海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「装飾庭園殺人事件」ジェフ・ニコルスン

1989年発表のメタ・ミステリ。いわゆるポスト・モダン的な文学志向の強い作品に位置付けられており、ミステリとしての水準は端から期待できない。

メディアでも活躍していた中年の造園家ウィズデンがホテルの一室で自殺した。妻のリビーは頑なに他殺を主張。真相を探るために、ホテルの警備責任者や医者、作家やカメラマン、さらには娼婦やウィズデンの愛人の子まで、総勢16人の〝探偵〟が、リビーの依頼を受けて動き出す。この異様な粗筋と、探偵役それぞれが文体を変えた一人称で語っていく設定がユニークだ。だが、幾らでも練り込んで面白いミステリに仕上げられる着想を、まったく生かさないのが〝メタ〟たる所以である。

敢えて無駄に多い登場人物と雑な伏線、一過性の無い構成や役に立たない造園のペダンティズムによって読み手を翻弄。探偵が集合する〝大団円〟と称した結末は、序盤から既に破綻しているカオスの残滓に過ぎず、衝撃ならぬ笑劇的なオチとなっている。初歩的で陳腐な謎解きを堂々と披露されては、本職のミステリ作家らは形無しだろう。真相を知る聞き手が唖然とすることによって物語が完成する、という括りでは、苦笑するしかない。結局はストレートな娯楽小説に飽き足りない文芸ファンに向けたアンチミステリなのだが、読み終えても本を放り投げたりしない大人の読者ならば、存分に楽しみ、本作の珍味を堪能することができるだろう。生憎、私には不味い代物だったが。

評価 ★★

 

装飾庭園殺人事件 (扶桑社ミステリー)

装飾庭園殺人事件 (扶桑社ミステリー)

 

 

 

「マンハッタンは闇に震える」トマス・チャステイン

チャステイン熟練の技巧が冴える傑作。
ニューヨーク市警16分署次席警視マックス・カウフマンを主人公とした第3弾。本シリーズの魅力は、超過密都市でしか起こり得ない大掛かりな犯罪の独創的着想、警察組織の機動力をフルに生かしたダイナミックな捜査活動、狡猾な犯罪者との息詰まる攻防、そして、重厚でありながらもスピード感を備えた卓越した筆致にある。1979年発表の本作も、物語を象徴する原題「ハイ・ボルテージ」の通り、全編緊張感が途切れることがなく、警察小説の醍醐味を堪能できる。

マンハッタンで相次ぐ原因不明の停電は、ニューヨーク市を相手取った脅迫者らが引き起こしたものだった。市全域に及ぶ電力供給を止めることも可能だと告げ、200万ドルを要求。実際、意のままに送電を操っていたのだが、手口は一向に解明できなかった。事件当初から名指しで脅迫電話を受けていたカウフマンは、複数人いる犯罪者に繋がる僅かな糸口を掴み、捜査の対象を絞り込んでいく。やがて、浮かび上がった容疑者の一人を追い詰めるが、男は通りすがりの母子を人質に取って立て籠もり、現場は騒然となった。マスメディアが逐一状況を伝える中、人質となった女の夫が駆け付け、予想外の行動に出る。投降説得のために呼び出されていた容疑者の家族に銃を突き付け、自分の妻と子の解放を迫った。事態は思わぬ方向へと流れ、動顛の展開を辿ることとなる。

ここまではまだ序盤なのだが、軸となる犯罪から派生する意想外の挿話を盛り込み、その余波が捜査の進展に直結/影響するさまを織り込んでいく。犯罪者グループとの駆け引きは中盤まで続き、終盤では遂にニューヨーク全域が停電となる。要所でツイストを利かせつつ、怒濤のクライマックスへと向かっていくのだが、緻密に練り上げたプロットには唸るしかない。

チャステインの文章はさらに磨きが掛かっており、打ち震える街の姿を臨場感豊かに活写すると同時に、理不尽な凶悪犯罪に対する義憤と焦燥、事件解決に向けて邁進するカウフマンの心象を的確に伝えている。中でも一章の大半を費やして、70年代後半のマンハッタンの情景を綴るシーンは、本作の白眉となっている。喧騒の中、人々の息遣いまで感じる美しさで詩情に溢れている。
やさぐれた中年の刑事が主流となっている警察小説の中で、ダンディズムを貫くカウフマンは異例の存在だが、決して嫌味にならない〝格好良さ〟にも魅せられることだろう。

 評価 ★★★★

 

「ウィンブルドン」ラッセル・ブラッドン

1977年発表、プロスポーツを題材としたサスペンス小説の名編。テニスの国際大会「ウィンブルドン」を舞台に犯罪の顚末を描くのだが、本作がメインに据えているのは、若き天才テニス・プレイヤー二人が切磋琢磨し、頂点へと上り詰めていく過程だ。
豪快且つ正攻法のプレイで魅了するオーストラリアの俊英ゲイリー・キング23歳、天賦の才を持ち華麗な技術と純真な人柄で誰からも愛される亡命ロシア人ヴィサリオン・ツァラプキン17歳。この二人が図らずも出会い、テニスを通して友情を育んでいくエピソードを主軸にしており、何よりも青春小説として味わい深い。
ウィンブルドン決勝。時には相棒として数多の強敵を倒し、互いに待ち望んでいた日を迎えたキングとツァラプキン。一方、同日に向けて計画を練っていた犯罪者グループが脅迫を決行。試合が終了するまでに要求が満たされない場合、観覧する英国女王と勝者は殺される運命にあった。ゲーム開始後、ツァラプキンはその事実を知る。敬愛するキングを決して死なせはしない。勝つか、負けるか。すべては、自分自身のプレーにかかっていた。師弟関係にあり、最大のライバルでもある二人が、クライマックスとなる最終戦で熾烈な戦いを繰り広げていく。タイムリミットが迫る中、ボルテージは最高潮に達し、劇的なゲームセットへと至る。

読みどころは、当然のこと全編にわたり展開する白熱のゲームだ。ルールを知らずとも楽しめるように配慮されているが、テニスファンなら二倍も三倍も試合のダイナミズムを堪能できるだろう。
会話で辞書が手離せないツァラプキンの設定を、犯罪者との攻防で生かし、結末でのツイストに繋げる伏線も見事だ。中盤から一気に緊張感を高め、終盤へと自然に流れていく構成も巧い。極めて過酷なスポーツでもあるテニスの魅力を存分に伝える稀少なミステリである。

 評価 ★★★★

ウィンブルドン (創元推理文庫)

ウィンブルドン (創元推理文庫)

 

 

「第五の騎手」ドミニク・ラピエール/ラリー・コリンズ

物語序盤、ニューヨーク市内に核爆弾を仕掛けた男が、米国大統領に向かって言う。
「日本の民間住民の上にこの種の爆弾を投下したとき、あなた方自身が行ったのと同じ行為なのだ。あのときのあなた方の慈悲や憐れみの心はどこにあったのかね? 相手が白い肌をした美しいアメリカ人でなければ、数百万のアジアの黄色人種たちやアラブ人やアフリカ人たちを殺し、焼き、ずたずたにするのは重要ではない……どちらが野蛮人ですか、大統領閣下?……悪魔の兵器を発明したのは誰ですか? ドイツのユダヤ人たちだ! それを利用した唯一の国はどこか? キリスト教国のアメリカだ! 人類を絶滅できるそれらの兵器をため込んでいるのは誰か? いわゆる文明化されたあなたの西欧の先進工業諸国だ! それらの爆弾はあなた方の文明の産物ですよ」
この言葉は、大統領が男に対して先に発した「完全に無責任な行為だ。不合理で……狂った行為で……」という非難に対する返答である。
男は、リビアの独裁者ムアマル・カダフィ。そして、大統領はジミー・カーター。無論、創作上のやりとりであり、実際には私利私欲に走る俗物であったカダフィからは、核兵器に関わる上記の如き〝事実〟に基づく根源的問い掛けなど望むべくもなかっただろう。そもそもアメリカとリビアは、規模は違えど所詮は〝テロの親玉〟であり、同じ穴の狢に過ぎない。だが、核兵器を持つ国/持たざる国の明確な差異がある以上、決して対等に渡り合えない。本作では、リビアは遂に核を手に入れる。そして〝文明の産物〟によってイスラム社会の敵と同等の立ち位置を得て、無責任で/不合理で/狂った行為、つまりは米国最大の都市を殲滅することを宣言するのである。

1980年発表作。ノンフィクション「パリは燃えているか?」などで著名な二人組による初のエンターテインメント小説。未だ解決をみないイスラエルパレスチナ問題を基底に置き、あとに〝現実〟となるアメリカを標的としたテロリズムの恐怖を描く。
リビアの狂信者は、マンハッタン内にテロリストを潜入させて水素爆弾を仕掛けたのち、パレスチナからのイスラエル入植者排除を、米国に対して要求した。埒が明かないイスラエルを直接相手にせず、その強大な支援国家からユダヤ人国家に圧力をかけさせようとする狡猾且つ大胆な脅迫に米国政府は騒然となる。カダフィは、実際に核爆弾の実験の映像をリアルタイムで送り、嘘偽りの無いことを実証した。条件を満たさなければ、ニューヨーク一帯は廃墟と化し、半永久的に人間が住めない地となる。期限は僅か36時間。

早急に打開策を講じなければ、ニューヨーク市民を中心に少なくとも500万人が犠牲となる試算が出た。どんな方法で住民を緊急且つ安全に避難させるか。同時に、どのようにして水爆を発見し、爆発を阻止するか。さらに、狂ったカダフィといかにして取り引きするか。一方で、どうすればイスラエル政府を説得して入植者の撤退が実現できるか。
全てが予測不可能な大問題ばかりだった。
刻一刻と無為に過ぎていく。米国政府は関係者と専門家らを招集し検討を重ねるが、何もかもが時間が足りず、無残な失敗に終わることを指し示していた。
ニューヨーク市民の退避は無謀と判断、カダフィは対話/交渉を一切拒否、怒り狂ったイスラエルリビアへの核攻撃を計画、自国民を優先する米国の裏切りに対して戦争突入さえ辞さない態度だった。想定内ではあったが、眼前に並べられていく結論は、あまりにも残酷なものばかりだった。
まさに最悪の状況下で四面楚歌となった米国政府の最後の希望は、極めて可能性が薄い水素爆弾の発見のみとなった。特命を帯びた情報部員や捜査官らは、未曽有の危機を回避すべく奔走していたが、上層部は市民にパニックを引き起こす情報漏洩を恐れ、水爆ではなく〝毒ガス〟として末端の捜査員に伝えていた。そんな中、テロリストの潜入経路と潜伏先を捜査をしていたニューヨーク市警の熟練刑事ロッキアは政府の隠蔽に気付き、事態を急転させる行動に出た。

当時の世界情勢/パワーバランスを解読しつつ、かつて経験したことのないテロリズムに脅える大国の姿を、綿密な取材を生かした考証を基に、徹底したリアリズムの手法で描き切っている。核爆弾を用いたテロをメインとしたプロットは、さして珍しいものではないが、起こり得る情況を俯瞰的にシミュレーションしたスケール感/ダイナミズムは圧倒的だ。ドキュメントタッチで進行する緊迫感溢れる展開は滞ることなく、終盤に向けてさらに加速していく。数多い登場人物一人一人を無駄なく活写し、膨大な情報量を整理しつつ、機能停止寸前にまで追い詰められる国家の有り様を的確に想定し、構成を破綻させることなく仕上げている。その手腕は見事という他ない。
驕り高ぶったアメリカ合州国の弱点を突き、その肥大化した身体の脆弱性を白日の下に曝す本作は、優れたスリラーであると同時に、「核時代」への批判精神を貫き、警鐘を打ち鳴らす。それは紛れもなく、今も響き渡っている。

 評価 ★★★★ 

 

 

 

「キャリー」スティーヴン・キング

1974年発表、キングの実質的デビュー作。自身の創作術を述べた「書くことについて」(2000年)の中で、「キャリー」以前にバックマン名義の長編を上梓していたことを明かしているが、本作から〝モダンホラーの帝王〟の快進撃が始まったことは間違いない。売れない兼業作家だったキングは、ブライアン・デ・パルマによる映画化の大ヒットという幸運にも恵まれ、以降は次々と話題作/ベストセラーを連発。今も第一線で旺盛な創作活動を続け、質量ともに凡百の作家を凌駕している。
内容については改めて紹介するまでもないのだが、常人を超えた能力「念動力」を持つ女子高生キャリーが、狂信者である母親の虐待と同級生らの陰湿な苛めによって限界を超え、一夜にしてすべてを破壊し尽くす物語だ。
事件の検証委員会、ルポ、警察の調書、関係者の証言などの記録を随所に挟み、隔世遺伝による「超能力」継承など〝科学的〟要素も組み込んでいる。日常の中に突如現れる恐怖を、より俯瞰的に伝えるべく趣向を凝らしており、キングの意気込みを感じる。デティールを積み重ねた圧倒的な筆力で分厚い物語に仕上げる手法は流石で、やはり物語作家としての才があったということだろう。理不尽な身体的/精神的暴力といった今日的テーマも、本作が些かも古びていないことを再認させる。
「キャリー」は言うまでもなくキングの原点であり、モダンホラーの幕開けを告げた記念碑的作品である。

評価 ★★★★

キャリー (新潮文庫)

キャリー (新潮文庫)