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海外ミステリ・レビュー

……新旧の海外ミステリを中心に

「361」ドナルド・E・ウェストレイク

ウェストレイクはデビュー後、立て続けにドライなクライムノベルを書き、ハメットの衣鉢を継ぐ新鋭として期待されていた。本作は1962年発表の三作目で、やさぐれた若者の復讐劇を荒削りながらもシャープな文体で描く。構成は破綻すれすれで、主人公の情動は不安定なため、目的さえ見失った刹那的な殺し合いが終盤まで続く。ウェストレイクが本作で何を描こうとしていたのか読み取ることは難しいが、それまでとは違う退廃的なクライムノベルの可能性を模索していたのかもしれない。だが、本作はあまりにも無骨で、前2作と比べて洗練されているとは言い難い。

評価 ★★

 

361 (ハヤカワ・ミステリ文庫 24-3)

361 (ハヤカワ・ミステリ文庫 24-3)

 

 

「罪の段階」リチャード・ノース・パタースン

リーガルサスペンスの傑作として名高い1992年発表作。しばらく本業の弁護士に専念していたパタースンは長期休暇を取り一気呵成に書き上げたという。主人公は処女作「ラスコの死角」と同じクリス・パジェットだが、心機一転の本作で再び起用した訳とは、十数年の歳月を経て様々な経験を積んだ自分自身を、本作でも同じように歳を取ったパジェットに投影しようとしたのかもしれない。

本作は、ホテルの密室で発生した殺人事件が、レイプに対する正当防衛か、もしくは加害者の女性によって仕組まれたものかを裁くもので、法廷で畳み掛ける終盤は別として、中途までは証拠と証人探し、強姦を巡る実証性をじっくりと描いているため、ややテンポに欠ける。「…死角」ではパジェットの一人称語りだったが、本作では三人称に変えて多面的に状況を物語るため、両作品の持つ雰囲気は随分異なる。デビュー当時はロス・マクドナルドを後継する作家とも評されていたが、作品自体は社会派であっても、ハードボイルドのテイストは薄かった。本作では、ラスコ事件に関わるエピソードも多く、主要な登場人物も引き継いでいるのだが、ジェンダーや家庭崩壊などアメリカ社会が抱える闇を照射する批判性はより強まっており、「…死角」とは別物といっていい。

親と子の絆が重要な核となり、法廷闘争を展開。殺人者として裁かれるのは、パジェットの愛する息子の母親であり、物語は弁護士自身の私的な闘いとしても描いていく。だが、嘘と虚栄にまみれた偽装を剝がし明らかとなる事実は、守るべき対象を歪め、パジェット自身を残酷な結末へと導くものだった。
敢えて強姦という重いテーマを選び、闘わずに泣き寝入りする女性が多いという現状を踏まえたパタースンの強いメッセージが込められている。

評価 ★★★

 

罪の段階〈上〉 (新潮文庫)

罪の段階〈上〉 (新潮文庫)

 

 

罪の段階〈下〉 (新潮文庫)

罪の段階〈下〉 (新潮文庫)

 

 

「裏切りのネットワーク」ショーン・フラナリー

1983年発表、スパイスリラーの秀作。核兵器「誕生」以後の世界で暗躍する国際組織「ネットワーク」の謀略を扱っているのだが、その歪んだ動機が独自性に富みユニークだ。仮に人類が絶滅を迎えようとした時、資本主義社会で最も「損害」を被る集団とは何か。脆弱ながらも保たれているパワーバランスが崩れることを恐れ、人間のいない社会を忌み嫌う存在とは何か。それは、不安定な世界情勢のもとでこそ独占的収奪を果たすことのできる肥大化した多国籍企業に他ならない。

時に紛争を煽り勢力図を書き替えつつ、土地売買や軍事システム開発などにより膨大な利益を得て更に資本を蓄える企業。対立する国家が共倒れとならないように、両陣営に潜入したスパイが互いの政府の動向/情報を共有した上で、均衡を維持するための対策を講じ、攻撃を加える。要はカネを生み出す対象が消滅することは避けるが、「生殺し」の状態のままで生命維持装置を起動し続けることを優先するのである。「ネットワーク」とは、その独善的企業の一機関であり、擬装した「平和」のもとで膨脹する集合体の地下組織を差す。

本作は、世界中の諜報機関内に潜り込んだ「ネットワーク」工作員を炙り出し、その狙いを突き止めようとするCIA局員の動きをメインに描いていくのだが、愛憎と裏切りを巧みに盛り込み、展開もスピード感に溢れている。読みどころは、「ネットワーク」の正体を徐々に解き明かしていく謎解きの面白さだろう。

評価 ★★★☆

 

裏切りのネットワーク (ハヤカワ文庫 NV (382))

裏切りのネットワーク (ハヤカワ文庫 NV (382))

 

 

「コールド・ファイア」ディーン・R・クーンツ

クーンツは自覚的に娯楽小説を書く。指南書「ベストセラーの書き方」で述べた創作術を自ら忠実に実践し、読者がエンターテインメントに求める要素を過不足無く盛り込む。構成や人物設定などはSF/ホラーの王道を行くもので安定感はあるのだが、クーンツ熟練の技で捻りを加えてはいるものの、「遊び」や「深み」といった点では物足りなさを感じることもある。

本作のメインプロットは、超人的な予知能力を身に付けた孤独な主人公が、「神の啓示」によって世界中の「選ばれし人々」を救っていくというもので、地方新聞の女性記者との恋愛模様も含め、いかにも大衆受けしそうなアメリカン・ヒーローの物語という印象。中盤の山場となる飛行機事故での脱出劇も極めて映画的である。

終盤までは「超能力」を何故身に付けたのか、という男のルーツを探っていくのだが、宇宙船や宇宙人といった〝ホラ話〟の挿入によって破綻すれすれとなり、読み進めることが苦痛となる。種明かしで何とか持ち直してはいるものの、クーンツの世界を堪能するには、ある程度の「純朴」さが必要であると感じた。

評価 ★★★

 

コールド・ファイア〈上〉 (文春文庫)

コールド・ファイア〈上〉 (文春文庫)

 

 

 

コールド・ファイア〈下〉 (文春文庫)

コールド・ファイア〈下〉 (文春文庫)

 

 

「ドライヴ」ジェイムズ・サリス

デンマーク出身のニコラス・ウィンディング・レフン監督作品「Drive」(2011年)の原作。映画については〝門外〟であり、既に多くの評価がなされているため、私自身が敢えて付け加えることもないのだが、静と動の対比、日常の中で突如噴出する暴力の異常性、そして刹那的で感傷的な情愛の顛末を、シャープ且つクールに描いた秀作だと感じた。陰影を生かしたスタイリッシュな映像でモダンなノワールの世界を構築しており、特に寡黙でストイックな主人公のドライバーを演じたライアン・ゴズリングは嵌まり役で、狂気性を秘めた孤独な男の姿が鮮烈な印象を残した。それは、共演したキャリー・マリガンの憂いを含んだ眼差しを通してより一層際立っていくのだが、小説では表現しきれない映画ならではの創造性/美学を存分に味わうことができる。

ジェイムズ・サリス2005年発表の本作は、ほぼ映画で再現されていた通りの内容だが、ハードボイルドとしての強度はより高い。過去と現在の断片を繋ぎ合わせ、逃走車のドライバーという裏稼業に手を染めるまでの過程と、予測不能のトラブルによって追い詰められていくさまを渇いた筆致で描く。主人公を単にドライバーと表記し、極めてドライに活写。短い章を連ね、情景を深める。クライムノベルを修練した作家の技巧が冴えている。

評価 ★★★

 

ドライヴ〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

ドライヴ〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

 

 

「逃げる殺し屋」トマス・ペリー

殺し屋を主人公とするミステリは掃いて捨てるほどあり、生業としての新鮮味は無い。プロットや人物造形など、相当知恵を絞らなければ「いつかどこかで読んだ話」として片付けられてしまう。逆に先行作品との違いを出さなければならないため、作家にとっては挑戦し甲斐のある題材といえるだろう。
本作に登場する名無しの殺し屋は、準備/実行/逃走という過程で玄人ぶりを発揮するが、予期せぬ事態で人の記憶に残らないという大前提を崩される。「誰でもない顔」に傷を負ったことから綻びが生じ、司法省の捜査官のみならず契約を履行したはずの闇組織からも追われる羽目となる。
マンハント自体はクライムノベルのスタンダードからさして外れるものではないが、フリーランスとして日々の糧を得る殺し屋の「こだわり」、つまりはプロ意識の発露そのものが本作の最大の魅力となっている。殺しの方法には、実行する現場にある物を利用して擬装する。事故または病気に見せ掛け、不自然さを残さない。要は「殺された」という事実を隠滅する仕掛けを施すために、瞬時に判断し実行に移すのである。まるで諜報員の暗殺手段のようだが、このようなディティールがリアリティを感じさせ、追い詰められていく男が次にどう動くかという伏線となり、サスペンスを高めていく。
1982年発表MWA最優秀処女長編賞受賞作。無骨ながらも、手堅くまとめている。

評価 ★★★

逃げる殺し屋 (文春文庫 (275‐27))

逃げる殺し屋 (文春文庫 (275‐27))

 

 

「傷だらけのカミーユ」ピエール・ルメートル

現代ミステリにおいて先鋭的な作品を上梓する作家の筆頭に挙げられるのは、ピエール・ルメートルだろう。怒濤の勢いで北欧の作家らが席巻する中、フランス・ミステリがいまだに前衛としての位置を失っていないことを、たった一人で証明してみせた。無論、かの地では多彩な作家たちによって、今も刺激的な小説が生み出されているのだろうが。
読者の度肝を抜く技巧を凝らし、ジャンルを超越するスタイルで、大胆な離れ業を見事に成し遂げ、強烈なインパクトを与えつつ読後に深い余韻を残していく。その筆致は鋭い刃物のように読み手の胸元まで迫ってくる。

2012年発表のパリ警視庁犯罪捜査部カミーユ・ヴェルーヴェンシリーズ最終作。ルメートルは三部作で完結させているが、悲痛な終幕を迎える主人公の心身を思えば、役目を終えたということなのかもしれない。最初から三部作の構想があったかどうかは定かではないが、第1作から繋がる重要人物が核となる本作まで、周到な計算のもとに伏線を潜ませていたことが分かる。読者の大半は、不幸にも第2作「アレックス」を先に読まされてしまったのだが、本シリーズは発表順に読んでこそ、本作で虚無的な境地へと至るカミーユの悲劇性がより胸に迫る構図となっている。

愛する女を守るために、自らの権力を乱用してまで私闘を繰り広げるカミーユ。自暴自棄に陥り暴走する刑事の姿は憐れで、前作までとは異質の焦燥感が横溢し、終盤まで凄まじい緊張感を強いる。孤独な男の情愛を利用して復讐を成し遂げようとする犯罪者の仕掛けが徐々に明らかになるさまは見事というほかなく、ルメートルの高度な技巧が冴えわたっている。

評価 ★★★★

 

傷だらけのカミーユ (文春文庫)

傷だらけのカミーユ (文春文庫)

 

 

「熱砂の絆」グレン・ミード

グレン・ミードが傑作「雪の狼」に続き発表した第三作。ボルテージは前作より下がるが、史実を巧みに織り交ぜて構築した物語はスピード感と臨場感に満ちる。
時代背景は異なるものの、基本的な人物設定や構成などは「雪の狼」と大きな違いは無い。現代にプロローグを置き、歴史の闇に消えた瞠目すべき秘史を掘り起こす。無謀な密命遂行のために敵地へ侵入し、難攻不落の防衛網を潜り抜け、その死によって以降の世界情勢を変える標的の間近まで迫っていくという展開は共通している。それだけに、どうしても比較せざるを得ないのだが、二作品ともスターリンルーズベルトという超大国の要人暗殺を主題としていながら、読後感は異なる。

1999年上梓の「熱砂の絆」は、敗戦色濃いドイツ第三帝国が劣勢を覆す策として実際に目論んでいたというルーズベルト暗殺計画を主軸にする。主な舞台は1943年のエジプト・カイロ。英米の首脳が極秘裏に会談するという情報を掴んだドイツ司令部は、軍撤退後もスパイ活動を続ける現地人らを頼りに、暗殺チームを送り込む。抜擢されたのは、戦前にピラミッドで発掘作業に関わっていたドイツ人の男とユダヤ人の血を引く女。当時はさらにアメリカ人の男が加わり、三人は固い友情で結ばれていた。だが、戦争勃発後は敵味方となり、米国大統領暗殺計画を通して皮肉な再会を果たすこととなる。

前作では過酷な運命に翻弄された家族らの血の繋がりを主題に、本作では恋愛を絡めた友情を根幹におき、劇的な物語に仕上げているのだが、「雪の狼」に比べて「熱砂の絆」が弱いのは、やはり「絆」そのものの重さなのだろう。
前へ進むほどに潜入工作員らを切り刻んでいく哀しい宿命、重苦しい絶望と希望の狭間で揺れ動く使命感、裏切りによって退路を断たれながらも仲間への揺るぎない信頼によって開く活路、凄まじい死闘の果てに待ち受ける無情なカタルシスと、残された者たちの荒涼と記憶。「雪の狼」が秀逸だったのは、それらが緻密に配分されつつ、圧倒的な勢いで迫ってきたからだ。世界を新たな戦争に突入させない大義よりも、愛しい者を救うため、大切な人の生命を奪った独裁者への復讐を成し遂げるため、という悲痛な思いに突き動かされた私闘を、よりダイナミックに表現していた。

といって「熱砂の絆」が凡作という訳ではなく、マクリーンやヒギンズ、バグリイらに繋がる現代冒険小説の衣鉢を継承しようというグレン・ミードの意気込みに溢れた力作であることは間違いない。これも惚れた弱み。ボブ・ラングレーと同じく、例え多少の粗はあろうとも、世界中の冒険小説ファンのために作品を発表し続けてくれるだけでも有り難い存在なのである。

評価 ★★★☆

 

 

熱砂の絆〈上〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

熱砂の絆〈上〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

 

 

熱砂の絆〈下〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

熱砂の絆〈下〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

 

 

「市民ヴィンス」ジェス・ウォルター

2005年発表のMWA最優秀長篇賞受賞作。プロットは至ってシンプルで、強引に要約すれば、しがない犯罪者という以外は「何者でもない」生活を送ってきた一人の男が、人生の岐路に立ち、それまでとは違う選択をして再び歩み始めるというだけの話だ。タイトルには含みをもたせており、個人名に敢えて「市民」を付けている理由は読み進める内に分かる。スタイルはクライムノベルだが、物語に大きな起伏は無く、文学志向が強い。

闇の組織を裏切って告発者となった男は、政府の「証人保護プログラム」下に入る。出生名を捨て「ヴィンス」を名乗り、生業となったドーナツ屋店主を続ける傍らで、以前と変わらずカード偽造と麻薬密売の裏稼業にも手を染めていた。だが、その〝流通システム〟と縄張りを狙い、ヴィンスの前に殺し屋が姿を現す。男にとって即刻の逃亡は必至だったが、「ヴィンス」の名で大統領選の選挙権を取得したことを知り、転換期を迎える。同じ頃、カーターとレーガンによる次期米国大統領の選挙戦が繰り広げらていた。政治的なものとは無縁だった男は、ようやく己自身と向き合い、「何者でもない」地点から、「市民」としての自覚、社会的責任を負う共同体の中の一人としての在り方に、おぼろげながらも思い至る。つまりは、過去を清算しての第二の人生への出立である。

内面を語らず、男の転機を行動によって表す。どこまでも不器用な小悪党が「実存」に目覚めるさまは、哲学としても掘り下げることも可能だが、本作はあくまでも世俗的な流れで展開する。凡庸な犯罪者の挫折と再生、その足取りをミステリらしからぬ構図で描いたことが、逆に高い評価へと結びついたのかもしれない。

評価 ★★★

 

市民ヴィンス (ハヤカワ・ミステリ文庫)

市民ヴィンス (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「プラムアイランド」ネルソン・デミル

デミル版ヒーロー小説。NY市警のジョン・コーリーを主人公とし、以後シリーズ化されている。渾身の力作「誓約」を書き上げて以降、肩の力を抜いた娯楽作品を発表し続けているデミルだが、本作では冒険小説の要素を取り入れ、緻密な構成よりも怪しげな人物らが織り成す先の読めない展開の妙で読者を翻弄する。物語は二転三転し、前半と後半ではプロットの核が異なる。

舞台は、ニューヨーク州オリエント岬の沖合にある孤島「プラムアイランド」。そこに実在する動物疫病研究所に勤める科学者夫婦が何者かに殺され、ロングアイランドで静養中だったコーリーは地元警察からサポートを依頼される。エボラやコレラなどのウイルスを保管し研究するその施設は、政府特命による細菌兵器の開発が極秘裏に行われているという噂が絶えない。休職中の滞在先で殺された夫婦と友人関係になっていたコーリーは真相究明に乗り出すが、次第に事件の背後には見落とされた「穴」があることに気付く。やがて浮かび上がってきたのは、17世紀の或る歴史的人物が巻き起こした意想外のシナリオだった。

読みどころは、軽口を叩きつつ軽快に関係者をあたり孤軍奮闘するコーリーのタフネスぶりだろう。本作では、ストイシズムよりも「ノリの良さ」を優先しており、物語のテンポは終盤に向かうほど増していく。筋立ては「ホラ話」に近いが、大人のエンターテイメントとして割り切れば、充分に楽しめる。

評価 ★★★

 

プラムアイランド 上 (文春文庫 テ 6-12)

プラムアイランド 上 (文春文庫 テ 6-12)

 

 

 

プラムアイランド 下 (文春文庫 テ 6-13)

プラムアイランド 下 (文春文庫 テ 6-13)

 

 

「冷えきった週末」ヒラリー・ウォー

当たり前だが、警察のリアルな捜査活動を知りたければ、ノンフィクションを読めばいい。ミステリに求めるのは本物らしさであって、物語としてのエンターテイメント性が失われたら元も子もない。警察小説の基礎を築いた重鎮としてウォーは再評価されているが、いささか正攻法にこだわるあまり、全体を通して地味な印象しか残らない。代表作といわれる「失踪当時の服装は(1952年)」「事件当夜は雨(1961年)」を以前に読んでいるはずなのだが、さっぱり記憶に残っていないのは、実直な謎解きはともかくとして、物語自体に面白さを感じなかったためだろう。
1965年発表の本作は、フェローズ署長シリーズの一冊だが、やはり読後に何の感慨も無かった。まず、物語のボリュームに比べて登場人物が多すぎる。捜査の過程で、関係者の名をフルネームでズラリと書き連ねていくのだが、結局は本筋に関わりのない者が大半なのである。しかもメインで扱っていた人物らが繰り広げた愛憎のストーリーも、真犯人を突き止めたところで中途半端にぶち切っている。ガチガチの本格推理ファンなら満足するのかもしれないが、無機質な人物の配置を含め、枝葉のエピソードもありきたりでは、謎解きのフェアプレイをどうこういわれても、溜め息しか出ない。要は、小説として「浅い」のである。

評価 ★☆

 

 

冷えきった週末 (創元推理文庫)

冷えきった週末 (創元推理文庫)

 

 

「誓約」ネルソン・デミル

打ち震える程の感動の中でラストシーンを読み終える。「この小説を書きたかった」と感慨を述べたネルソン・デミル、その積年の想いが伝わる渾身の大作である。本作を書き終えた瞬間の充足感は相当なものだったろう。
1985年発表の「誓約」は、1968年3月のソンミ事件を下敷きに、民間人大量虐殺の首謀者として裁かれた元軍人が国家を相手に闘うさまを、冷徹且つヒューマニズムに溢れた筆致で劇的に描き切った傑作であり、ジャンルを越境する力強さを持つ。鋭利な社会批判と重厚なリアリズム、心揺さぶるドラマ性を一体化し、現代の読者に相応しいエンターテイメント小説として完成させたデミルの才能は計り知れない。

地獄絵図の如く荒廃した戦場の有り様と、狂気の淵まで追い詰められ崩壊する人倫、その果ての無秩序から増幅/呼応し、遂には無差別殺戮へと至る非人間性と頽廃。狂うことよりも正気を保つ方が難しい状況下で起こるべくして起こった虐殺。
米国元陸軍中尉タイスンは、闇の中に葬られた悪夢の如き事件の罪を、長い年月を経た後に問われる。はたしてタイスンは皆殺しの命令を下し、主導したのか。或いは、部隊の長であるにも関わらず、隊員の凶行を黙認していたのか。司令部へ虚偽の報告をした理由とは何か。現地人ばかりでなく、「文明社会の同胞」であるフランス人らの医者まで殺めたのは何故か。タイスン自らの手で、無辜の人々を殺したのか。そこに星条旗に唾棄しなかったことを証明する「正義」は有り得たのか。

アメリカ合州国にとって唯一「勝てなかった」ベトナム戦争を題材とした小説は数多いが、国家と個人それぞれの罪と罰を根源的に問い直し、「止揚」へと至るまで突き詰めた作品は極めて稀だ。
虚妄の「正義」の旗印のもとでアメリカはベトナム以降も様々な紛争に介入し続け、障害となる国家/集団/イデオロギーを暴力的手段を用いて排除しているが、それまで順風満帆だった独善的な国家主義志向を根底から揺るがしたのが、泥沼化の一途を辿ったベトナム戦争に他ならない。無論、冷戦終結後の世界において同種の蛮行は絶えることはないが、物量/軍事力ともに圧倒する超大国が本格介入から10年にもわたって弱小国家を蹂躙し続けた罪過は、命懸けで戦場に赴いたジャーナリストらによって瞬時に全世界に報道され衝撃を与えた。無残な殺し合いの本質をまざまざと見せ付けたのである。
ベトナム戦争は負の象徴として認知され、以後、米国政府は徹底的な情報統制を敷く。それは中東への侵略の足掛かりとなった所謂「湾岸戦争」等でも明らかで、生々しい戦場の実態が暴かれていった戦争報道に対する規制の甘さへの「反省」に起因している。ナショナリズムを煽り、国民を鼓舞して戦意昂揚へと繋げるためには、事実を隠蔽し、偽りの「正義」の施行/完遂こそが至上命令となる。米国の為すことに「不正義」があってはならず、軍人に犯罪的行為があった場合は直ちに正さねばならない。巨大な悪の中に沈殿する一個人の「悪」を曝し裁くことで、国家的犯罪から大衆の眼をそらし相殺する。要は体面を保つための生け贄が必要なのである。体制の指導者や軍隊の将軍らが裁かれるのは、戦争に負けた場合のみであり、負けてはいないが勝利を得てもいないベトナム戦争で、罪を問われるのは「加害者であり被害者」でもあるタイスンのような末端の非権力者のみとなる。

或る誓約を胸の内に秘め沈黙するタイスンを嘲笑うかのように「戦友」らは公然と裏切り、その身は切り刻まれていく。果てに待ち受けるのは極刑であり、抗うことの決断を迫られた男を凄まじいまでの焦燥感が襲う。終局のカタルシスが胸に迫る理由は、人殺しの汚名を着せられ生死の瀬戸際まで立たされていた男が、闘い抜くことを決意することでそれまでの一切の呪縛を解き放つからであり、罪と罰に関わる不条理な命題について、デミルが人道主義的な見地からの「救済」策を提示し、物語を見事にまとめ上げたからに他ならない。
そもそも、人間を殺すことで勲章を授かる軍人らが、告発され軍事法廷に立った同胞を裁くことは茶番でしかない。タイスンが有罪であれば、それは己ら自身のみならず、すべての元凶である国家そのものが同罪であることを意味する。その欺瞞ぶりを容赦なく曝け出していることも特筆すべきだろう。

本作は、自らの体験に基づくデミル流の正義論であり、類い稀なる戦争文学だ。また、記憶と証言を通して事実を掘り起こしていく秀逸なる法廷小説でもある。感情の機微まで表現した人物造型の深さ、巧みな語り口と緻密な構成、怒濤のクライマックスへとサスペンスを高めていくストーリー展開など、小説愛好家を唸らせる技法に事欠かない。とまれ長々と駄文を書き連ねてしまったが、「誓約」はデミル畢生の名作である。

評価 ★★★★★☆☆

 

誓約〈上〉 (文春文庫)

誓約〈上〉 (文春文庫)

 

 

誓約〈下〉 (文春文庫)

誓約〈下〉 (文春文庫)

 

 

「長く冷たい秋」サム・リーヴズ

ロバート・B・パーカーが褒めていると知り嫌な予感がしていたのだが、物語に起伏のない凡作だった。「ハメットの初期の作品のように鮮烈で力強い」というパーカー評が、どこをどう読んだ上での感想なのか見当もつかないが、単に長いだけで深みがない。延々と2、3ページにわたり弛んだ会話が続く冗長さには辟易した。少なくともハードボイルドを意識して創作したのであれば、もっと無駄を削り文章と構成を磨くべきだろう。翻訳版のタイトルや粗筋が想起させる詩情や感傷を感じ取ることなど出来ない。
主人公を始めとする登場人物らに精彩が無く、プロットもつまらない。そもそもこの程度の真相に辿り着くために必要な分量は半分以下であろうし、水増ししたシーンの殆どが、類型化された魅力に乏しい愛人や驚くほどに暇な警官らとの退屈なやりとりに費やしている。主人公の過去が不透明な点はいいとしても、ヤワな青年期から、いきなり警官と馴れ合い、犯罪者と渡り合うほどのタフな男に変わったのか、その過程が説明不足で釈然としない。パーカーの「初秋」的要素を組み込んではいるが明らかに失敗している。そもそも事実を確かめもせずに勝手に自分の子と信じて、他人の息子に父親ぶる主人公は滑稽としかいいようがない。

評価 ★

 

長く冷たい秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

長く冷たい秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「将軍の娘」ネルソン・デミル

巧い作家だ。プロフェッショナルと呼ばれるためには、ネルソン・デミル並みの力量を持たねばならないのだろう。米国陸軍基地内で将軍の娘が殺された事件を巡るメインプロットはストレートなミステリなのだが、舞台背景も含めてテーマの掘り下げが広く深い。読み終えて心に残るのは、軍隊という異常な状況下で捩れていく人間の脆弱さであり、卑しい業がもたらす無残な奈落の有り様である。軍人という虚飾を剝がせば、権力欲と色情をまとった生々しいまでの本能が現れ、一旦亀裂が入れば一瞬で崩壊する危険極まりない体質であることを、元軍人であるデミルは自らの経験を元に容赦なく白日の下に曝すのである。

飾らない文章は的確に情景を描写し、個性豊かな登場人物たちをきっちりと読者に印象付けていく。端役であろうとも手を抜かず、シーン毎に不可欠な役割を与えている。細部まで緻密に張られた伏線が、最終的には大きなうねりを経て一本へとまとまり、物語全体を揺り動かす。後半からクライマックスまで、徐々に高まっていくサスペンスは見事という他ない。
事件の捜査にあたるのは陸軍犯罪捜査部(CID)捜査官ブレナーで、卓越した洞察力で軍部の権力者に切り込んでいくさまは爽快感に満ちる。コンビを組むのは束の間不倫関係にあった捜査官サラ。この二人の絶妙なやりとりも読みどころのひとつなのだが、再会後は互いに惹かれながらも素直になれない大人の恋愛模様を展開していく。主題である将軍の娘の歪んだ愛憎とは対称的に描かれており、挿話としてストーリーに彩りを添えている。

冷徹で皮肉屋、仕事では徹底した玄人ぶりを発揮する主人公は、デミル作品に共通するヒーロー像のようだ。本作では派手な活劇こそないものの誇り高い男の行動を活写し、ハードボイルドのテイストさえも感じさせる。現代エンターテイメント小説界において最高峰の書き手であるネルソン・デミルの魅力を存分に楽しめる一冊だ。

評価 ★★★★★

 

将軍の娘〈上〉 (文春文庫)

将軍の娘〈上〉 (文春文庫)

 

 

 

将軍の娘〈下〉 (文春文庫)

将軍の娘〈下〉 (文春文庫)

 

 

「凶弾」トム・ギャベイ

トム・ギャベイ2006年発表の処女作。話題にはならなかったが、スパイ・スリラーの力作である。
1963年6月。冷戦真っ只の中、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの西ベルリン訪問が予定されていた。だが、熱狂的聴衆を前にした演説時を狙った狙撃計画が発覚。不可解にも「敵国」である東ドイツ高官から指名されて機密情報を入手した元CIA局員の主人公は、陰謀の全体像を炙り出し、実行阻止のために孤軍奮闘する。
大統領暗殺を東側が仕組んだように見せ掛けるための虚偽工作も明らかとなり、次第に追い詰めるべき敵は自国内部にいることが明らかとなっていく。その背景には、米国の汚点となったキューバ侵攻作戦の大失敗があり、暴走したCIAへの不信感を露わにしたケネディへの逆恨みがあった。残された時間は僅か。熾烈な妨害工作を潜り抜け、元CIA局員は真の敵へと迫っていく。
実際にケネディがダラスで暗殺される5カ月前であり、不穏な世界情勢の中で敵味方入り乱れての謀略が渦巻く。史実を織り交ぜた展開は、例え暗殺が未遂に終わることが分かっていても緊張感に満ちている。フォーサイスの傑作「ジャッカルの日」のケネディ版といったところか。アイロニカルでタフな主人公の設定も巧い。

評価 ★★★★

 

凶弾 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)

凶弾 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)