海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ドライ・ボーンズ」トム・ボウマン

私立探偵をヒーローに据えたハードボイルド小説が減ってきている。或いは「売れない」ためなのか翻訳されない。本作の解説で、評論家・霜月蒼が言及している通り、生業ばかりでなく、その舞台も都市部から地方都市へ、さらには厳しい環境の辺境の地へと移っている。主題も、家庭の悲劇からマイノリティなど米国の抱える闇を捉え直して、ミステリに組み込み始めている。私立探偵という職業がもはやリアリティを持ち得ないのではなく、〝現代のハードボイルド小説〟を構想する上で、都会に住む〝孤高〟のヒーローよりも、ドロップアウトして地方生活を送る者、または土地に根差しながらも〝アウトサイダー〟である者の方が、社会的なテーマをより深く掘り下げ、明確にしやすいということなのかもしれない。
ハードボイルド小説のヒーロー像も変遷していく。その流れの中で、トム・ボウマンのデビュー作「ドライ・ボーンズ」は、〝これからのハードボイルド小説〟の本流となる力強さを秘めていると感じた。導入部一行目から引き込まれたのだ。

死体が見つかった日の前夜、わたしは眠れなかった。三月半ばの雪解けの時期だった。

主人公の独白は内省的でありつつ己の現状を達観しており、動的でありながらも情感に満ちた文体(無論、翻訳者の腕如何だが)で、眼前の情景を時に読者自身にも語り掛けながら綴っていく。ガス採掘の利権で揺れる町。ネイティヴの絡む不可解な死体の発見。色と欲と麻薬、暴力の連鎖。本筋とは関係なく時折挿入される亡き妻とのエピソードが決して邪魔にならず、〝余所者〟として事件に執着する主人公の動機が、喪失と疎外感の中で形成されていることが分かる。森林の中に投棄される鉄屑の山。そこに吸い寄せられていく敗残者。過去に生きる者の幻視。濃密な退廃感。関係者の過去へと遡り、徐々に「わたし」は真相へと近付いていく。

プロットや登場人物が整理されておらず混乱することもある。だが、それでもなお読ませるのは、この物語の持つ空気感、世界観が、今後のハードボイルドを切り拓く可能性までも感じさせるからに他ならない。

評価 ★★★★

 

ドライ・ボーンズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ドライ・ボーンズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「凍りつく心臓」ウィリアム・K・クルーガー

元保安官コーク・オコナーを主人公とする1998年発表の第1作。実に十数年を費やして上梓した処女作というだけあって、クルーガーの創作に懸ける意気込みが伝わる力作だ。しかし、三人称一視点ではなく、場面によって他の登場人物へと描写が流れるため、ハードボイルドのテイストはかなり弱められている。マイクル・コナリーボッシュシリーズがハードボイルドたる所以は、ヒーローの一視点にブレが無いからで、自ずと物語の骨格において強度が高まる。視点が移るということは、時に構成に乱れを生じさせ、緊張感を途切れさせてしまう。本作は、ネイティブアメリカンとの共存関係の上に成り立つ街を舞台に、陰惨な事件を追っていくものだが、入り組んだプロットを視点の揺らぎが更に混乱させてしまっている。真相自体は単純で黒幕の正体も捻りが無い。単なるエピソードと伏線となる部分の描き分けが不明瞭なため、読んでいる最中はもどかしさを感じた。主人公と子どもたちとのふれあいなど心に残るシーンがあるだけに、もっとストレートに全体を削ぎ落としていけば、より厚味が出たのではないか。ラストシーンの惜別は、やや身勝手な印象。次作に期待する。

評価 ★★★

凍りつく心臓 (講談社文庫)

凍りつく心臓 (講談社文庫)

 

 

「カジノ・ロワイヤル」イアン・フレミング

ジェイムズ・ボンドシリーズ第1作で、1953年発表作。英国秘密情報部の為すことは正義であり、悪と定義した国家/組織、邪魔立てする者には、超人的スパイを送り込んで葬り去るという単純明快さは、デビュー作から一貫している。西側諸国に恐怖をもたらす悪の権化共産主義の親玉ソ連の手先は、例え悲劇的な事情があろうとも容赦無く殲滅せねばならない。その使命を帯びた特権的エージェントであり〝ダブル零〟の称号を持つ者、すなわち007号こそが、偉大な大英帝国の敵に立ち向かう資格を持つ。本作のラストで能天気な決意を固めるボンド。その直前まで色に溺れるままに、或る女に騙されていた後の独白としては大いに滑稽なのだが。食と酒と車、さらには女について一過言持つ伊達男。拷問された直後に弱気になって引退を口にし、善と悪についての脆弱な問答を繰り広げるスパイ。どう読んでも格好悪いのだが、以降映画化もあって爆発的人気を得たのは承知の通りである。カジノ内でのバカラのシーンのみ面白い。

評価 ★

 

007/カジノ・ロワイヤル 【新版】 (創元推理文庫)

007/カジノ・ロワイヤル 【新版】 (創元推理文庫)

 

 

「鉄血作戦を阻止せよ」スティーヴン・L・トンプスン

1986年発表「奪還チーム」シリーズ第3弾。冷戦下の東ドイツを舞台に緊迫感溢れる活劇を展開した第1作「A-10奪還チーム出動せよ」は、冒険小説としては稀有なカーチェイスを主体にしており、一気にトンプスンの名を知らしめた。本作は日本向けに書き下ろされたものだが、肝心のカーアクションは控えめながらも充分楽しめる。

分断されたドイツの再統一を測る西ドイツの将軍率いる二部隊が東と西に分かれ米ソ核基地を占拠、米英仏ソ4軍の即時撤退を要求する。図らずも、事実確認のために該当国特命の三人と東側の基地に送り込まれた奪還チームのマックス・モスは、ミサイル制御のコントロール・ボックス奪取のために決死の行動に出る。プロットは至ってシンプル。僅か数年後には東西統一は叶うのだが、当時のドイツ人民の悲願を大胆に取り入れたストーリーは、荒唐無稽とはいえエンターテイメントに徹したものだ。飛行機や自動車に関するマニアックな描写もトンプスンならでは。

評価 ★★★

 

鉄血作戦を阻止せよ (新潮文庫―奪還チームシリーズ)

鉄血作戦を阻止せよ (新潮文庫―奪還チームシリーズ)

 

 

「地上最後の刑事」ベン・H・ウィンタース

世評は概ね高いが、私は最後まで退屈で仕方なかった。半年後に小惑星が衝突し人類が滅びるという設定は、フィクションとしては手垢のついたものだが、それを加味したミステリとして意識しつつ読み終えても、さほどの新鮮味は感じなかった。 本作は三部作の第一弾で、最終作では絶滅まで後一週間となっている。極めて異常な状況下で、極めて平凡な刑事を主人公に、極めて凡庸なミステリが展開する。幾らでも面白くなる要素はあるのだが、第一作を読んだ限りでは、〝敢えて〟奇をてらうことを避け、絶望と退廃感が徐々に人心を蝕んでいく情景/エピソードが抑え気味に語られる。これが果たしてリアリティに富むものかどうかは読者の受け止め方次第だが、仮にこのような事態になれば、政府による完全な統制は為されず、管理抑制された理性の効く社会とは真逆となり、半狂乱の地獄絵図さながらに終焉していくだろう。 物語は、保険会社の男の自殺に疑念を抱いた新米刑事が、荒んでいく街の中で地道な捜査を続けた末に真相に辿り着くという展開だが、主人公が事件に執着する動機付けに乏しく、頻発してるであろう他の犯罪などに殆ど触れていかない。絶望の中に僅かな希望を見出し、高尚なるヒューマニズム賛歌として読み取ることは可能だが、残された時間の中で一介の刑事が為すことの不条理さばかりが際立つと感じた。

 評価 ★☆

 

地上最後の刑事 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

地上最後の刑事 (ハヤカワ・ミステリ文庫)