海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「殺しの挽歌」ジャン=パトリック・マンシェット

マンシェット1976年発表作。情感を排し客観描写に徹した筆致は乾いているが、殺伐とした寂寞感の中でさえ叙情が滲み出ている。文体でいえば、ハメットを継承しているのは、本家アメリカではなくフランスの作家たちだろう。新しい文学の潮流として捉えたハードボイルドの世界を再構築し、よりスタイリッシュなロマン・ノワールへと再生し、熟成させている。

主人公は大企業に勤める中年サラリーマン、ジョルジュ・ジェルフォー。ウエストコースト・ジャズを好む元左翼活動家で、今は安寧とした生活を送っている。或る商談からの帰り、真夜中の高速道路で大破した自動車から瀕死の男を助ける。その身体は数発の銃弾を浴びていた。ジェルフォーはトラブルを避け、搬送した病院で名乗らぬまま帰宅する。だが、闇に潜んで二人が会話する様子を見ていた殺し屋は、ジェルフォーの車のナンバーを書き留め、黒幕に報告していた。口封じの標的となった男の日常は、一夜にして様相を変えた。
旅先で二人組に襲われたジェルフォー。寸前で難を逃れ、家族には知らせずに姿を隠すが、殺し屋らは執拗に痕跡を追ってきた。やむなく反撃へと転じ、一人を殺害。ジェルフォーは逃走の途上、乗り込んだ列車で浮浪者に身ぐるみ剥がされ、見知らぬ場所で放り出される。

このあと物語は意外な方向へと流れる。迷い込んだ山中で奇しくも出会った退役軍人の家に身を寄せるのだが、その期間は実に半年以上に及ぶこととなるのである。家族には一切連絡をとらず、老人と共に狩猟生活を送り、世捨て人同然となっていく。つまり、前半のマンハントを強引に停滞させ、物語は一気に変転するのである。しばらくして、病んでいた老人は死に、遺産相続人となる孫娘が訪ねてくる。ジェルフォーの滞在は続き、やがて娘と逢瀬を重ねていく。その間も相棒の復讐を狙う殺し屋が近づきつつあった。凄まじい襲撃を受けたジェルフォーは、再び殺戮の闇へと引き戻される。

全てを終え、家族のもとへと帰ったジェルフォー。それまでの出来事を黙して語らず、何事もなかったかのように日常へと戻る。そして冒頭と同じように車に乗り込み、高速道を疾走する。飢えたような眼に宿るのは、新たな冒険への渇望に他ならなかった。

中盤での意図的な破綻は、苛烈な暴力を経て非日常の中にカタルシスを覚えた男の変貌を描く上で不可欠な展開だったのだろう。例え、理不尽な私闘であっても、その日々は「生きる」実感へと直結した。男にとって、この危険極まりないアヴァンチュールは、解放感と魅惑に満ちていたのである。ジェルフォーの言動はドラスティックで虚無的だが、過去に正義を標榜し挫折した「闘士」としてのセンチメンタリズムも表出する。それは、マンシェット自身にも通じるものであり、現在の有り様に飽きたらず、日常の「破壊」を創作の中で試みたのだという解釈も出来る。深読みをすれば、ジェルフォーは著者の分身なのであろう。

評価 ★★★★

 

殺しの挽歌

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