海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ゴーストマン 時限紙幣」ロジャー・ホッブズ

「21世紀最高の犯罪小説」という売り文句に加え、同業者や批評家の大絶賛が並んでいるが、どうにも精密さと盛り上がりに欠ける作品で、〝天才作家〟などという称賛は逆に嫌味ではないのかと勘ぐるほどだった。この程度のクライムノベルなら、創作時期や時代背景が異なるもののハドリー・チェイスが何作も書いているし、より上質な仕上がりで楽しめる。期待していた分、失望も大きい。私個人と波長が合わなかったと結論付ければそれまでなのだが、全てに於いて中途半端な印象しか残っていない。

まず、登場人物の造形が浅い。主人公は隠語で「ゴーストマン」と呼ばれる役割を担う男で、関わった犯罪の痕跡全てを消しさることが使命となるのだが、その専門稼業の特異性が今ひとつ伝わらない。名うてのゴーストマンだったらしい元女優に師事し訓練の末に第一人者となったという設定だが、その核となるのは、かつらや化粧、声色で別人に成り済ます「変装の達人」でしかないのである。他に何か特殊な才能があるかといえば、指紋が無いということぐらいか。犯罪組織には重宝がられていたが、マレーシアの銀行を狙った大仕事で失策を犯し、男は姿を隠す。その5年後、当時の犯罪計画立案者から「借りを返せ」と呼び出されるというのが発端となる。

男が強要されたこととは、犯罪プランナーが関わった強奪事件の後処理。現金輸送車を狙った計画が漏れていたことに加え、その紙幣には時限式の特殊な爆弾が仕掛けられていた。実行犯2人の内、1人は死亡、1人は重傷を負いつつも金を持って行方をくらます。背後にはギャング同士の抗争があり、これを好機と捉え潰し合いへと転回する様相を見せていた。ゴーストマンが借りを清算するためには、24時間以内に120万ドルの「時限紙幣」を奪回しなければならない。

本作には、さまざまな犯罪の〝天才的〟プロが登場するのだが、彼らの思考/行動から玄人ぶりが伝わることは無い。交互に語られていくマレーシアでの銀行強盗の顛末も、計画自体が穴だらけで予測された危機に対処もできずに破綻しており、ゴーストマンも大した活躍もせず地下に潜る。主人公はタフで頭の切れる男であり、他の登場人物らにも一目置かれる犯罪者としてホッブズは描いているのだが、物語中にそれを納得できるエピソードは無く、違和感がある。読み進めても、主人公の自尊心の拠り所が不明なため、闇組織と真正面から渡り合う姿が滑稽に感じた。

終盤に主人公は麻薬密売組織の小ボスと対峙し啖呵を切るのだが、その手法としてロシアン・ルーレットを選ぶ。これがまた都合良く事が運び、本来なら緊張感を煽るシーンだが、リアリティに欠けている。タネがある訳でもなく、ハナから強運の持ち主であることを結果によって示すだけだ。要はご都合主義が目立ち、ムードのみが先行している。唯一面白いと感じたのは、小道具である携帯電話の大量廃棄。通信手段としてゴーストマンがあらゆる場面で活用しては放り投げていくのだが、これこそ存在を示す痕跡とならないのかと苦笑した。

評価 ★★

 

【追記】著者はこの後、急逝した。若干28歳、まだまだこれからだったに違いない。クライムノベル、久々の新星として期待されていただけに残念だ。

 

 

ゴーストマン 時限紙幣

ゴーストマン 時限紙幣

 

 

「ホプキンズの夜」ジェイムズ・エルロイ

空回りした情念によって構成が乱れ、前作「血まみれの月」にあったドス黒い世界観まで打ち壊す明らかな失敗作だ。この後、エルロイは「ブラック・ダリア」という凄まじい傑作を上梓するのだが、デビュー以降の長い模索期に創作したホプキンズ・シリーズは、独自のノワールを確立する所謂「暗黒のLA三部作」に達するまでの長い試作期間ともいえる。部長刑事ロイド・ホプキンズ登場の第2作目となる本作には、その迷いと焦りがはっきりと表れているように感じた。
カリスマ的な精神科医のもとに集い、洗脳されていく成金やエリートたち。擬似宗教家は己の妄想を現実化するために、殺人や強盗などの試練を与えて達成することを要求。やがて失踪した元警官もその一派に加わっていることが判明する。同時期に警察内部からホプキンズを含む6人の資料が盗まれており、ホプキンズは些少な手掛かりから真相を追い求めていく。

「…の月」が秀れていたのは、殺人者とホプキンズの「狂気」が臨界点で一致し共鳴するさまが見事に描かれていたからなのだが、本作では最後まで乖離しており、展開も凡庸なものだ。通常の警察小説であれば「善と悪」の対照に違和感などないが、エルロイに求めることとは別次元の世界での対決であり、その果てのカタルシスである。人間の暗黒面を題材とはしているが、プロットと同様に咬み合わない刑事と殺人者のやりとりは破綻したままに暴力的決着をもって終幕を迎える。

評価 ★★

 

ホプキンズの夜 (扶桑社ミステリー)

ホプキンズの夜 (扶桑社ミステリー)

 

 

「天国の囚人」ジェイムズ・リー・バーク

アクの強いバークの作品は、はっきりと好き嫌いが分かれるだろう。「文学畑出身者が書いたミステリ」そのもので、時に物語の展開を妨げるほど、自然描写や郷愁にまつわるエピソードが挿入されていく。そもそも文体が異質で、過度に情感を滲ませ、客観的/簡潔なハードボイルドのスタイルとは程遠い。要はテンポが悪いのだが、俺の世界が解らなければ読まなくてもいい、というバークの姿勢は、或る意味潔いともいえる。翻訳は途絶えているが、本国では今も変わらずシリーズは続いており、独自のポジションを確立しているようだ。
プロット自体は複雑な謎解きはなく、ルイジアナ南部のバイユー地帯で、しがない貸し船屋を営む元警官デイヴ・ロビショーの不器用な生き方を主軸に描く。猪突猛進型なために自らトラブルを引き寄せ、そこから物語が動くという屈折した構成なため、「主人公」主体で引っ張る連作といっていい。マット・スカダーやC・W・シュグルー顔負けのアル中ぶりや、衝動的な暴力志向は、通常であれば本筋と直接関係の無い枝葉となるところだが、メインプロットよりも力を入れて印象深いシーンに仕上げているところがバーク流といえる。
本作は1988年発表の第二作で、ロビショーは自らの無鉄砲な行動によって案の定災厄を招き寄せてしまう。麻薬の絡む不法入国を発端に裏組織への接触を図るロビショー。無謀なアウトサイダーとしての行動は、当然のこと身内に犠牲者を出し、身勝手ともいうべき私闘へと変わっていく。
擬似的な家族の在りようなど新しい試みも取り入れているのだが、濃密な文章とマイペースな主人公を受け入れられるかどうかで、評価は違ってくるだろう。

評価 ★★

 

天国の囚人 (角川文庫)

天国の囚人 (角川文庫)

 

 

「361」ドナルド・E・ウェストレイク

ウェストレイクはデビュー後、立て続けにドライなクライムノベルを書き、ハメットの衣鉢を継ぐ新鋭として期待されていた。本作は1962年発表の三作目で、やさぐれた若者の復讐劇を荒削りながらもシャープな文体で描く。構成は破綻すれすれで、主人公の情動は不安定なため、目的さえ見失った刹那的な殺し合いが終盤まで続く。ウェストレイクが本作で何を描こうとしていたのか読み取ることは難しいが、それまでとは違う退廃的なクライムノベルの可能性を模索していたのかもしれない。だが、本作はあまりにも無骨で、前2作と比べて洗練されているとは言い難い。

評価 ★★

 

361 (ハヤカワ・ミステリ文庫 24-3)

361 (ハヤカワ・ミステリ文庫 24-3)

 

 

「罪の段階」リチャード・ノース・パタースン

リーガルサスペンスの傑作として名高い1992年発表作。しばらく本業の弁護士に専念していたパタースンは長期休暇を取り一気呵成に書き上げたという。主人公は処女作「ラスコの死角」と同じクリス・パジェットだが、心機一転の本作で再び起用した訳とは、十数年の歳月を経て様々な経験を積んだ自分自身を、本作でも同じように歳を取ったパジェットに投影しようとしたのかもしれない。

本作は、ホテルの密室で発生した殺人事件が、レイプに対する正当防衛か、もしくは加害者の女性によって仕組まれたものかを裁くもので、法廷で畳み掛ける終盤は別として、中途までは証拠と証人探し、強姦を巡る実証性をじっくりと描いているため、ややテンポに欠ける。「…死角」ではパジェットの一人称語りだったが、本作では三人称に変えて多面的に状況を物語るため、両作品の持つ雰囲気は随分異なる。デビュー当時はロス・マクドナルドを継承する作家とも評されていたが、作品自体は社会派であっても、ハードボイルドのテイストは薄かった。本作では、ラスコ事件に関わるエピソードも多く、主要な登場人物も引き継いでいるのだが、ジェンダーや家庭崩壊などアメリカ社会が抱える闇を照射する批判性はより強まっており、「…死角」とは別物といっていい。

親と子の絆が重要な核となり、法廷闘争を展開。殺人者として裁かれるのは、パジェットの愛する息子の母親であり、物語は弁護士自身の私的な闘いとしても描いていく。だが、嘘と虚栄にまみれた偽装を剝がし明らかとなる事実は、守るべき対象を歪め、パジェット自身を残酷な結末へと導くものだった。
敢えて強姦という重いテーマを選び、闘わずに泣き寝入りする女性が多いという現状を踏まえたパタースンの強いメッセージが込められている。

評価 ★★★

 

罪の段階〈上〉 (新潮文庫)

罪の段階〈上〉 (新潮文庫)

 

 

罪の段階〈下〉 (新潮文庫)

罪の段階〈下〉 (新潮文庫)