海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「トランク・ミュージック」マイクル・コナリー

1997年発表ハリー・ボッシュシリーズ第5弾。デビュー作以降は、己の過去と対峙し、そのトラウマを清算/払拭するための私闘を主軸としていた。母親の死を扱った前作「ラスト・コヨーテ」でそれも一段落つき、本作からは、殺人課刑事として犯罪者を追い詰めることに主眼を置いた警察小説の色を濃くしている。いわば、シリーズは第二期へと入ったのだろう。

ハードボイルドのテイストが失われているわけではない。だが、一匹狼ではなく、捜査チームを取りまとめる長としての責任を優先するボッシュの姿に、正直物足りなさも感じた。時に暴走する危うさを秘めた孤高の男といったイメージは薄れ、サブストーリーとなる元恋人への執着など、ボッシュから孤独の影を消そうという意図が見える。恐らく、そこにはプロットの面白さで勝負したいというコナリーの意欲が表れているのだろう。二重三重に練り込んだ筋立てなど、ミステリとしての完成度がさらに高まっていることは間違いないのだが、マット・スカダーのように急速に精彩を欠いていかないかという危惧はある。

ハリウッド映画界の最下層にいる女優、悪質プロデューサー、蔓延する犯罪組織など、ハードボイルド創生期では馴染みの舞台設定を、現代風にアレンジしているのだが、謎を解く主体が科学的捜査になってしまっているのは、何とも寂しい。本作は中盤まではかなりもたつき、細かく章分けされた後半に至って、ようやくスピード感が増す。相変わらず構成は巧みで、序盤からの伏線も見事なものだが、全体で見れば、シリーズの過渡期的な位置を本作は占めそうだ。

評価 ★★★

 

トランク・ミュージック〈上〉 (扶桑社ミステリー)

トランク・ミュージック〈上〉 (扶桑社ミステリー)

 

 

 

トランク・ミュージック〈下〉 (扶桑社ミステリー)

トランク・ミュージック〈下〉 (扶桑社ミステリー)

 

 

「パラダイス・マンと女たち」ジェローム・チャーリン

〝嫉妬する〟殺し屋を主人公にした風変わりな犯罪小説。幕開けのムードは良いものの、プロットはぎこちなく、中途で破綻している。謎解きの要素は皆無、ノワール色も薄い。

舞台はニューヨーク。物語は、その裏社会で繰り広げられる抗争を軸とする。キューバの地を追われた者どもが集う犯罪組織ラ・ファミリア、同じくカストロが追い出したバンディードと呼ばれる密教を母体とする新興ギャング、さらにマフィアと結託し権力を振るう地方検事ら。激化する縄張り争いは、血と暴力と死を必然のものとした。裏組織の隠れ蓑でもある毛皮会社、その副社長の肩書きを持つホールデンの主業は、借金取りと殺しだった。
一撃で天国送りとすることから、パラダイス・マンと呼ばれた男は、殺しの仕事の現場に居合わせた〝豹の目を持つ少女〟を保護する。同時期に有力者の娘が誘拐され、ホールデンは奪還の依頼を受ける。即日一味を抹殺するが、誘拐犯の一人は殺し屋の幼なじみだった。誘拐された女は、眼前の殺戮にショックを受ける様子もなく、やがてホールデンに身を委ねていく。

パラダイス・マンが出会う、さまざまな境遇の女たち。だが、〝ファム・ファタール〟というよりも、俗物的で魅力には乏しい。殺し屋は非情ではあるが、己の情欲には忠実で、見境無く嫉妬する。さらには、展開上不可欠な裏切りに対する復讐を完遂しない。愛する女を再び手にするために、保身に走る冴えの無さ。どうにも、歯痒くキレが無いのである。
殺し屋の一貫性の無さは、犯罪小説に対する著者のアイロニカルな考え方を反映しているのか、それとも〝新感覚〟という体の良いスタイルを押し出しているのか。何れにしろ、スタイリッシュさよりも無骨さが際立つ。

評価 ★

 

パラダイス・マンと女たち (ミステリアス・プレス文庫)

パラダイス・マンと女たち (ミステリアス・プレス文庫)

 

 

「夏を殺す少女」アンドレアス・グルーバー

オーストリアの作家が主にドイツを舞台にして描いたミステリで、児童虐待という重い主題を扱いながらもスピーディーな展開で読ませる秀作。謎解きの要素は薄く、サスペンスを主軸とした捜査小説で、飾らない文章は実直な著者の人格を表しているようだ。
主人公は、やさぐれてはいるが経験豊かな中年男と、才気煥発だがまだまだ未熟な女性という二人。定石の設定ではあるが、中盤辺りまで別々に物語が進行するため、余分なやりとりが発生せず、くどさがないのが良い。真相が明らかとなる要所で二人の追跡行が交差するさまも自然だ。

オーストリア在住で経験の浅い弁護士ヴェリーンは、元小児科医や市会議員らが連続して不可解な状況下で事故死した案件を調査していた。一方、ドイツ/ライプツィヒ警察の刑事ヴァルターは、精神病院入院中の少女らが相次いで不審死を遂げている事件を捜査していた。二人は、丹念な観察力と鋭い直感力によって、隠された事実への足掛かりをつかんでいく。だが、いまだに双方での殺人は続いていた。やがて、過去に小児性愛好の金満家らに拉致され、集団で虐待/性的暴行を受けた孤児らの存在が浮かび上がる。或る一点で結びついた謎解明の手掛かり。宿命的に二人は出会い、志を共有し、行動を共にする。

立ち位置が入れ替わる加害者と被害者。卑劣な犯罪者と哀しい復讐者の実像。果たして、狂っているのはどちらか。ヴェリーンとヴァルター、それぞれの視点で見つめる深層は、悲劇的で残酷性に満ちたものだ。

評価 ★★★☆

 

夏を殺す少女 (創元推理文庫)

夏を殺す少女 (創元推理文庫)

 

 

「アンドロメダ病原体」マイクル・クライトン

才人クライトン1969年発表作。分野はSFとなっているが、不可解な謎の正体を探るサスペンス/スリラーとして読んでも何ら違和感はない。
物語を要約すれば、墜落した米軍の人工衛星に付着していた未知の病原体によって人類絶滅の危機が迫る中、予め選ばれた科学者らが叡智を結集し対抗手段を取るというもの。当時の科学/生物学/遺伝学などの知識をフルに駆使し、ドキュメントタッチの手法で、ラストまで一気に読ませる。人間が描かれていない、という指摘は概ね当たっているが、執筆時の20代後半という年齢を考えれば許容の範囲内であり、プロットの巧みさが欠点を補って余りある。導入部から結末まで適度な山場を作りながら、終盤にタイムリミットを設けるなど、ツボを押さえたハリウッド映画的な展開は、ベストセラーとなる必須条件を満たしている。

本作で特に印象に残ったのは、「異星の種族が他の文明との接触を試みる場合、最も確実な方法とは何か」という仮定を述べた部分。即ち、
それは「自己再生能力を持ち、大量に培養できる生物に他ならない。接触を遂げたのちに、成長し、増殖し、分裂する。細菌はやがて、コミュケーション器官を持つ」
簡潔でありながらも、よく考えられている。別の惑星に到達した後、長大な年月を経て進化の過程を辿り、そこの住人と交感する能力を持つ未知の生物。SFは門外だが、この筋立てで書かれた作品もあるのだろうか。

評価 ★★★★

 

アンドロメダ病原体〔新装版〕

アンドロメダ病原体〔新装版〕

 

 

「ノース・ガンソン・ストリートの虐殺」S・クレイグ・ザラー

ヴァイオレンス主体の無味乾燥な凡作で、カタルシスも無く、単に下劣な作品といった印象。米国片田舎にある腐敗した警察と町に蔓延るギャング団とのケンカ/縄張り争いを描いているのだが、「やられたら、やりかえす」という短絡的な復讐の連鎖のみで展開し、冒頭から結末まで印象に残る情景がひとつもない。要は、この作家が何を主題に書いたのか、という創作の基点が分からない。仮に本作のような、警察官自体に「正義」という倫理観が欠如した物語にするのであれば、アイロニーも含めた社会批判性や、無常/虚無感など少なからず感じ取れるはずだが、殺伐とした文体と起伏のない構成、なおざりな人物造型から伝わるものは、限りなく「ゼロ」だ。主人公の刑事をはじめ登場人物は須く俗物で、含蓄のある言動など望むべくもない。挑発/攻撃に対して、即の宣戦/リベンジが条件反射。教養のある人物は皆無で、警官を含めて悪人は小物ばかり。通常であれば、物語を大きく揺り動かすはずの復讐のエピソードは共感できず、〝売り〟であるというヴァイオレンス・シーンも中途半端で退屈。中身は薄く、ひたすらに長い。味気ない文章でテンポ良く読めるというのが唯一のプラス点だ。

評価 ☆

 

ノース・ガンソン・ストリートの虐殺 (ハヤカワ文庫NV)

ノース・ガンソン・ストリートの虐殺 (ハヤカワ文庫NV)