海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「SSハンター」シェル・タルミー

ツイストを効かせた復讐譚の秀作で1981年発表作。タルミーの翻訳は本作のみだが、筆力があり、プロットも練られている。

マーク・セバスチャンは、復讐を果たすためだけに生きてきた。元SS将校四人を必ず見つけ出し、この手で決着を付ける。三十年前の1940年、ナチス政権下で両親が惨殺された。ユダヤ人の母は輪姦され、妻を助けようとした米国外交官の父もまた犠牲となった。マークは4歳だったが、その悪夢は今も目に焼き付いていた。鬼畜四人は大戦後、地下組織の助けを借りて国外へ逃亡した。やがて成長したマークはひたすらに報復に向けて頭脳と肉体を鍛える。大学で優秀な成績を修めた後、傭兵となり紛争地帯へ。その折に偶然にも渇望していた情報を得た。まず、一人目。シュミットは名を変えて潜伏先の南米からドイツに戻っていた。落ちぶれた男は命乞いをしたが、マークは冷然と遺恨を晴らす。現場に元SS将校四人の名を記したリストを残した。シュミットの名には、横線を引いた。奴らは必ず過剰に反応し、尻尾を出す。マークは次のターゲットを絞り、準備を進めた。
ドイツ敗戦を見越して蓄えていた資金を糧に、米国を拠点に実業家として成功していたナチス残党らは連絡を取り合い対抗策を練った。殺し屋を雇い、復讐者を返り討ちにする。だが、その目論みが甘かったことを、後に思い知ることとなる。

比較的長い小説だが、構成に無駄が無い。文章は簡潔でテンポ良く、徐々に復讐者の素性を明かしていく過程も自然だ。標的となった元SS将校ら三人が次第に恐慌をきたしていくさまを、主人公の動きと同時進行で追うのだが、シリアスでありつつもアイロニカルなエピソードを盛り込み、ひと味違うスリラーに仕上げている。
本作の読みどころは、復讐のために殺しを重ねる男と、その阻止を請け負った殺し屋の対決にあるのだが、作者はここにもひと捻り加えている。ベトナム帰りの殺し屋ヤングブラッドは、主人公と同じ大学に通った旧知であること。文武両道、ズバ抜けた能力を有していたマークに対して劣等感を持ち、ライバル心を燃やし続けていた殺し屋は、この機会を逃す手はないと意気込むのだが、読み手が予測するようなストレートな展開とはならない。最高の技倆を持つアマチュアのハンターと、狡猾で経験豊富な殺しのプロ。この二人が対峙する中盤から濃密なサスペンスを伴い疾走する。
登場人物それぞれの過去と現在もしっかりと描き、物語を膨らませる手法も巧い。終盤に至り、物語は予想外の方向へと流れていくのだが、どうやらロマンチストであるらしい作者は、何とも粋な結末を用意しており、最後まで楽しませてくれる。

評価 ★★★★

 

「狙った獣」マーガレット・ミラー

サイコサスペンスの先駆的作品でもある1955年発表作。日常がじわりと狂気に浸食され、逃げ場無き闇へと変貌していく怖さ。心理描写に長けた女流作家ならではの筆致が冴える秀作だ。

 父親の遺産を継いだヘレンは、30歳となった今もホテルに引きこもり、孤独な生活を送っていた。少女時代から劣等感の塊で、母親や弟とも反りが合わない。日々、鏡を見ては己の醜さを嘆いている。そんな或る日、旧友を名乗る女から電話があった。エヴリン。記憶にない。女は、間もなくヘレンに不幸な出来事が起こると脅迫まがいに告げた。不安を覚えたヘレンは、父親が懇意にしていた投資事業家ブラックシアに相談を持ちかける。不可解に思いながらも不承不承引き受けたブラックシアは、エヴリンの素性と行動を探り始めたが、男は徐々にヘレンに覆い被さる漆黒の闇へと引き摺り込まれていく。

 地の文は簡潔だがミスディレクションを含み、さり気ない会話にも伏線が忍んでいる。テンポ良く読み進めるうちに、ミラーの仕掛けた罠に徐々に嵌まっていく訳だ。ミステリを読み慣れた読み手なら、中途でプロットの核心には勘付くだろうが、それでも真相が明かされる暗鬱なラストシーンには〝さむけ〟を覚えるだろう。そして、ファンであれば、もう一人の重要な作家へと思いを巡らせるだろう。ロス・マクドナルド。彼が創作する上で、妻のマーガレットから大きな刺激を得ていたことは間違いない。例えば、本作の筋書きを下敷きにして、狂言回しを努める探偵役の男を一人称一視点にし、硬質で含蓄に富むレトリックを用いて組み立て直せば、リュウ・アーチャー物の一篇が仕上がる。得てして残酷で悲劇的な結末を迎える作品を数多く著してきたミラー家の二人が、軸に据えていたものは、やはり共通するのだと確信した。

 評価 ★★★

狙った獣 (創元推理文庫)

狙った獣 (創元推理文庫)

 

 

「バビロン脱出」ネルソン・デミル

デミル(本作邦訳時の表記はドミル)が名を上げた1978年発表作。この後、トマス・ブロックと共作した航空サスペンス「超音速漂流」(1982)、ベトナム戦争を主題とする重厚な軍事法廷小説「誓約」(1985)、斬新な設定と成熟した筆致に唸る至極のミステリ「将軍の娘」(1992)などの傑作を次々に上梓し、さらに評価を高めていく。

本作は、解決の糸口が見えずに膠着していたイスラエルパレスチナ問題を背景に置く。イデオロギー対立に関わる考証などは最小限に留め、ようやく実現に漕ぎ着けた和平交渉に臨む両者と、その阻止を目論むゲリラとの戦いを主軸に据えている。物語の大半を占めるのは砂漠地帯での戦闘シーンなのだが、凡庸なアクション小説で終わらせず、大義に殉ずることの葛藤と虚無性をしっかりと描いている点は流石だ。


国連本部での中東和平会議に出席するイスラエル代表団を乗せたコンコルド2機がハイジャックされた。実行したのはイスラム系テロ組織で、狂信的過激派として悪名を轟かせていたアラブ人リシュが首謀者だった。超音速旅客機2機の間近を飛ぶ小型ジェット機から交信し、命令に従わなければ機内に仕掛けた爆弾を爆破すると脅迫。護衛のイスラエル空軍機は離脱を余儀なくされた。間もなく、リシュの指示に背いた一番機が爆破され、乗員乗客50人余りの生命が一瞬で空に散った。残された二番機には、イスラエル政府要人の他に、航空会社保安要員ハウズナーが搭乗していた。対テロ工作の元エキスパートで、過去にリシュを限界まで追い詰めたことがあった。ハウズナーは悔やむ。あの時、このテロリストに死を与えていれば、と。

 序盤の流れはルシアン・ネイハムの名作「シャドー81」(1975)を彷彿とさせるが、意外にもハイジャックに関わる駆け引きは早々に終わる。物語は地上へと舞台を移し、怒濤の本篇へとなだれ込む。登場人物が多いため一人一人の造型の浅さがやや気になったが、事態を多面的に捉えつつ個々の状況を的確に伝える筆力は確かだ。

 ゲリラに誘導されるまま空路を変えたコンコルドは、イラク領内に侵入。リシュは予め確保していた陣地への着陸を要求するが、二番機の機長は一か八かの賭けに出る。爆弾が機内最後部にあることは分かっていた。上空で爆破すれば墜落は免れないが、機体が地面擦れ擦れの状況にあれば、爆弾自体は小型のため、助かる見込みがあった。何よりも、アラブ・ゲリラの脅迫に屈して人質となることは、イスラエル陣営には許されないことだった。着陸態勢に入った二番機は、指定された地点を無視した。怒り狂ったリシュは爆破スイッチを押す。コンコルドは機体を一部損傷したものの、現地ゲリラの待機する目的地を越えて不時着。不意を突かれたゲリラ部隊は武器を手に取り、イスラエル人らに迫る。だが、そこは攻め込むには容易ならざる場所だった。

 現イラク南部、紀元前約1800年頃に栄えたバビロニア王国の首都バビロン。旧約聖書「創世記」に記されたバベルの塔空中庭園などの伝説も残る。イスラエル人にとっては何よりも、ユダヤ教確立の誘因となった「バビロン捕囚」の地であった。この皮肉な因縁を嗤う暇もないまま、コンコルドから降り立った代表団は、脆い史跡を砦にしてゲリラを迎え撃つべく、地形を読み、防御を固める。二番機には護衛の任に就いていたハウズナーをはじめとする実戦経験のあるプロが乗り込んでいたが、大半は政府役人などの素人集団だった。銃器も積み込んでいたが、限りがあった。無線は妨害されており、救援はすぐには期待できない。実際、大混乱に陥ったイスラエル政府はコンコルドを見失っていた。ハウズナーらは覚悟を決める。例え死すとも、ゲリラには屈しないことを。

 以降、砂塵が吹き荒れる中、バビロン包囲戦ともいうべき激烈な攻防が展開。その死闘は凄まじく、敵味方問わず次々に倒れていく。当然、その過程で様々な人間ドラマが繰り広げられていくのだが、デミルは甘い感傷を抑え、ドライに活写する。終盤は地獄絵図の如きカオスへと至り、カタルシスと呼ぶには余りにも空虚な終局を迎える。


本作では、物語の進行と同時に、ユダヤ人が辿ってきた道程、思想的土台も語られているのだが、読み終えて強い印象を残すのは、シオニズムに立脚するイスラエルの強固な国家理念と、自己犠牲をも辞さないユダヤ人の宿命論的な観念だった。それは、敵対するイスラム教の極めて厳格な教義と根底では通じるものがあると感じたのだが、互いに血を流さなければ和平交渉の場にさえ辿り着けない両者の歴史的悲劇性が立ち現れる。無論、デミルは娯楽小説に徹するべく創作しているのだが、本作で描いた状況が現実味を帯びていたことは間違いない。2001年9月11日は悪夢ではなく現実であり、冷戦終結後も中東問題は世界平和を妨げる脅威として残存し続けている。
秀れた作家は、まるでそれを予期していたかのような作品を創り上げる力を持っている。デミルが、その一人であることは言うまでもない。

評価 ★★★

 

 

虚構を超える現実

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以下はスティーヴン・キング「霧/ミスト」のレビュー中で書いたものだが、加筆した上で切り離し、『旅の記録』に収めておきたい。

2021年1月現在、現代を生きる全ての人が、出口の見えない同時的な不安、最悪の場合には死に至る予測不能な疫病蔓延の直中にいる。COVID-19。この無機質な略称のウイルスは、それ以上に無機質な統計上の数字となって〝現実社会の恐怖〟を冷徹に指し示す。現時点で世界の累計感染者数は8800万人、死者数は189万人(1月8日時点)。毎日1万5千人近くが死んでいる。想像を絶する数字だが、これが現実だ。
世界最多となる米国では当初の予測をはるかに上回る36万人が死亡。既に第二次大戦での同国戦死者数を超え、一日の死者数は3千人にまで達している。状況をさらに悪化させたのは、権力の座を死守するために地獄へと大衆を道連れにした狂乱のドナルド・トランプに他ならない。1月6日、この男が煽動した米連邦議会議事堂への支持者乱入/襲撃事件は、完全に理性を失った人間らの醜態を全世界に晒し、4年間にわたる暴政の終焉をトランプ自身が刻印した。それと同時に、追い詰められた果てに血迷った〝超大国の大統領〟が「核のボタンを押しかねない」恐怖が世界を駆け巡ったのだが、これも虚構ではなく現実の有り様なのである。この米国史上最悪の大統領は、建国以来曲がりなりにも歩んできた民主主義や人種差別撤廃への道を破壊し、旧態依然の極右/レイシストらが公然と暴力に走ることを〝可能〟にした時代に逆行させた。大統領在任中にトランプがどれほど民主政治を愚弄したかは、いずれ猛省のもとで検証されるだろうが、悪疫に苦しみ、未来への不安を抱える人々をさらに疲弊させた罪過は限りなく重い。

この国の現状も酷いものだ。政治が全く機能していない。現与党の無能無策により、日々感染者と死亡者は「過去最多」を更新し続けている。声高に「日本はまだマシ」と口角泡を飛ばし、腑抜けた醜い顔を晒す道化らは、トランプ隷属の〝狂信者〟と大差がない。人命よりも国家を支える経済(裏返せばカネヅル)を重視し、あろうことかいまだに「東京五輪」開催が〝人心の救済〟となると大嘘を吐き、破綻寸前のイベントを極一部の利権団体/企業と結託してゴリ押しし、さらなる感染拡大に力を注ぐ傲慢で浅はかな政治屋。虚栄の理念をエサに五輪開催を強要する金儲け至上主義組織IOCの〝日本支部長〟モリにいたっては「不安は全くない」と寝言を並べて、己の冥途の土産でしかないことを白状した。

これまで例のない短期間で開発され、安全性が完全には検証されていないワクチン接種に伴うリスクを誰が負うのか。人間の遺伝子を組み換えて抗体を作るという極めて危険なワクチンがもたらしかねない、近い将来のさらなる恐怖に対して誰が責任を負うのか。その遺伝子を受け継ぐ、これから生まれくる子供たちの未来に何が待っているのか。

この異常な状況下でさえ保身と搾取しか能の無い愚劣な者どもを信じて行動することは愚の骨頂であるが、これだけは予測/回避可能である。彼らの発言は、科学的/医学的根拠無き盲信/戯言に過ぎない。その言動に盲従することは、甘んじて死を受け入れることと同義である。「秘書」という名の生贄を捧げ、当人だけが〝救済された〟と妄想する厚顔無恥の卑怯者アベの如き、現実逃避/言い逃れは通用しない。恫喝することでしか肥大化した権力欲を慰撫できないニカイのような真性の俗物や、アベのおこぼれにあずかり薄汚い汁を啜り続ける凡人スガ、卑しさに於いては他を圧倒する傲慢破廉恥アソウ、それら数多の魑魅魍魎がこの国に為している惨状の本質を見抜き、徹底して抗うべきだ。この予断を許さない危機的状況に於いてさえ、政府は2020年12月「長射程巡航ミサイル」開発に血税355億円を充てることを〝独善的に〟決めている。人命を救うことよりも、人殺しの兵器に莫大なカネを投入することを優先するこの国の茶番こそ、紛れもないホラーであろう。

閑話休題……。常に不安を抱えた現在の息苦しい生活は、濃い霧の中にいるのと同じだ。

戦争や天災、人災がもたらす惨禍とは違う不条理な「死」と隣り合わせの状況に、国家/貧富/人種/宗教/老若男女に関わらず直面している。この災厄が降りかかる対象は、皮肉にも完全に〝平等〟である。だが、感染した場合には、前記項目に応じて歴然とした〝格差〟が生じ、生死は〝不平等〟のもとで決まることを痛感するだろう。さらには、感染者/非感染者という差別が公然と罷り通る人間社会の不条理を知るだろう。

誰一人として避けて通ることは出来ず、今日/明日がどうなるかさえ分からない。世界中の人々が「何を選択し、どう行動するか」の決断を迫られている。加えて、人間が無力であることも改めて思い知らされたことだろう。これから先どうするかを決めるのは〝預言者〟ではない。今を生きる我々一人一人が、状況を見極め、乗り越えなければならない。いつ霧が晴れるのかは、誰にも分からない。その中へと飛び込むか。それとも、じっと耐え忍ぶか。決断するのは、自分しかいない。

「霧/ミスト」スティーヴン・キング

1980年発表作、キングの中編としては最も読まれている作品かもしれない。語り手は、デヴィッド・ドレイトン。物語は彼が残した手記というスタイルで展開する。

舞台は米国メイン州西部。激しい嵐が過ぎ去った翌朝、束の間の静寂を経て地区一帯を覆い尽くしたのは、かつて経験したことのない濃厚な霧だった。湖畔の家が倒木によって損壊し、ドレイトンは息子のビリー、隣家の弁護士ノートンと共に馴染みのスーパーマーケットへ物資の買い出しに向かう。妻ステファニーは自宅に残っていた。店に着いた直後、事態は様相を変えた。さらに濃くなった霧のために、一歩先さえ見通せない。不気味なサイレンの鳴り響く中、血塗れになった男が店に飛び込んできた。霧の中に何かがいると警告するが、大半の客は信じようとしない。痺れを切らして外へ出た者は、誰一人戻ってこなかった。ドレイトンは視る。濃霧に蠢く奇怪な生物を。その異様な触手に襲われ、若者が無残に殺されるさまを。

凶事が引き起こされた背景については、同地にある米軍基地内での極秘実験が要因と匂わせるが、最後まで真相を明かすことはない。ラヴクラフト的な世界観をモチーフに、閉ざされた空間に追い詰められた人々の恐怖を描いているのだが、キングが焦点を当てているのは、絶望の中で醜い争いを繰り広げていく集団心理の悍ましさにあると感じた。極限的状況下で、剥き出しとなる人間の本性。その生々しい〝過程〟にこそ真の恐怖があることを、暗鬱なエピソードを通して記録する。

以前からドレイトンと反りが合わなかった弁護士ノートンは制止を振り切り、助けを呼びに行くと言い残して同調者らと外へ出た。間もなく霧の中から彼らの叫び声が聞こえてきた。夜となり、さらに悪夢は続く。巨大化した異形の昆虫や鳥が店内に侵入し、次々と人間を捕食した。人々はパニックに陥りつつも、即興の武器で対抗するが、犠牲者は増えるばかりだった。そんな中、以前より狂信者として嘲笑の対象となっていたカーモディという女が、自分の存在を誇示し始めた。ついには憔悴し切った者たちを言葉巧みに煽動し、統率しようと図る。助かる手段はひとつ、生け贄を捧げよ。脅えて泣く幼い息子ビリーを抱き締め、ドレイトンは知る。いまや、対処すべき〝敵〟は内部にもいることを。

本作の肝は、人心の脆弱さに巧みに入り込み、〝神と悪魔〟〝黙示録〟という虚偽の体系を操り、非合理極まりない死を宿命として享受させようとするカーモディの造形にある。己は〝神の代弁者〟であり、その言葉は真理であることを主張。この試練は神がもたらしたものであり、人身御供が唯一救われる道であることを説く。中編ゆえに、狂った女がもたらす災厄は早々に暴力的な解決へと至るのだが、「怪物(悪魔)よりも人間の方が怖い」という通念を強烈に裏付けるキングの剛腕が冴える。やがてドレイトンは、行動することを躊躇う大多数の傍観者を見限り、ビリーと数人の仲間を連れて脱出することを決意。この判断がどういう結末を迎えるにせよ、ここには希望がないことだけは明らかだった。彼らは自動車を目指して、不気味な咆哮がやまない白く濁った世界へと一歩を踏み出す。

 実は本作を読み終えた後に、映画化された「ミスト」(2007年公開、フランク・ダラボン脚本/監督)を観て、文字通り唖然とする経験をした。人間の業を抉り出すことに於いて、原作を遥かに超えていたからだ。小説は終末的な退廃感のままに物語を打ち切っているが、映画ではキングのプロットを忠実になぞりつつも、独自の結末を用意していた。キングは物語を「希望」という言葉で閉じているのだが、映画の終盤では〝その後〟を描き、この世の地獄へと容赦なく引き摺り戻す。とにかく、ラストシーンが凄まじい。〝死という救済〟が〝生という絶望〟へと変転する虚無的な終幕。それまでの過程は、この残酷な情景のための伏線に過ぎなかったと思わせるほどだ。映画ならではの緊密な映像表現や役者の鬼気迫る熱演にも圧倒された。
映画版「ミスト」は、生きるための選択が死を招くこともある、という冷酷なパラドックスを見事に表現していた。当然のこと、小説と映画を同列にして比較/評価することは短絡的過ぎるが、本作に関しては、流石のキングも「してやられた」のではないか。

評価 原作/★★★
           映画/★★★★★

 

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