海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「雪は汚れていた」ジョルジュ・シムノン

1948年発表、シムノン初期の代表作とされている。フランス文学界の重鎮ジッドやモーリアックらが絶賛、アルベール・カミュの「異邦人」を凌駕するほどの評価を得たという。
舞台はドイツ軍占領下の小都市。19歳のフランク・フリードマイヤーは、占領軍相手の売春宿で稼ぐ母親と同居し、カネや女に不自由しない怠惰な生活を送っていた。常連となっていた酒場で見知った将校を待ち伏せて殺し、拳銃を奪う。その犯行間際、隣人のホルストという男に顔を見られていた。フランクは、その男の娘に接近して挑発。さらに新たな殺人を犯す。
振り続く雪、人心は荒廃し、生気を感じる登場人物がいない。占領下の暗鬱な不安を表象する殺伐とした情景。主人公の内面描写は多いが、何を考えているかは分からない。いま読めば、漠とした少年の言動は、不条理よりも不可解さが際立つ。戦争がもたらす鬱屈した心情を、犯罪というかたちでしか表出できない根拠が曖昧過ぎる。過分に時代的背景が影響しているとはいえ、生きることを実感するために暴力へと向かわざるをえない、という短絡且つ稚拙な思考。それは自滅へと必然的に繋がる。破滅こそが実存を確かめる路という流れは、明確ではあっても甘い。文学として幾らでも解釈は可能だろうが、実存さえも否定するが如き「異邦人」の圧倒的な強度が、本作には足りないと感じた。

シムノンの世界観は意外と狭いというのが印象で、限られた登場人物による閉ざされた日常の中で物語は完結する。作品によって物足りなさを覚えるのは、世界が閉じられた後、その先に繋がるものが何も残されていないことにある。

 評価 ★★★

雪は汚れていた (ハヤカワ文庫 NV 137)

雪は汚れていた (ハヤカワ文庫 NV 137)

 

 

「探偵の帰郷」スティーヴン・グリーンリーフ

1983年発表、私立探偵ジョン・マーシャル・タナーシリーズ第4弾。デビュー以来〝正統派ハードボイルド〟の継承者として安定した評価を得ていたグリーンリーフは、本作によって固定化したイメージからの脱却を図っている。といっても、60年代後半から70年代にかけて登場したアクの強いヒーロー/ヒロインの流れに与した訳ではなく、プロット/世界観の幅を拡げるために、まずは探偵自身のアイデンティティをより厚くしておきたいという思いがあったのだろう。
冒頭、機上から故郷の町並みを俯瞰するタナーの心象が印象的だ。生まれ育った地、そこに暮らす人々に対する複雑な思いは、同様の経験を持つ読み手には共感できるに違いない。

本拠地サンフランシスコから離れ、30年振りに小さな田舎町へと帰郷した探偵は、タナー家の四兄妹が受け継いだ広大な農地を売却するか否かの話し合いに臨む。市や開発業者などのアプローチを受け入れて一過性の大金を望む兄二人、すでに農業を営んでいた子どもへの貸与を堅持する妹。三男であるジョン・タナーは、状況を見極めて最善の結論を出そうと試みるが、地元民や業者らの圧力、昔の恋人との再会などで気がそがれ、思うように事が進まない。そんな中、次男カートの息子ビリーが公園で首を吊って死んだ。青年はベトナム戦争帰還兵で、怪しげな環境保護団体と関わり、以前とは人格が変わっていたという。不可解にも警察を除き、彼を知る殆どの者は自殺を否定した。その根拠とは何か。かくて、近親者らが巻き込まれた事件の真相を探るべく、タナーは見知った顔の間を渡り歩いていく。甘美な郷愁に浸る暇もなく、己の過去と対峙し、人間の業がもたらす生々しく厳しい現実と向き合う男。遂には、今は亡き両親の最期に繋がる秘密さえ暴いてしまう。

物語は、不条理な戦争の実態を身を持って体感し、ドロップアウトした若者の鬱屈した怒りがどういう顛末を辿るのかを底流においている。階級や人種、性差別などの社会的問題は、都会よりも田舎の方が眼に見えやすく、過激になりやすいことも明確にしている。
シリーズのターニングポイントとなる本作は、主人公が次のステップへ進むために不可欠な試練を与えたグリーンリーフの意欲作といえる。さらに、終盤での殺人者へと導かれていく過程、その決着の付け方は、ミステリの定石を外したもので異色だ。ただ、清廉且つ堅実なスタイルを崩すことはなく、派手な活劇が無いのは相変わらずだが。
当時としては稀なストイシズムを敢然と貫き続けるタナーは、やはり真っ当なハードボイルド・ヒーローの理想像だと改めて感じた。

評価 ★★★

 

探偵の帰郷 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1454)

探偵の帰郷 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1454)

 

 

「蜂工場」イアン・バンクス

1984年発表、クライヴ・バーカーらと並びホラー新世代を代表する作家として評価を得ていたバンクスのデビュー作。本の表紙に「結末を誰にも話さないように」とわざわざ刷り込み、粗筋紹介などでも際物的な先入観を植え付けるのだが、確かに特異な顛末は辿るものの、終幕における衝撃性はそれほど高くはない。中途で大胆な伏線を幾重にも張っているため、勘が良い読み手なら予測することも可能だろう。真相の意外性よりも、全編に漂う頽廃/背徳的なシチュエーションにバンクスの独創性を感じた。

主人公は16歳の少年フランク。スコットランドの或る島に生まれ育ち、今も父親と暮らしている。母親はフランクを産んですぐに失踪。食事の世話などをする女が定期的に訪れる以外は、島を訪れる者はいなかった。フランクは家を取り囲む一定範囲内に呪術的な防衛策を施し、手製の武器を用いて野性の小動物や鳥を狩り、異質の規範に基づいて行動していた。そんな中、腹違いの兄エリックが精神病院から脱走したとの報を受ける。フランクはこれまでの道程を振り返りつつ、兄との再会がもたらす暗い予感に打ち震える。その混乱が、自らの出生に隠された衝撃的な事実を明かす事態となることも知らないままに。

恐怖を主題とするが、読み終えた後は、ブラックユーモアの変種という印象。主要な登場人物は須く狂気の淵にいるのだが、一人称による文章は時に理智的な部分も垣間見せ、小説として破綻無く成立させるためのバランスに苦慮している。プロットは短編向きだが、肝となるアイデアを活かすための肉付けは多様。中でも、主人公が同世代の近親者三人を殺める場景、無垢と狂気の境界が崩壊する際の虚無感が異様な迫力に満ちており、震撼させられた。
全体に流れる無秩序/混沌、相対する安寧と抵抗、終局における「解放」は、のちに左翼的とも称されたバンクスのスタンス/思想を暗示していると捉えることもできるが、恐らく裏読みし過ぎなのだろう。

 評価 ★★★

蜂工場 (集英社文庫)

蜂工場 (集英社文庫)

 

 

「遅番記者」ジェイムズ・プレストン・ジラード

冒頭から一気に引き込まれた。
舞台は米国カンザス州の都市ウィチタ。やさぐれた中年の刑事が犯行現場へと向かう。一旦は途絶えたかにみえた猟奇的殺人が6年を経て再び繰り返された。いまだ未解決となっている経緯を振り返りつつ、私生活では離婚の危機を迎えているウィチタ警察警部ルーミスの行動と思念を追う。切断された死体の傍には、打ち捨てられたユリが5輪。犠牲となった女性は5人目。花の種類は都度変わり、1輪ずつ増えた。暗い記憶を呼び起こす符牒。オフィスに戻ったルーミスに、殺しを嗅ぎ付けた地元の新聞社が密着取材を申し出る。旧知のサム・ホーンなら、と刑事は名を挙げて受諾した。場面は切り替わる。
墓標の前に立つ幼い男の子。少し離れた場でそれを見つめる父親は、1年前に事故で亡くした妻と娘、そしてたった一人残された息子に想いを馳せる。新聞記者ホーンは、愛する妻を失った後に、裏切られていたことを知った。「ミッド・アメリカン」紙の編集局長ルールは、上役であり、亡き妻クレアの浮気相手だった。克明に情事を書き記した日記。敏腕記者だったホーンは遅番へとシフトし、私怨を晴らす機会を待っていた。現在、ルールの相手となる同社女性記者ストッシュ・バビッキを利用して。ルーミスの捜査に同行したホーンは、やがて〝限界〟へと行き着く。
一方、仕事に情熱を傾けながらも上司との不倫の只中で、ストッシュは思い悩んでいた。実力を活かせず、煮え切らない記者生活。そんな中、漫然と流されていた日常に転機が訪れる。連続殺人事件を追うホーンのサポート。妻子を失い、心に深い傷を負った男は、過去に呪縛されていた。その情念、時に不可解な言動に向かう男の内面を知るほどに、ストッシュは無自覚なまま惹かれていく。
三人はひとつの事件で結び付き、互いに影響し合い、人生を変えることになる。

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1993年発表作で、ジラード唯一の飜訳。ミステリの枠に収まらない上質の小説であり、忘れ難い読後感を残す秀作だ。ミステリに於いては〝ありふれた〟連続猟奇殺人を縦軸とするが、通常の展開をとらない。ホーン、ルーミス、ストッシュ。焦点をこの三人に絞り、今回の事件を経て、どのような道を歩むことになるかを丹念に描いていく。本作で最も優れた点、魅力もそこにある。生きづらさを抱えた男と女、その心の揺らぎを情感豊かに綴った心象風景が鮮やかで、詩情に溢れているのだ。何を思い、どう選択し、決断するか。それぞれのアプローチの仕方は繊細で堅実であるが故に、あとの劇的なシーンへと違和感なく流れていくのである。
事件の謎を解く鍵でもある街の寂れたバスターミナル。ホーンは孤独を噛み締めつつ、行き交う人々を幾日も見詰める。殺人者の犯行を辿り、異常な心理を探り、深層へと墜ちていく。両者は、いつしか重なり一体化、血の記憶は遂には幻視さながらとなる。追想は事件から亡き妻へ。怒りでもなく、哀しみでもなく、悔恨に苛まれ、毎夜悪夢にうなされる男。眼前の情景のみならず、ひとときの安息となる眠りの中にさえ、暗く悲しい幻影がまとわりついていた。事件が家庭崩壊へと繋がる一因となったことでは共通するホーンとルーミス。殺人事件に取り憑かれた男二人の間に立つストッシュのまなざし。人生の縮図であるかのようなターミナルへと偶然にも導かれた三人は、まもなく区切りを迎える。

静謐ながらも熱く、穏やかだが気高い筆致。本作は、さまざまな人生経験を積んだ大人にこそ読み応えのある作品だろう。逆に、過激な猟奇性や練り込んだ謎解きに刺激を求める読み手には、つまらない読み物だろう。実際、連続殺人の様相や真相などはサイコスリラーの定型に沿っているのだが、ジラードはあくまでも物語の一要素として割り切り、力を入れてはいない。それよりも、躍動的な新聞記者らの生態、彼らが体感した数奇な事件のあらまし、日常の中で一瞬にして目覚める不条理性を、リアリティ豊かに織り込んでいる。自らも新聞記者であった作者の社会を視る目、その冷徹な人生観が物語の強度を高めていると言っていい。

脆弱であるが故に殺人へと至る歪んだ人間の闇を抉り出して事件は解決する。けれども、本作のクライマックスはその後にある。なおも続く日常。終章の美しさ。儚き現実の厳しさに直面しながらも、幸福への道のりを確かめるホーンとストッシュ、そしてルーミス。心の揺れ。何がどう変わったのか。多くを語らずとも、三人の〝それから〟をエピローグで見事に暗示している。余韻は深く、心地良い。

ミステリは、まだまだ深い。そして、ジラードは心憎いほど巧い。

 評価 ★★★★★

 

遅番記者 (講談社文庫)

遅番記者 (講談社文庫)

 

 

「深海の大河」エリック・ローラン

フランスのジャーナリスト兼作家ローランのセス・コルトンシリーズ第2弾で2003年発表作。謳い文句は「現代のジェイムズ・ボンド」で、全体のイメージも概ね近い。但し、主人公は国家機関のスパイではなく、あくまでも私的組織の一員。〈委員会〉と称するその極秘チームは、科学技術開発の暴走を抑制することを目的とし、秘密裡に問題を処理していた。必然的に崇高な思想のもとで、莫大な軍資金を調達できる富豪の経営者や科学者のみで構成。〝世界一のメディア王〟〝ノーベル賞受賞生物学者〟〝情報科学者〟など、政財界や数多の機関に強力なコネクションと影響力を持つ実力者らが名を連ねる。コルトンは、諜報と戦闘活動を行う唯一の工作員として〈委員会〉の命を受けて〝悪〟に立ち向かう。要は、〝地球防衛軍〟的なヒーロー小説の体裁で荒唐無稽の感は否めないが、劇画として割り切れば、思い切りの良い活劇が楽しめる。

当然、この大胆な〝正義の側〟に匹敵する〝魅力的な悪役〟の設定が必須となるが、本作に登場する集団はなかなか凄い。世界の叡智を結集した狂信的〝環境テロリスト〟の結社。前人未踏の科学技術を用いて企てる陰謀。目論むのは、環境破壊の元凶となる人口増殖に歯止めをかけること。グリーンランド海流を操ることで異常気象を誘発して増え過ぎた人間を抹殺、有史以前と同様の地球環境にまで引き戻すという途方もないもの。通常の潜水艦では到達できない9千メートルの深海に基地を造り、主に地底での爆破によって海流の流れを変え、人工的な天災をあらゆる地で発生させる。長い時間をかけて生態系は壊され、結果的に人間が住めない世界へと変わるという訳だ。狂ったユートピア思想だが、地底の鉱物はしっかりとカネに変える現実主義の面も備えている。そもそも、地球環境を守るために、まず全てを打ち壊す独善的思考/視野の狭さが、ヒーロー小説でのみ輝く悪役たる所以だ。

物語冒頭では、既に世界各地で頻発する異常気象によって多くの人が犠牲となっている。事態を危惧した〈委員会〉は調査を開始。間もなく海洋研究所を隠れ蓑とする悪の組織を突き止め、工作員派遣を決める。新人研究員として擬装したコルトンは氷河下の海底基地に潜入、組織の全貌へと迫っていく。

強引に話を展開し、構成の粗さが目立つものの、筋立ての面白さで引っ張る。
本作の読みどころは、驚異的な性能を誇る潜水艇を使った戦闘にあり、未知の深海でマッハを超えたスピードで航行する迫力のあるシーンが味わえる。どちらかといえば、映像向きのプロットだが、新たな「007」の登場を待ち望む読者には大いに受けたのだろう。
終盤での因果応報的な悪役らの最期には、寂寥感さえ漂う。これもまた、ヒーロー小説ならではのテイストといえる。

評価 ★★★

 

深海の大河―セス・コルトンシリーズ (小学館文庫)

深海の大河―セス・コルトンシリーズ (小学館文庫)