海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「気狂いピエロ」ライオネル・ホワイト

フランス映画/ヌーヴェルヴァーグ気狂いピエロ」(ゴダール監督/1965年公開)の原作で1962年発表作。原題は「Obsession」で妄執/強迫観念を意味する。
ホワイトは本作を含めて僅か3作しか翻訳されておらず、他の2作は入手困難なため、作風などの全体像は掴めないが、巻末の解説と著作リストを読む限りでは、一貫したスタイルの犯罪小説を書き続けたようだ。

物語の書き手となる男は、人里離れた地で終幕を迎えようとしている。不気味な静けさに包まれたプロローグは、結末へと繋がるシーンであることを暗示し、幾つかの伏線を張っている。男は綴る。
「いったいなぜこんなことになってしまったのか」
時は半年前へと戻り、或る少女との出会いから人生が一変した男の回想が始まる。

シナリオライターコンラッド・マッデン、38歳。失業中で常にカネに困り、妻子への愛情も薄れ、酒を飲むことで決断を先延ばしにする冴えない男。何の前触れ無く、その日は訪れた。パーティー出席のために雇ったベビーシッターのアリー。まだ17歳だが妖しい魅力を放っていた。友人メドウズの車を勝手に借りたコンラッドは、彼女をアパートまで送り、一夜を共にする。酔い潰れて目覚めた翌朝、信じられない言葉を聞く。隣の部屋に死体がある。アリーは平然と告げた。生活の面倒を見てくれていた男だが、眠っているコンラッドに嫉妬して殺そうとした為、刺した。死んだ男はギャングの下っ端だった。その傍には、集金したばかりの大金を詰め込んだ鞄。怖じ気づいたコンラッドは警察を呼ぼうとするが、アリーが制止した。状況は、過去に戻ることを許さなかった。
序盤からストーリーは大きく動き、加速する。
コンラッドが眠っていた間、アリーのアパートに妻も訪れていた。伝言は当然「もう帰ってこなくていい」だった。間の悪いことに、メドウズが車を回収しにやってきた。転がった死体とカネを気付かれ、殴って昏倒させた。全てが「逃亡」一択へと追い込んでいく。コンラッドとアリーは、すぐさまニューヨークを離れ、終わりのない逃亡生活へと入った。

本作も、いわゆるファム・ファタール〝宿命の女〟の物語だが、肌触りは少し違う。
コンラッドは、妻以外への愛を抱くことはできないが、若い女の肉体から離れられない。性的欲望のみで呪縛されていた。逃亡を続ける中、男は常に疑心暗鬼に苛まれ鬱状態にいる。全編を流れているのは、かりそめの情欲に溺れ、刹那的な今を生きざるを得ない中年男の焦燥と漠然とした喪失感である。だが、意外に狡知に長けたところもあり、偽りの身許を手に入れた後、ギャングから奪ったカネを元手に成り上がろうとも試みる。この辺りの意外性のある流れはユニークだ。しかし、追っ手は警察だけではなかった。ギャングの親玉も執拗に彼らの痕跡を辿ってきており、破滅の時は刻一刻と近づいていた。

大概の読み手は、ジェイムズ・ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1934)を想起するだろうが、スタイルとしてはハドリー・チェイスに近い。それは主人公の醒めた視点、窮地に立たされながらも、どこか第三者的に己を傍観しているような節があることと、後半の襲撃計画や裏切りにひと捻り加えているためだ。要は濃密なノワールではなく、娯楽小説として割り切り、読み手を楽しませる工夫を凝らしていることにある。
これまでホワイトは、日本のハードボイルド/ノワールファンにとっては名前ばかりが先行する幻の作家だったが、本作をきっかけに再評価され、新たな翻訳の機運が高まることを期待したい。
評価 ★★★

 

「チェシャ・ムーン」ロバート・フェリーニョ

惹句にはハードボイルドとあるが、サスペンス基調のミステリという印象。主人公クィンは元新聞記者で現在はゴシップ誌のライター。元妻とは友達付き合いを続けており、同じ敷地内にある離れで暮らしながら、幼い一人娘の寝姿を裏庭の木から見守る日々。そんな中、古い付き合いの故買屋が助けを求めてきたが、間もなく不可解な状況で死ぬ。警察は自殺と結論付けるが、納得できないクィンは自死を否定する僅かな手掛かりをもとに独自に調査を始める。一方、クィンの行動に勘付いた殺人者は、その跡を付け回し、命を狙う機会を窺う。

期待して読み始めたが、どうにも中途半端で独自のスタイルがない。翻訳者後書きでは評価の高い作家らしいが、本作を読む限りでは人物に生彩が無く、物語に深みもない。旧友の死を原因を突き止めるために主人公が立ち上がるまではいいが、常に殺人者の影に怯え、弱さばかりが際立つ。肝心の殺人者の造形も物足りない部分が多く、不自然な展開も目立つ。要は総体的に薄く、軽い。ハードボイルドを謳うのであれば、文体にも味わいが欲しい。

評価 ★★

 

「鋼の虎」ジャック・ヒギンズ

「山脈の向こうの空は群青色と青に染まり、太陽がゆっくり昇ってくるにつれ、万年雪の上に黄金色の輝きが拡がった。眼下の谷は暗く静まりかえっていて、聞こえるものといえば、チベットへの迷路をたどるビーヴァー機の、低く、絶え間ない唸りだけだった」
静謐なシーンから始まるヒギンズ1966年発表作(本名ハリー・パタースン名義)。
この臨場感豊かな幕開けから、一気に冒険小説の世界へといざなう。常々感じることだが、冒頭数ページで作家の力量は試される。情景から、台詞から、或るいは背景説明から。作家は、読み手を引き込むための技術を駆使する。経験上、プロローグが駄目な場合は凡作が多い。無論、エピローグで手を抜いた作品も同様。余韻は、何時間も掛けて読み進んできた本編の評価にも繋がる。

主人公ジャック・ドラモンドは、元英国海軍航空隊中佐で、除隊後はフリーのパイロットとしてインドを拠点に活動していた。危険地帯へも飛ぶ〝運び屋〟となり、カネを貯めて早々に引退することを夢見ている。
舞台は中国とインドの国境、雪に覆われた山岳地帯。ここには反中国のチベット人ゲリラのアジトがあり、衝突が絶えなかった。水陸両用機ビーバーを操縦し、台湾工作員の依頼で武器類を運んだドラモンドはインドへと戻り、旧友の軍人らと休養を楽しんでいた。そこへ看護師の若い女ジャネットが訪れ、太守の息子を治療のため米国へ運んでほしいと依頼する。だが、間もなく中共軍の部隊が進撃を開始。ドラモンドが物資を運んだゲリラ部隊は現地人の目を欺く敵の偽装だった。間もなく太守の息子が滞在する村が強襲された。迎えに赴いていたドラモンドだったが、飛行機は破壊されたため、陸路を辿り安全地帯まで逃げ延びることを強いられた。かくして豪雪の山中での決死の逃走と戦闘が始まる。

大仕掛けはないが、戦争冒険小説の骨格はしっかり持っている。無名時代の作品で、恐らく熱心なファン以外は手に取ることもないだろうが、冒険小説を愛する者にとっては読み逃せない。ヒギンズ後期はマンネリ感が否めない部分もあった(逆に安心感を覚える場合もある)が、初期は意欲的に設定に工夫を凝らし、構成も引き締まっている。本作は文庫本で200頁ほどのボリュームだが、密度は濃く、展開が早い。誇り高いアウトサイダーのヒーロー像などは一貫しているが、ストーリー優先のため、主人公の造形はやや弱い。その分余韻は物足りない面はあるのだが、極寒の山岳地帯の情景や、緊迫感に満ちた戦闘シーン、甘いロマンスの要素など、ヒギンズお馴染みの世界が拡がり、ファンであれば楽しめるだろう。
評価 ★★★

 

「陸橋殺人事件」ロナルド・A・ノックス

本職は聖職者という異色の作家で、創作上のルールを定義した「ノックスの十戒」でミステリファンにはお馴染みだろう。創作期間は10年と短く、本人の意志に反して、教会など身内の抵抗にあって断筆に追い込まれたらしい。環境に恵まれなかった不運なノックスだが、処女作となる本作を読む限りでは、シニカルなユーモア感覚の持ち主だったことが分かる。
翻訳本の後書きでも触れているが、冒頭で書き手が「事件発生の場所を架空にする作者は信頼できない」と前口上するにも関わらず、本作の舞台は架空であること。後年に著した「十戒」で提言したフェアプレイの精神に必ずしも忠実ではなく、敢えて定石を破る構成であること。保守的なミステリ界隈を茶化している感があり、その延長線上に「十戒」という堅苦しい戒律を示して、作家や読者の反応を楽しむノックスの捻れた心理が読み取れるのである。

本作のストーリーは暇をもてあました素人探偵が、ゴルフ場近くの陸橋から落ちたと思しき死体を巡り、探偵ゲームに勤しむというもの。本格物の形式を捩った〝メタミステリ〟の一種で、時期的には、この分野での先駆といっていい。深みや味わいはないが、プロット自体は練られており、ストレートなミステリに飽き足らない読者には向いている。ただし、推理合戦のネタとなるトリック用小道具には不自然さが目立ち、こじつけも多い。人物の描き分けも決して巧みとはいえず、整理しきれていない。ただ、遊戯としてのミステリに対する作者の愛情は伝わってくるため、苦笑しながらも楽しむことはできるだろう。
種明かしをする結末のあっさり感は、名探偵が関係者一同を集めて延々と推理を披露する既存のミステリへの当て付けと受け止めることができ、ノックスの得意げな顔が浮かんでくる。

本作発表は本格推理黄金期にあたる1925年。この時代は、主流であったストレートな謎解きものが飽和状態に達し、サスペンスやハードボイルド、スパイ小説などに本格的な書き手が次々に登場して、広義のミステリとしてのジャンルが成熟しつつあった。いわば本格ものを〝変格〟する土壌も整っていた時で、しかも専門作家以外からのアプローチというのも面白い。

評価 ★★★

 

「ヘッドハンター」マイケル・スレイド

スレイドはカナダの弁護士三人(本作以降、共同執筆者は変わっている)による合作チームのペンネームで、1984年発表の本作でデビューした。フォーマットは警察小説だが、サイコスリラーの要素を大胆に盛り込んでおり、全編が異様なムードに包まれている。

不特定の若い女を狙った連続殺人。被害者に目立った共通点や接点は無かったが、殺人者は犯行後に首を持ち去っていた。連邦警察機構のディクラーク警視率いる特別捜査本部は、各分野の俊鋭を隊員として招集し、異常犯罪者らの洗い出しを始める。犯行は止まることなく、殺人者から挑発のメッセージも届く。やがて浮かび上がってきたのは、ハイチ発祥のブードゥー教にまつわる黒魔術で、殺人鬼が個人ではない可能性も出てきた。その後も一向に捜査は進まず、過去に妻子を惨殺されるというトラウマを抱えていたディクラークの精神状態は悪化していく。

どうにも良くない。サイコスリラーと捜査小説のごった煮で、読み手はかなり苦戦を強いられるだろう。章立ては短いが、無駄に登場人物が多く、しかも時代や場面が頻繁に飛ぶため、テンポ良く読み進めることが難しい。文体も一貫性がなく、ゴシック体なども意味なく多用する。合作の弊害故か構成も粗い。伏線らしきものを大量に挿入しているのだが、殆どは回収されることはなく、単にエキセントリックなカオスだけが印象付けられていく。情報は整理されないまま散らばり、状況が分かりづらい。一応ディクラークを主人公に据えてはいるものの、視点のブレが激しいため物語の軸が安定しない。文体は異常心理と幻想が織り交ぜになっており、しかも主役級の刑事まで心的外傷によって暗鬱としたエピソードを繰り返すため、タチが悪い。真相には捻りを加えてはいるが、この人物が真犯人だろうという察しはつくため、衝撃度は弱い。

マイケル・スレイドについては、先に「髑髏島の惨劇」を読んでおり、異色の本格ミステリとして読後感は悪くはなかったため、本作も期待して読み始めたのだが、どうやら出来不出来は激しいようだ。

評価 ★★