海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「深夜プラス1」ギャビン・ライアル 【名作探訪】

冒頭の1ページからラスト1行まで痺れる小説など滅多にあるものではない。冒険小説の名作として散々語り継がれてきた「深夜プラス1」だが、読者が年齢を重ねる程に味わい方も深くなる大人のためのエンターテイメント小説であり、陶酔感でいえば当代随一であろう。優れた作家のみが成し得る唯一無二の世界へとどっぷりと嵌り、惜しくも最終ページへと辿り着いたあとは、軽い恍惚感と心地良い余韻にしばし浸る。他の作品では今ひとつ精彩が無いギャビン・ライアルが遺した奇跡のような「深夜プラス1」。発表は1965年。新訳を機に再読する。

 第二次大戦終結から二十年後。元レジスタンスの闘士ルイス・ケインは、無実の罪で警察に追われる実業家をフランスからリヒテンシュタインまで護送する依頼を引き受ける。護衛役となる相棒には、元シークレットサービスで欧州3位の腕を持つガンマン/ハーヴィー・ラヴェル。大西洋岸のブルターニュに到着した実業家と秘書を乗せ、目的地に向けてシトロエンDSは闇の中を疾走する。その先に待ち受けるのは、正体不明の人物に雇われた殺し屋たちの罠。予測不能の強襲に対し、ケインらは培った経験と技術で応酬する。

物語の構成は極めてシンプルで、黒幕となる人物も意外性としては低い。だが、複雑なプロットを排した故に、展開するストーリーの密度が濃くなっている。一瞬の判断で危険を察知/回避し、敵を如何に欺いて翻弄するか。プロの仕事に徹するケインとラヴェルの伎倆が燻し銀の輝きを放つ。

 成熟しながらも過去への感傷を捨てきれない男のロマンティシズムが横溢し、独自の世界観を創り出す。主人公や脇役、端役に至るまで、その場/その状況に応じてぴたりとはまる言動をとるのだが、これが実にクールでスタイリッシュなのである。登場人物の信条やレトリック、銃器や自動車へのこだわりなど、本筋よりも細部を味わうことに喜びを見出す〝欲深い〟冒険小説ファンにとっては、読めば読むほど味が出るに違いない。殺し屋を「ガンマン」と呼称するところなど、懐古的でありながらも、舞台をヨーロッパに移した「ウエスタン」としても捉えることでき、新鮮な印象を残す。

キャラクターとして人気の高いラヴェルだが、ドライなケインに比してウエットな性格であり、中途からは殆ど役に立たない。硬い殻の中に弱さ/ナイーブな一面を持つラヴェルは、或る種の女々しさも併せ持つハードボイルドの世界を象徴する人物ともいえる。ハードに生きる男の理想像を描きつつ、ラヴェルのような鬱屈した人物を配置したライアルの巧さが光る。再び暴力の世界へと戻り、己を律することで仕事を成し遂げたケインの自信と誇り。ラストシーンにおいて、対極的に収束する二人のアイデンティティー。その対峙は一層際立っている。

  名前から女性によく間違えられるらしいが、翻訳家・鈴木恵は男性である。翻訳の良し悪しを評価できる素養を私は持たないが、硬質ながらも単調な言い回しが気になる菊池光に比べ、よりしなやかでスマートな文章に仕上がっており、一人称であるからこその魅力を伝えている。

ソフィスティケートの極みともいうべき「Midnight Plus One」。終幕をそのままに表したものだが、名作に相応しいタイトルを付けたライアルは、この時まさに神懸かっていたのだろう。

評価 ★★★★★☆☆

 

深夜プラス1〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫NV)

深夜プラス1〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫NV)

 

 

「地底のエルドラド」ウィルバー・スミス

 骨太な冒険小説で人気のウィルバー・スミス1970年発表作。南アフリカの金鉱山を舞台に、地底のエルドラド(黄金郷)を巡る男たちの熱い闘いを描く。主人公は鉱山の現場監督を任されている野心に溢れたロッド。部下からの信頼も厚く次期所長として有望株だったが、処世術に長けた鉱山会社次期社長候補の策略に嵌められていく。
地底奥深く、坑内で作業する男たちの息苦しさまでも伝えるスミスの描写力は流石だ。ひとつ判断を誤れば天然ガスに引火して爆発、崩れ落ちた岩石に押し潰されて作業員らが息絶えていくシーン、禁断の地層を突き破り膨大な量の地下水が坑道を流れていくクライマックスなど、臨場感に溢れダイナミックに表現している。
評価 ★★★

 

地底のエルドラド (創元推理文庫 258-1)

地底のエルドラド (創元推理文庫 258-1)

 

 

「拳銃猿」ヴィクター・ギシュラー

スピード感に溢れるクライム・ノベル。ギャング組織の殺し屋集団に所属する男が抗争に巻き込まれ、ボスや仲間を守るために孤軍奮闘する。オフビートな展開でテンポ良く読ませるのだが、勢いのまま突っ走るため構成は荒い。その大味なところが本作の魅力でもあるのだが、肝心のガン・アクションは回数は多いものの、今ひとつ緊張感が伝わらない。主人公は早撃ちを得意とするガンマンという設定ではあるが、その玄人ぶりを披露する描写が甘いと感じた。中盤のロードムービー的なシーンが印象に残る。
評価 ★★★

 

拳銃猿 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

拳銃猿 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「砂漠のサバイバル・ゲーム」ブライアン・ガーフィールド

才人ブライアン・ガーフィールドの1979年発表作。アリゾナの砂漠に、全裸で放り出された男女四人によるサバイバルを描く。その過酷な状況を招いた要因とは、殺人の罪に問われたネイティブアメリカンの男を、精神科の専門医四人の鑑定/証言によって精神病院送りにしたことによる。つまり逆恨みな訳だが、精神を病んだ男は地獄の苦しみを与えるために 、四人を拉致し、夜の砂漠地帯に放置する。着る物も、食料も、水も無く、太陽が昇れば灼熱の地獄が待ち受ける。一人は足の骨折のために、移動することも出来ない。もうすぐ、朝がくる。ネイティブとの混血である男の一人が言う。まずは、一人ひとりが日中の陽を避けることのできる穴を掘れと。
極限状態で、如何に生還を果たすか。ガーフィールドの筆致は坦々としている分、かえってリアルだ。読み手もまた登場人物らの飢渇と焦燥感を共有するのだが、絶望する一歩手前で踏み留まり、ありったけの知恵を絞って境地を脱しようとする人間の底力/生存本能が見事に描かれている。無論、凡庸な人間では半日すらもたないことも思い知らされる。
全体のトーンはポジティブで悲惨な描写も無い。恐らくガーフィールドは人間愛に満ちた好漢なのだろう。
評価 ★★★ 

「トラブルはわが影法師」ロス・マクドナルド

ロス・マクドナルド1946年発表の第2作。リュウ・アーチャー初登場の「動く標的」までの初期4作は、いわば習作的な扱いを受けて注目されることも少ないが、当然ロス・マクファンとしては無視することはできない。本作は、いわゆる〝巻き込まれ型〟スパイ小説だが、不可解な連続殺人の謎を追う軍人を主人公にした一人称形式は、ハードボイルドのスタイルを踏襲している。終戦直後ということもあり、ロス・マクとしては生々しい記憶の残る戦争を小説の舞台にすることが自然だったのだろう。翻訳家/小笠原豊樹の名文もあり、比喩も瑞々しく、登場人物の造形も類型的とはいえしっかりとしている。特に中盤における大陸横断鉄道の列車内での腹の探り合いは弛緩することなく緊張感を持続している。真犯人は大概予想がつくが、アーチャーシリーズ中期以降の複雑なプロットを思えば、ストレートな物語を創作していた〝フレッシュ〟なロス・マクが微笑ましい。
評価 ★★★