出すといった感じで、緻密な構成よりも場面ごとのムードを重視し、躍動感に満ちた展開で読ませる。スタイル的にはチャンドラーの世界に通じるものなのだが、いわばマーロウなどが象徴する孤高のヒーローが不在の中で、本来なら脇役であるはずの男と女が、堂々と主役を張って「俺たちの物語」を創り上げていくといった印象だ。悪徳がはびこる街で、例え生き方は荒んでいようとも、己の信条までは穢さず、守らねばならない者/コトのために立ち上がる。その精神こそがハードボイルドである、とレナードは告げているかのようだ。

評価 ★★★☆

 

グリッツ (文春文庫)

グリッツ (文春文庫)

 

 

「アイス・ハント」ジェームズ・ロリンズ

現在も精力的に創作活動を続けている精鋭の一人ジェームズ・ロリンズ2003年発表作。SFホラーの要素に冒険小説的な活劇をふんだんに盛り込んだスリラーで、著者の迸るエネルギーに満ち溢れた力作だ。恐らくロリンズは、〝読者をいかに楽しませるか〟というエンターテインメント性について相当探究したのだろう。その筆致は極めて映画的でテンポ重視、存亡の機を前にした者どもの壮絶な戦いを〝けれん味〟たっぷりに描いていく。ただし、閉ざされた空間の中で小集団に分かれた登場人物らを同時発生的に危機が襲い、途切れることなく終盤まで戦闘シーンが続くため、逆に読者自身に体力がないと息切れしかねない。

主な舞台はアラスカから北極までの極寒地。北の果てで浮標する巨大な氷島内に何層にも分かれた円形の構築物が発見された。米国は観測/研究のために科学者、軍人らの合同チームを派遣、探索を行うが、旧ソ連が極秘裏に建造した基地に生存者は無く、無惨な状態で放置された死体のみが転がっていた。長期滞在を想定した施設内には様々な実験装置、武器弾薬庫などがあり、最下層には遺棄された潜水艦。さらに、中層から氷山内部へと続く地下道先の氷洞には、凍結した古代の生物が奇怪な姿をさらしていた。一方、同施設の成り立ちから関わっていたロシアの海軍提督が、米国の動きを察知し、既に破綻していた謀略のケリをつけるべく基地奪還に向けて独自に動き出していた。

物語は、功を焦る科学者の手によって長い眠りから目覚めた太古の怪物が人間を襲い始めるくだりから一気に狂乱の世界へと突入し、人類対モンスター、アメリカ対ロシアを主軸に激闘を繰り広げていく。現代兵器のみならず、旧式の武器を手に延々と続く白兵戦。極地での不可解な謎に始まり、超大国の陰謀を絡めて一気にカタストロフィーにまでなだれ込んでいく構成は、大風呂敷を広げながらも力業で読ませる。
中盤からは山場の連続で、絶体絶命のピンチを切り抜けた先に更なる難関が待ち受ける。場面展開が早く、数多の登場人物の行動を同時進行で描くため、下手な作家ならばカオス的な状況に落ちるところをロリンズはその一歩手前で巧くまとめ上げている。また、やや類型的ではあるが、それぞれの過去/現在のエピソードを挿入し、混乱することなく人物を描き分けていることも特筆すべき点だ。とにかく、ロリンズの底知れぬパワーには圧倒された。

評価 ★★★★

 

アイス・ハント (上) (扶桑社ミステリー)

アイス・ハント (上) (扶桑社ミステリー)

 

 

 

アイス・ハント (下) (扶桑社ミステリー)

アイス・ハント (下) (扶桑社ミステリー)

 

 

「沈黙の犬たち」ジョン・ガードナー

1982年発表の英国海外情報局員ハービー・クルーガーシリーズ第3弾。クルーガーが築いた東ドイツ諜報網を壊滅させたソ連の宿敵ヴァスコフスキーとの最終的な闘いの顛末を描く。「ベルリン 二つの貌」から繋がるストーリーのため、まず同作を読んでおくことは必須。「…貌」でのボルテージの高さは圧巻だったが、本作ではさらなる盛り上がりを見せる。実力派ガードナーの力量に圧倒される傑作であり、骨太なスパイ小説の醍醐味を存分に味わうことができる。

ソ連諜報機関の最高位で暗躍する英国の長期潜入工作員〝ステントール〟は、己の正体が暴かれつつあることを知り、SOSを発信する。ソ連内部に潜む裏切り者を突き止める任に就いたのは、先の闘いで英国SISに完膚無きまでの打撃を加えたKGB少将ヴァスコフスキーだった。冷徹な智将は、内部に眠る「犬」を炙り出すための計略を実行に移すが、その好餌として選んだのは「…貌」ケースで失墜させたクルーガーに他ならなかった。クルーガーを東側への逃亡を図っている「売国奴」として匂わせ、その接触/過程を通して〝モグラ〟を炙り出す。一方、孤立無援の情況下でヴァスコフスキーへの復讐に燃えるクルーガーは、〝ステントール〟救出作戦とともに仇敵の策略を逆手に取る秘策に着手。かくて機は熟し、双方は凄まじい頭脳戦を展開していく。

本作で特に印象に残るのは、身動きの取れない〝ビッグ・ハービー〟に代わり急遽スカウトされた若き工作員ゴールドのエピソードだ。ソ連に潜入し、〝ステントール〟脱出の手筈を整えるのだが、結局は使い捨ての駒として悲痛な最期を迎える。対立する国家・イデオロギーが闘争を繰り広げるその末端で非情な諜報戦の犠牲となっていく者どもを省くことなくドライに描き切ることは、秀れたスパイ小説のパラダイムでもある。また、熟年クルーガーと女スパイの恋愛模様も挿入するなど、本筋にきっちりと絡む枝葉から、物語は一層の深みを増し、淀むことなく終章へと流れていく。

二重三重に練り込んだ緻密な構成の中で展開する緊張感溢れる腹の探り合い、一気に変転するスピード感に満ちた攻防戦、重厚で哀切な人間ドラマ、怒濤のクライマックスへと向かう疾走感……裏切りの美学ともいうべき高密度エスピオナージュの最高峰として、クルーガーシリーズは改めて評価されるべきだろう。

残念ながらガードナーは既に逝去しているが、ずば抜けたストーリーテリングの才は、巨匠ジョン・ル・カレをも凌駕する。現代スパイ小説は長らくル・カレの牙城で、その他の優れた作家がなかなか脚光を浴びないことに歯痒い思いがあったのだが、特にクルーガー・シリーズにおけるエンターテインメント小説としての完成度/熟成度は、難解且つ冗長なだけの「スマイリー三部作」を超えている。

評価 ★★★★★

 

沈黙の犬たち (創元推理文庫 (204‐3))

沈黙の犬たち (創元推理文庫 (204‐3))

 

 

「ココ」ピーター・ストラウブ

長大なボリュームのサイコ・スリラーで、文学志向の強いストラウブの濃密な筆致のせいもあり、読み終えるのに時間を要した。ベトナム戦争従軍によって重度の神経症を負った者が臨界点に達して殺人者と化す。新鮮味の無い設定だが、どう物語を膨らませ、捻りを加えて展開させるか、作家の腕の見せ所といえる。

本作に登場する主要な帰還兵らは須く心的外傷を抱えており、戦場の血を浴び錆びついた鎖で互いに繋がれている。社会復帰を果たし、それぞれが人生のやり直しを始めても、再び〝戦友〟が集えば極めて特殊な軍人の戒律/指揮系統によって縛られていく。彼らにとっては、その呪縛こそ鬱屈した慰撫へと導くものであり、ベトナム戦争の記憶は日常の倦怠を解き放つ麻薬の如き常習性を伴って脳内にとどまり続け、過去と現在/異常と正常の境界を容易に乗り越えていく。

ワシントンの戦没者慰霊碑完成を機に再会した4人の男は、アジアで起こった連続殺人事件を語り合う。見出だしたのは「ココ」という血塗られた符牒。その名は、或る村での虐殺の悪夢に直結していた。戦場のただ中に出現し、再び甦ったサイコ・キラー。「ココ」は、ソンミ事件を想起させる無差別殺戮の真相を告白するという餌で、かつて現地へと赴いていたジャーナリストらを個々に誘い出し、残虐な殺し方を用いて口を封じていた。「ココ」の正体は、現在小説家として名を馳せていた〝戦友〟の一人であると確信した帰還兵らは殺人者が潜伏する地へと飛んで炙り出すことを画策する。真犯人を突き止めて世間を驚嘆させ、あわよくばカネを生む一大イベントへと変転できるからだ。だが、その深層には暴力への歪んだ崇拝が流れており、その狂気の度合いは「ココ」に引けを取るものではなかった。

 物語は「ココ」という存在が決して異質な化け物ではなく、狩る者と狩られる者、両者の首はいつでも挿げ替え可能であったことを、それぞれの過去と現在のエピソードを積み上げて指し示していく。「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化す」(ニーチェ)ことへのイロニーとして、そもそも怪物を〝創造〟したのは身勝手な征伐を加える側であることも描き出している。相手を〝獲物〟として互いに狩り合う構造は、戦争によって崩壊する精神の脆弱性と「殺す」ことでしか得られないカタルシスの無常観に満ちている。

評価 ★★★

 

ココ (上) (角川ホラー文庫)

ココ (上) (角川ホラー文庫)

 

 

 

ココ (下) (角川ホラー文庫)

ココ (下) (角川ホラー文庫)

 

 

「シンガポール脱出」アリステア・マクリーン

戦争小説の名作として今も読み継がれている「女王陛下のユリシーズ号」(1955年)でデビューを果たしたマクリーン1958年上梓の長編第三作。現代に通じる戦争/冒険小説の骨格を創り上げた初期の作品は、まさに神憑っているとしか例えようがない。映画化された「ナヴァロンの要塞」を機に金銭的に潤ったマクリーンが次第に精彩を失ったという定番化された冷評もあるが、真に「傑作」の名に相応しい雄編を数え上げれば、質・量共に他の作家を凌駕していることは明らかだろう。
海に滅びゆく者たちの一大叙情詩「ユリシーズ」、エンターテインメントとしての冒険小説を徹底的に突き詰めた「ナヴァロン」。さらに極寒のハンガリーを舞台に激烈な諜報戦を描いた「最後の国境線」(1959年)などは、実際にページを捲る指先が凍傷にかかったような感覚に陥ったほどで、極限状態であればあるほどに冴え渡るその圧倒的な筆力は、やはり天性の才能だと認めざるを得ない。

本作は、虚妄に過ぎない「大東亜共栄圏」の旗印のもと、東南アジア諸国へ侵攻した「大日本帝国」を敵役とし、実際に英国海軍従軍中に捕虜となったマクリーンの苦い経験が活かされている。陥落寸前のシンガポールで退路を絶たれた民間人や英国軍人らは、密航船で辛くも脱出するが、座礁して沈没。付近を航行中だった英国籍大型タンカーが生存者を救出したものの、敵の戦闘機の攻撃を受け、救命ボートで洋上を漂うこととなる。だが、不可解なことに日本軍は止めを刺さない。遭難者の中に潜り込んだ敵側スパイ。狙うのは、正体を隠して乗船中の英国将軍の極秘文書。密命を帯びた者とは誰か。灼熱の地獄の中での決死のサバイバルが展開していく。

マクリーンが好んで描くのは、どんな状況であろうと屈せず闘うプロフェッショナルの姿だ。本作の主人公/一等航海士ニコルソンは、常に先頭に立ち、身を挺して危機を乗り越える誇り高く、ストイックな男である。ヒーローとしては申し分のない理想像なのだが、マクリーンは臆することなくストレートに活躍させるため、決して嫌味にはならない。現代の冒険小説では、精神的弱さやハンディキャップの克服も大きなテーマとしているが、決して弱音を吐かず、強靱な精神力/経験を培った男が数多の試練に立ち向かうシャープな冒険行が、雑じり気のない感動を呼び起こすのは、まだ「騎士道精神」的な美学が冒険小説の根底に流れていたからだろう。ラストシーンのぶつ切り感も、硬派なマクリーンの世界を象徴する終幕といえる。

評価 ★★★

 

 

「死の蔵書」ジョン・ダニング

長らく休筆していたダニングが、自らの経験を基に古書の世界を題材として執筆し話題となったベストセラー。元殺人課刑事で現在は古書店主という異色の経歴を持つクリフ・ジェーンウェイの活躍を描き、以降シリーズ化している。

本作には「すべての本好きに捧げる」という売り文句が付いていた。果たして本作のモチーフとなる著名な作家の初版や歴史的な稀覯本が、巷の読書愛好家にとって興味深い対象かというと疑問が残る。メインプロットに絡まない枝葉で、登場人物らが古書に纏わるうんちくを語り、売買のやりとりを繰り広げていくのだが、その分贅肉が付き過ぎてスマートさに欠ける。読み終えて印象に残るのはそれらの裏話のみであり、本筋がかすんでしまっていると感じた。
例えチャンドラー「湖中の女」初版本にどんな高値が付こうと作品の出来とは当然のことイコールではなく、所詮は蒐集家向けのコレクターズアイテムに過ぎない。表紙カバーが破れた百円の古本であろうとも、読者の人生に限りない影響を与える作品に出会えることもままある訳で、稀少なモノを所有することに至上の喜びを覚えるマニアとは次元が異なる。値が張る本は秀れているという誤解を生じさせるような収集家や商売人らの嗜好は気持ちの良いものではなく、それは著者の投影でもある主人公にしても然りである。古書業界に限らず数多のコレクター相手の商売で共通する生態とはいえ、どうしても反発したくなるのは、本に対する愛情の基点が違う貧乏読書家の穿った見方故かもしれない。流通する商品としての価値に重きを置く蔵書家は「本好き」には含まれるのであろうが、創作そのものを純粋に楽しむ「読書好き」とは似て非なるものだ。

肝心のプロットは、古書店街界隈で〝掘り出し屋(値打ち本を発掘する転売屋)〟が殺された事件を発端とし、或る収集家が遺した稀覯本を巡る闇取引を背景に置く。だが、手掛かりを追うことなく主人公は未解決のまま刑事をあっさりと辞め、自らの夢であった古書店開業に打ち込んでいく。開店も束の間、クリフは身の回りで起こる不審な動きを察知しつつも情事に耽り、その不在時に店のスタッフらが虐殺される。主人公はようやく連続殺人の解明に本腰を入れるのだが、その行動には独り善がりな面があり、キレがない。本作をハードボイルドと評する向きもあるようだが、一人称の語り口や暴力シーンが適度に入っていれば一丁上がりではない。定義は人それぞれだろうが、単なる趣味人が自らも被害を被り追い込まれた末にやっと立ち上がる姿に、ハードボイルドの精神など到底感じることなどできない。

長々と批判めいたことを書き連ねたが、本作はミステリとしては標準作であろうし、本が読まれない/売れない時代に、業界に対してある程度の活力/刺激を与えたことは間違いないだろう。しかし、高い世評とのズレを感じざるを得なかったのは、物語の中で言及する作品をただの一冊も読みたいと思えなかったことにある。ダニングは、実在の作家や小説に対する批評を主人公に代弁させているのだが、どの作品にも愛情を感じず、そもそも推薦する意図など端から無いようだ。要は、本の価値を売れるか売れないかで判断する〝商品〟として見ているからだろう。

創作のスタンスもジャンルも異なるが、本に対する深い慈愛に満ちたカルロス・ルイス・サフォンの名作「風の影」の芳醇な世界観に比して、本作はあまりにも無機的過ぎる……と、ミステリとは関係の無いところで駄文を記録しておく。

評価 ★★☆

 

死の蔵書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

死の蔵書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「誰かが泣いている」デイヴィッド・マーティン

話題となった「嘘、そして沈黙」と同じく何とも形容し難いミステリなのだが、一気に読ませる力量は大したものだ。破綻すれすれのプロットを強引な筋運びで繕っているのだが、もとより緻密なサイコ・スリラー作品が珍しいぐらいなので、標準的な出来かも知れない。
ニュースキャスターのライアンは、ピューリッツアー賞も受賞したベテランだったが、放送中に涙を抑えきれなくなる失態を犯し、プロ失格の烙印を押されて職を辞する。読み上げた原稿は幼児虐待に関するものだったが、慟哭する理由には思い至らない。直後、怪しい女がライアンに接触を図り、不可解なメッセージを手渡す。或る町で赤ん坊が殺され続けており、その事実を突き止めてほしいというものだった。女は眼前で自殺、異常な事態に戸惑うライアンだったが、このスクープは表舞台に返り咲くチャンスと捉え、事件を追う決意を固める。

主要な登場人物にまともな者がいない。盲目でありながら狡猾に殺人を続けていく小児科医キンデルの「怪物性」は設定としては常套だが、それよりも主人公の脆弱ぶりが際立っている。社会的正義よりも己の虚栄心を優先させる男で、高潔なジャーナリスト精神は些少。要はその俗物的な〝ヒーロー像〟がアイロニカルに描かれている訳だが、魅力に乏しいことは否めない。結果的に流されるように殺人者と対決するが、最後まで振り回され放しで、どうにも頼りない。物語をストレートに展開させない曲者マーティンの創作スタイルが良くも悪くも表れているようだ。

評価 ★★★

 

誰かが泣いている (扶桑社ミステリー)

誰かが泣いている (扶桑社ミステリー)

 

 

「喪服のランデヴー」コーネル・ウールリッチ

翻訳を通しても、都会的で洗練された文体の強度を失わない稀有な作家の一人、ウールリッチ/アイリッシュ。1948年発表、ブラックシリーズの代表作でもある「喪服のランデヴー」では、その耽美なレトリックがすでに完成しており、序章と終章における溜め息が出るような情操の表現を味わうだけでも読む価値がある。上空を通過した飛行機の乗客が投げ捨てた瓶の直撃を受け、逢瀬の待ち合わせ場所にいた恋人を殺された男。その無残で凍てついた心象風景を綴っていくプロローグは、ウールリッチならではの世界観を形作っている。

本作は凄まじい怒りによって復讐の鬼と化し、狂気の淵へと墜ちた若者ジョニー・マーが、真犯人を特定できないままに対象となる5人の男を探り出し、躊躇うことなく地獄の底へと突き落としていく物語だ。脈略無き不可解な連続殺人を嗅覚鋭く追う刑事も登場させるが、メインで描くのは、緻密な計算のもとに遺恨を晴らすジョニーが対象5人に加えていく報復の顛末である。推定する加害者を単に殺すのではなく、ジョニー自身が味わった悲劇と同様の苦悩へと陥らせる。その非道/冷酷ぶりは極まっており、罪のない人々までも犠牲にしていく若者には、いつしか同情よりも畏怖感の方が強まっていく。
捻りを施した構成の妙とサスペンスフルな展開で読ませる秀作であり、ウールリッチの魅力が溢れている。ノワールの先駆であり、ラストシーンにおいて自らも暗黒へと堕ちていくジョニーの絶叫がいつまでも耳に残る。

評価 ★★★★

 

喪服のランデヴー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

喪服のランデヴー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「リプレイ」ケン・グリムウッド

人生を再びやり直せたなら。このテーマに数多の作家が挑み、これまで様々な趣向を凝らした作品が創り出されてきた。ただ、その大半はファンタジー色の強いノスタルジックな物語であろうし、「感動のドラマ」を構築するための設定としては使い古された感もある。1987年発表の「リプレイ」は、その後の同系列の作品に大きな影響を与えたといわれ、翻訳された当時もミステリファンの間で随分と評判になった。恐らく、ある程度の社会経験を経た大人にこそ共感できる要素を多分に盛り込んでいたためだろう。要は実に「生々しく」人生のやり直しを描いているのである。

主人公の男は43歳で突然死し、これまでの記憶を保ったままに、18歳の自分へと〝再生〟する。男は文字通り「人生をやり直す」ことになるのだが、理不尽にも25年後に〝その日〟を迎えると死ぬ。そして、僅かな時間のずれを生じさせながらも、同じように〝再生〟する。この呪われたサイクルの中で、主人公は否応にも生き方を軌道修正せざるを得ず、都度物語は様相を変えていく。いわば、一人の男が繰り返す〝再生〟に焦点を当てることにより、不条理な生死の命題が浮かび上がってくるという構成だ。といっても、哲学的な追及ではなく、あくまでも主人公らの行動を主体とし、サスペンスに満ちたエンターテインメント小説として仕上げている。

最初の〝再生〟では、平凡な人生では為し得なかった欲望を前面に出す。即ち、ギャンブルや株によって財を蓄え成金としての刹那的な欲を実現する。同時にケネディ大統領暗殺などの歴史的事件が己の働き掛けによって改変されることは無く、この世界では変わらず無力であることを知る。巨万の富を残して死亡、単なる貧乏学生へと舞い戻る。男は「やり直す」ことの空虚さに幻滅して、自暴自棄同然の怠惰な生活へと墜ちていく。
さらに次の段階では、愛する者と生きるという幸福の追及へとひた走る。妻との間には叶わなかった子どもを授かり愛情を注ぐが、定められた己の死によって、子の存在は抹消される。このパートは本作で最も痛切なテーマを含んでいるのだが、間違いなく「無」になることが判っていながらも、身勝手にも尊い生命を生み出し、殺してしまった自分の罪の重さに嘆く。そして、社会との関わりを回避するために、世捨て人となっていく。このあたりのエピソードは印象深い。
何故、生き返るのか。この不条理な〝再生〟は何を意味しているのか。男は同様の〝再生〟をする女と巡り会い、世間へと公表した上で、その謎を解き明かそうとする。だが、〝再生〟して生きる期間は回数に応じて加速度的に縮まっていた。それは、果たして真の「死」となるのか。そこに何らかの救済はあるのか。

日々、人生の岐路に立ち、様々な選択をして踏み出した一歩の後に「やり直し」は無い。つまり、成功なり、失敗なりの経験を経た上でのやり直しは、似たような情況下で二度目の選択をするに過ぎない。本作「リプレイ」で主人公が為すのも、やはり選択のやり直しであり、寸分違わぬ人生を繰り返す訳ではない。
人間として成長するチャンスを、常人よりも多く与えられた幸運な存在。本作の主人公を言い表すならば、そういうことになる。

評価 ★★★★

 

リプレイ (新潮文庫)

リプレイ (新潮文庫)

 

 

「真鍮の虹」マイクル・コリンズ

1969年発表、ダン・フォーチューンシリーズ第2弾。凍てついた冬のマンハッタン。降りしきる雪の中を、孤独の翳を引きずりつつ片腕の私立探偵が歩む。
冴えない博打打ちの旧友を救うための、見返りなき調査。人を殺してまで金を盗む度胸がない男であることを確信するが故に、或いは余計者に罪を擦り付けて眠りを貪る悪党のツラを白日の下に曝すために。真相を求めて卑しい街の最下層へと降りていくその後ろ姿には、己もまた穢れた社会に生きる一人であることの自嘲と、まだ心根までは腐り切っていないという矜持が滲み出ている。

私立探偵小説のヒーローの中でも際立ってフォーチューンは貧しい。隻腕なために、残された腕を失うことに恐怖感を抱き続けている。そのハンディキャップは探偵の弱さであり、強さでもある。稼業上、闇社会や警察の人間とは腐れ縁だが、持ちつ持たれつではない。抗う者としての男の生き方が、物語を強度を高めている。ロス・マクドナルドの直系としてコリンズが相応しい理由とは、罪を犯さざるを得ない人間の業を達観した眼差しで見詰める姿勢にあるといえる。

暴力が蔓延る街で、下層の人間はいつか幸運が転がり込むことを夢見る。だが、彼方に美しく輝いていた虹は、近づけば近づくほど薄れ、冷たく硬い真鍮の紛い物に過ぎなかったことを、やがて待ち受ける不幸のもとで思い知る。全ての事実を突き止めた後、フォーチューンは面倒ながらも放ってはおけない男を救えたことで、僅かな満足感を覚える。

本作はいささかプロットを複雑にした嫌いがあり、すっきりしない部分もあるのだが、ハードボイルドの精神を受け継ぐフォーチューンシリーズは読めるだけでも幸せだ。残念ながら、マイクル・コリンズは2005年に亡くなっているが、残された作品を今後も読み続けていきたい。

評価 ★★★

 

真鍮の虹 (1979年) (世界ミステリシリーズ)

真鍮の虹 (1979年) (世界ミステリシリーズ)

 

 

「高く危険な道」ジョン・クリアリー

1977年発表。第一次大戦終結直後の混乱期を背景に、ロマン溢れる冒険行を活写したジョン・クリアリー渾身の冒険小説。

本筋は至ってシンプルで、革命前夜の中国(翻訳では「支那」と表記されるが、現代では蔑称に近い)で武力闘争を繰り広げていた一将軍に身柄を拘束された米国人実業家の父親を救うために、英国に滞在していた娘イヴが戦闘機乗りを雇い、ユーラシア大陸を横断していくというもの。イヴは父親から翡翠の彫像を預かっていたのだが、将軍の命を受け英国へと赴いた代理人は、彫像の所有権は将軍にあり、即刻返さなければ父親を殺害すると脅迫する。その遺物には今後の命運を左右するほどの力が備わっていると主張、父親の居場所は代理人が無事帰国した際に告げるという。期限は18日。英国から中国まで最短の時間で行くためには、「高く危険な道」を選ぶしかなかった。

血気盛んな娘イヴに同行することになるのは、元英国空軍のエースにして現在はしがない雇われパイロットのイギリス人オマリイ、そして道中で旅の道連れとなる元ドイツ空軍の勇士ケアン。奇しくもオマリイとケアンは、先の対戦で敵同士として一戦を交えた仲だった。さらに将軍の代理人を含めた4人は、英国の複葉戦闘機ブリストル・ファイター3機に分乗し、彼方の大地を目指して大空へと飛び立つ。

戦闘機がまだ希少であった時代。堕落した帝国主義と噴出する民族主義の対立など不穏な世界情勢を盛り込みつつ、ヨーロッパ、中東から南アジアへと渡っていくのだが、給油のために降り立つ各地でのエピソードに趣向を凝らし飽きさせない。本作には自然の猛威と闘う飛行シーンは殆どない。圧倒的な分量を占めるのは、途上で立ち寄った異郷で、例外なく暴力が蔓延し荒んだ情況にある現地の人間に対し、4人がどう立ち回り、何を経験し成長していくか、というロードムービー的な挿話である。

優れた操縦士でもある大金持ちの娘に手を焼きつつも、未知の冒険にロマンを求め、再生への足掛かりを掴もうとするオマリイ。貴族の末裔でありつつも今は借金塗れで衰退し、秘かな自殺願望を抱いているケアンは、再びの人殺しに嫌悪感を抱き、連帯と孤立の間で揺れ動く。登場人物らが旅を通して自らのアイデンティティーにどう修正を加え、取り敢えずの目標に到達した後の人生がどう変転していくのか、という点も読みどころのひとつだ。主役3人の「その後」の人生をまとめたエピローグも余韻を残す。

ただ、翻訳の語り口が古いため、テンポが崩れ気味なのが残念だ。よりスマートな文章に改訳されたら、より楽しめただろう。

評価 ★★★☆☆ 

 

高く危険な道 (1983年) (角川文庫)

高く危険な道 (1983年) (角川文庫)

 

 

「夜を深く葬れ」ウィリアム・マッキルヴァニー

マッキルヴァニー1977発表作。骨格は警察小説だが、単にミステリとして読むだけでは、滋味深い本作の魅力を半分も味わうことはできない。
舞台はスコットランド最大の都市グラスゴー。夜の公園で発生した少女殺害事件を発端に、機動捜査班警部ジャック・レイドロウの人間味溢れる捜査を追い、次第に崩壊していくコミュニティの有り様を、冷徹且つ繊細な筆致で描き切る。突然襲った悲劇によって捩れていく街/人間模様に焦点を当てており、文学作品としての価値も高い。

作風として近いのはジョルジュ・シムノンだが、達観の境地で情況を見極め心理学的側面から犯罪者を追い詰めていくメグレとは違い、思索する刑事レイドロウは、まず被害者/加害者が生活していた環境に溶け込み、脆く張り詰めた人間関係を探りつつ、その内部から矛盾点や綻びを見出していく。重視するのは対象者の立ち位置/関係性であり、いわば社会学的な側面からのアプローチで真相に迫る。

復讐心に突き動かされ殺し屋を雇う被害者の父親、殺人を犯した愛する青年の逃走資金調達のために闇の組織に脅しをかける男色家、面子にこだわり裏社会の規律を乱す者には容赦なき鉄槌を下すギャング組織。レイドロウは街を歩き、自らキーパーソンとなって停滞する情況へ揺さぶりをかけ、それら関係者と対峙する。犯罪者を炙り出すというより、己の存在を投げ入れることで水面に波紋を生じさせ、波間に浮き上がってくる手掛かりを拾い上げる。ミステリの展開としては常套でありながらも、地下に潜った殺人者へと繋がる糸を手繰り寄せる手法に無理がなく、エピソードの数々は緊張感に満ちている。

マッキルヴァニーは詩人/文学者であったのだが、ジェイムズ・リー・バークのようなアクの強い文体ではなく、そこはかとない詩情を漂わせながらも簡潔で洗練されたレトリックを用いる。レイドロウの物言いは含蓄に溢れ、人々を見詰める眼差しは厳しさと情愛に満ちている。その大部分は、レイドロウの部下となる新任刑事ハークネスの眼を通して語られるのだが、警察内部では異端として孤立する男への印象が修正され、次第に信頼へと変わっていく流れが実に見事だ。

特権意識を排し、市井の人々の側に立ち、哀しみや怒りを共有して、誇り高く屹立するレイドロウ。その姿は、ハードボイルドの理想像に近い。さらに「夜を深く葬れ」という翻訳版タイトル(原題は「Laidlaw」)は、硬質な叙情性ともいうべき陶酔感に浸れる本作を表現するに相応しい。

評価 ★★★★★

 

夜を深く葬れ (ハヤカワ・ミステリ 1338)

夜を深く葬れ (ハヤカワ・ミステリ 1338)

 

 

「パードレはそこにいる」サンドローネ・ネダツィエーリ

2014年発表、希少なイタリア・ミステリの翻訳だが、異国情緒的な味わいはなく、新たな支流ともなっているダークな犯罪小説の色合いが濃い。プロットや人物設定も凡そ時流に倣っており、新鮮味はさほどない。トラウマを抱えた主人公、場面転換の早いテンポ重視の構成、不可解な動機、猟奇的な連続殺人、形骸化した警察/検察機構との確執など、舞台をアメリカに移したとしても違和感はない。主要人物には極端な個性を与えており、キャラクターのユニークさで読ませるミステリともいえる。
本作は、ルメトール「アレックス」やオールスン「特捜部Q―檻の中の女―」などでも題材としていた〝監禁〟をプロットの核にしており、その人倫無視の凶悪性を〝探偵役〟となる男「ダンテ」自身に直結/具現化させている。少年時代に誘拐され、11年間にわたる監禁生活を送るとういう過去を持ち、脱走後は失踪人捜索専門のコンサルタントとして生計を立てる。その異常な設定が、良くも悪くも物語を動かしていく。

ローマで起きた児童失踪事件で警察から協力を求められたダンテは、その犯行現場で自らを誘拐した男「パードレ」の痕跡を視る。だが、「パードレ」と思しき人物は既に死んだものとされたいた。当然のこと心的外傷による妄想と周囲は受け止めるが、相棒となる女性捜査官コロンバと行動を共にする中で徐々に判明していく事実は、未だ正体不明の犯罪者「パードレ」へと導くものだった。

極度の閉所恐怖症となったダンテの描写は、いささかデフォルメ過剰な点があるのだが、過去の呪縛と真正面から向き合い、どう克服するか、というテーマも含めているのだろう。肝心の真相については、大風呂敷を広げ過ぎて、整理仕切れていないため不満が残る。下手な陰謀よりも人間の闇に焦点を当てた結末を期待していたためだろう。

評価 ★★☆

パードレはそこにいる (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

パードレはそこにいる (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

パードレはそこにいる (下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

パードレはそこにいる (下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「シカゴ探偵物語」マックス・アラン・コリンズ

長くて退屈という印象しかない。文章がさっぱり頭に入ってこない理由は、翻訳のためかもしれないと中途で気付く。映画作品のノベライズがより多く翻訳されているコリンズだが、本作を読む限り、残念ながらオリジナルには精彩がない。
舞台は禁酒法時代のシカゴ。アル・カポネやエリオット・ネス、フランクリン・ルーズベルトなど登場する人物は派手だが、一介の私立探偵が彼らと深い関係を持つという設定には無理がある。何より主人公ネイト・ヘラーに魅力が乏しく、ハードボイルドとしての味わいにも欠けている。史実と絡めるのであれば、思い切ったアレンジも加えてほしいところだが、終始ぼんやりと筋が流れ、意気込みだけが空回りしている。
私立探偵小説は、もっと引き締めてほしい。

評価 ★

 

シカゴ探偵物語―悪徳の街1933 (扶桑社ミステリー)

シカゴ探偵物語―悪徳の街1933 (扶桑社ミステリー)