海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「彼女のいない飛行機」ミシェル・ビュッシ

タフでなければ、海外ミステリ・ファンではいられない。
例え、本の値段に怖じ気付こうと、千ページを軽く超す大作であろうと、出版社や批評家の惹句に踊らされようと、原文を生かさない飜訳に違和感を覚えようと、作者の狡猾な術中に翻弄されようと、序盤早々で読む気が萎えようと、最後の1行で大どんでん返しを食らおうと、溜め息しかこぼれない駄作に出くわそうと、読み終えて呆然とするほどの大傑作に打ち震えようと。読了後は、天敵の睡魔に敗北する寸前であっても、おもむろに次の作品へと手を伸ばし、とにかく最初の10ページを読まずには眠れない。そして、未読本の山に未レビューの本が積み重なり、標高のみが高くなっていくさまを視界に捉えつつ、夢の中へと落ちていく。もはや趣味なのか、習性なのか、義務感なのか、一冊の本に一喜一憂する活字中毒者の哀しい生態。それでも、何らかの修練には繋がり、精神力やスキル向上に役立つこともあるのだと信じ、気を休める。本作で試された、根気/忍耐力の如く。

ビュッシが仕掛けるのは、難易度の高い〝焦らし〟のテクニックだ。
冒頭シーン。巨額の報酬を受け取りながらも、目的を達成できなかった探偵が、絶望か悔恨か動機は曖昧だが、自殺しようとしている。拳銃を握り、全ての発端となった墜落事故を報道した新聞のフロントを、あらためて見詰める。そこで、ようやく事の真相を知る。答えは、最初から〝そこ〟に載っていたと。ただし、18年間待つ必要があり、今なら関係者の誰でも謎が解けたのだ、と独白する。
以降は、現在に至るまでの道程を物語のメインに据えていくのだが、探偵が振り返る過去は、全て〝無駄骨〟だと、開幕早々読み手に明かしているため、どういう構成をとるのか興味をそそられるところだ。だが、期待は裏切られる。本編の殆どを占めるのは、本当に失敗/挫折の記録なのである。その期間は、やはり18年間。飜訳文庫本にして600ページを超える。ビュッシは、ひたすらに焦らすのである。
あれこれとはぐらかし、回り道をして、〝ネタばらしは、この後すぐ……〟をちらつかせつつ、延々と引っ張っていく。当然、作家に技倆がないと、完成度は極端に落ちる。我慢強い読者ばかりではないから、イライラ感が募り、中途で放り投げられる可能性も高い。結論を先送りにして要領を得ない話をとめどなく続ける輩に付き合うのと同様で、中盤のエピソードが余程面白くなければ、〝落ち〟などどうでもよくなる。さらに、真相自体は概ね拍子抜けするほど単純なものが多いため、読み手には、ある程度のタフネスさが求められる。
この分野では、才人トム・ロブ・スミスが悪魔的な〝焦らし〟を縦横無尽に展開する問題作「偽りの楽園」が極北なのだが、もうすぐ、間もなくと煽りつつ本流を離れ、どこへ行き着くのか見当も付かない支流へと読者は流されていくのである。

つまりは……
ここまでの私のだらだらとした前置きのように、いっかな本題の〝レビュー〟へと向かわないのと同じだ。

本作の謎は、たったひとつ。飛行機事故で唯一生き残った赤ん坊。その子どもは、いったい誰なのか。
1980年真冬、イスタンブール発パリ行きのエアバスが山中に墜落、爆発炎上した。捜索隊は、奇跡的に死を免れた生後3ヶ月の女児を発見するが、その機には同時期に生まれた乳児が二人乗っていた。両親は、共に同事故で死亡。駆け付けた二組の祖父母は、どちらも自分たちの孫であると主張した。
一方は、事業に成功して莫大な資産を持つカルヴィル家で、娘の名はリズ=ローズ。方や、しがないクレープ店を営む貧しいヴィトラル家で、娘の名はエミリー。厄介なことに、双方ともまだ孫娘に会う前で、顔を見ていなかった。写真は無く、赤ん坊が身に付けた衣服からも識別できない。DNA鑑定が可能となる以前の話で、必然、司法の判断に委ねることに。二つの名を持つ女の子は、共通する愛称〝リリー〟と呼ばれた。泥沼の諍いの中、カネでの解決を目論んだリズ=ローズの祖父が世間から非難を浴びたのに加え、唯一の手掛かりとなった装飾品も判断材料となり、〝奇跡の子〟はエミリーとして認知された。だが、所詮は根拠薄弱なままの暫定的措置に過ぎなかった。

以上が、大まかなプロローグ。諦めきれないカルヴィル側は、元傭兵の探偵グラン=デュックを雇い、事件をいちから調査し直す。探偵は、カルヴィル/ヴィトラル両家と接触しつつ、墜落現場を調べ、事故直前の両親二組の足取りを追う。だが、真相には辿り着けず、調査過程を繊細に記録したノートを残して自殺を図る。
18歳となったリリーは、或る事実を知って失踪。ヴィトラル家の長男マルクは、妹の行方を捜しつつ、手に入れた探偵の分厚い手記を読み進めていく。マルクは、血が繋がっているかもしれないリリーを女として愛していた。事態は、今もなお錯綜し、唯一の手掛かりとなるグラン=デュックのレポートは、ひたすらに回りくどい代物だった。
果たしてリリーは、リズ=ローズなのか、エミリーなのか。

ようやく真実と繋がる糸口を掴み、物語が大きく動き始めるのは終盤に差し掛かるころ。つまり、謎の解明としては、プロローグまで一旦戻るということだ。とにかく、思わせぶりな挿話を随所に差し込んで、読み手を焦らし続ける。結末では、なかなかのツイストを利かせているのだが、徒労感が激しい。

2012年発表作。文章は平易でやや味気ないが、ページを捲らせる技倆には長けている。伏線と思いきや単なる枝葉に過ぎないものが多く、構成力も緻密とはいえない。人物造形も浅い。けれども、最後までしっかりと読ませてしまう。
〝くせ球〟を大上段から投げ込み、相手を圧倒してしまう力技は、フランス人作家ならではといえる。

評価 ★★★

 

彼女のいない飛行機 (集英社文庫)

彼女のいない飛行機 (集英社文庫)