海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「冷血の彼方」マイケル ・ジェネリン

2008年発表作。スロヴァキアの女性警察官ヤナ・マティヴァノの活躍を描く。作者は米国人。興味深い舞台設定だが、近年稀に見る〝衝撃的〟作品で、どう伝えるべきか迷う。つまり、読み終えても、どんな粗筋なのか、説明することができない。ネタバレを避けているのではなく、そもそものネタ自体が分からないのである。私の未熟な読解力のレベルを遥かに超える〝難解〟さのため、脳内で勝手に補完しつつ読み進めていたが、中途で諦め、終盤では放り投げた。文章はこなれており、情景描写も悪くない。印象的なエピソードも少なくない。ただ、この作品には大きな落とし穴がある。人物造形と構成力が無茶苦茶なのである。根幹にある事件の真相に辿り着くことができない。全編を通して推敲がなされておらず、完成度が極めて低い。自然な繋がりを考慮せず、最初から最後まで無理矢理繋ぎ合わせている。読み手に配慮した補足説明を一切加えていないため、章が変わるごとに新たな疑問点が増えていく。厄介なことに、作者自身が気付いていない節がある。何でもありのメタ小説ならいざ知らず、精緻なプロットが求められるミステリではあり得ない欠陥だ。

ストーリーの主軸となるのは、東欧の人身売買ネットワークを牛耳る組織内部の仲違いから派生した抗争のようだが、明瞭に筋を描かないため、実際のところよく分からない。スロヴァキアの首都で売春婦6名が死亡する自動車事故が発生。運転していた男も焼死。間もなくウクライナ出身の犯罪者コバと判明するが、同地の警察官は二度も三度も死んだ男だと告げる。捜査を担当したヤナは、その背後に暗躍する闇組織の存在があることを掴んだのち、犯罪の取引を記した思しき帳簿を不可解な状況下で入手する。同時期に関係者らが次々に殺され、事件の様相が変わっていく。どうやら、EUやロシアの政府上官らも深く関わっており、中心的人物である犯罪者コバを口封じのために抹殺しようとしたが、逆襲にあっているようだ。コバは自らの死を擬装し、黒幕を突き止めて復讐すべく、警察を利用しようとしているらしい。組織から逃亡したロシア人の女が事件の鍵を握っていることも分かる。舞台はフランスへと移り、事態はさらに動く。

以上は私の〝推測〟だ。本筋に絡まない主人公の過去をカットバックで挿入し、過分なまでにこってりと描く割には、現在進行中の事件の背景が曖昧且つ穴だらけだ。各国にまたがる組織の全貌と目的、相関図が皆目不明なまま展開する。筋運びが強引で、無用な殺人や役割が不明確な人物も多過ぎる。ご都合主義の粗さも目立ち、ヒロインの悲劇性を高めるためだけに、突発的に身内が死んでいく。著者は共産主義への憤りがあるらしく、登場人物を通して怒りを表明しているが、型通りの秘密警察の横暴が唯一の根拠では物足りない。それをメインとした挿話も弱い。ヤナの元夫ダノは国民的俳優だったが、反体制派との繋がりを疑われ失墜。その後は革命家として立ち上がるが、軍資金調達のために強盗犯へと堕落し、最期は追い詰められて自殺。娘のカトカは母親ヤナが保身のためにダノを殺したと信じ込み、家族関係は崩壊した。ヤナの家族は、彼女自身の身勝手な行動のために殆どが死んでいく。しかも物語上、必然性が全く無い。

作者が気に入っているらしいコバの造形も、凄味や冴えが無く、鬱陶しいナルシズムだけが強調されている。愛する女を海の精〈セイレーン〉と呼ぶほどのロマンチストと印象付けたいようだが、人格や過去に触れていないため滑稽でしかない。そもそも、この殺し屋は何がしたかったのか。翻訳版タイトル「冷血の彼方」も、単に編集者のイメージで付けたのだろうが、本作には共産主義体制の愚劣さも、人身売買の非人道性も、暴力の愚かさも、人間の生々しい業も、家族愛の尊さも、あらゆるものが掘り下げ不足で中途半端にしか伝わらない。

構成は無残なまでに破綻。全ての謎、関係性を解き明かさずに物語を閉じる横柄さには唖然とした。殆ど解決していないではないかと、落丁を疑ったほどだ。シリーズ第1弾で、続編は翻訳されていないようだが、本作が未完結なのは〝大河小説〟のためなのか。雰囲気重視、自己陶酔型小説の典型であり、デビュー作とはいえ、ジェネリンは作品をまとめる技倆が不足していると感じた。この程度の出来で満足できる読み手がいるのなら、尊敬に値する。

評価 ★

 

冷血の彼方 (創元推理文庫)

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