海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「裏切りのネットワーク」ショーン・フラナリー

1983年発表、スパイスリラーの秀作。核兵器「誕生」以後の世界で暗躍する国際組織「ネットワーク」の謀略を扱っているのだが、その歪んだ動機が独自性に富みユニークだ。仮に人類が絶滅を迎えようとした時、資本主義社会で最も「損害」を被る集団とは何か。脆弱ながらも保たれているパワーバランスが崩れることを恐れ、人間のいない社会を忌み嫌う存在とは何か。それは、不安定な世界情勢のもとでこそ独占的収奪を果たすことのできる肥大化した多国籍企業に他ならない。

時に紛争を煽り勢力図を書き替えつつ、土地売買や軍事システム開発などにより膨大な利益を得て更に資本を蓄える企業。対立する国家が共倒れとならないように、両陣営に潜入したスパイが互いの政府の動向/情報を共有した上で、均衡を維持するための対策を講じ、攻撃を加える。要はカネを生み出す対象が消滅することは避けるが、「生殺し」の状態のままで生命維持装置を起動し続けることを優先するのである。「ネットワーク」とは、その独善的企業の一機関であり、擬装した「平和」のもとで膨脹する集合体の地下組織を差す。

本作は、世界中の諜報機関内に潜り込んだ「ネットワーク」工作員を炙り出し、その狙いを突き止めようとするCIA局員の動きをメインに描いていくのだが、愛憎と裏切りを巧みに盛り込み、展開もスピード感に溢れている。読みどころは、「ネットワーク」の正体を徐々に解き明かしていく謎解きの面白さだろう。

評価 ★★★☆

 

裏切りのネットワーク (ハヤカワ文庫 NV (382))

裏切りのネットワーク (ハヤカワ文庫 NV (382))

 

 

「コールド・ファイア」ディーン・R・クーンツ

クーンツは自覚的に娯楽小説を書く。指南書「ベストセラーの書き方」で述べた創作術を自ら忠実に実践し、読者がエンターテインメントに求める要素を過不足無く盛り込む。構成や人物設定などはSF/ホラーの王道を行くもので安定感はあるのだが、クーンツ熟練の技で捻りを加えてはいるものの、「遊び」や「深み」といった点では物足りなさを感じることもある。

本作のメインプロットは、超人的な予知能力を身に付けた孤独な主人公が、「神の啓示」によって世界中の「選ばれし人々」を救っていくというもので、地方新聞の女性記者との恋愛模様も含め、いかにも大衆受けしそうなアメリカン・ヒーローの物語という印象。中盤の山場となる飛行機事故での脱出劇も極めて映画的である。

終盤までは「超能力」を何故身に付けたのか、という男のルーツを探っていくのだが、宇宙船や宇宙人といった〝ホラ話〟の挿入によって破綻すれすれとなり、読み進めることが苦痛となる。種明かしで何とか持ち直してはいるものの、クーンツの世界を堪能するには、ある程度の「純朴」さが必要であると感じた。

評価 ★★★

 

コールド・ファイア〈上〉 (文春文庫)

コールド・ファイア〈上〉 (文春文庫)

 

 

 

コールド・ファイア〈下〉 (文春文庫)

コールド・ファイア〈下〉 (文春文庫)

 

 

「ドライヴ」ジェイムズ・サリス

デンマーク出身のニコラス・ウィンディング・レフン監督作品「Drive」(2011年)の原作。映画については〝門外〟であり、既に多くの評価がなされているため、私自身が敢えて付け加えることもないのだが、静と動の対比、日常の中で突如噴出する暴力の異常性、そして刹那的で感傷的な情愛の顛末を、シャープ且つクールに描いた秀作だと感じた。陰影を生かしたスタイリッシュな映像でモダンなノワールの世界を構築しており、特に寡黙でストイックな主人公のドライバーを演じたライアン・ゴズリングは嵌まり役で、狂気性を秘めた孤独な男の姿が鮮烈な印象を残した。それは、共演したキャリー・マリガンの憂いを含んだ眼差しを通してより一層際立っていくのだが、小説では表現しきれない映画ならではの創造性/美学を存分に味わうことができる。

ジェイムズ・サリス2005年発表の本作は、ほぼ映画で再現されていた通りの内容だが、ハードボイルドとしての強度はより高い。過去と現在の断片を繋ぎ合わせ、逃走車のドライバーという裏稼業に手を染めるまでの過程と、予測不能のトラブルによって追い詰められていくさまを渇いた筆致で描く。主人公を単にドライバーと表記し、極めてドライに活写。短い章を連ね、情景を深める。クライムノベルを修練した作家の技巧が冴えている。

評価 ★★★

 

ドライヴ〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

ドライヴ〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

 

 

「逃げる殺し屋」トマス・ペリー

殺し屋を主人公とするミステリは掃いて捨てるほどあり、生業としての新鮮味は無い。プロットや人物造形など、相当知恵を絞らなければ「いつかどこかで読んだ話」として片付けられてしまう。逆に先行作品との違いを出さなければならないため、作家にとっては挑戦し甲斐のある題材といえるだろう。
本作に登場する名無しの殺し屋は、準備/実行/逃走という過程で玄人ぶりを発揮するが、予期せぬ事態で人の記憶に残らないという大前提を崩される。「誰でもない顔」に傷を負ったことから綻びが生じ、司法省の捜査官のみならず契約を履行したはずの闇組織からも追われる羽目となる。
マンハント自体はクライムノベルのスタンダードからさして外れるものではないが、フリーランスとして日々の糧を得る殺し屋の「こだわり」、つまりはプロ意識の発露そのものが本作の最大の魅力となっている。殺しの方法には、実行する現場にある物を利用して擬装する。事故または病気に見せ掛け、不自然さを残さない。要は「殺された」という事実を隠滅する仕掛けを施すために、瞬時に判断し実行に移すのである。まるで諜報員の暗殺手段のようだが、このようなディティールがリアリティを感じさせ、追い詰められていく男が次にどう動くかという伏線となり、サスペンスを高めていく。
1982年発表MWA最優秀処女長編賞受賞作。無骨ながらも、手堅くまとめている。

評価 ★★★

 

 

 

「傷だらけのカミーユ」ピエール・ルメートル

現代ミステリにおいて先鋭的な作品を上梓する作家の筆頭に挙げられるのは、ピエール・ルメートルだろう。怒濤の勢いで北欧の作家らが席巻する中、フランス・ミステリがいまだに前衛としての位置を失っていないことを、たった一人で証明してみせた。無論、かの地では多彩な作家たちによって、今も刺激的な小説が生み出されているのだろうが。
読者の度肝を抜く技巧を凝らし、ジャンルを超越するスタイルで、大胆な離れ業を見事に成し遂げ、強烈なインパクトを与えつつ読後に深い余韻を残していく。その筆致は鋭い刃物のように読み手の胸元まで迫ってくる。

2012年発表のパリ警視庁犯罪捜査部カミーユ・ヴェルーヴェンシリーズ最終作。ルメートルは三部作で完結させているが、悲痛な終幕を迎える主人公の心身を思えば、役目を終えたということなのかもしれない。最初から三部作の構想があったかどうかは定かではないが、第1作から繋がる重要人物が核となる本作まで、周到な計算のもとに伏線を潜ませていたことが分かる。読者の大半は、不幸にも第2作「アレックス」を先に読まされてしまったのだが、本シリーズは発表順に読んでこそ、本作で虚無的な境地へと至るカミーユの悲劇性がより胸に迫る構図となっている。

愛する女を守るために、自らの権力を乱用してまで私闘を繰り広げるカミーユ。自暴自棄に陥り暴走する刑事の姿は憐れで、前作までとは異質の焦燥感が横溢し、終盤まで凄まじい緊張感を強いる。孤独な男の情愛を利用して復讐を成し遂げようとする犯罪者の仕掛けが徐々に明らかになるさまは見事というほかなく、ルメートルの高度な技巧が冴えわたっている。

評価 ★★★★

 

傷だらけのカミーユ (文春文庫)

傷だらけのカミーユ (文春文庫)