海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「レッド・オクトーバーを追え」トム・クランシー

1984年発表のデビュー作。テクノスリラー躍進の草分けとなった世界的ベストセラーで、本作をきっかけに同種の軍事シミュレーション小説が一気に量産されることになる。

ソ連が開発した超大型ミサイル原潜レッド・オクトーバー。軍事訓練を兼ねて大西洋への処女航海に出るが、熟練の艦長ラミウスは、或る計画を秘めていた。それは、志を同じくする下士官らと結託し、最新型潜水艦を手土産に米国への亡命を図るというものだった。その裏切り行為に対し、ソ連首脳は持てる艦隊を派遣して、ラミウスの原潜撃沈を厳命する。一方、CIAアナリストのジャック・ライアンの叡知によって、レッド・オクトーバーの狙いを掴んだ米国政府は、英国の協力を取り付け、原潜の捕捉作戦に着手。空海の圧倒的な戦力を集結させてソ連軍と対峙する。かくして、米ソの戦争突入にまで行きかねない一触即発の駆け引きが繰り広げられていく。

本作が描いているのは、原子力潜水艦を主軸とする現代戦をシミュレートした人間不在の戦争ゲームに過ぎない。事実、次作で早速共著者となるラリー・ボンド考案の海軍訓練用ゲームを参考にしているらしく、仮想敵国に如何にして打ち勝つかという遊戯的疑似戦に終始する。中盤までは、専門用語の羅列を我慢すれば、軍事スリラーとしてはそれなりに読める。だが、終盤で待ってましたとばかりに全開にするアメリカ万歳のスタンスには、呆れると同時に嫌気が差した。流石は超タカ派の大統領レーガンが直々に会って褒め称えたことはある。クランシーが筋金入りの愛国主義者で、思想的に反共であることは織り込み済みだが、物語中で、初めて訪れた米国でカルチャーショックを受けるロシア人をことごとく馬鹿にし、〝自由の伝道者〟としてのアメリカ体制翼賛を披露する厚顔無恥さには怒りさえ覚えた。大統領やCIA、軍人の末端に至るまで、国家に身を捧げる者は須く才智に長けた好漢であり、時代錯誤で旧態依然の共産主義者に憐れみを持ち、施しを与える賢人として胸を張っている。これは流石にやり過ぎで、本来ならパロディにしかならないのだが、読者の大半を占めるであろう愛国者らは気持ち良く慰撫されて、本作をアメリカの真の実力を捉えた〝聖典〟として祭り上げたというところか。

要は妄想のパワーゲームに勤しむ軍事オタクが9年もの歳月を掛けて仕上げた壮大な愚作というのが私の結論だ。ポリティカル・スリラーのファンが狂喜するネタを取り除けば、実質100ページ程度でまとまるプロットで、翻訳本約800ページを雑な構成のまま読まされる羽目となる。本作を新たな時代の海洋冒険小説と評価する批評もあるらしいが、冒険へのひとかけらのロマンも感じさせない作家に、先達の偉大な冒険小説家らと同列にその名を刻ませることなど到底出来ない。

一応の主人公であるライアンは、影が薄く魅力に乏しい。本作では無名のCIAアナリストでしかなかったのだが、以降も堂々と主役を張り続け、遂には米国大統領にまで上り詰めるという驚天動地の展開を経ていく。この如何にもアメリカン・ドリームを体現するハイテク軍事シリーズが長らく人気を保った理由は、米国は世界中の悪人を退治する自称〝保安官〟であることを分かりやすく示したからだ。恐らく、デビュー作でレーガンから称賛されたことが、その後のクランシーのスタンスを決定付けたのだろう。単なるエージェントに過ぎなかった主人公を最終的には大統領にしてしまう不遜さ。偉大なるアメリカのなす事は善であり、それに否を唱える国家、集団は悪となり、地上から排除すべき対象となる。真に短絡的でWASPらしい思考だ。本作以降の作品に読む価値があるかどうかだが、トランプの如きレイシストを大統領にする米国の恐ろしさを知りたければ、参考にはなるかもしれない。本作でロシア人がアメリカの〝自由〟に驚嘆し、何故黒人が有能な仕事に就けるのかを尋ねるシーンに見る白人至上主義の傲慢さが象徴している。見せかけの自由の名のもとに、差別され、虐げられ、犬死にする人々の存在が抹消されていく事実を葬ったまま、クランシーは、コンピューター上の勝利にいつまでも酔いしれているのだから。

評価 ★