海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「死の蔵書」ジョン・ダニング

長らく休筆していたダニングが、自らの経験を基に古書の世界を題材として執筆し話題となったベストセラー。元殺人課刑事で現在は古書店主という異色の経歴を持つクリフ・ジェーンウェイの活躍を描き、以降シリーズ化している。

本作には「すべての本好きに捧げる」という売り文句が付いていた。果たして本作のモチーフとなる著名な作家の初版や歴史的な稀覯本が、巷の読書愛好家にとって興味深い対象かというと疑問が残る。メインプロットに絡まない枝葉で、登場人物らが古書に纏わるうんちくを語り、売買のやりとりを繰り広げていくのだが、その分贅肉が付き過ぎてスマートさに欠ける。読み終えて印象に残るのはそれらの裏話のみであり、本筋がかすんでしまっていると感じた。
例えチャンドラー「湖中の女」初版本にどんな高値が付こうと作品の出来とは当然のことイコールではなく、所詮は蒐集家向けのコレクターズアイテムに過ぎない。表紙カバーが破れた百円の古本であろうとも、読者の人生に限りない影響を与える作品に出会えることもままある訳で、稀少なモノを所有することに至上の喜びを覚えるマニアとは次元が異なる。値が張る本は秀れているという誤解を生じさせるような収集家や商売人らの嗜好は気持ちの良いものではなく、それは著者の投影でもある主人公にしても然りである。古書業界に限らず数多のコレクター相手の商売で共通する生態とはいえ、どうしても反発したくなるのは、本に対する愛情の基点が違う貧乏読書家の穿った見方故かもしれない。流通する商品としての価値に重きを置く蔵書家は「本好き」には含まれるのであろうが、創作そのものを純粋に楽しむ「読書好き」とは似て非なるものだ。

肝心のプロットは、古書店街界隈で〝掘り出し屋(値打ち本を発掘する転売屋)〟が殺された事件を発端とし、或る収集家が遺した稀覯本を巡る闇取引を背景に置く。だが、手掛かりを追うことなく主人公は未解決のまま刑事をあっさりと辞め、自らの夢であった古書店開業に打ち込んでいく。開店も束の間、クリフは身の回りで起こる不審な動きを察知しつつも情事に耽り、その不在時に店のスタッフらが虐殺される。主人公はようやく連続殺人の解明に本腰を入れるのだが、その行動には独り善がりな面があり、キレがない。本作をハードボイルドと評する向きもあるようだが、一人称の語り口や暴力シーンが適度に入っていれば一丁上がりではない。定義は人それぞれだろうが、単なる趣味人が自らも被害を被り追い込まれた末にやっと立ち上がる姿に、ハードボイルドの精神など到底感じることなどできない。

長々と批判めいたことを書き連ねたが、本作はミステリとしては標準作であろうし、本が読まれない/売れない時代に、業界に対してある程度の活力/刺激を与えたことは間違いないだろう。しかし、高い世評とのズレを感じざるを得なかったのは、物語の中で言及する作品をただの一冊も読みたいと思えなかったことにある。ダニングは、実在の作家や小説に対する批評を主人公に代弁させているのだが、どの作品にも愛情を感じず、そもそも推薦する意図など端から無いようだ。要は、本の価値を売れるか売れないかで判断する〝商品〟として見ているからだろう。

創作のスタンスもジャンルも異なるが、本に対する深い慈愛に満ちたカルロス・ルイス・サフォンの名作「風の影」の芳醇な世界観に比して、本作はあまりにも無機的過ぎる……と、ミステリとは関係の無いところで駄文を記録しておく。

評価 ★★☆

 

死の蔵書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

死の蔵書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「誰かが泣いている」デイヴィッド・マーティン

話題となった「嘘、そして沈黙」と同じく何とも形容し難いミステリなのだが、一気に読ませる力量は大したものだ。破綻すれすれのプロットを強引な筋運びで繕っているのだが、もとより緻密なサイコ・スリラー作品が珍しいぐらいなので、標準的な出来かも知れない。
ニュースキャスターのライアンは、ピューリッツアー賞も受賞したベテランだったが、放送中に涙を抑えきれなくなる失態を犯し、プロ失格の烙印を押されて職を辞する。読み上げた原稿は幼児虐待に関するものだったが、慟哭する理由には思い至らない。直後、怪しい女がライアンに接触を図り、不可解なメッセージを手渡す。或る町で赤ん坊が殺され続けており、その事実を突き止めてほしいというものだった。女は眼前で自殺、異常な事態に戸惑うライアンだったが、このスクープは表舞台に返り咲くチャンスと捉え、事件を追う決意を固める。

主要な登場人物にまともな者がいない。盲目でありながら狡猾に殺人を続けていく小児科医キンデルの「怪物性」は設定としては常套だが、それよりも主人公の脆弱ぶりが際立っている。社会的正義よりも己の虚栄心を優先させる男で、高潔なジャーナリスト精神は些少。要はその俗物的な〝ヒーロー像〟がアイロニカルに描かれている訳だが、魅力に乏しいことは否めない。結果的に流されるように殺人者と対決するが、最後まで振り回され放しで、どうにも頼りない。物語をストレートに展開させない曲者マーティンの創作スタイルが良くも悪くも表れているようだ。

評価 ★★★

 

誰かが泣いている (扶桑社ミステリー)

誰かが泣いている (扶桑社ミステリー)

 

 

「喪服のランデヴー」コーネル・ウールリッチ

翻訳を通しても、都会的で洗練された文体の強度を失わない稀有な作家の一人、ウールリッチ/アイリッシュ。1948年発表、ブラックシリーズの代表作でもある「喪服のランデヴー」では、その耽美なレトリックがすでに完成しており、序章と終章における溜め息が出るような情操の表現を味わうだけでも読む価値がある。上空を通過した飛行機の乗客が投げ捨てた瓶の直撃を受け、逢瀬の待ち合わせ場所にいた恋人を殺された男。その無残で凍てついた心象風景を綴っていくプロローグは、ウールリッチならではの世界観を形作っている。

本作は凄まじい怒りによって復讐の鬼と化し、狂気の淵へと墜ちた若者ジョニー・マーが、真犯人を特定できないままに対象となる5人の男を探り出し、躊躇うことなく地獄の底へと突き落としていく物語だ。脈略無き不可解な連続殺人を嗅覚鋭く追う刑事も登場させるが、メインで描くのは、緻密な計算のもとに遺恨を晴らすジョニーが対象5人に加えていく報復の顛末である。推定する加害者を単に殺すのではなく、ジョニー自身が味わった悲劇と同様の苦悩へと陥らせる。その非道/冷酷ぶりは極まっており、罪のない人々までも犠牲にしていく若者には、いつしか同情よりも畏怖感の方が強まっていく。
捻りを施した構成の妙とサスペンスフルな展開で読ませる秀作であり、ウールリッチの魅力が溢れている。ノワールの先駆であり、ラストシーンにおいて自らも暗黒へと堕ちていくジョニーの絶叫がいつまでも耳に残る。

評価 ★★★★

 

喪服のランデヴー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

喪服のランデヴー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「リプレイ」ケン・グリムウッド

人生を再びやり直せたなら。このテーマに数多の作家が挑み、これまで様々な趣向を凝らした作品が創り出されてきた。ただ、その大半はファンタジー色の強いノスタルジックな物語であろうし、「感動のドラマ」を構築するための設定としては使い古された感もある。1987年発表の「リプレイ」は、その後の同系列の作品に大きな影響を与えたといわれ、翻訳された当時もミステリファンの間で随分と評判になった。恐らく、ある程度の社会経験を経た大人にこそ共感できる要素を多分に盛り込んでいたためだろう。要は実に「生々しく」人生のやり直しを描いているのである。

主人公の男は43歳で突然死し、これまでの記憶を保ったままに、18歳の自分へと〝再生〟する。男は文字通り「人生をやり直す」ことになるのだが、理不尽にも25年後に〝その日〟を迎えると死ぬ。そして、僅かな時間のずれを生じさせながらも、同じように〝再生〟する。この呪われたサイクルの中で、主人公は否応にも生き方を軌道修正せざるを得ず、都度物語は様相を変えていく。いわば、一人の男が繰り返す〝再生〟に焦点を当てることにより、不条理な生死の命題が浮かび上がってくるという構成だ。といっても、哲学的な追究ではなく、あくまでも主人公らの行動を主体とし、サスペンスに満ちたエンターテインメント小説として仕上げている。

最初の〝再生〟では、平凡な人生では為し得なかった欲望を前面に出す。即ち、ギャンブルや株によって財を蓄え成金としての刹那的な欲を実現する。同時にケネディ大統領暗殺などの歴史的事件が己の働き掛けによって改変されることは無く、この世界では変わらず無力であることを知る。巨万の富を残して死亡、単なる貧乏学生へと舞い戻る。男は「やり直す」ことの空虚さに幻滅して、自暴自棄同然の怠惰な生活へと墜ちていく。
さらに次の段階では、愛する者と生きるという幸福の追求へとひた走る。妻との間には叶わなかった子どもを授かり愛情を注ぐが、定められた己の死によって、子の存在は抹消される。このパートは本作で最も痛切なテーマを含んでいるのだが、間違いなく「無」になることが判っていながらも、身勝手にも尊い生命を生み出し、殺してしまった自分の罪の重さに嘆く。そして、社会との関わりを回避するために、世捨て人となっていく。このあたりのエピソードは印象深い。
何故、生き返るのか。この不条理な〝再生〟は何を意味しているのか。男は同様の〝再生〟をする女と巡り会い、世間へと公表した上で、その謎を解き明かそうとする。だが、〝再生〟して生きる期間は回数に応じて加速度的に縮まっていた。それは、果たして真の「死」となるのか。そこに何らかの救済はあるのか。

日々、人生の岐路に立ち、様々な選択をして踏み出した一歩の後に「やり直し」は無い。つまり、成功なり、失敗なりの経験を経た上でのやり直しは、似たような情況下で二度目の選択をするに過ぎない。本作「リプレイ」で主人公が為すのも、やはり選択のやり直しであり、寸分違わぬ人生を繰り返す訳ではない。
人間として成長するチャンスを、常人よりも多く与えられた幸運な存在。本作の主人公を言い表すならば、そういうことになる。

評価 ★★★★

 

リプレイ (新潮文庫)

リプレイ (新潮文庫)

 

 

「真鍮の虹」マイクル・コリンズ

1969年発表、ダン・フォーチューンシリーズ第2弾。凍てついた冬のマンハッタン。降りしきる雪の中を、孤独の翳を引きずりつつ片腕の私立探偵が歩む。
冴えない博打打ちの旧友を救うための、見返りなき調査。人を殺してまで金を盗む度胸がない男であることを確信するが故に、或いは余計者に罪を擦り付けて眠りを貪る悪党のツラを白日の下に曝すために。真相を求めて卑しい街の最下層へと降りていくその後ろ姿には、己もまた穢れた社会に生きる一人であることの自嘲と、まだ心根までは腐り切っていないという矜持が滲み出ている。

私立探偵小説のヒーローの中でも際立ってフォーチューンは貧しい。隻腕なために、残された腕を失うことに恐怖感を抱き続けている。そのハンディキャップは探偵の弱さであり、強さでもある。稼業上、闇社会や警察の人間とは腐れ縁だが、持ちつ持たれつではない。抗う者としての男の生き方が、物語を強度を高めている。ロス・マクドナルドの直系としてコリンズが相応しい理由とは、罪を犯さざるを得ない人間の業を達観した眼差しで見詰める姿勢にあるといえる。

暴力が蔓延る街で、下層の人間はいつか幸運が転がり込むことを夢見る。だが、彼方に美しく輝いていた虹は、近づけば近づくほど薄れ、冷たく硬い真鍮の紛い物に過ぎなかったことを、やがて待ち受ける不幸のもとで思い知る。全ての事実を突き止めた後、フォーチューンは面倒ながらも放ってはおけない男を救えたことで、僅かな満足感を覚える。

本作はいささかプロットを複雑にした嫌いがあり、すっきりしない部分もあるのだが、ハードボイルドの精神を受け継ぐフォーチューンシリーズは読めるだけでも幸せだ。残念ながら、マイクル・コリンズは2005年に亡くなっているが、残された作品を今後も読み続けていきたい。

評価 ★★★

 

真鍮の虹 (1979年) (世界ミステリシリーズ)

真鍮の虹 (1979年) (世界ミステリシリーズ)