海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「技師クズネツォフの過去」ジェームス・O・ ジャクソン

声高に理不尽なこの世の無惨さを叫けぶ訳でもなく、派手な諜報戦とは無縁の片隅で人知れず滅びてゆくスパイ。愛する者のために祖国を裏切り、ささやかな人生のやり直しをひたむきに望むものの、不条理な運命の歯車が回り、孤独の闇の中で朽ち果てていく名も無き男の悲哀。あまりにも儚い一個人の生涯をジャーナリストならではの冷徹な筆致で描き切った心に沁む名作だ。KGBが象徴する旧ソ連の恐怖政治の実態、CIAが具現化するアメリカ帝国主義の虚妄、愚劣なる大国のイデオロギーが如何に空虚であるかをまざまざと見せ付ける。

評価 ★★★★★