海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ロセンデール家の嵐」バーナード・コーンウェル

伝統の英国冒険小説の底力に平伏すコーンウェル1994年発表作で、没落した貴族の末裔である主人公の挫折と再生をドラマチックに謳い上げた傑作。

俗世間との関わりを厭忌し、洋上の漂泊者となっていたジョン・ロセンデールが4年振りに帰郷する。久しぶりの再会であるにも関わらず、母親は不信の眼差しで息子を罵倒、病に冒されたまま間もなく死ぬ。ジョンが憎しみの蔓延する家を捨て、海原へと逃走した理由とは、落ちぶれた旧家を救うはずだった母方の遺産が盗まれ、現場の状況から容疑者として一度は疑われたからだった。冷え切った関係となっていたジョンの双子で妹のエリザベスは不穏な動きを見せ、異常なまでに敵対視してきた。さらに富豪の美術品蒐集家の代理人や暴力を厭わない別の一派が、失われた宝を手にしようと謀を巡らせて接近してくる。ジョンは、障害者として冷遇されていた下の妹ジョージーナの身を案じ、ロセンデール家の嵐のただ中へと舞い戻る。探し求めるものとは、400万ポンドの価値を持つゴッホ初期の絵画「ひまわり」。その足となるのは美しい帆船「サンフラワー号」だった。

失われた絵画を巡る骨肉の争い、洋上での自然の猛威との闘い、狡猾な敵対者との対決、そして刹那的で甘美な恋愛などを通して、一人の男が再び自信と誇りを取り戻すまでを丹念に描いている。特に中盤に於いて、己の不甲斐なさ故に愛する女と船を傷付けられた男が、絶望の中で静かに復讐の炎を燃やしていく過程がひたすらに熱く、物語はクライマックスへ向けて一気に疾走する。主人公の心の揺らぎ、物語の起伏に応じて、大海の波浪が時に激しく時に穏やかに呼応する情景描写も熟練した作家ならではの筆致だ。

評価 ★★★★★

 

ロセンデール家の嵐 (ハヤカワ文庫NV)

ロセンデール家の嵐 (ハヤカワ文庫NV)

 

 

「エリー・クラインの収穫」ミッチェル・スミス

謳い文句は「五感を刺激する」。翻訳された当時は、微に入り細に入り描写するスタイルが度肝を抜くという批評が並んでいた。物語自体はシンプルな警察小説で、ニューヨーク市警の「遊軍部隊」所属の女性刑事エリー・クラインを主人公とし、連続殺人事件の捜査を通して成長する過程をじっくりと描く。冴えない三流刑事をはじめとする登場人物らの造形は深く、雑多な人間関係を通して女刑事の孤独と焦燥が浮かび上がる構成となっている。特に通勤電車の中で相棒の死を悼み、街の情景と重ね合わせながらクラインの心情を綴るシーンは印象に残る。細々とした日常の積み重ねは、この場面への布石であったかのようだ。
1987年発表作で、刑務所を舞台とする次作「ストーン・シティ」はさらに話題となった。

評価 ★★★

 

エリー・クラインの収穫 (新潮文庫)

エリー・クラインの収穫 (新潮文庫)

 

 

「QD弾頭を回収せよ」クライヴ・カッスラー

大胆な着想で話題となった「タイタニックを引き揚げろ(1976) 」で人気に火がついたカッスラーが、その勢いのままに発表したダーク・ピットシリーズ第4弾。活劇を主体とするヒーロー小説で、リアリズムよりもスピード感に満ちたエンターテインメント性を重視する。頭脳明晰で強靱な肉体/精神力を持つ主人公が、仕組まれた謀略の謎を解き明かし、数多の試練を乗り越えて、時に国家存亡の危機を救うという一連の筋立ては、いかにも米国人好みで、幾つもの山場を用意した映画的な構成も極めて派手だ。要は、英国情報部員ジェイムズ・ボンドを、米国の特殊機関NUMA(国立海中海洋機関)」所属のダーク・ピットに置き換えたというところか。

本作は、過去に米軍が極秘裏に進めていた生物兵器実験が輸送機墜落により頓挫、その弾頭が南アフリカの反政府組織壊滅のために盗まれ、偽装工作として米国本土が砲撃される事態に陥るというもの。クライマックスでは、戦艦アイオワの船上で怒濤の戦闘シーンが展開するのだが、その中心にいるのは、当然不死身のヒーローである。

評価 ★★★

 

QD弾頭を回収せよ (新潮文庫)

QD弾頭を回収せよ (新潮文庫)

 

 

「かわいい女」レイモンド・チャンドラー

本が売れない時代に多少なりともネームバリューがある作家の力を借りて売り出すという意図は理解できる。だが、長年ファンに親しまれたタイトルを排して「水底の女」などという思わず虚脱してしまう邦題を付けるセンスには辟易する。「長いお別れ」を「ロング・グッドバイ」という捻りの無いカタカナ表記にし、「さらば愛しき女よ」を「さよなら、愛しい人」と変えてハードボイルドの硬派なニュアンスを殺す。この統一感無きふやけた一連の改題に、新訳を担当した〝文学者〟がどれだけ関わっているかは不明だが、「僕の愛するチャンドラー」を全面に押し付けけてくる〝村上春樹〟というブランドの驕りが表出しており不快だ。いくら原文に忠実であろうとも、翻訳者の柔な顔が見え隠れする文章を、我慢して読み進めることなど到底出来ないため、今後も硬質で上質な清水俊二らの「旧訳」を堪能するしかない。
のっけから私的な愚痴を並べてしまったが、現在の出版界で海外の名作/古典を新装版/新訳として「新しく」売り出す量が以前と比べて特に目立つのは、読書という娯楽が既に一部の「マニア」向けでしかないことの証左なのだろう。小説の新作はベストセラー入りしなければ読まれない。映画やテレビドラマの原作でなければ見向きもされず、そもそも例え読まれたとしても、後が続かない。ハードボイルド小説の立役者であるチャンドラーの諸作が、この国では著名な〝村上春樹〟が関わることで新規読者を獲得すること自体は喜ばしいことだが、他の秀れた作家/作品に繋がることのない一過性のイベントとして終息するのが落ちだろう。村上の推薦する海外作家を読んでさえすれば、いっぱしの〝通になれる〟という極めて狭く貧弱な読書体験にどれほどの価値があるというのか。こなれていない旧訳を現代語に直し、スマートな改訳を施すことは歓迎するが、ことチャンドラーの作品に関しては、上記の如き思いが強い。

 本作は村上版でいえば「リトル・シスター」となる1949年発表の長編第5作「かわいい女」。ファンの間でも最も人気のない作品だが、チャンドラー自身が気に入っていないことも要因の一つなのだろう。割と知られていることだが、最大の欠点は、読み進めていく中で明らかとなる構成上の破綻にある。依頼者とのやりとりの中で、その後の展開に繋がる重要なシーンが欠落しており、完全な推敲が為されていない作品となっている。要は不完全なままに上梓された作品なのだが、そこは腐ってもチャンドラーで、物語の流れを気にしなければ結構楽しめるというのも、やはりハードボイルド小説ならではの人物設定や芳醇な味わいの情景描写などに惹かれてしまうからだろう。
いわば、本作にはチャンドラーの長所と短所がはっきりと表れているため、その特質を掴みやすい。
ハリウッドの脚本家としては大成せず、恐らくはこの時期スランプに陥っていたチャンドラーがマーロウの台詞を通して自己憐憫ともとれる嘆きを物語後半で吐いているのも興味深い。

評価 ★★☆

 

かわいい女 (創元推理文庫 131-2)

かわいい女 (創元推理文庫 131-2)

 

 

「殺しのデュエット」エリオット・ウエスト

私立探偵ジム・ブレイニーを主人公とする唯一の長編。1976年発表で、時代背景は決して古くはないのだが、ノスタルジックな読後感があるのは、人物設定や一人称の語り口が所謂「正統派ハードボイルド」の形式に沿っている所為だろう。といっても、物語の展開は極めてハードで、従来のハードボイルドのスタイルから離れたシニカル且つシリアスな構成をとっている。

夜の街中で銃撃戦に巻き込まれたブレイニーは図らずも麻薬の売人を射殺、一躍名を上げたことによって、人殺しを厭わない〝タフな探偵〟を所望する依頼人から大仕事が舞い込む。別れた妻が持ち逃げした百万ドル相当の宝石を奪還してほしいという単純なケースだったが、当然大きな障害があった。女の潜伏先はギャング組織の親玉の家で、相応の危険を覚悟した上での潜入となった。嫌な予感がしながらも、ブレイニーは15万ドルという巨額の報酬に魅せられる。50歳目前の中年期に入り、重くのしかかる将来への不安。離婚した妻が引き取った娘は多感な時期にあって麻薬の絡む問題を抱え、自らは若い女性秘書と愛人関係にあり罪の意識が消えない。この案件を片付けることができれば、これまでの人生の清算を図ることが出来、また転機ともなり得た。ブレイニーは決断し、行動を開始するが、既に歯車は狂い始めていた。

翻訳文庫版帯に「男であることの誇りと悲哀」とある。現代社会でこんな台詞を吐けば失笑されるのが落ちだが、ハードボイルド小説に限っていえば、このキャッチコピーは本質を突いている。時に虚勢を張ってでも己を律し、あるべき男の矜持を行動を通して示す。良くいえばストイシズム、悪くいえばやせ我慢。着古した「男であることの誇り」を胸に、ここぞというところでは敢然と立ち上がり、闘いの場へと赴く。だが、チャンドラーの時代と違うのは、その「誇り」こそが障害となり、物事の結果を左右することがあり得るということだ。今もハードボイルドの姿勢を貫くことが決して甘美な終幕に至るものではないことをを、本作は真っ正面から描き出している。

直球勝負と思わせつつツイストを利かせたプロット、凛としながらも緊張感に満ちた文体、生々しい情動の交差の果てに終局において修羅場と化す愛憎と喪失。本作の主人公はタフであろうとするが故に、全てを失うこととなるのだが、その皮肉な結末には、新たなハードボイルド小説の地平を切り拓こうとしたウエストの意欲が表れているようだ。

評価 ★★★★

 

殺しのデュエット (河出文庫)

殺しのデュエット (河出文庫)

 

 

「地を穿つ魔」ブライアン・ラムレイ

天才エドガー・アラン・ポーとは異なる次元で、幻想文学の礎を築いた奇才H・P・ラヴクラフト。稀有なその創造力が生み出した虚構の体系「クトゥルフ神話」(クトゥルー)の世界観は、独自の魅力に満ち、「素材」としての汎用性も高いため、優劣に関わらず今現在も数多の模倣者を生んでいる。
一時期から日本でも「伝奇ホラー」という名称で浸透しマニアックな読者を掴んでいるのだが、その大半は粗悪な模造に過ぎず、未知のモノに対する人間の根源的恐怖を描く幻想文学の神髄からは随分と掛け離れた作品も多い。単なる妖怪退治と同様の漫画的ヒーロー小説が、「原点」となるラヴクラフトの世界に通じているとはいえないが、異形の文学に惚れ込んだオーガスト・ダーレスらの助力によって、曲がりなりにも数多の現代作家へと継承され、「原典」へと遡る機会を与えていることは間違いない。

「地を穿つ魔」は、経歴的にも本流に近いとされている英国の小説家ブライアン・ラムレイが、1975年にスタートした「タイタス・クロウ・サーガ」の第1弾。主人公を邪神と対決する霊能力者として設定し、一種の英雄談ともなっているようだが、本作を読む限りでは中途半端な印象だ。軸は当然ながら「クトゥルフ神話」に基づくもので、復活の兆しを見せる邪神らが西欧の地中深くから姿を現すのだが、手記などの伝聞を主体とする構成により緊張感と迫力に欠ける。
恐らくまだ序章に過ぎないのだろうが、主人公らが事情に通じているらしい素振りは見せるものの、その「特殊能力」を使って闘うことはなく、征伐隊として立ち上がった何らかの組織がどこか遠くで戦闘を繰り広げているといった展開が続き、肝心のタイタス・クロウの存在意義がさっぱり伝わってこない。さらに、実体化した「邪神」らと人間が闘うという設定そのものに無理があると述べれば元も子もないのだが、「創世記」に誕生した化身らは、いとも簡単に生身の人間によって打ち砕かれていくのである。一端は闇の中へと放り込まれたという「邪神」らは、いったい地上で何をしたかったのだろうか。

下手にリアリティを出そうとするよりも、極端に劇画調で創り上げた方が断然面白い物語になるだろう。娯楽小説に徹し「クトゥルフ神話」を積極的に組み込んでいる F・ポール・ウィルスンはその好例であり、エッセンスを生かし切っている。

評価 ★★

 

 

「ジェゼベルの死」クリスチアナ・ブランド

1948年発表、ミステリ黄金期の傑作として評価されているブランドの代表作。終盤に至り、何度も〝事の真相〟をひっくり返して読者を撹乱する「本格物」ならではの〝遊び〟が大いに受けたのだろう。確かに、畳み掛けるような謎解きのスリルは味わえるものの、これも英国人作家の伝統なのか序盤から中盤までの展開がひたすらにもたつく。人間消失を扱うトリックは大胆だが、残虐な印象。探偵役をはじめ、どこまでも俗物的な登場人物らや、薄寒さを感じる真犯人の動機の描き方も、女流作家ならでは。ただ、こなれていない翻訳文のためか、殺人の舞台設定/情況が今ひとつ判りにくい。

評価 ★★★

 

ジェゼベルの死 (ハヤカワ・ミステリ文庫 57-2)

ジェゼベルの死 (ハヤカワ・ミステリ文庫 57-2)

 

 

「コンドルの六日間」ジェイムズ・グレイディ

CIA内幕を題材とするシリアスなスパイ映画として評価の高いロバート・レッドフォード主演「コンドル」の原作で1974年発表。主人公の名をはじめ、中盤以降の展開や最終的に暴かれる真相が異なるのだが、末端の諜報員が巻き込まれる謀略の顛末をドライに描き出している点で両作のイメージにずれは無い。

世界各国の出版物を分析し情報を抽出するCIA下部組織/外郭団体を武装した数人が襲撃、建物内の職員らを惨殺する。一時の外出で難を逃れた男マルカム(コードネーム「コンドル」)は、即刻CIA本部へと保護を求める。だが、その接触の場に待ち受けていたのは生き残りを葬るための騙し討ちだった。またも間一髪で死を免れたコンドルはそのまま潜伏し、前線のスパイ活動とは無縁な瑣末組織の壊滅を謀ったCIAの目論見を探る。やがて、同僚らが殺される直前の行動を調べ直したコンドルは、一職員がもたらした些細な報告が、CIA内部に巣食う背信者らを暴き出す鍵となっていることを突き止め、無謀で孤独な闘いへと身を投じていく。
主人公マルカムは序盤こそ冴えないが、決着までの6日間を通して、暴力さえいとわないタフな男として変貌、仕組まれた罠をすり抜けて反撃を加え、罪無きままに殺されていった者たちの遺恨を晴らす。

現実の諜報戦が決して清廉潔白ではなく、敢えて人倫に背くことによって目的を果たしてきたことは、史実の数々によって裏付けられている。超大国が覇権争いを繰り広げていた冷戦期、政府の中枢に陣取って大きな顔をしていた諜報機関の暗躍により引き起こされた紛争も少なくない。「陰謀の権化」は旧ソ連KGBの専売特許ではない。米国・CIAや英国・SISが「正義/自由」の側として振りかざす大義名分の裏に、排他的な偽善/独善があることは自明である。そして、時の権力者らの手先となって謀略に明け暮れた末に、肥大化した巨大組織は傲慢となるが故に必然的に内側から腐る。グレイディの着眼もそこにある。本作は、CIA自体を告発するものではないが、私利私欲に走る者どもによって国家組織が私物化され、共倒れしかねない実態を暴いている。 

評価 ★★★

 

コンドルの六日間 (1975年)

コンドルの六日間 (1975年)

 

 

「エヴァ・ライカーの記憶」ドナルド・A・スタンウッド

1912年処女航海の途上で沈没した豪華客船「タイタニック号」を題材に、半世紀にわたる連続殺人事件の謎を解き明かす壮大なミステリ。練り上げられた緻密なプロット、巧みな人物造形、臨場感溢れる情景描写など、重厚な読み応えに唸る傑作だ。

1941年、ハワイに滞在していた夫婦が不可解な情況下で惨殺された。二人はタイタニック号からの生還者だったという。警官ノーマン・ホールは死体発見時に恐怖にかられて職務放棄、事件は未解決のままとなった。その20年後、作家へと転身し名を馳せていたホールのもとに、米国の富豪ウィリアム・ライカーから突然の依頼が来る。進行中だったタイタニック号引き上げ計画についてのルポを書いて欲しいというものだった。沈んだ船にはライカーの妻子、秘書らが乗り、娘のエヴァだけが奇跡的に救い出されていた。過去の失態も含めて、奇妙な因縁を感じたホールは、史上最大の海難事故の実像に迫るが、それは同時に歴史の闇に隠された瞠目すべき犯罪の痕跡も炙り出していくこととなる。

「事件」「解明」と題した二部構成の中で、様々なエピソードを絡めつつ高まっていくサスペンスは実に見事で、その勢いは途切れることなく終盤の山場まで進んでいく。特に、その後の「運命」を知らないままに、タイタニック号の船上で繰り広げられる緊迫感に満ちた犯罪劇と、氷山に衝突した豪華客船内が一瞬にして地獄絵図へと変転する様は、異様なまでのリアリティで迫り、物語の白眉となるシーンだ。タイタニック号の悲劇的な最期を、どこまでも映像的/劇的に描写したスタンウッドの筆力には驚嘆せざるを得ない。
さらに本作は、極めて異常な犯罪者らが登場し、主人公が真相を探る過程で明らかとなっていくのだが、その狡猾で惨忍な人格は強烈なインパクトを与えてくる。

完成までに8年をかけたというスタンウッド28歳の作。その後上梓した作品は評判とならず、消えてしまった作家の一人なのだが、この渾身の一作でミステリ史上に名を留めることは間違いない。

評価 ★★★★★

 

エヴァ・ライカーの記憶 (創元推理文庫)

エヴァ・ライカーの記憶 (創元推理文庫)

 

 

「死刑台のエレベーター」ノエル・カレフ

ノエル・カレフ1956年発表の小説で、翌年撮影されたルイ・マル監督の映画化によって、世界的な知名度を誇るミステリ。身も蓋もない話だが、個人的には両作含めて「死刑台のエレベーター」に関しては、映画音楽としては革新的ともいえる即興演奏によって、作品の価値をさらに高めたマイルス・デイヴィスの芸術に尽きる。当時モダン・ジャズに於いて既に頂点を極めていたマイルスだが、その前衛的でアンニュイなトランペットの響きは、人間心理の闇を照射するモノトーンの映像と融合し、虚無的なフィルム・ノワールの世界へと見事に結実していた。
カレフの原作は心理的な側面よりも、偶発的な不条理を核にしたもので、完全犯罪を為した男が予測外の側面から転落していくさまをドライなタッチで表現している。経営者である主人公の男は同じビルに事務所を構える金貸し屋を殺し、返すあての無い借金の証拠を消し去る。だが、完璧なアリバイ工作を施した殺人計画は、時を同じくして動き出した見知らぬ若者らによって打ち砕かれ破綻していく。物語は、序盤と終盤でしか交差しない二つのエピソードを並行して描くのだが、最期まで互いを知らないままに両者とも同等の地獄へと墜ちていくというアイロニカルな結末によって、ありふれた勧善懲悪に終わらないフランス・ミステリの独創性を強烈に印象付ける。
余談だが、罪を犯すもう一人の人物が「実存主義者」と称されているのだが、ジャン=ポール・サルトルが提唱した実存主義とは全く相容れないものであることを付け加えておきたい。

評価 ★★★

 

死刑台のエレベーター【新版】 (創元推理文庫)

死刑台のエレベーター【新版】 (創元推理文庫)

 

 

「窓際のスパイ」ミック・ヘロン

落ちこぼれの個人やグループが千載一遇のチャンスを機に奮闘、大逆転劇を演じて栄光を勝ち取るという設定は、娯楽映画/小説では常套のため、よほどの新機軸を盛り込まないと「またか」という印象になりかねない。本作は〝泥沼の家〟と揶揄されている英国諜報機関の吹きだまりでくすぶるスパイらの物語。スパイスにユーモアを振りかけることで、ひと味違う仕上がりにはしているが、手掛ける事件そのものが組織内部の汚職という地味なもので、展開も抱腹絶倒とはいかないところが物足りない。主人公の薄い存在感と、アクの強いメンバーの描き分けが中途半端で、多数登場する割りには、個性が際立っていない。
ただ、誰にも増して冴えないリーダー格の男が、ここぞという時に男気を発揮するという展開はベタではあるが巧い。落ちぶれた背景がぼかしてあるのは、シリーズを通して明らかにするつもりなのだろう。
上層のエリートらの薄汚れた功名心が組織を危機に陥らせ、それを下層の爪弾き者らが救うというテーマをどこまで掘り下げることができるか。次作に期待だ。

評価 ★★★

 

窓際のスパイ (ハヤカワ文庫NV)

窓際のスパイ (ハヤカワ文庫NV)

 

 

「カメレオン」ウィリアム・ディール

石油利権を巡る巨大多国籍企業の謀略と、その転覆を謀るために暗躍する正体不明の男〝カメレオン〟の対決を主軸とした1984年発表のスリラー。日本を主な舞台とした異色作であり、トレヴェニアン「シブミ」(1979)の影響が色濃い。ただ、外国人作家が陥りやすい〝誤解/曲解〟が多く、武道や禅の精神性、〝東洋の神秘〟的な風俗の描き方に過剰な面がある。あとに重厚な世界観に圧倒される傑作「27」を上梓するディールだが、本作の構成はやや粗く、中盤までは主要人物を絞り込みにくい。
冒頭では、世界各地で石油関連企業の関係者らが不可解な死を遂げていくのだが、彼らの生い立ちなり取り巻く情況をたっぷりと挿入した上で、突然物語から退場させるため、大方の読者は戸惑うだろう。提供する情報の多くが、後に繋がる伏線とはならないことが構成に乱れを生じさせている。だが、それらの枝葉が不用というのではなく、散りばめられたエピソードこそが面白いのが曲者ディールの特徴なため、厄介だ。しかも、全体の対立構造が明確になるのは終盤近く。それまでは、米国人作家によるエキゾティシズムたっぷりのニッポンで展開する暗殺者らの狂宴を楽しむしかない。

評価 ★★★

 

カメレオン (海外ベストセラー・シリーズ)

カメレオン (海外ベストセラー・シリーズ)

 

 

 

「流刑地サートからの脱出」リチャード・ハーレイ

監獄と化した絶海の孤島を舞台とする異色の冒険小説で1987年発表作。ハーレイの翻訳は、現在のところ本作のみのようだが、筆力があり一気に読ませる秀作だ。

同様の設定で連想させるのは、実話を基にしたクリント・イーストウッド主演の映画「アルカトラズからの脱出」(原作はクラーク・ハワード)だが、島全体が監獄となった「流刑地サート」には、看守などの役人は一人も常駐していない。衛星カメラによる監視システムと海岸周辺に張り巡らされたレーダー探知によって、囚人の行動は終始モニターされ、下手な動きは死に直結した。つまり、脱出は100%有り得なかったのだが、それ以上に大きな障害として立ちはだかるのは島の住民自身だった。極刑同然の島流しを喰らった男らは、更生不能の凶悪犯ばかりであり、限られた物資と食料を巡り、生存のための闘いを日々繰り広げていた。法による秩序は望めず、弱い者は淘汰されていく。送り込まれた囚人の大半が、死刑の方がまだ慈悲深いと思い知るような最期を迎えることとなるのである。

主人公ラウトリッジは、身に覚えのない殺人事件で有罪となり、英国本土で眠らされた状態で流刑地へと移送される。目覚めた先は〝ヴィレッジ〟と呼ばれる砦の中。島の囚人は大きく3集団に分かれて対立していたが、唯一〝ヴィレッジ〟のみが規律ある共同体として、政府が定期的に投下する物資を独占していた。リーダー格として君臨する男〝ファーザー〟の命により、新入りは「砦の外で一定期間生き延びる」ことを仲間に加えるための条件としていた。〝ヴィレッジ〟の外では己の知恵と力のみに頼らねばならない。更に深刻なのは、凶暴な犯罪者らがうろつく無法地帯に放り出されるということだった。ラウトリッジは生きて再び〝ヴィレッジ〟へと戻る覚悟を決めるが、早速新顔に感づいた一味が襲撃を加えてくる。

本作の読みどころは、後半の山場となる脱出劇よりも、生き残りを懸けた中盤までの〝デスマッチ〟にある。不毛の地で餓えを凌ぎつつ、さらに凶暴化した犯罪者らと繰り広げる死闘。一瞬の気の緩み/判断の誤りが死を招くことになるため、逃げ場無きサバイバルは当然のこと凄まじい緊張感を伴う。
平凡な人間に過ぎなかった男が、絶え間ない闘争を通して成長するさまも読みどころの一つだ。男しか登場しないため、アブノーマルな一面も描いてはいるのだが、ハーレイはあくまでも異常な世界での冒険行にウエイトを置いている。

評価 ★★★★

 

流刑地サートからの脱出 (新潮文庫)

流刑地サートからの脱出 (新潮文庫)

 

 

「グリッツ」エルモア・レナード

1985年発表作。エルモア・レナードがミステリ作家としては稀ともいえる脚光を浴びて、一躍著名人となった時期にあたる。当時レナードは本作タイトル「グリッツ(金ぴか)」の通り、昂揚感に満ち、充実した生活を送っていたのだろう。本作も生きの良い会話が主体で、刑事とギャング、小悪党らが俗語を用いて丁々発止の掛け合いをするさまが楽しめる。

主人公はやさぐれた刑事モーラ。けちなチンピラに弾丸をくらい療養の身だったが、その後ろ姿を執拗に追う男がいた。復讐の機会を狙うのは、モーラが刑務所送りにした悪漢テディ。人殺しは朝飯前だが、あまりにも小者であることと、予測不能の行動をとるために、尻尾を掴ませない。一方モーラは、療養先で知り合った娼婦アイリスがカジノ・ホテルのホステスとしてスカウトされたことを知る。どうにも胡散臭さを感じたモーラはホテルのオーナーに接触を図るが、アイリスを引き止めることはかなわなかった。悪い予感が当たり、後日アイリスが不審死を遂げる。モーラは、真相を探るべく、ぎらぎらと妖しい光を放つ街アトランティック・シティへと向かう。

クライムノベルを通してアメリカ社会の一断面を鮮やかに切り取り、所謂〝レナード・タッチ〟と称された作風にも更に磨きが掛けられている。
卑しい街に曲者揃いの登場人物を放り込めば、あとは勝手にストーリーが動き出すといった感じで、緻密な構成よりも場面ごとのムードを重視し、躍動感に満ちた展開で読ませる。スタイル的にはチャンドラーの世界に通じるものなのだが、いわばマーロウなどが象徴する孤高のヒーローが不在の中で、本来なら脇役であるはずの男と女が、堂々と主役を張って「俺たちの物語」を創り上げていくといった印象だ。悪徳がはびこる街で、例え生き方は荒んでいようとも、己の信条までは穢さず、守らねばならない者/コトのために立ち上がる。その精神こそがハードボイルドである、とレナードは告げているかのようだ。

評価 ★★★☆

 

グリッツ (文春文庫)

グリッツ (文春文庫)

 

 

「アイス・ハント」ジェームズ・ロリンズ

現在も精力的に創作活動を続けている精鋭の一人ジェームズ・ロリンズ2003年発表作。SFホラーの要素に冒険小説的な活劇をふんだんに盛り込んだスリラーで、著者の迸るエネルギーに満ち溢れた力作だ。恐らくロリンズは、〝読者をいかに楽しませるか〟というエンターテインメント性について相当探究したのだろう。その筆致は極めて映画的でテンポ重視、存亡の機を前にした者どもの壮絶な戦いを〝けれん味〟たっぷりに描いていく。ただし、閉ざされた空間の中で小集団に分かれた登場人物らを同時発生的に危機が襲い、途切れることなく終盤まで戦闘シーンが続くため、逆に読者自身に体力がないと息切れしかねない。

主な舞台はアラスカから北極までの極寒地。北の果てで浮標する巨大な氷島内に何層にも分かれた円形の構築物が発見された。米国は観測/研究のために科学者、軍人らの合同チームを派遣、探索を行うが、旧ソ連が極秘裏に建造した基地に生存者は無く、無惨な状態で放置された死体のみが転がっていた。長期滞在を想定した施設内には様々な実験装置、武器弾薬庫などがあり、最下層には遺棄された潜水艦。さらに、中層から氷山内部へと続く地下道先の氷洞には、凍結した古代の生物が奇怪な姿をさらしていた。一方、同施設の成り立ちから関わっていたロシアの海軍提督が、米国の動きを察知し、既に破綻していた謀略のケリをつけるべく基地奪還に向けて独自に動き出していた。

物語は、功を焦る科学者の手によって長い眠りから目覚めた太古の怪物が人間を襲い始めるくだりから一気に狂乱の世界へと突入し、人類対モンスター、アメリカ対ロシアを主軸に激闘を繰り広げていく。現代兵器のみならず、旧式の武器を手に延々と続く白兵戦。極地での不可解な謎に始まり、超大国の陰謀を絡めて一気にカタストロフィーにまでなだれ込んでいく構成は、大風呂敷を広げながらも力業で読ませる。
中盤からは山場の連続で、絶体絶命のピンチを切り抜けた先に更なる難関が待ち受ける。場面展開が早く、数多の登場人物の行動を同時進行で描くため、下手な作家ならばカオス的な状況に落ちるところをロリンズはその一歩手前で巧くまとめ上げている。また、やや類型的ではあるが、それぞれの過去/現在のエピソードを挿入し、混乱することなく人物を描き分けていることも特筆すべき点だ。とにかく、ロリンズの底知れぬパワーには圧倒された。

評価 ★★★★

 

アイス・ハント (上) (扶桑社ミステリー)

アイス・ハント (上) (扶桑社ミステリー)

 

 

 

アイス・ハント (下) (扶桑社ミステリー)

アイス・ハント (下) (扶桑社ミステリー)