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海外ミステリ・レビュー

……新旧の海外ミステリを中心に

「皇帝のかぎ煙草入れ」ジョン・ディクスン・カー

「アリバイ崩し」の傑作として名高い本作だが、精緻なトリックよりも、男女の愛憎や金銭でのいがみ合いなど、人間の泥臭く生々しい修羅場を盛り込んだ〝ドラマ〟仕立てのストーリー自体が面白い。部外者であるはずの探偵自らも邪心を起こし、事件関係者らのもつれた痴情に加わってしまうという「厳格な本格」を〝脱線〟したラストには、謎解きのスリルのみならず、娯楽性の高い筋書きを重要視したカーのユーモア感覚/異才ぶりが表れている。
勘の良い読者なら、序盤の流れで犯人の目星は凡そつくだろうが、幾重にも捻りを加えたプロットは、読者の甘っちょろい推理を引っ掻き回す。綿密に練り上げたはずの殺人計画は、実行犯さえも意図せぬ事態によって、さらに捩れ、迷宮へと嵌まり込んでいく。雑多な下働きの登場人物であろうとも、しっかりと本筋に絡める仕掛けの見事さは、やはり巨匠だけのことはある。
1942年発表でありながら、科学的捜査は別として些かも古びていないのは、機械的な推理物では飽き足りなかったカーの小説家としてのプロ意識が成せた技だろう。

評価 ★★★★

 

皇帝のかぎ煙草入れ【新訳版】 (創元推理文庫)

皇帝のかぎ煙草入れ【新訳版】 (創元推理文庫)

 

 

「モルグの女」ジョナサン・ラティマー

酔いどれ探偵ビル・クレインをはじめ、一癖も二癖もある登場人物たちの破天荒ぶりが楽しい1936年発表作。ハードボイルドの要素は薄く、スラップスティックすれすれの展開だが、不可解な謎の提示などミステリの仕立てはしっかりとしている。テンポの良い会話、情景ごとの印象的なエピソード、大団円に向けての盛り上げ方など、映画脚本家としても活躍しただけあってラティマー流石の筆致である。

真夜中のモルグから身元不明の女の死体が盗まれる。抵抗したらしいモルグの番人も殺された。依頼を受けた私立探偵のクレインが、失踪した娘の身元確認のために訪れた直後のことだった。クレインは自身の嫌疑を晴らすが、対立する大物ギャングのボスらが「俺の女をどこに隠した」とクレインを追い掛け始める。消えた女の死体を探すために探偵社からクレインの仲間が駆け付けるが、酔っ払う機会は更に増え、女の正体は二転三転し、事態は益々混乱を極めていく。

雑多な風俗が入り乱れるアメリカ1930年代のムードが書き込まれ、舞台となるシカゴの街も明るい色調で描かれている。様々に様相を変えた正体不明のモルグの女を巡る謎は、クレインがラストできっちりと解き明かす。オフビートでありながらも、ミステリの定石を踏まえた職人技が冴える。

評価 ★★★★

 

モルグの女 (1962年) (世界ミステリシリーズ)

モルグの女 (1962年) (世界ミステリシリーズ)

 

 

「魚が腐る時」マシュー・ヒールド・クーパー

所謂「ケンブリッジ・ファイブ」を題材にした1983年発表作。

舞台は1951年、ソ連の二重スパイから英国内要職に12人の工作員が潜入していることを掴んだ外務省次官ストラングとSIS長官メンジーズは、公けに暴露されて失墜することを恐れ、或る秘策を練る。同時期に反政府ポーランド人グループから「カティン虐殺」がソ連軍によるものという証拠がもたられていた。第二次大戦中、カティンの森で1万5千人にものぼるポーランド人将兵らの死体が埋められているのが発見されたが、ソ連は関与を否定し、ナチス・ドイツに責任転嫁していた。折しもポーランド情勢は不安定で、この事実が明らかとなれば、これを機に衛星国から脱する可能性があった。ストラングらは自国政府には隠密でソ連と直接裏取引を試みる。虐殺の公表を控える代わりに、ソ連スパイの存在もなかったことにしろという脅しである。独裁者スターリンは怒り狂い、強引な後処理を秘密警察長官べリアらに命ずるが、敵対する陸軍情報部のオルロフが交渉の窓口として選任された。一方、ストラングの私設秘書で正義感の強いペラムは、カティン虐殺の事実を知り単独行動に出る。ペラムの動きは取引の破綻を招くため、メンジーズはソ連側に「処理」を依頼。だが、その時オルロフは意外な動機でペラムに接触していた。

長々と前半までの大筋を綴ったが、アメリカで不遇の扱いを受けていたCIAの思惑も絡み、事態は不穏な空気の只中で動いていく。終盤にはペラムとオルロフによる逃避行が描かれているのだが、堕落した権力者の腐り切った保身の足元で崩壊していく人間らの脆さと虚しさを無常な世界観の中で描いている。特筆すべきは、スターリンの狂気を描いたシーンで、凄まじいまでのリアリティで迫ってくる。

評価 ★★★

 

 

魚が腐る時 (サンケイ文庫―海外ノベルス・シリーズ)

魚が腐る時 (サンケイ文庫―海外ノベルス・シリーズ)

 

 

「サンドラー迷路」ノエル・ハインド

1977年発表のスパイスリラーの秀作。二重三重に仕掛けられた謎、緻密な伏線、終盤で畳み掛ける種明かし、苦い結末など、捻りの利いた構成で唸らせる。ハインド32歳での執筆と知って驚くが、多くの登場人物や複雑なプロットの展開がやや整理しきれていない点はあるものの力技で読ませる。

題材となるのは紙幣偽造によって敵国の経済混乱を目論んだナチスの「ベルンハルト作戦」だが、本作では偽札造りの「名人」が連合国と枢軸国両方で暗躍していたという設定。大富豪でもあったその男サンドラ―の娘として遺産継承者を名乗り出たレスリーが、同家の弁護士だった父親を持つ主人公ダニエルズを訪ねるところから物語は始まる。二重スパイでもあったサンドラ―は戦後に米国内で殺害されていた。だが女は、父親は今も生きていると告げ、その正体を隠すために妻と娘を殺そうとしたのだという。ダニエルズは調査を開始したが、やがてレスリーという人物も既に死んでいることを知る。背後に見え隠れするのは、サンドラ―を巡る大国間の陰謀であり、ダニエルズ自身にも関わる闇の歴史だった。そして屈折した過去へと遡る巨大な迷宮の入り口が開く。

登場する人物のほぼ全てが、狙いを明かさず正体を隠したまま行動するため、読み手は混乱するのだが、ミステリならではの謎解きの醍醐味は存分に味わえる。

評価 ★★★★

 

サンドラー迷路 (文春文庫 (275‐16))

サンドラー迷路 (文春文庫 (275‐16))

 

 

「クリムゾン・リバー」ジャン=クリストフ・グランジェ

グランジェ1998年発表作。自身も脚本で参加した映画でも話題となった作品だが、派手さはなく、終盤までは地道な捜査活動に終始する。フランス司法警察警視正ニエマンスと地方警察の警部アブドゥフの二人が別の発端/ルートを経て、一つの事件へと結びつく構成だが、敢えて枝分かれさせた手法がそれほど効果を生んでいるとは思えない。両者の性格、捜査法に極端な違いがある訳ではなく、さらにいえば、猟奇的な連続殺人事件に関わるニエマンスに比べ、単なる墓荒らしに執着するアブドゥフの動機がいささか弱いこともある。プロットの核にあるのは優生学であり、レイシズムなのだが、暗躍するグループが最終的にどのような目標を持っていたのかという重要な説明も抜け落ちている。といっても、謎に満ちた「少年」の真相に迫るアブドゥフのパートが中盤以降サスペンスを高めていく展開で読ませるので、ミステリとしては充分な出来だろう。結末における刑事らの悲劇的なシーンもドラマティックで、余韻を残す。

 評価 ★★★

 

クリムゾン・リバー (創元推理文庫)

クリムゾン・リバー (創元推理文庫)

 

 

「蜃気楼を見たスパイ」チャールズ・マッキャリー

肉を削ぎ落した骨格のみで作り上げた構成だが、読了後に滲み出る哀感が忘れ難いスパイ小説の傑作だ。自身もCIA局員であったチャールズ・マッキャリー1973年発表作。

物語は、或る委員会に提出された工作員の報告、通信文、盗聴された会話の記録、監視報告などの資料、注記によって成り立つ異色の構造だが、通常の小説の形をとらないとはいえ、違和感なく読み進むことが出来、逆にこれこそスパイ小説の根幹に相応しいスタイルだと感じた。

幕開けの舞台は冷戦期1959年のスイス。国際連合の専門機関WROには加盟国から派遣された400名の職員がいたが、多くは擬装を施した情報工作員だった。その中の一人ポーランド人ミェルニクに帰国命令が下るが、或る理由により政治犯として投獄される恐れがあり、亡命することを望んでいた。ミェルニクと親しいアメリカ人のクリストファー、イギリス人のコリンズ、フランス人のブロシャール、そしてスーダンの皇太子でもあるカタールらは、ミェルニクの真意を量りつつ接近する。同じ頃、スーダンでは反政府テロ組織の活動が活発化しており、ソ連から組織の指揮をとるための工作員が派遣されるとの情報があった。クリストファーらは、ミェルニクがその工作員ではないかと疑う。やがて、カタール父親の指示によって購入したキャデラックに乗り国へ帰ることとなる。図らずも同行することとなったクリストファー、コリンズ、ミェルニクらは、スイスからスーダンへの旅を疑心渦巻く中でスタートする。

スパイ小説の真髄である謀略と人間不信、そして裏切り。本作は、その諜報戦の非情さを冷酷なまでに浮き彫りにし、敵味方の区別さえ困難な情況下で、人知れず犠牲となっていく者どもの悲劇を描き切る。原題「ミェルニク調書」が示す通り、物語の中心となるのは風采の上がらないお人好しで頑強な性格のミェルニクであり、この孤独な男を冷徹に見据える他国のスパイとのやりとりが凄まじい緊迫感を作り上げている。影の主人公であるクリストファーの眼を通して語られるミェルニクの焦燥と哀しみが、無情なる結末で倍化し、砂漠の蜃気楼のように現れる覇権争いの不毛を指し示す。

評価 ★★★★★

 

蜃気楼を見たスパイ (文春文庫 (275‐18))

蜃気楼を見たスパイ (文春文庫 (275‐18))

 

 

「27」ウィリアム・ディール

確かな世界観、魅力的な人物設定、分厚い物語の構造、巧妙な語り口など、全てが一級のエンターテインメント作品である。ヒトラー/ナチズム台頭期の不穏な世界情勢を背景とした上質のスパイスリラーであり、終盤での山岳地帯/孤島を舞台とする冒険小説としての要素も秀逸だ。暗鬱な戦争へと突入していく緊迫した情況を描いた中盤までの展開が特に素晴らしく、歴史の断面を鮮やかに切り取り、その只中で翻弄されていく人々の悲劇を密度の濃い筆致で抉り出している。

密造酒の取引で財を成し大富豪として安穏な生活を送っていた米国人キーガンは、混乱の極みにあった滞在先のドイツで、やがて恋人となるユダヤの血を引く女ジェニーと出逢い、その人生が大きく動いていくこととなる。やがて反ナチスユダヤ組織構成員の弟を持つジェニーは、裏切り者によって成す術もなく強制収容所で惨殺され、怒り狂ったキーガンは復讐を誓う。一方、米国が戦争に介入することを恐れていたヒトラーナチス極秘情報組織に命じて、或るスパイをアメリカに潜り込ませていたが、敗戦色濃い戦況を打破すべく密命を実行させることを決意。コードネーム「27」のスパイは満を持して行動に移る。同じ頃、帰国していたキーガンは難を逃れたユダヤ人から「27」の存在と殺されたジェニーへの関わりを知り、潜伏するドイツスパイの狩り出しに着手する。

大筋だけ追えばシンプルなものだが、往時の世相について、歴史的人物を織り交ぜて華やか且つ緊張感に満ちた空気感まで再現しており、書き込まれたディティールは半端なものではない。いわば、主人公キーガンの眼を通して、否応もなく戦争に巻き込まれていく国家/社会/人間の有り様を、或る意味俯瞰的にまとめた作品ともいえる。

 この一冊で作家ディールの類稀なる実力を思い知る傑作である。

評価 ★★★★★

 

27 (上) (角川文庫)

27 (上) (角川文庫)

 

 

 

27 (下) (角川文庫)

27 (下) (角川文庫)

 

 

「殺戮者」ケネス・ゴダード

ゴダード1983年発表で、唯一翻訳されている作品。間近にオリンピックを控えたロサンゼルス近郊の地方都市を舞台に、不可解な警官殺しを発端とする陰謀の幕が上がる。特に主人公を設定せず、一夜にして街全体がパニックに陥っていく情景をドキュメントタッチで描いており、なかなかの力作だ。

 米国内部に根を張るアラブ系のテロ組織の依頼により、冒頭で〝プロ〟のテロリストが海を渡り上陸するのだが、途中で鮫に手こずるシーンを挿入しており、これが皮肉なラストへと繋がっている。警察対テロリストという図式でラストまで突っ走り、とにかく警官らがバタバタと殺されていく。ゴダード自身に科学捜査員としての経歴があるため、捜査活動の細かい描写は的確で、警官らのやりとりもリアリティに富んでいる。不条理な殺戮に激高し、テロリストを追い詰めていく刑事らの執念が横溢する。

 評価 ★★★

 

殺戮者 (扶桑社ミステリー)

殺戮者 (扶桑社ミステリー)

 

 

「ランニング・フォックス秘密指令」ボブ・ラングレー

冒険小説の魅力を凝縮した1978年発表の秀作。大作ではないが、危険な任務に赴くことを厭わない男たちをスピード感溢れる筆致で活写し、やはりラングレーは希少な作家の一人であることを再認識した。

1976年、アフリカの独立闘争に揺れる英国植民地ローデシア(現ジンバブエ)で、現勢力の延命を懸けた秘密指令が発令される。軍情報部長官の独断で北イングランドにあるウインズケール核再修理工場からプルトニウムを盗み出し、原子爆弾入手で母国の情勢を変えようとする目論見だった。英国管理下でプルトニウムは厳重に守られており、近づくことは至難の業だったが、計画を起案したローデシア将校には秘策があり、無謀ともいえる極秘作戦を遂に実行に移した。

過去に秘密を抱えたローデシア将校ホイッティカー、IRA暫定派副参謀長クーガン、実弟をクーガンに殺されたSAS中佐パーカー、英国保安部長官ストレイカーという主要な男四人の行動を中心に、適度なロマンスも加えつつ、粗削りながらもラングレーならではの世界で登場人物が縦横無尽に動き回る。冒険小説ファンの心をくすぐる要素には事欠かず、軽妙なオチも爽やかな読後感を残す。 特に主人公を設定している訳ではないが、ラングレー自身の投影ともいうべき、〝冒険野郎〟ホイッティカーの生気溢れる活躍が本作の読みどころだろう。

 評価 ★★★★

 

ランニング・フォックス秘密指令 (創元推理文庫)

ランニング・フォックス秘密指令 (創元推理文庫)

 

 

「ゴーストマン 時限紙幣」ロジャー・ホッブズ

「21世紀最高の犯罪小説」という売り文句に加え、同業者や批評家の大絶賛が並んでいるが、どうにも精密さと盛り上がりに欠ける作品で、〝天才作家〟などという称賛は逆に嫌味ではないのかと勘ぐるほどだった。この程度のクライムノベルなら、創作時期や時代背景が異なるもののハドリー・チェイスが何作も書いているし、より上質な仕上がりで楽しめる。期待していた分、失望も大きい。私個人と波長が合わなかったと結論付ければそれまでなのだが、全てに於いて中途半端な印象しか残っていない。

まず、登場人物の造形が浅い。主人公は隠語で「ゴーストマン」と呼ばれる役割を担う男で、関わった犯罪の痕跡全てを消しさることが使命となるのだが、その専門稼業の特異性が今ひとつ伝わらない。名うてのゴーストマンだったらしい元女優に師事し訓練の末に第一人者となったという設定だが、その核となるのは、かつらや化粧、声色で別人に成り済ます「変装の達人」でしかないのである。他に何か特殊な才能があるかといえば、指紋が無いということぐらいか。犯罪組織には重宝がられていたが、マレーシアの銀行を狙った大仕事で失策を犯し、男は姿を隠す。その5年後、当時の犯罪計画立案者から「借りを返せ」と呼び出されるというのが発端となる。

男が強要されたこととは、犯罪プランナーが関わった強奪事件の後処理。現金輸送車を狙った計画が漏れていたことに加え、その紙幣には時限式の特殊な爆弾が仕掛けられていた。実行犯2人の内、1人は死亡、1人は重傷を負いつつも金を持って行方をくらます。背後にはギャング同士の抗争があり、これを好機と捉え潰し合いへと転回する様相を見せていた。ゴーストマンが借りを清算するためには、24時間以内に120万ドルの「時限紙幣」を奪回しなければならない。

本作には、さまざまな犯罪の〝天才的〟プロが登場するのだが、彼らの思考/行動から玄人ぶりが伝わることは無い。交互に語られていくマレーシアでの銀行強盗の顛末も、計画自体が穴だらけで予測された危機に対処もできずに破綻しており、ゴーストマンも大した活躍もせず地下に潜る。主人公はタフで頭の切れる男であり、他の登場人物らにも一目置かれる犯罪者としてホッブズは描いているのだが、物語中にそれを納得できるエピソードは無く、違和感がある。読み進めても、主人公の自尊心の拠り所が不明なため、闇組織と真正面から渡り合う姿が滑稽に感じた。

終盤に主人公は麻薬密売組織の小ボスと対峙し啖呵を切るのだが、その手法としてロシアン・ルーレットを選ぶ。これがまた都合良く事が運び、本来なら緊張感を煽るシーンだが、リアリティに欠けている。タネがある訳でもなく、ハナから強運の持ち主であることを結果によって示すだけだ。要はご都合主義が目立ち、ムードのみが先行している。唯一面白いと感じたのは、小道具である携帯電話の大量廃棄。通信手段としてゴーストマンがあらゆる場面で活用しては放り投げていくのだが、これこそ存在を示す痕跡とならないのかと苦笑した。

評価 ★★

 

【追記】著者はこの後、急逝した。若干28歳、まだまだこれからだったに違いない。クライムノベル、久々の新星として期待されていただけに残念だ。

 

 

ゴーストマン 時限紙幣

ゴーストマン 時限紙幣

 

 

「ホプキンズの夜」ジェイムズ・エルロイ

空回りした情念によって構成が乱れ、前作「血まみれの月」にあったドス黒い世界観まで打ち壊す明らかな失敗作だ。この後、エルロイは「ブラック・ダリア」という凄まじい傑作を上梓するのだが、デビュー以降の長い模索期に創作したホプキンズ・シリーズは、独自のノワールを確立する所謂「暗黒のLA三部作」に達するまでの長い試作期間ともいえる。部長刑事ロイド・ホプキンズ登場の第2作目となる本作には、その迷いと焦りがはっきりと表れているように感じた。
カリスマ的な精神科医のもとに集い、洗脳されていく成金やエリートたち。擬似宗教家は己の妄想を現実化するために、殺人や強盗などの試練を与えて達成することを要求。やがて失踪した元警官もその一派に加わっていることが判明する。同時期に警察内部からホプキンズを含む6人の資料が盗まれており、ホプキンズは些少な手掛かりから真相を追い求めていく。

「…の月」が秀れていたのは、殺人者とホプキンズの「狂気」が臨界点で一致し共鳴するさまが見事に描かれていたからなのだが、本作では最後まで乖離しており、展開も凡庸なものだ。通常の警察小説であれば「善と悪」の対照に違和感などないが、エルロイに求めることとは別次元の世界での対決であり、その果てのカタルシスである。人間の暗黒面を題材とはしているが、プロットと同様に咬み合わない刑事と殺人者のやりとりは破綻したままに暴力的決着をもって終幕を迎える。

評価 ★★

 

ホプキンズの夜 (扶桑社ミステリー)

ホプキンズの夜 (扶桑社ミステリー)

 

 

「天国の囚人」ジェイムズ・リー・バーク

アクの強いバークの作品は、はっきりと好き嫌いが分かれるだろう。「文学畑出身者が書いたミステリ」そのもので、時に物語の展開を妨げるほど、自然描写や郷愁にまつわるエピソードが挿入されていく。そもそも文体が異質で、過度に情感を滲ませ、客観的/簡潔なハードボイルドのスタイルとは程遠い。要はテンポが悪いのだが、俺の世界が解らなければ読まなくてもいい、というバークの姿勢は、或る意味潔いともいえる。翻訳は途絶えているが、本国では今も変わらずシリーズは続いており、独自のポジションを確立しているようだ。
プロット自体は複雑な謎解きはなく、ルイジアナ南部のバイユー地帯で、しがない貸し船屋を営む元警官デイヴ・ロビショーの不器用な生き方を主軸に描く。猪突猛進型なために自らトラブルを引き寄せ、そこから物語が動くという屈折した構成なため、「主人公」主体で引っ張る連作といっていい。マット・スカダーやC・W・シュグルー顔負けのアル中ぶりや、衝動的な暴力志向は、通常であれば本筋と直接関係の無い枝葉となるところだが、メインプロットよりも力を入れて印象深いシーンに仕上げているところがバーク流といえる。
本作は1988年発表の第二作で、ロビショーは自らの無鉄砲な行動によって案の定災厄を招き寄せてしまう。麻薬の絡む不法入国を発端に裏組織への接触を図るロビショー。無謀なアウトサイダーとしての行動は、当然のこと身内に犠牲者を出し、身勝手ともいうべき私闘へと変わっていく。
擬似的な家族の在りようなど新しい試みも取り入れているのだが、濃密な文章とマイペースな主人公を受け入れられるかどうかで、評価は違ってくるだろう。

評価 ★★

 

天国の囚人 (角川文庫)

天国の囚人 (角川文庫)

 

 

「361」ドナルド・E・ウェストレイク

ウェストレイクはデビュー後、立て続けにドライなクライムノベルを書き、ハメットの衣鉢を継ぐ新鋭として期待されていた。本作は1962年発表の三作目で、やさぐれた若者の復讐劇を荒削りながらもシャープな文体で描く。構成は破綻すれすれで、主人公の情動は不安定なため、目的さえ見失った刹那的な殺し合いが終盤まで続く。ウェストレイクが本作で何を描こうとしていたのか読み取ることは難しいが、それまでとは違う退廃的なクライムノベルの可能性を模索していたのかもしれない。だが、本作はあまりにも無骨で、前2作と比べて洗練されているとは言い難い。

評価 ★★

 

361 (ハヤカワ・ミステリ文庫 24-3)

361 (ハヤカワ・ミステリ文庫 24-3)

 

 

「罪の段階」リチャード・ノース・パタースン

リーガルサスペンスの傑作として名高い1992年発表作。しばらく本業の弁護士に専念していたパタースンは長期休暇を取り一気呵成に書き上げたという。主人公は処女作「ラスコの死角」と同じクリス・パジェットだが、心機一転の本作で再び起用した訳とは、十数年の歳月を経て様々な経験を積んだ自分自身を、本作でも同じように歳を取ったパジェットに投影しようとしたのかもしれない。

本作は、ホテルの密室で発生した殺人事件が、レイプに対する正当防衛か、もしくは加害者の女性によって仕組まれたものかを裁くもので、法廷で畳み掛ける終盤は別として、中途までは証拠と証人探し、強姦を巡る実証性をじっくりと描いているため、ややテンポに欠ける。「…死角」ではパジェットの一人称語りだったが、本作では三人称に変えて多面的に状況を物語るため、両作品の持つ雰囲気は随分異なる。デビュー当時はロス・マクドナルドを後継する作家とも評されていたが、作品自体は社会派であっても、ハードボイルドのテイストは薄かった。本作では、ラスコ事件に関わるエピソードも多く、主要な登場人物も引き継いでいるのだが、ジェンダーや家庭崩壊などアメリカ社会が抱える闇を照射する批判性はより強まっており、「…死角」とは別物といっていい。

親と子の絆が重要な核となり、法廷闘争を展開。殺人者として裁かれるのは、パジェットの愛する息子の母親であり、物語は弁護士自身の私的な闘いとしても描いていく。だが、嘘と虚栄にまみれた偽装を剝がし明らかとなる事実は、守るべき対象を歪め、パジェット自身を残酷な結末へと導くものだった。
敢えて強姦という重いテーマを選び、闘わずに泣き寝入りする女性が多いという現状を踏まえたパタースンの強いメッセージが込められている。

評価 ★★★

 

罪の段階〈上〉 (新潮文庫)

罪の段階〈上〉 (新潮文庫)

 

 

罪の段階〈下〉 (新潮文庫)

罪の段階〈下〉 (新潮文庫)

 

 

「裏切りのネットワーク」ショーン・フラナリー

1983年発表、スパイスリラーの秀作。核兵器「誕生」以後の世界で暗躍する国際組織「ネットワーク」の謀略を扱っているのだが、その歪んだ動機が独自性に富みユニークだ。仮に人類が絶滅を迎えようとした時、資本主義社会で最も「損害」を被る集団とは何か。脆弱ながらも保たれているパワーバランスが崩れることを恐れ、人間のいない社会を忌み嫌う存在とは何か。それは、不安定な世界情勢のもとでこそ独占的収奪を果たすことのできる肥大化した多国籍企業に他ならない。

時に紛争を煽り勢力図を書き替えつつ、土地売買や軍事システム開発などにより膨大な利益を得て更に資本を蓄える企業。対立する国家が共倒れとならないように、両陣営に潜入したスパイが互いの政府の動向/情報を共有した上で、均衡を維持するための対策を講じ、攻撃を加える。要はカネを生み出す対象が消滅することは避けるが、「生殺し」の状態のままで生命維持装置を起動し続けることを優先するのである。「ネットワーク」とは、その独善的企業の一機関であり、擬装した「平和」のもとで膨脹する集合体の地下組織を差す。

本作は、世界中の諜報機関内に潜り込んだ「ネットワーク」工作員を炙り出し、その狙いを突き止めようとするCIA局員の動きをメインに描いていくのだが、愛憎と裏切りを巧みに盛り込み、展開もスピード感に溢れている。読みどころは、「ネットワーク」の正体を徐々に解き明かしていく謎解きの面白さだろう。

評価 ★★★☆

 

裏切りのネットワーク (ハヤカワ文庫 NV (382))

裏切りのネットワーク (ハヤカワ文庫 NV (382))