海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「クレムリン 戦慄の五日間」

1979年発表のスリラー。話題作ではないものの奇抜な着想を盛り込んだストーリーの面白さで読ませる。捻りのない翻訳タイトルで損をしているが、原題は「ソールト・マイン」で岩塩坑を意味し、作中では反政府グループのコードネームとなる。旧ソ連時代、クレムリンを乗っ取るという大胆不敵な武装隆起を描いているのだが、リアリティは薄めてエンターテイメント性を重視。犯行グループは、命を捨てる覚悟で政府転覆を目論むのではなく、首謀者は人質の解放を含めて仲間らの逃亡までをしっかりと計算している。「狂信的」テロリストによる捨て身の謀略ではなく、智力に長けた実行犯と心臓部を狙われたソ連政府のやりとりがゲーム感覚で進行するさまが、本作の読みどころといえる。
後半で明らかとなる要求はささやかなものだが、先の読めない緊迫感に満ちた展開の中に、苦いユーモアや刹那的な恋愛を絡めるなど、なかなかの大人の小説である。人質がストックホルム症候群に陥るなど、物事がうまく運びすぎるあたりはご愛敬だが、無駄に血を流さないことには好感を持てる。
評価 ★★★

 

クレムリン戦慄の五日間 (1982年) (創元推理文庫)

クレムリン戦慄の五日間 (1982年) (創元推理文庫)

 

 

「ダブル・イメージ」デイヴィッド・マレル

マレル1998年発表作。出だしこそ典型的なスリラーだが、プロットに大きな捻りを加えている。実質二部構成で、前半終了時に大きな山場を迎えたあと、本作の隠されたテーマ「ストーキング」の恐さが前面に出る。
数々の戦場写真により著名となったフォトジャーナリストのコルトレーンは、ボスニアの山中で大量虐殺の証拠を押さえる撮影に成功する。だが、隠滅工作を指揮していたセルビア人司令官イルコビッチに発見され、重傷を負いながらも現場から逃走。写真は大々的に報道されるが、行方をくらましていたイルコビッチに執拗に狙われることとなる。一方で、悲惨な写真を撮り続けることに心身を消耗したコルトレーンは、余命僅かな伝説の写真家パッカードと出会い、〝再生〟への道を模索する。パッカードの死後、その芸術を自家薬籠中の物とすべく、そのイメージを追い掛けていたコルトレーンは、遺品の中に美貌の女レベッカの写真を発見。容姿が瓜二つのナターシャとの遭遇により、秘められた過去の謎へと没入していく。
中盤でイルコビッチと対決するコルトレーンは付け狙われる側であったが、後半では逆転して知らずに自らが「ストーキング」を為す者へと変わっていく。
相反するイメージが二重写しとなり、そこから予想外の相貌が浮き上がっていくさまなど、マレルのストーリーテーリングは鮮やかだ。文章は簡潔にしてスピード感重視。アクションよりも心理的に追い詰められていくサスペンスをメインに描く。
評価 ★★★

 

ダブルイメージ〈上〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

ダブルイメージ〈上〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

 

 

 

ダブルイメージ〈下〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

ダブルイメージ〈下〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

 

 

「サマータイム・ブルース」サラ・パレツキー

スー・グラフトンのキンジー・ミルホーンシリーズとともに〝女〟私立探偵小説に一時代を築いたパレツキーのV.I.ウォーショースキーの登場は、当時かなり刺激的で話題になった。当然それまでにも女性探偵がいないわけではなかったが、真っ正面からハードボイルドを踏襲したスタイルによって、同性の読者を中心にミステリファンを開拓した意義は大きい。

本作は1982年発表の第1作で、パレツキーの意気込みが全編に溢れている。ただ、〝タフな女探偵〟の造型がやや過剰なきらいがあり、事件の関係者と渡り合うさまに不自然さを感じる。フットワークが軽く、ひたすらに猪突猛進。とにかく喋りまくり、感じたありのままに喜怒哀楽を表現する。たいした証拠も無い相手に対し、直感でいきなり犯人呼ばわりするなど、現場を混乱させることも多い。

プロットにいわゆる〝ウーマンリブ〟を絡ませるなど、ジェンダーに関わる問題意識もあるが、まだ薄い。傷ついた子どもに対して〝母性的〟に接したすぐ後に、男との逢瀬をしっかりこなす割り切り具合は、女性作家にしか描けないエピソードだ。当時の〝現代的な女〟の生き方を象徴させる理想像として、より〝ハード〟な面を強調したのだろう。贔屓の球団の試合を気にする点や、反権威的な気質は、既存の私立探偵小説に倣っており、オマージュと対抗意識が散在している。そのしたたかさをどう捉えるかで、シリーズの評価も変わるだろう。

普段、くたびれた男の私立探偵小説ばかり読んでいるせいか、その差異は一層際立つ。だが、元気過ぎる探偵の行動についていけない私には、鬱屈としていながらも情感の流れる駄目な男たちのハードボイルドが性に合っているようだ。

評価 ★★☆☆

 

 

「テロリストの荒野」ジェラルド・シーモア

シーモア1985年発表の第8作で、北アイルランドを舞台にテロリストの苦悩を描く。

一線から退いていたIRA暫定派の工作員マクナリーは、上層部の命令によりベルファストでテロを実行し、英国の判事らを殺害する。治安部隊によって間もなく逮捕されるが、まだ若くして妻子を残したままに終身刑となるのを恐れ、釈放/身の安全と引き替えにIRA幹部らの名を明かすことを決意。だが、密告者の汚名を着せられた夫を忌み嫌う妻は、マクナリーの思いを踏みにじり、子どもらを連れて離別する。英国政府は、テロ実行前後にマクナリーと懇意となったフェリス中尉を派遣し、精神的に追い詰められていくマクナリーを法廷で証言させるために鼓舞する。一方、壊滅的な打撃を被ったIRA暫定派の残党は、裏切り者を抹殺するための謀略を張り巡らす。

 日本版タイトルからはアクション主体の展開を想起させるが、「テロリストの荒野」とは己の信条を捨て去り、裏切り者として生きていかざるを得ないマクナリーの荒涼たる心情を表す。以前は敵であった政府の庇護を受けつつも、元の仲間らに生命を狙われるテロリストの男は、非常に女々しく脆いのだが、その不安定な精神状態を支えようとする英国軍人の凛々しさを対照的に配置することで、物語に厚みをもたらしている。ただ、中弛みは避けようが無く、緊張感が持続しない。

評価 ★★☆

「赤毛のストレーガ」アンドリュー・ヴァクス

アウトロー探偵〟バークシリーズ第2弾で、この後上梓した「ブルー・ベル」が日本でも大きな反響を呼んだ。幼児虐待をテーマに暗黒街の〝必殺仕事人〟らが活躍するという設定は斬新で、特に第1作「フラッド」は躍動感に溢れていた。特異な世界観で新たなヒーロー像を確立したヴァクスの登場は感動的ですらあったほどだ。だが、「…ベル」にいたると、バークの個人的な闘いに焦点が移り、社会的視野や構成力が弱まっている。元犯罪者/異端者の集まりに過ぎなかったバーク一味は、自警団としての質を帯びて自縄自縛に陥り、シリーズとしての限界も暗示していた。独自の「正義」を標榜する兆しを見せ始めているのが本作で、デビュー作にあった荒削りながらも爽快な物語性はもはや無く、無頼の徒としてのバークとその仲間の特異性のみが浮き上がっていく。依頼者となる「赤毛のストレーガ」の造形も、小児性愛者の心理面の掘り下げも浅く、混沌とした展開に終始している。さらに陰鬱なる「…ベル」の物語でヴァクスは暴走し、「フラッド」で構築した娯楽性を破壊した。第4作「ハード・キャンディ」冒頭での退廃感が全てを物語っている。
評価 ★★☆

 

赤毛のストレーガ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 189-2))

赤毛のストレーガ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 189-2))