海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「真鍮の虹」マイクル・コリンズ

1969年発表、ダン・フォーチューンシリーズ第2弾。凍てついた冬のマンハッタン。降りしきる雪の中を、孤独の翳を引きずりつつ片腕の私立探偵が歩む。
冴えない博打打ちの旧友を救うための、見返りなき調査。人を殺してまで金を盗む度胸がない男であることを確信するが故に、或いは余計者に罪を擦り付けて眠りを貪る悪党のツラを白日の下に曝すために。真相を求めて卑しい街の最下層へと降りていくその後ろ姿には、己もまた穢れた社会に生きる一人であることの自嘲と、まだ心根までは腐り切っていないという矜持が滲み出ている。

私立探偵小説のヒーローの中でも際立ってフォーチューンは貧しい。隻腕なために、残された腕を失うことに恐怖感を抱き続けている。そのハンディキャップは探偵の弱さであり、強さでもある。稼業上、闇社会や警察の人間とは腐れ縁だが、持ちつ持たれつではない。抗う者としての男の生き方が、物語を強度を高めている。ロス・マクドナルドの直系としてコリンズが相応しい理由とは、罪を犯さざるを得ない人間の業を達観した眼差しで見詰める姿勢にあるといえる。

暴力が蔓延る街で、下層の人間はいつか幸運が転がり込むことを夢見る。だが、彼方に美しく輝いていた虹は、近づけば近づくほど薄れ、冷たく硬い真鍮の紛い物に過ぎなかったことを、やがて待ち受ける不幸のもとで思い知る。全ての事実を突き止めた後、フォーチューンは面倒ながらも放ってはおけない男を救えたことで、僅かな満足感を覚える。

本作はいささかプロットを複雑にした嫌いがあり、すっきりしない部分もあるのだが、ハードボイルドの精神を受け継ぐフォーチューンシリーズは読めるだけでも幸せだ。残念ながら、マイクル・コリンズは2005年に亡くなっているが、残された作品を今後も読み続けていきたい。

評価 ★★★

 

真鍮の虹 (1979年) (世界ミステリシリーズ)

真鍮の虹 (1979年) (世界ミステリシリーズ)

 

 

「高く危険な道」ジョン・クリアリー

1977年発表。第一次大戦終結直後の混乱期を背景に、ロマン溢れる冒険行を活写したジョン・クリアリー渾身の冒険小説。

本筋は至ってシンプルで、革命前夜の中国(翻訳では「支那」と表記されるが、現代では蔑称に近い)で武力闘争を繰り広げていた一将軍に身柄を拘束された米国人実業家の父親を救うために、英国に滞在していた娘イヴが戦闘機乗りを雇い、ユーラシア大陸を横断していくというもの。イヴは父親から翡翠の彫像を預かっていたのだが、将軍の命を受け英国へと赴いた代理人は、彫像の所有権は将軍にあり、即刻返さなければ父親を殺害すると脅迫する。その遺物には今後の命運を左右するほどの力が備わっていると主張、父親の居場所は代理人が無事帰国した際に告げるという。期限は18日。英国から中国まで最短の時間で行くためには、「高く危険な道」を選ぶしかなかった。

血気盛んな娘イヴに同行することになるのは、元英国空軍のエースにして現在はしがない雇われパイロットのイギリス人オマリイ、そして道中で旅の道連れとなる元ドイツ空軍の勇士ケアン。奇しくもオマリイとケアンは、先の対戦で敵同士として一戦を交えた仲だった。さらに将軍の代理人を含めた4人は、英国の複葉戦闘機ブリストル・ファイター3機に分乗し、彼方の大地を目指して大空へと飛び立つ。

戦闘機がまだ希少であった時代。堕落した帝国主義と噴出する民族主義の対立など不穏な世界情勢を盛り込みつつ、ヨーロッパ、中東から南アジアへと渡っていくのだが、給油のために降り立つ各地でのエピソードに趣向を凝らし飽きさせない。本作には自然の猛威と闘う飛行シーンは殆どない。圧倒的な分量を占めるのは、途上で立ち寄った異郷で、例外なく暴力が蔓延し荒んだ情況にある現地の人間に対し、4人がどう立ち回り、何を経験し成長していくか、というロードムービー的な挿話である。

優れた操縦士でもある大金持ちの娘に手を焼きつつも、未知の冒険にロマンを求め、再生への足掛かりを掴もうとするオマリイ。貴族の末裔でありつつも今は借金塗れで衰退し、秘かな自殺願望を抱いているケアンは、再びの人殺しに嫌悪感を抱き、連帯と孤立の間で揺れ動く。登場人物らが旅を通して自らのアイデンティティーにどう修正を加え、取り敢えずの目標に到達した後の人生がどう変転していくのか、という点も読みどころのひとつだ。主役3人の「その後」の人生をまとめたエピローグも余韻を残す。

ただ、翻訳の語り口が古いため、テンポが崩れ気味なのが残念だ。よりスマートな文章に改訳されたら、より楽しめただろう。

評価 ★★★☆☆ 

 

高く危険な道 (1983年) (角川文庫)

高く危険な道 (1983年) (角川文庫)

 

 

「夜を深く葬れ」ウィリアム・マッキルヴァニー

マッキルヴァニー1977発表作。骨格は警察小説だが、単にミステリとして読むだけでは、滋味深い本作の魅力を半分も味わうことはできない。
舞台はスコットランド最大の都市グラスゴー。夜の公園で発生した少女殺害事件を発端に、機動捜査班警部ジャック・レイドロウの人間味溢れる捜査を追い、次第に崩壊していくコミュニティの有り様を、冷徹且つ繊細な筆致で描き切る。突然襲った悲劇によって捩れていく街/人間模様に焦点を当てており、文学作品としての価値も高い。

作風として近いのはジョルジュ・シムノンだが、達観の境地で情況を見極め心理学的側面から犯罪者を追い詰めていくメグレとは違い、思索する刑事レイドロウは、まず被害者/加害者が生活していた環境に溶け込み、脆く張り詰めた人間関係を探りつつ、その内部から矛盾点や綻びを見出していく。重視するのは対象者の立ち位置/関係性であり、いわば社会学的な側面からのアプローチで真相に迫る。

復讐心に突き動かされ殺し屋を雇う被害者の父親、殺人を犯した愛する青年の逃走資金調達のために闇の組織に脅しをかける男色家、面子にこだわり裏社会の規律を乱す者には容赦なき鉄槌を下すギャング組織。レイドロウは街を歩き、自らキーパーソンとなって停滞する情況へ揺さぶりをかけ、それら関係者と対峙する。犯罪者を炙り出すというより、己の存在を投げ入れることで水面に波紋を生じさせ、波間に浮き上がってくる手掛かりを拾い上げる。ミステリの展開としては常套でありながらも、地下に潜った殺人者へと繋がる糸を手繰り寄せる手法に無理がなく、エピソードの数々は緊張感に満ちている。

マッキルヴァニーは詩人/文学者であったのだが、ジェイムズ・リー・バークのようなアクの強い文体ではなく、そこはかとない詩情を漂わせながらも簡潔で洗練されたレトリックを用いる。レイドロウの物言いは含蓄に溢れ、人々を見詰める眼差しは厳しさと情愛に満ちている。その大部分は、レイドロウの部下となる新任刑事ハークネスの眼を通して語られるのだが、警察内部では異端として孤立する男への印象が修正され、次第に信頼へと変わっていく流れが実に見事だ。

特権意識を排し、市井の人々の側に立ち、哀しみや怒りを共有して、誇り高く屹立するレイドロウ。その姿は、ハードボイルドの理想像に近い。さらに「夜を深く葬れ」という翻訳版タイトル(原題は「Laidlaw」)は、硬質な叙情性ともいうべき陶酔感に浸れる本作を表現するに相応しい。

評価 ★★★★★

 

夜を深く葬れ (ハヤカワ・ミステリ 1338)

夜を深く葬れ (ハヤカワ・ミステリ 1338)

 

 

「パードレはそこにいる」サンドローネ・ネダツィエーリ

2014年発表、希少なイタリア・ミステリの翻訳だが、異国情緒的な味わいはなく、新たな支流ともなっているダークな犯罪小説の色合いが濃い。プロットや人物設定も凡そ時流に倣っており、新鮮味はさほどない。トラウマを抱えた主人公、場面転換の早いテンポ重視の構成、不可解な動機、猟奇的な連続殺人、形骸化した警察/検察機構との確執など、舞台をアメリカに移したとしても違和感はない。主要人物には極端な個性を与えており、キャラクターのユニークさで読ませるミステリともいえる。
本作は、ルメトール「アレックス」やオールスン「特捜部Q―檻の中の女―」などでも題材としていた〝監禁〟をプロットの核にしており、その人倫無視の凶悪性を〝探偵役〟となる男「ダンテ」自身に直結/具現化させている。少年時代に誘拐され、11年間にわたる監禁生活を送るとういう過去を持ち、脱走後は失踪人捜索専門のコンサルタントとして生計を立てる。その異常な設定が、良くも悪くも物語を動かしていく。

ローマで起きた児童失踪事件で警察から協力を求められたダンテは、その犯行現場で自らを誘拐した男「パードレ」の痕跡を視る。だが、「パードレ」と思しき人物は既に死んだものとされたいた。当然のこと心的外傷による妄想と周囲は受け止めるが、相棒となる女性捜査官コロンバと行動を共にする中で徐々に判明していく事実は、未だ正体不明の犯罪者「パードレ」へと導くものだった。

極度の閉所恐怖症となったダンテの描写は、いささかデフォルメ過剰な点があるのだが、過去の呪縛と真正面から向き合い、どう克服するか、というテーマも含めているのだろう。肝心の真相については、大風呂敷を広げ過ぎて、整理仕切れていないため不満が残る。下手な陰謀よりも人間の闇に焦点を当てた結末を期待していたためだろう。

評価 ★★☆

パードレはそこにいる (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

パードレはそこにいる (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

パードレはそこにいる (下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

パードレはそこにいる (下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「シカゴ探偵物語」マックス・アラン・コリンズ

長くて退屈という印象しかない。文章がさっぱり頭に入ってこない理由は、翻訳のためかもしれないと中途で気付く。映画作品のノベライズがより多く翻訳されているコリンズだが、本作を読む限り、残念ながらオリジナルには精彩がない。
舞台は禁酒法時代のシカゴ。アル・カポネやエリオット・ネス、フランクリン・ルーズベルトなど登場する人物は派手だが、一介の私立探偵が彼らと深い関係を持つという設定には無理がある。何より主人公ネイト・ヘラーに魅力が乏しく、ハードボイルドとしての味わいにも欠けている。史実と絡めるのであれば、思い切ったアレンジも加えてほしいところだが、終始ぼんやりと筋が流れ、意気込みだけが空回りしている。
私立探偵小説は、もっと引き締めてほしい。

評価 ★

 

シカゴ探偵物語―悪徳の街1933 (扶桑社ミステリー)

シカゴ探偵物語―悪徳の街1933 (扶桑社ミステリー)

 

 

「迷宮のチェスゲーム」アントニイ・プライス

1970年度CWAシルバー・ダガー受賞の「凡作」である。MWAも同様だが、賞に値すること自体が「謎」の作品は珍しくはない。諸種の文学賞と同じく、作品の出来よりも「業界」での影響力や貢献度、大衆的な認知度や発表時の社会的流行などを考慮したような受賞作も多い。無論、後日レビューするウィリアム・マッキルヴァニー「夜を深く葬れ」のような渋い名作もちゃんと選ばれているだけに一概にはいえないのが。

第二次世界大戦終結から24年後。英国内の或る湖底から英国空軍輸送機が発見された。白骨化した飛行士は、当時は英雄として扱われていたが、事態は急変する。墜落時に脱出した搭乗員らによれば、戦後は密輸に関わり、敗退ドイツの混乱に乗じて古代の財宝を盗み出していたらしい。さらに、執拗にその品を探すソ連の考古学者が英国政府に接触を図ってくる。不穏な空気が漂う中、国防省の諜報員オードリーが呼び出される。

本作はスパイ小説を謳ってはいるが、弛みきった筋運びには緊張感が無く、人物造形も極めて浅い。翻訳者があとがきでも触れているが、作者のインテリぶりが鼻につき、本文中にたいして必要のない註釈を大量に挿入し、ただでさえ悪いテンポを殺している。何に長けて、何の仕事をしているのかさっぱり分からない中年主人公には、冴えた推理や鋭い人間観察もない。また、駆け引きに通じている訳でもない。死んだ飛行士の娘が意味不明に接近してくれば、拒みもせずに色欲に溺れ、重要な現場まで連れ回していく。あのジェイムズ・ボンドさえ、もっと高いプロ意識を持っているだろう。
解明されていくスリルも、驚天動地の結末もなく、さして分量のないストーリーでさえ長いと感じさせる。こんな失敗作が英国内でドラマ化されるほど人気だったというのだから呆れるほかない。

評価 ☆

迷宮のチェスゲーム (扶桑社ミステリー)

迷宮のチェスゲーム (扶桑社ミステリー)

 

 

「ラスト・コヨーテ」マイクル・コナリー

ターニングポイントとなるハリー・ボッシュシリーズ第4弾。主人公はハリウッド署殺人課に所属する一刑事に過ぎないが、コナリーは群れること嫌う「一匹狼」的な存在として描いてきた。
本作は、第1作から伏線としてあったボッシュの母親の死の真相を追い求める物語で、これまで以上の私闘を繰り広げている。上司への暴力行為で休職処分となったことを機に、30年以上前の未解決事件を再捜査するのだが、埋もれた過去から浮かび上がってくる事実は、当然のこと痛みを伴う。娼婦であるがために引き離された息子と再び暮らすことを夢見ていた母親の思いを知るほどに、ボッシュは殺人者への憎しみを深める。
事件の性質上、全編がボッシュの単独捜査となり、より一層孤立感は深まっている。途上でボッシュの闇とも共鳴する女との情愛も挿入しているが、ロマンスの色合いは随分とくすんでいる。終盤において、愛する者の死さえも無常なる社会では泡沫にしか過ぎないことを、悔恨とともにあらためて悟るボッシュの姿が哀しい。

本筋とは直接関係ないが、ボッシュが野性のコヨーテと出会い、荒廃した自らの心象をダブらせるシーンは、静謐ながらも熱い心根を持つ孤独な男の心情を見事に表現している。恐らく生息地域による設定であろうが、強靱で孤高の力強さを想起させる狼ではなく、共通する部分はありながらも、より小型で寂寥感のあるコヨーテをモチーフにしたところに、コナリーのこだわりを感じる。
生存環境を奪われていくコヨーテ。闇に逃れつつも、蝕まれた世界を凝視する眼光。生き続けるための原動力となる餓えと渇き。そのイメージは、卑しい街で不条理な「死」と向き合い続けるしかない一人の男へと繋がっていくのである。

現代ハードボイルドの新たな地平を開くパイオニアとしてのマイクル・コナリーの存在意義は大きい。

評価 ★★★★

 

ラスト・コヨーテ〈上〉 (扶桑社ミステリー)

ラスト・コヨーテ〈上〉 (扶桑社ミステリー)

 

 

ラスト・コヨーテ〈下〉 (扶桑社ミステリー)

ラスト・コヨーテ〈下〉 (扶桑社ミステリー)

 

 

「混戦」ディック・フランシス

1970年発表の競馬シリーズ第9弾。フランシスの作品は骨格がほぼ共通しているため、肉付けするプロットの出来如何で面白さが大きく異なる。本作を一言で述べれば「薄い」。雇われパイロットを主人公に保険金詐欺の絡む事件をメインにしているのだが、終盤へと引っ張るエピソードが乏しいことに加え、姑息な悪事を働く悪玉が小粒なため、さっぱり盛り上がらない。シリーズの〝売り〟といってもいい主人公を痛めつけるサディスティックな展開も、己の甘さ/弱点を克服し窮地を乗り越えていく最大の見せ場も、お粗末なものだ。同じく〝B級〟とはいえ、筋立てが楽しい「重賞」(1975年)のような作品もあるため、この時フランシスは迷走していたのだろう。危機に陥った飛行機と管制塔とのやりとりで、いかにも「英国紳士」然とした冒険シーンもあるのだが、敵役のショボさのみが目立ち、全体的に味気ない作品になっている。生業は異なるとはいえ、イメージ的には画一的なシリーズの主人公たちを引き立てるのは、魅力的な悪役あってこそだと、あらためて感じた。

評価 ★

混戦

混戦

 

 

「デッド・ゾーン」スティーヴン・キング

キング1979年発表の初期作品。ホラーのテイストは薄く、特殊能力を持つが故に苦悩する孤独な男の半生をヒューマンタッチで描く。主要な登場人物の日常を細かく積み上げていく手法は相変わらずだが、本作ではややテンポを損ねているきらいもある。主人公が〝異能者〟となり人生が変わりゆくさまを丹念に追っていく長い長い第1部は、終盤の劇的な展開へと導くためには必要な分量だったのかもしれないが、構成の密度は弱まっていると感じた。

手を触れることで、相手が秘匿することを知り、未来を予知する。決して売名/野心を目的とせず、殺人事件を解決し、他人の生命に関わる事故を未然に防いだとしても、常人を超えた力に人々は畏怖し、敬遠していく。空想的なヒーローは漫画や映画の世界でこそ親しまれる。現実社会で隣に居座る〝超人〟はどこまでも不気味な化け物でしかない。そのペシミズムが全編に横溢し、報われることのない主人公を追い詰めていく。ラストに於いて、誰のためでもなく自分の信念で事を成し遂げた男の最期が哀しいカタルシスに満ちているのは、死こそが呪縛から解放されるための鍵であったことを無情にも示すからだ。

主人公のジョン・スミス(ミドルネームなし)という名には、「誰もがスミスに成り得る」という含みを持たせているのだろう。中盤までの暗鬱なエピソードの数々は、読者一人一人が己自身に置き換えて、自分であればどう乗り越えるかを迫る。もし、眼前の男に世界を滅ぼしかねない狂気を「視た」時に、人々を救うための行動を起こすか否か。スミスは自らの余命を知り得たが故に、己が「正義」と信じる結論を導き出すが、果たして「キミならどうする」とキングは問い掛ける。
結末において、損傷した脳が異常な力を発揮した要因を強引ながらも〝科学的〟に解明してみせるのだが、キングは本作で〝非科学的〟〝神的〟なものを極力排除しようとした跡がある。その象徴/対照となるのは、本作唯一のホラーパートともいえる邪教に溺れ精神が崩壊していくスミスの母親にまつわる挿話である。
人間を「超えてしまう」ことの怖さ、その能力を持つ者への偏見などのテーマを、キングは次作の「ファイアスターター」でさらに掘り下げる。

ちなみに、クリストファー・ウォーケン主演の映画化作品は、枝葉を刈り取ったストレートな構成と、主人公の凍てついた心象の映像表現が鮮やかで、記憶に残る秀作だった。

評価 ★★★

 

デッド・ゾーン〈上〉 (新潮文庫)

デッド・ゾーン〈上〉 (新潮文庫)

 

 

デッド・ゾーン〈下〉 (新潮文庫)

デッド・ゾーン〈下〉 (新潮文庫)

 

 

 

 

「デス・コレクターズ」ジャック・カーリイ

モビール市警カーソン・ライダー刑事シリーズ第2弾。デビュー作「百番目の男」での〝変態的〟な真相が大いに受けて話題となったが、カーリイの真価が問われた本作も、ミステリファンには概ね好評だったようだ。だが、筋の面白さで読者をぐいぐいと引っ張っていった前作に比べ、全体としてそつなくまとまっており、やや物足りなさも感じた。殺人者に関わる凶器や所有物を収集するキワモノたち、所謂デス・コレクターを題材として扱っているのだが、彼らの異質ぶりや狂気を、アイロニカルにオブラートに包んで描写しているため、単なる俗物としての印象しか残らない。カーリイは単に素材として使っただけだろうが、偏執狂的な収集家らの異常な世界をより掘り下げれば、さらに厚みは増していただろう。また、プロットの核となるサイコキラーが遺した「病的な絵画」を巡るやりとりにおいて、肝心の絵の〝凄まじさ〟が文章を通して伝わってこないのも、本作に対する吸引力を弱めた。

本シリーズの最大の〝キモ〟は、要所要所で登場する主人公の実兄にして連続殺人者ジェレミーの存在なのだが、サイコキラーの〝定型〟から外れることがないとはいえ、やはり情景を引き締める効果を持っている。トマス・ハリスが「羊たちの沈黙」で創造したハンニバル・レクターの役割を近親者に移し替えたカーリイのアイデアが光っており、同系ミステリの換骨奪胎で成功した稀なケースだろう。

余談だが、翻訳では第1作目から一人称に「僕」を当てているのだが、未成年ならともかく、大人の刑事に相応しいとはいえない。本シリーズに限らず、〝未熟〟〝弱さ〟のイメージを植え付ける「僕」を使った翻訳物は、個人的には敬遠している。

評価 ★★★

 

デス・コレクターズ (文春文庫)

デス・コレクターズ (文春文庫)

 

 

「大洞窟」クリストファー・ハイド

淀みなくストレート。冒険小説の神髄をみせる一気読みの傑作。派手な活劇を排し、培われた経験と研ぎ澄まされた直感、結実する智恵の連鎖によって、数多の窮地を脱し、ひたすらに生還を目指す者たちの冒険行を活写する。ハイド1986年発表。今だに冒険小説ファンに読み継がれている名作でもある。

ユーゴスラヴィア・カルスト台地の大洞窟。遥か4万年前に描かれたネアンデルタール人の壁画発見により、国際調査団が派遣される。だが調査中に発生した地震のために洞窟が倒壊し、著名な考古学者や助手らが閉じ込められる。漆黒の闇の中、微かな灯火を頼りに地底から抜け出す穴を探り、肉体を極限まで酷使するケイビングで活路を開く。揺らぐ理性と野性の狭間、眼前を力強く照らす根源的生存本能の命ずるまま、歩み続け、光を求め続ける。
物語には、隠された陰謀も邪悪な裏切りも強大な敵も存在しない。地獄巡りの先に待ち受けるものとは、土砂流、水没洞、大瀑布、毒虫など、未曽有の恐怖と行く手を阻む障壁のみ。閉所と闇、欠乏と餓えに挫かれていく希望。極限的状況下で脱落する者、狂気へと墜ちゆく者。次々と人命が奪われていく中で、いつ果てるともしれない死闘を繰り広げる。

未知の世界が拡がる大洞窟で展開する究極のサバイバルが本作最大の魅力だが、予測不能の困難に協力して立ち向かう人間ドラマとしても充分読み応えがある。中でも、ストーリーが進むにつれて中心人物として一行を率いることとなる日本人の地質学者・原田以蔵の造形が素晴らしく、ハンス=オットー・マイスナーの傑作「アラスカ戦線」に登場した軍人・日高を彷彿とさせる。日本人に対するエスプリ的な理想化がやや過剰な面もあるが、時に太古の人間と呼応し死地を脱するエピソードは本作に深みと安らぎをもたらし、中盤からの主軸として動いていく。

終盤に向かうほど息苦しさは増す。そして、全てを越えた先で僅かな生存者と共に味わう光の美しさ。恐らくハイドはこのクライマックス・シーンを描きたいがために本作を著したのではないだろうか。

評価 ★★★★★

 

大洞窟 (文春文庫)

大洞窟 (文春文庫)

 

 

「皇帝のかぎ煙草入れ」ジョン・ディクスン・カー

「アリバイ崩し」の傑作として名高い本作だが、精緻なトリックよりも、男女の愛憎や金銭でのいがみ合いなど、人間の泥臭く生々しい修羅場を盛り込んだ〝ドラマ〟仕立てのストーリー自体が面白い。部外者であるはずの探偵自らも邪心を起こし、事件関係者らのもつれた痴情に加わってしまうという「厳格な本格」を〝脱線〟したラストには、謎解きのスリルのみならず、娯楽性の高い筋書きを重要視したカーのユーモア感覚/異才ぶりが表れている。
勘の良い読者なら、序盤の流れで犯人の目星は凡そつくだろうが、幾重にも捻りを加えたプロットは、読者の甘っちょろい推理を引っ掻き回す。綿密に練り上げたはずの殺人計画は、実行犯さえも意図せぬ事態によって、さらに捩れ、迷宮へと嵌まり込んでいく。雑多な下働きの登場人物であろうとも、しっかりと本筋に絡める仕掛けの見事さは、やはり巨匠だけのことはある。
1942年発表でありながら、科学的捜査は別として些かも古びていないのは、機械的な推理物では飽き足りなかったカーの小説家としてのプロ意識が成せた技だろう。

評価 ★★★★

 

皇帝のかぎ煙草入れ【新訳版】 (創元推理文庫)

皇帝のかぎ煙草入れ【新訳版】 (創元推理文庫)

 

 

「モルグの女」ジョナサン・ラティマー

酔いどれ探偵ビル・クレインをはじめ、一癖も二癖もある登場人物たちの破天荒ぶりが楽しい1936年発表作。ハードボイルドの要素は薄く、スラップスティックすれすれの展開だが、不可解な謎の提示などミステリの仕立てはしっかりとしている。テンポの良い会話、情景ごとの印象的なエピソード、大団円に向けての盛り上げ方など、映画脚本家としても活躍しただけあってラティマー流石の筆致である。

真夜中のモルグから身元不明の女の死体が盗まれる。抵抗したらしいモルグの番人も殺された。依頼を受けた私立探偵のクレインが、失踪した娘の身元確認のために訪れた直後のことだった。クレインは自身の嫌疑を晴らすが、対立する大物ギャングのボスらが「俺の女をどこに隠した」とクレインを追い掛け始める。消えた女の死体を探すために探偵社からクレインの仲間が駆け付けるが、酔っ払う機会は更に増え、女の正体は二転三転し、事態は益々混乱を極めていく。

雑多な風俗が入り乱れるアメリカ1930年代のムードが書き込まれ、舞台となるシカゴの街も明るい色調で描かれている。様々に様相を変えた正体不明のモルグの女を巡る謎は、クレインがラストできっちりと解き明かす。オフビートでありながらも、ミステリの定石を踏まえた職人技が冴える。

評価 ★★★★

 

モルグの女 (1962年) (世界ミステリシリーズ)

モルグの女 (1962年) (世界ミステリシリーズ)

 

 

「魚が腐る時」マシュー・ヒールド・クーパー

所謂「ケンブリッジ・ファイブ」を題材にした1983年発表作。

舞台は1951年、ソ連の二重スパイから英国内要職に12人の工作員が潜入していることを掴んだ外務省次官ストラングとSIS長官メンジーズは、公けに暴露されて失墜することを恐れ、或る秘策を練る。同時期に反政府ポーランド人グループから「カティン虐殺」がソ連軍によるものという証拠がもたられていた。第二次大戦中、カティンの森で1万5千人にものぼるポーランド人将兵らの死体が埋められているのが発見されたが、ソ連は関与を否定し、ナチス・ドイツに責任転嫁していた。折しもポーランド情勢は不安定で、この事実が明らかとなれば、これを機に衛星国から脱する可能性があった。ストラングらは自国政府には隠密でソ連と直接裏取引を試みる。虐殺の公表を控える代わりに、ソ連スパイの存在もなかったことにしろという脅しである。独裁者スターリンは怒り狂い、強引な後処理を秘密警察長官べリアらに命ずるが、敵対する陸軍情報部のオルロフが交渉の窓口として選任された。一方、ストラングの私設秘書で正義感の強いペラムは、カティン虐殺の事実を知り単独行動に出る。ペラムの動きは取引の破綻を招くため、メンジーズはソ連側に「処理」を依頼。だが、その時オルロフは意外な動機でペラムに接触していた。

長々と前半までの大筋を綴ったが、アメリカで不遇の扱いを受けていたCIAの思惑も絡み、事態は不穏な空気の只中で動いていく。終盤にはペラムとオルロフによる逃避行が描かれているのだが、堕落した権力者の腐り切った保身の足元で崩壊していく人間らの脆さと虚しさを無常な世界観の中で描いている。特筆すべきは、スターリンの狂気を描いたシーンで、凄まじいまでのリアリティで迫ってくる。

評価 ★★★

 

 

魚が腐る時 (サンケイ文庫―海外ノベルス・シリーズ)

魚が腐る時 (サンケイ文庫―海外ノベルス・シリーズ)

 

 

「サンドラー迷路」ノエル・ハインド

1977年発表のスパイスリラーの秀作。二重三重に仕掛けられた謎、緻密な伏線、終盤で畳み掛ける種明かし、苦い結末など、捻りの利いた構成で唸らせる。ハインド32歳での執筆と知って驚くが、多くの登場人物や複雑なプロットの展開がやや整理しきれていない点はあるものの力技で読ませる。

題材となるのは紙幣偽造によって敵国の経済混乱を目論んだナチスの「ベルンハルト作戦」だが、本作では偽札造りの「名人」が連合国と枢軸国両方で暗躍していたという設定。大富豪でもあったその男サンドラ―の娘として遺産継承者を名乗り出たレスリーが、同家の弁護士だった父親を持つ主人公ダニエルズを訪ねるところから物語は始まる。二重スパイでもあったサンドラ―は戦後に米国内で殺害されていた。だが女は、父親は今も生きていると告げ、その正体を隠すために妻と娘を殺そうとしたのだという。ダニエルズは調査を開始したが、やがてレスリーという人物も既に死んでいることを知る。背後に見え隠れするのは、サンドラ―を巡る大国間の陰謀であり、ダニエルズ自身にも関わる闇の歴史だった。そして屈折した過去へと遡る巨大な迷宮の入り口が開く。

登場する人物のほぼ全てが、狙いを明かさず正体を隠したまま行動するため、読み手は混乱するのだが、ミステリならではの謎解きの醍醐味は存分に味わえる。

評価 ★★★★

 

サンドラー迷路 (文春文庫 (275‐16))

サンドラー迷路 (文春文庫 (275‐16))