海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「暗い森の少女」ジョン・ソール

モダンホラーの〝古典〟として評価を得ている1977年発表作。
100年前、断崖に面した森の中で、実の父親に陵辱されて死んだ少女の怨念が、のちの世に新たな惨劇をもたらす。その犠牲となるのが、親の世代では無く〝同世代〟の無垢な子どもたちという設定が肝だろう。幸福な家庭を破滅させることで恨みを晴らす「少女」の捻れた狂気は、悲劇性よりも加虐的な面が強調されている。
ストーリーは極めてシンプルで、崩壊していく家族の有り様をじっくりと描き、流麗とはいかないまでも筆力はある。繰り返される惨事に人々は為す術もなく、現状を受け入れざるを得ないという虚無感も表現されている。結果的に真相は明らかにされず、事件も解決しない。消化不良気味ではあるのだが、これもモダンホラー独自のスタンダードな幕引きと捉えれば腹も立たない。

評価 ★★★

暗い森の少女 (ハヤカワ文庫 NV 189)

暗い森の少女 (ハヤカワ文庫 NV 189)

 

 

「偶然の犯罪」ジョン・ハットン

1983年発表、英国CWAゴールド・ダガー受賞作。米国MWAもそうだが、1年間に出版された膨大な作品の中から、何を基準にベストを選出したのか首を傾げる場合も多い。日本の雑多なランキングも、信頼度では言うに及ばずなのだが。

主人公は、師範学校の中年教師ニールド。大学内での特権的ポストに成り上がることを生きがいとし、日々教師仲間と丁々発止の駆け引きを繰り広げていた。或る夜、ニールドは指導先の学校から帰る途上で、ヒッチハイカーの若い女を拾う。身の程知らずにも色欲に駆られるが、すげなく拒否されて逆上し、女を放り出す。翌日、同地で女の死体が発見された。数日前、同様の手口によって女が殺されたばかりだった。現場周辺での刑事の聞き込みにより、男は必然、連続殺人事件の容疑者となる。つまらないプライドからついたニールドの嘘は、逆に容疑を固める方向へと流れていく。
「偶然」が重なり容疑者に仕立てられるという主題は、ミステリとしては常套だが、通常なら高まるはずのサスペンスは低調、主人公の俗物ぶりのみが印象付けられていく。ニールドは、自ら真犯人を捜す正義感も、身の潔白を晴らす気概も放棄し、なおも処世に全力を傾け続けるのだから呆れる。女性や若者に対して偏見を持つ利己主義者で、それは概ね劣等感に起因していることを匂わせる。つまり、ことごとくイヤな野郎なのである。作者は敢えて読み手の感情移入を妨げるように主人公を描いている訳だが、これが決してプラスに作用しない点が、本作最大の欠点だろう。こんな奴なら、例え無実であろうと、お灸を据えてやればいいと倫理観無視の願望をいだきかねない。
当然のこと、結末は読者の意に沿わぬものへと至るが、プロットにも捻りはなく、消化不良の読後感のみを残す。文章に味わいがある訳でもなく、徹頭徹尾冴えない男の迷走に付き合わされる。英国式のブラックユーモアに根差したものなのだろうが、巻末解説の方が読み応えがあるようでは、溜め息しか出てこない。

評価 ★

偶然の犯罪 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

偶然の犯罪 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

千切れたノート

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新しいノートを何気なく手に取った。

パラパラとページをめくり
さて何を書こうかと思案していた時、
私はあることに気づいた。

ちょうどノートの中ほどに
一枚分が破かれた跡を見つけた。

勢いよく引き千切った様子を物語る
ギザギザのまま残った切れはし。

いつ購入したのか、記憶は定かではなかった。
あるいは、誰かに貰ったのか……。

日記など記したことの無い自分にとって
記憶とは、破り取られたページのごとく
失われていくもののひとつだった。


椅子にもたれ、しばらく眼を閉じた。

朝から降り続いていた雨は、
いつのまにか雪へと変わり、
遠くサイレンの音だけが響いていた。


私は手許にあった青いペンを取り、
最初のページに Liberty とだけ書いた。
次の言葉は思い浮かばなかった。

その一言のみが、
この真新しくも不完全なノートに相応しいと
ひとり満足した。


傍で眠っている子どもの寝顔を見つめた。
握り締めた小さな手。
枕元には、丸まった紙くず。

それを拾い上げ、机の上で開いた。
千切れたノートのページには、何も書かれていなかった。

ただし……
菓子で汚した小さな指の跡以外は。


私は、幼い子の成長の標として
最初のページの後に、それを挟み込んだ。
青いインクがチョコレートの痕跡へと滲んでいく。


……或る冬の夜は
そうして過ぎていった。

「最終兵器V-3を追え」イブ・メルキオー

まずは、長い前置きから。
近現代史を背景とするスパイ/冒険小説で、最も登板数の多い〝敵/悪役〟は、言うまでもなくナチス・ドイツだろう。
総統ヒトラーを軸に集結した多種多様で強烈な個性を持つ側近や軍人、科学技術を駆使した軍事兵器の〝先進性〟、排他的ナショナリズムを公然と掲げた大胆不敵な侵略政策、さらには、優生思想やオカルトなどを混ぜ込んだ珍妙な理論体系まで、ごった煮/融合したナチズムの狂気に満ちた世界観は、究極の悪を具現化している。
無論、同じ枢軸国であった日伊、そして英米仏露ら連合国自体も、植民地を巡る縄張り争いを主導/加担した覇権国家に過ぎず、単純に善悪の境界を引くことはできない。また、日本やアメリカ、ロシアなどが無差別に敵国/被侵略国の市民を大量虐殺した史実を視れば、短絡的にナチス・ドイツだけを最悪の国家と断罪することもできない。
だが、その中においてさえ「第三帝国」という得体の知れなさ、異様さが突出していることは間違いない。スターリン毛沢東、或いは中東やアフリカ、南米などで突発的に出現する圧制者らは、一個人に権力が集中する恐怖政治を敷き、概ね大衆とは乖離していた。同じく独裁でありながらも、「第三帝国」がそれらと大きく異なる点は、大衆の熱狂的な支持を得て〝国民総ぐるみ〟となる極めて異常な集団性を有していたことにある(「神の国」という虚妄の下、天皇制と結び付いて軍国主義化したニッポンと、宗教色を排したナチスヒトラーを唯一無二の〝神〟と崇めたドイツの根っ子は同じなのだが)。
政府主導のファシズムレイシズムは末端にまで刻印され、ナチス・ドイツという怪物を生み出し、その崩壊後も瓦礫の下には〝悪の種子〟が残存していた。ネオ・ナチズムを旗印とする残党/イデオロギーはしぶとく生き残り、現代の世までも影響を及ぼしている。その強固で卑しい残滓を視れば、ナチスがいかに人類史上の脅威だったかを物語る。
特異な国家「ナチス・ドイツ」の全貌は、完全には解き明かされたとはいえず、稀に見る独創性故に、陰謀のシナリオを練る上での〝素材の宝庫〟となり、今も作家らの創造力を刺激し続けている。つまりは、現在も数多の文学/映像作品に登場して「悪」を演じ続け、人間の傲慢さと脆弱性、さらには〝暴力〟を表象する存在であり続ける理由となっている。要は「正義の国/ヒーロー」を、ひたすらに輝かせるだけのために。

余談が過ぎた。
1985年発表の本作は、典型的な「ナチスの陰謀」物のひとつで、妖怪の〝悪巧み〟は荒唐無稽ながらも、シンプルな筋立てでテンポ良く読ませる佳作。
第二次大戦末期。敗色濃厚なナチス・ドイツは、起死回生の策として毒ガスの最終兵器「Vー3」を開発、イギリス壊滅を狙っていた。その極秘作戦はヒトラーの死によって放棄されたが、狂信的残党が戦後40年を経て、再び実行に移そうと謀る。「Vー3」はイギリス海峡で沈んだ潜水艦の中にあった。毒ガスの入った679個にも及ぶドラム缶は腐蝕して漏れ始め、すでに近海で漁業に携わる人々にも影響が出ていた。
ナチス残党の不穏な動きを掴んだ米国政府は、土地鑑のある元連合軍情報部員アイナー・ムンクをドイツへと派遣。かつて、毒ガス製造に関わった者の所在を探り、行方の知れない「Vー3」に繋がる過去から現在へのルートを辿ろうとする。間もなく、元ナチスの徒党が襲い、ムンクは命懸けの戦いを強いられる。

メルキオーは、ナチス・ドイツ一筋のスリラーを発表したいわば〝専門家〟。手を替え品を替え、過去と現在を交差させ、いまだ死することなき魑魅魍魎が世界を危機に陥れるストーリーにこだわっていた。60年代のSF映画製作にも携わった異能の人物で、名前からはゴツい印象を受ける(メルキオールとの表記もあり、途端にソフトな感じになる)が、筆致は簡潔でスピード感を重視、プロットに捻りはないが冒険的要素を前面に出してエンターテインメント性を高めている。主人公が今ひとつ魅力に乏しい点がマイナス。終盤のサルベージでは、ダーク・ピット張りのシーンを用意し、ケレン味たっぷりに仕上げている。

評価 ★★★

 

最終兵器V‐3を追え (角川文庫)

最終兵器V‐3を追え (角川文庫)

 

 

「極大射程」スティーヴン・ハンター

1993年発表、ハンターを一躍メジャーな作家に押し上げたボブ・リー・スワガーシリーズ第1弾。銃器への偏愛が全編にわたり横溢し、かの大藪春彦を彷彿とさせるほど。マニアックなディテールは、時に筋の流れを堰き止めかねない分量に及ぶ。だが、勢いのままに筆を走らせる作者は、力技で読み手を捩じ伏せる。起伏に富むプロットに緊張感溢れる活劇を盛り込み、燃える男を活写。ハンターの並々ならぬ意気込みを感じる力作だ。

ベトナム戦争時、米軍海兵隊2位の腕を持つといわれた名射撃手スワガー。除隊後はウォシタ山脈で隠遁生活を送っていた。そんな中、米政府の法執行関連テクノロジー/武器/訓練/小火器の専門的助言を請け負うという組織の者が、新開発した銃弾の試射を依頼。極めて精密な長距離狙撃を可能にするという誘い文句に興味を引かれたスワガーは受託。難なく仕事を終えたが、組織はさらなる要望を加えてきた。近々当地で演説する大統領の暗殺計画を入手。〝いつ、どこで〟は掴んでいるが、〝どこ〟から狙うかが分からない。某国に雇われた暗殺者が、かつてベトナムの地で己に重傷を負わせ、親友を殺したロシア人と同一人物だと知ったスワガーは、大統領がセレモニーを行う現場を視察、トップレベルのスナイパーが選択するに相応しい狙撃の場を事前に突き止め、組織に告げた。
そして、世捨て人同然だった男は、己自身の過信と油断故に、罠に嵌まる。大統領狙撃は阻止されず、スワガーは暗殺者として仕立て上げられた。使用したライフルや銃弾、暗殺実行日直前の行動など、全ての証拠がスワガーが殺し屋であることを指し示した。銃弾を浴びながらも辛くも逃げ延びた男は、抑え切れぬ憤怒を抱えたまま、壮絶な復讐戦へと没入する。

様々な伏線を貼る序盤はややもたつくが、暗殺者の汚名を被る場面から一気に加速し、終盤までスピードを緩めない。図らずもスワガーの味方となるFBI捜査官や、凄腕の車椅子スナイパーなど、一癖ある登場人物を配置。ただ、女性を描くことは不得意らしく、ロマンス的要素は浅い。必然、本作での読みどころは射撃のエキスパートによる白熱の闘いにある。中でも白眉となるのは、数百人の戦闘員に囲まれた山上で迎え撃つ高密度のスナイプで、ハンターは圧倒的な筆力を披露している。

本作は世評も高く、ハンターの代表作に相応しいのだが、粗さも目立ち、私は絶賛とまではいかない。その最大の理由は、冒頭で二度と「殺さない」と誓っていたはずのスワガーが、自尊心を傷付けられたが故に、何の葛藤もなくあっさりと撤回することにある。まるで開放/爽快感を味わっているかのように繰り広げる殺戮。導入部で森の中に棲まう老鹿とスワガーが触れ合うシーンがあり、無意味な死に与しない信念を伝えているのだが、このエピソードが浮いてしまっている。主人公の変貌に触れないことは、展開上不自然な欠落であり、深みにも欠けていると感じた。また、今ひとつ感動の度合いが低いのは、射撃に特化したヒーローとして割り切る〝ゲーム性〟に重点を置いているからだろう。銃器のみに愛情を傾けるという非情なアウトローという設定では情感が流れず、アクションのみを目玉とせざるを得ない。所詮は、ベトナムで何人殺したかが尺度となる世界のストーリーを、読み手が受け入れられるかどうかで違ってはくるのだが。さらにもうひとつ。終幕近くでスワガーの罪を問う裁判のパートは明らかに蛇足で、もう一捻り付け加えているとはいえ、クライマックスの高揚感を弱めている。

本作は、物語として充分完結しているのだが、読者の評判が良く、作者自身も自信があったため〝サーガ〟化したのだろう。スワガーは、第一弾の時点で四十代半ば。驚くべきことに、シリーズ最新作「狙撃手のゲーム」(2019年)では七十代の老人である。如何に高齢化社会とはいえ、いい加減ヒーローから解放したらどうかと思うのだが。自らの年齢を反映させているらしいハンターはともかくとして、老いたスワガーの活躍さえファンは待ち望んでいるのだろうか。

評価 ★★★

極大射程 上 (扶桑社ミステリー)

極大射程 上 (扶桑社ミステリー)

 

 

極大射程 下 (扶桑社ミステリー)

極大射程 下 (扶桑社ミステリー)