海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「捕虜収容所の死」マイケル・ギルバート

1952年の発表から50年を経て飜訳され、ギルバート再評価の機運を高めた作品。
1943年7月、連合軍が間近に迫り、敗色濃い枢軸国イタリアの北部。約400人にものぼる英国人らがいた将校専用の捕虜収容所では、脱走のための地下トンネルが掘り進められていた。間もなく完成を見ようとする頃、密告の容疑が掛かっていたギリシャ人が不可解な状況下で殺される。その死が脱走計画破綻へと繋がることを恐れた主導者らは、真相を探る「探偵役」としてゴイルズ大尉を指名。だが、閉ざされた社会と、限られた時間の中で、犯人捜しは難航する。

結論を述べれば、単に「つまらない」。
その理由は以下の通りだが、読み手によっては全く違う読後感となることをまず断っておきたい。

本格推理物としても、スリラーとしても中途半端で凡庸。その最大の要因は、極めて味気ない筆致にあるのだが、そもそも物語る技倆が足りないと感じた。実力のある作家ならば、同じ設定で遥かに面白い作品に仕上げただろう。
一番のネックは、登場人物が無駄に多い上に、一人一人の造形が浅いことだ。つまり、読者に配慮した描き分けが為されておらず、収容所内の相関/因果関係が掴めない。全くイメージ出来ない容姿、表情や仕草のおざなりな描写、最低限の過去さえ分からない主要人物。〝探偵パート〟の主人公となるゴイルズさえ、どのような人物なのかが伝わらない。さらっと読んだだけでは、イギリス人かイタリア人かの区別さえ判然としない。
感情移入を促すための必要不可欠な要素、掘り下げが無く、要は一貫して淡白なのである。戦時下、しかも極限状態に生きる人間の焦燥や儚い希望を描き、ストーリーに深みをもたらす気など、さらさら持っていなかったようだ。ギルバート自身が、同様の状況で捕虜となった経験を持つとは信じられないくらいである。

焦点が定まらず、緊張感や昂揚感も無く、終始ぼんやりと流れていく。物語上で最大の見せ場/山場となり、力を込めて描くはずの脱走シーンも、下手をすれば読み過ごすぐらいのあっさり感で、難なく成功させる。さらに脱走後の道中も大したトラブルも無く過ぎていくのだが、これをスリラーと呼ぶならば、私が今まで読んだ本の中に「スリラー」は存在しないことになる。
大団円に於いて、ゴイルズは種明かしとともに裏切り者を指し示すのだが、大半が薄い登場人物の中の一人なため、これもピンとこない。
さぞや、これから先に、巻末で解説者述べるところの「スリラーと本格ミステリの様相とが渾然一体となった奇蹟のような作品」という評価に相応しい締め括りがあるだろうと期待したが、物語はここで拍子抜けするほど唐突に終わる。
これほど余韻の無いミステリも珍しく、まさに「奇蹟」のようではある。

地の文中で「すでに説明されたように……」と〝語り手〟の存在が脈絡を無視していきなり現れる。この物語は神の視点ではなく、ひと言も触れられてはいない誰かが記したものなのか、と興醒めしたのだが、シリアスな展開をぶち壊す構成の甘さは、如何ともし難い。主題を絞らず、いったい何が描きたかったのかと悩むほどだが、これがギルバートのスタイルなのだろうと心を静める。

全体を通して牧歌的な雰囲気が漂うのは、戦争の惨禍に対する批判的な視点が欠落しているためだろう。スパイが潜り込むという設定上仕方がないとはいえ、より劣悪な環境下にあった名も無き兵士らではなく、或る意味恵まれた収容所にいた将校らを対象とした点に、作者のエリート主義を感じる。トンネル掘りの合間に、スポーツや遊戯、劇を楽しむ捕虜ら。縦社会の悪しき象徴でもある軍人の鬱屈した世界だけは、しっかりと染み込んでいるようだが。

何にしろ、深読みしてあれこれと求めすぎる癖のある私は「由緒正しき伝統の英国推理小説」の良い読み手ではないらしい。

評価 ★

 

捕虜収容所の死 (創元推理文庫)

捕虜収容所の死 (創元推理文庫)