海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「監禁面接」ピエール・ルメートル

現代ミステリの最重要作家、2010年発表作。私の場合、購入した本はしばらく〝寝かせる〟のが常だが、ルメートルだけは早々に積ん読から外している。一旦、冒頭を読み始めたなら、最終頁に辿り着くまで片時も本から手を離せない。しかも、一度も期待を裏切られたことがない。本作もプロットの骨格自体に大胆且つ斬新な仕掛けを施しており、劇的変転の見事さに圧倒された。物理的/心理的トリックを偏重する旧態依然のミステリでは味わえない重量級の読み応え。先鋭的アグレッシヴさでは当代随一だろう。

アラン・デランブル、57歳。大企業で管理職にまで昇り詰めたが、会社買収であっさり解雇される辛酸を嘗めた。失業して4年目、雑多なアルバイトを掛け持ちしていた男は、またとないチャンスを掴む。奇跡的に漕ぎ着けた一流企業の最終面接。役職は人事副部長でアランの経歴を生かせた。しかし、事前に告知された試験内容は前代未聞だった。同社の精鋭エリート数人が出席する重役会議で、誰が冷徹に〝近々断行する大量解雇の陣頭指揮を執れるか〟見極めろ。当然、彼らは己の危機管理能力が試されていることを知らない。
具体的なロール・プレイングは、さらに異常だった。会議の場を正体不明の武装グループが襲撃して監禁、一人一人を順に隔離し、企業の命運を左右する内部情報を漏らすように脅す。擬装した襲撃者への指示は、別室に居るアランら新規採用候補が行い、その的確さを競う。つまり、同時に二つの〝採用試験〟を実行する訳だ。甘い希望は脆くも崩れたものの、この仕事を手にするためには、どんな手段も厭わないと男は固く誓う。後日、安易な想像を遙かに超えた狂乱の場で、アランは〝主役〟を演じることとなる。

三部構成。ストーリーは激しく変調し、読み手を翻弄する。
「そのまえ」と題した第一部は、主人公アランの一人称語り。これまでの道のりを振り返りつつ、最後の賭けとなる最終面接までの日々を追う。この準備段階から既に尋常ではない。アランは、試験を少しでも有利に運ぶため、重役会議に出席するメンバーを推定し、素性や人格などの情報をあらかじめ入手しようと考えた。そのためには探偵を雇い、さらには監禁事件に詳しい警察関係者にアドバイスをもらう必要があった。問題は軍資金だった。男には愛する妻と娘二人がいた。長女の夫は消費者金融会社の支店長。アレンは娘婿に借金を申し込むがあえなく拒否された。切羽詰まった男は、娘夫婦の貯蓄を騙し取るように奪う。当然のこと無謀な行動によって、家族は崩壊寸前となった。信頼を取り戻すためには、何が何でもこの仕事を手に入れなければならない。試練はさらに続いた。

家族を裏切ってまで就職活動に執念を燃やすアランのエゴイズムは加速する。その姿は鬼気迫るというよりもシニカルな滑稽さが滲み、平凡な中年男が次第に狂気を帯びる過程を強烈に印象付ける。やがては理性を失い、抑えが効かなくなった果てに〝内なる暴力〟が姿を現すこととなる。
物語は重苦しい焦燥を抱えたまま、怒濤の第二部「そのとき」へと突入。語り手は、まやかしの武装集団を率いる元軍人へと代わり、第三者の冷徹な視点からアランの異様な言動を書き記す。最終面接当日の地獄絵図の如き顛末。この擬装襲撃でのテンションは凄まじく、読み手を一気に狂躁へと引き摺り込んでいく。この臨場感に溢れた極めてドラスティックなパートは本作最大の読みどころであり、ルメートルの超絶技巧が炸裂している。
第三部「そのあと」は、やや冗長で失速するとはいえ、綿密に練り上げられたストーリーの全体像とアランの〝真意〟が明らかとなる。退路を断ち、前進し続けた男の最終目標とは何だったのか。

主要な登場人物が物語の中で何度も相貌を変えていく構造は、後の「その女アレックス」などで更に磨きを掛けるルメートルの真骨頂だ。どこまでも動的に変幻する独自の世界で描く人間模様。主人公を取り巻く端役も手を抜くことなく個性豊か描き分けている。中でも主人公を影で支え続ける友人シャルルの造形が深く、クライマックスでは心震わすシーンを演じている。何かを得ようとすれば、必ずその代償として何かを失う。甘さと苦さの交差する結末には、人間の業がもたらす因果が刻印されているのだろう。
本作を単純に要約すれば、落ちぶれた男が再生への足掛かりとなる仕事を得るために孤軍奮闘する物語となる。だが、ここに仕上がった作品は、かつて誰も読んだことのない小説だ。ありふれた日常が、ネガの反転によって全く違う情景となって現れている。ユニークな着想を破綻無く構成する力。この作家は、やはりズバ抜けている。

評価 ★★★★