海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「駆逐艦キーリング」セシル・スコット・フォレスター

読み終えて、ようやく気付いた。孤独な中年男の滲み出るような〝悲哀〟を描くことこそが、本作のテーマだったのだと。ホーンブロワーシリーズで著名なフォレスター1955年発表作。極めてストレートな海洋戦争小説だが、極めて異色の教養小説でもある。
1941年、物資を載せて大西洋を航行する連合国輸送船団37隻と護衛艦4隻。物語は終始、洋上から離れることはない。主軸となるのは、船団を狙うドイツ潜水艦との戦い。ほぼ互角で推移する攻防。敵が次にとる行動を如何に迅速且つ的確に読むか。テクノロジーの優劣が全てを決する現代の力押しとは別次元の頭脳戦。その筆致は抑え気味で、どちらかとえば淡々としている。フォレスターは、ベテラン作家ならではの腕を振るい、臨場感豊かに激しい海戦を活写してはいるが、本作の主眼は別にあると感じた。即ち、かつて経験したことのない苦難を、ひとりの男がどう乗り越え、成長するか。

護衛艦隊の指揮を執るのは、米国駆逐艦キーリング艦長のジョージ・クラウス中佐。現在42歳だが、今回の任務が初陣だった。苦労人だが、実戦経験が浅く、常に大きな不安と焦りを抱えている。視点はクラウスを主体に動く。邦題は「駆逐艦キーリング」だが、「クラウス艦長の闘い」とした方がしっくりする内容だ。戦術への迷いや決断後の焦燥、他の艦や部下とのぎこちない信頼関係。チェスゲームの如きUボートとの戦いでは、優秀な敵艦長への賛辞は惜しまず、逆に自らの不甲斐なさに落ち込む。さらには出世への儚い望み、そして立派に戦う自分を見せられない元妻への未練も。終わりなき戦闘の只中にいるクラウス、その目まぐるしく移り変わる心理を克明に追っていくのである。それは、実に生理現象にまで及ぶ。常に部下の眼を気にして、己の立ち位置、バランスに苦慮している。不眠不休、長時間立ち続けて足が痛むものの、まわりに気兼ねして座ることさえためらう。唯一の至福はコーヒーを楽しむことだが、飲み過ぎなのか、常時便所に行くタイミングをはかっている。実直で口下手、信心深く、何よりも孤独な男。傲慢さのかけらも無い、何ともいじらしく愛すべき人物ではあるのだが、読み手としてはもう少し強さが欲しいところではある。敢えて俯瞰的な視点を避け、一軍人のストイシズムに焦点を当てたということなのだろう。

長く苦しい激戦を潜り抜け、最少の被害に抑えたクラウスが、目的地に辿り着こうとした矢先、連合国の別艦隊に護衛役を奪われ、お役御免となる。守り抜いた船団を引き連れて、栄光と称賛に包まれたはずの帰還の瞬間は、非情にも失われる。失意の中、むさぼるように眠りにつくクラウス。その哀愁漂よう背中。終章で、ようやくクラウスの過去が明かされるのだが、なんとも不幸せな人生を送ってきたことが分かり、さらに物語は様相を変えるのである。よくやったぞ、クラウス。読み手の大半は、拍手を送るだろう。

何事にも動じず、タフで誇り高い男。実は、そんなリーダーなど小説の中にしか存在しないのだよ、と自らも理想的な海の男を描き続けてきたフォレスターは、本作を書きつつ自嘲ぎみに苦笑いしていたのかもしれない。

評価 ★★★

【2020・5・25追記】
絶版だった本作だが、早川書房が新訳で復刊する。なぜ今更……と調べたところ、俳優トム・ハンクスの主演/脚本で映画化(原題「Greyhound」)されたようだ。予告編を見る限り、完成度も高い。酸いも甘いも噛み分けたクラウス艦長に、ハンクスは適役だと感じた。原作の悲哀感をどう演じているか。日本での公開が楽しみだ。

 



駆逐艦キーリング (ハヤカワ文庫 NV 222)

駆逐艦キーリング (ハヤカワ文庫 NV 222)