海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「スパイは黄昏に帰る」マイケル・ハートランド

1983年発表の処女作。35年以上も前の作品だが、世界情勢が刻々と変化しようとも、時代の断面を鮮やかに切り取る上質なスパイ小説は、決して古びないことを再認識する秀作だ。謀略渦巻く返還前の香港を舞台に、英ソ情報部の熾烈な諜報戦を切れ味鋭く描いている。 

1978年ネパール。英国大使館に重大な情報を伝えようとしていた中国人が惨殺された。英国情報部員デイヴィッド・ネアンは、真相を探るために、香港駐在の現地主任フーに調査を命じる。やがて、首謀者として現地の実業家リンが浮上。同時に、見え隠れする中国とソ連スパイの影が、事態を根深い問題へと変えた。ネアンは、土地鑑のある元情報部員ルース・アーシュを復帰させて香港へと送る。徐々に輪郭を現したのは、核兵器配備を巡るソ連と台湾の密約だった。暗号名スコーピオン。その真の狙いとは何か。明らかとなっていく陰謀の実体は、ネアンらの安易な予測を軽々と覆すものだった。

物語の背景には、八方塞がりのまま停滞する東西冷戦を横目に、軍事/経済力の急激な膨張により台頭する中国の異相がある。新興国家の今後を左右し、情勢を一気に変えかねない社会主義国家の存在。本作は、アンバランスな立ち位置のまま、独自の道を歩む「紅い中国」の潜在的脅威を主軸に、暗躍する各国諜報員らの姿を生々しく捉えており、全編緊張感に満ちる。
終盤では、日本も重要な舞台となっている。ネアンは過去に4年間滞在し、日本語も堪能なことを明かしている。アジア各地の街並みや人々の暮らしを的確に描写した匂い立つような表現も巧い。このあたりは、元外交官ハートランドの面目躍如だろう。

主人公ネアンは、第二作以降も登場。実直だが非情な面を持ち、課せられた使命を全うする揺るぎない信念を持つ。一人称のスタイルは、デイトンのドライな視点に倣うものだが、ネアンとルースの恋愛をプロットに絡ませることで、よりウエットで陰影に富むムードに仕上げている。苦いラストは、プロに徹さざるを得ないスパイの孤独を表出させて余韻を残す。

評価 ★★★★

 

スパイは黄昏に帰る (ハヤカワ文庫 NV (372))

スパイは黄昏に帰る (ハヤカワ文庫 NV (372))