海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「触手(タッチ)」F・ポール・ウィルスン

1986年発表作。病人に触れるだけでどんな難病も一瞬で治す「癒しの力」を手にした名も無き医師の昂揚と苦悩を描いた秀作。

物語終盤で、主人公アラン・バルマーが医者として生きてきたこれまでを振り返る場面がある。……小さい頃から医者になりたかった。「カネと名誉」のためだった。本当はロックスターになりたかったが、音楽の才能がないことに気付き、医者で我慢した。医学部の実習で初めて患者に接した。彼らが単なる病歴の見本ではなく、生身の人間だと気付いた時から、変わっていった。段々に。卒業するころには、世界一すばらしい医者になろうと決心していた。診療所を開いてからは、一日24時間、そうした医者になろうと努力してきた。

恐らくバルマーの造形には、開業医を続けつつ執筆活動をしていたウィルスン自身の歩みと信念が反映されているのだろう。本作は「城塞(ザ・キープ)」(1981)から始まる〝アドヴァーサリ・サイクル〟の第三部に当たるのだが、作品としては完全に独立しており、ホラー色よりも、気高いヒューマニズムを前面に出している。

アランは、道端で出会った見知らぬ男から、意図しなかった〝力〟を授かる。悪性の腫瘍や不治の病を治す神憑り的な「癒しの力」。それは発動できる時間が限られ、加えて一定の周期を経なければならなかった。ニュースはマスコミを通して拡がり、病人を家族に持つ者らが大挙して押し寄せた。能力の限界を説明するアランに怒りをぶつけ、挙げ句の果てに暴徒化した。さらにはアランを利用し、政治的にのし上がろうと目論む上院議員、まるで気が触れた人間の如くアランを恐れて逃げ出した妻などによって、徐々に追い詰められ孤立する。その中でさえ、アランは一人でも多く救いたいと願うが、この力には呪われた「代償」があった。最初は軽く記憶を失う程度だったが、回数を重ねるほどに重症化した。破壊され死滅する脳細胞。つまり、他人を生きながらえさせるという奇跡の〝見返り〟として用意されたのは、自らの死という残酷なアイロニーだった。
アランには、最後にどうしても救いたい者がいた。富豪の未亡人で美しい心の持ち主シルヴィアが養子にしたジェフィ。少年は重度の神経症を抱え、笑うことも言葉を発することも出来なかった。日々の診療の中で、シルヴィアに心惹かれていたアランは、ジェフィも自分の息子のように愛していた。だが、運命の歯車は、すでに軋み始めていた。

本作が力強い物語に仕上がっている大きな理由は、平凡な医者が或る日を境に奇跡の力を手にして以降も、決して驕り高ぶることなく、清廉さを保ち続けることにある。あらゆる大病院が見放した重病人を救いながらも、通常の安価な診察料だけで済ませる男。患者と日々触れ合う中でこそ、病を知り、医者としての使命が果たせるのだと、かたくなに信じ続ける男。醜いエゴを剥き出しにした人々に、怒りではなく、憐れみを感じざるを得ない男。そして「癒しの力」を持つ今の自分は、単なる「道具/治療機械」に過ぎないと自嘲する男。

吹き荒れる嵐の中、精神と身体を病みながらも、愛する者の名「ジェフィ」を叫び、歩みを止めないアラン。クライマックスの情景は劇的で、いつまでも心に残る。

評価 ★★★★