海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「地上最後の刑事」ベン・H・ウィンタース

世評は概ね高いが、私は最後まで退屈で仕方なかった。半年後に小惑星が衝突し人類が滅びるという設定は、フィクションとしては手垢のついたものだが、それを加味したミステリとして意識しつつ読み終えても、さほどの新鮮味は感じなかった。 本作は三部作の第一弾で、最終作では絶滅まで後一週間となっている。極めて異常な状況下で、極めて平凡な刑事を主人公に、極めて凡庸なミステリが展開する。幾らでも面白くなる要素はあるのだが、第一作を読んだ限りでは、〝敢えて〟奇をてらうことを避け、絶望と退廃感が徐々に人心を蝕んでいく情景/エピソードが抑え気味に語られる。これが果たしてリアリティに富むものかどうかは読者の受け止め方次第だが、仮にこのような事態になれば、政府による完全な統制は為されず、管理抑制された理性の効く社会とは真逆となり、半狂乱の地獄絵図さながらに終焉していくだろう。 物語は、保険会社の男の自殺に疑念を抱いた新米刑事が、荒んでいく街の中で地道な捜査を続けた末に真相に辿り着くという展開だが、主人公が事件に執着する動機付けに乏しく、頻発してるであろう他の犯罪などに殆ど触れていかない。絶望の中に僅かな希望を見出し、高尚なるヒューマニズム賛歌として読み取ることは可能だが、残された時間の中で一介の刑事が為すことの不条理さばかりが際立つと感じた。

 評価 ★☆

 

地上最後の刑事 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

地上最後の刑事 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「ベルリン 二つの貌」ジョン・ガードナー

スパイ小説の王道ともいうべき、冷戦下の東西ベルリンを舞台に、非情な諜報戦の只中で繰り広げられる謀略と裏切りの顛末を、緊張感に満ちた筆致で描き切った傑作。英国海外情報局員ハービー・クルーガーを主人公とする第2弾で1980年発表作。前作「裏切りのノストラダムス」は冒険小説的な要素が強く、クルーガー自体の印象は薄いものだったが、本作では強烈な存在感を示して堂々の主役を張っている。分厚い大作でありながら、中弛みせず一気に読ませるジョン・ガードナーの力量は流石だ。翻訳や装丁も見事。

東ベルリン駐在のKGB大尉ミストチェンコフが英国総領事館を訪れて亡命を申し出る。その男の上司となるKGB将校ヴァスコフスキーは直前に死亡していたが、後に自殺だったと分かる。不可解な亡命の真意を探るべく審問を始めたクルーガーは、ミストチェンコフが東ベルリン内の諜報網〝テレグラフ・ボーイズ〟のメンバー6人の暗号名を知っていることに驚愕する。その存在は極秘であり、クルーガーを除けば局長と補佐しか知りえない情報だった。ミストチェンコフは副官として、急死した上司に聞いていたのだという。ヴァスコフスキーは、クルーガーが1960年前後に〝テレグラフ・ボーイズ〟を組織する前の諜報組織〝シュニッツアー・グループ〟を潰した張本人であり、多くの諜報員が脱出に失敗して犠牲となった。〝テレグラフ・ボーイズ〟の誰かが裏切者であることは間違いなく、その6人の中にはクルーガーの元恋人もいた。立ちはだかるベルリンの壁。私情を挟むことに難色を示す上層部の裏をかき、自ら真実を確かめるべくクルーガーは懐かしい郷里でもある東ベルリンへと潜入する。

凄まじいテンションを持続したままに、一気に結末へと向かって疾走する。二重、三重に仕掛けられた罠、全てが白日の下に晒された終盤でクルーガーを完膚なきまで打ちのめす無情の事実、壊滅/極限状態での脱出劇。様々なスパイの姿を通して、結果的には国家の名の下に犬死していく虚無感も漂わせつつ、高密度の一大エスピオナージュは終焉する。緻密なプロットと多彩な人物造型、巧みな情景描写、サスペンスフルな展開など、まるで絵に描いたようなスパイ小説の見本である。

 評価 ★★★★★

 

ベルリン 二つの貌 (創元推理文庫 (204‐2))

ベルリン 二つの貌 (創元推理文庫 (204‐2))

 

 

「スコーピオン暗礁」チャールズ・ウイリアムズ

海の底に沈んだ金を巡る争いを描いた巻き込まれ型スリラー。要約すれば以上で事足りるのだが、構成に一捻り加えてあり、発端の謎に二通りの結末を用意している。読者は、メキシコ湾を漂流していた無人のヨットから「発見」された航海日誌、つまりは本編を読んで後、物語の終局について解釈することとなる。

元作家で潜水夫のマニングのもとに美貌の女が訪れる。海に沈んだ自家用機から或る物を引き揚げて欲しいという。操縦していたのは夫で、事情により姿を隠しているが、準備が整い次第、合流して洋上のポイントへ案内すると女は告げた。どう考えてもキナ臭い話だが、瞬時に女に惚れたマニングは依頼を承諾。早速姿を現したギャングらをかわしつつ出発へ向けて急ぐが、事がうまく運ぶ保障など、端からあるはずもなかった。

人物造型や展開の仕方などが荒く、プロット自体も洗練されたものではない。主人公が無謀な冒険に向かう動機も弱く、犯罪絡みの金を取り戻すべく派遣されたギャング2人も生彩はない。だが、主人公が「元作家」という点が本作最大の〝ミソ〟となり、印象深いラストシーンを用意する。

評価 ★★☆

 

スコーピオン暗礁 (創元推理文庫)

スコーピオン暗礁 (創元推理文庫)

 

 

「静かなる天使の叫び」R・J・エロリー

ミステリとしてよりも、文学的な味わい方を求める作品で、苦労人らしい著者の人生経験と創作に懸ける意気込みが伝わってくる。

物語は、第二次大戦前夜の米国ジョージア州の田舎町に住む少年ジョゼフの一人称で進み、その後三十年にもわたって続くこととなる幼女連続殺人を中核とする。主人公は、刻々と変化していく環境の中で事件の謎を追い、遂には真相へと辿りつくのだが、結末で明かされる真犯人は唖然とするほど捻りが無い。そもそも謎解きで読者の興味を引っ張ることを放棄しており、物語の構成/展開も筆の赴くままに仕上げたという感じだ。ジョゼフが家族や隣人、学校の友人や教師など、様々な関係性の中でどう成長していくかを描くことに主眼を置いており、そのひとつひとつのエピソードにマロリーは力を注いでいる。特に、ニューヨークで暮らし始めたジョゼフが文学者の卵らと非生産的ながらも生き生きとしたやりとりを繰り広げるあたりは躍動感に満ちている。

章の合間には、真犯人と対峙している「今現在」の主人公の独白を挿入しているのだが、その暗鬱な悔恨は、やや過剰で緊張感に欠ける。衝撃性の薄いラストに、このパートは大袈裟過ぎて不要だろう。

評価 ★★★

 

静かなる天使の叫び〈上〉 (集英社文庫)

静かなる天使の叫び〈上〉 (集英社文庫)

 

 

 

静かなる天使の叫び〈下〉 (集英社文庫)

静かなる天使の叫び〈下〉 (集英社文庫)

 

 

「冬の裁き」スチュアート・カミンスキー

カミンスキー熟練の筆が堪能できる渋い警察小説。既に孫もいる老刑事エイブ・リーバーマンを主人公とするが、相棒となる刑事ハンラハンも重要な位置を占める。人生の黄昏時を迎えた刑事二人を狂言回し役に、罪を犯す者たちを見つめた〝人間ドラマ〟といった作風で、地味ながらも味わい深い物語が展開する。本作は、日本で初翻訳された1994年発表のシリーズ第3弾。以降、本国では第10作まで発表されているが、翻訳は第5作「憎しみの連鎖」まで。コアなファンを無視し、売れなければすぐに見切りを付ける現代の出版事情を考えれば、これでも長く続いた方かもしれない。

タイトル通り、厳しい冬のシカゴを舞台に、リーバーマンの甥が2人組の強盗に殺害されたケースを扱い、その発端から解決までの一日の流れを時系列で描いていく。当初は行きずりの犯行と捉えられた事件が、終局で予想外の真相へと辿り着く。淡々としていながらも、人生の機微までを伝える筆致が見事だ。
評価 ★★★☆

冬の裁き―刑事エイブ・リーバーマン (扶桑社ミステリー)

冬の裁き―刑事エイブ・リーバーマン (扶桑社ミステリー)