海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「黒衣の花嫁」コーネル・ウールリッチ

〝第二のフィッツジェラルド〟を目指していた文学青年ウールリッチがミステリ作家へと転身したのちの初長編で1940年発表作。全体の印象と物語の構造は、後の「喪服のランデヴー」(1948)と重なる部分が多い。そして、二作品ともウールリッチの代表作である「幻の女」(1942)に次ぐ名作として評価が高い。

両作とも復讐者がターゲットとするのは五人。だが、「…花嫁」の女が対象全員を有罪として〝特定〟しているのに比べ、「…ランデヴー」の青年は〝不特定〟のままで殺していく。つまり、罪を犯していない者がいても問答無用で死に値するとし、殺害の状況もより残忍な手法を用いる。この差は大きい。
退廃的な美文に彩られた極めてノワール色の濃い「…ランデヴー」に比して、本作の時点ではさほど文章に凝ってはいない。その分プロットに力を入れており、終盤に於いて畳み掛けるように明かされる真相には迫力がある。復讐譚として捻りを加え、善人と悪人、罪と罰が変転するさまは鮮やかだ。ただ、復讐の動機となる事件については不自然さが残る。さらに、主人公の心理面での掘り下げが弱いと感じた。同じように「…ランデヴー」でも、復讐者の内面描写が無いのだが、その凄まじい怒りと哀しみを、特異なレトリックを駆使し見事に描き切っている。そして、ロジック重視の謎解きよりも不条理な死/悪の有り様を抉る暗黒小説として昇華させている。実質の創作期間は短いウールリッチだが、その技倆は驚異的なスピードで磨かれたことを実感する。

 評価 ★★★

 

「裸の顔」シドニイ・シェルドン

精神分析医スティーブンスの周辺で相次ぐ殺人。自身も生命を狙われる羽目に陥るが、不可解な状況から警察からは逆に容疑者扱いされた。何故、命を狙われるのか。スティーブンスは、精神的不安を抱えた患者らの背景を改めて調べ始めるが、その間にも正体不明の〝殺し屋〟は執拗に迫ってきた。

日本において一時期「超訳」という原文無視の極めて粗悪な意訳によって売り出されていたベストセラー作家シェルドン(シェルダン)だが、いくら本人が認可しているとはいえ、私は小説に対する冒瀆だと考えるので、それらを一切読むつもりはない。本作は、幸運にも初期に真っ当な翻訳で出版された1970年発表のデビュー作。元々シナリオライターとして活躍していただけあり、文章は平易で映像的。ストーリー展開も早く、コンパクトにまとめている。ただ、味わいという点ではまだ未成熟な部分もあると感じた。サスペンスも凡庸で、事の真相にも無理がある。良くも悪くも犯罪映画のシノプシスといった感じだ。

 評価 ★★

 

「魔の帆走」サム・ルウェリン

「海のディック・フランシス」の謳い文句が付いた1987年発表の海洋冒険小説
舞台は、イギリス沿岸部でヨットスポーツの拠点として開発が進む街。主人公は、ヨット設計技師チャーリー・アガッター。間もなく大西洋上でビッグレースが開催される予定だったが、アガッターが設計した画期的な新型舵を搭載したヨットの事故が相次ぐ。アガッターの弟も、その犠牲となった。富豪の客や造船所からの設計依頼は次々と途絶え、金銭的にも追い込まれていく。何らかの陰謀があると確信した男は、ヨットレースに出場することで信頼を取り戻し、同時に犯人を突き止める計画を練る。だが、事は思うように運ばず、さらなる窮地へと追い詰められた。

本作の読みどころは、当然のこと臨場感溢れる洋上のレースだ。専門用語を多用するが、状況を簡潔に描写しており、門外でも充分に楽しめる。一瞬の判断/選択が決める勝敗。ライバルとの駆け引き、クルーとの連携、風をどう読み、生かすか。ヨットは肉体だけでなく、かなり頭を使うスポーツであることを実感できる。主人公の設定は、まさにフランシスそのもの(作者が意識しているかは不明)で、数多の試練を不屈の闘志で乗り越えていくというパターンを踏襲している。ただ、プロットが弱いのは否めない。さらに登場人物が多過ぎて造型も浅い。デビュー作という気負いもあるのだろうが、あれもこれもと盛り込みすぎて整理仕切れていない。もっと人物を絞り込み、肝心のレースシーンのボリュームを増やせば、完成度が上がったと感じた。海を疾走する爽快感溢れる情景が抜群なだけに惜しい作品だ。

評価 ★★☆☆

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「Yの悲劇」エラリイ・クイーン 【名作探訪】

まずは私的な述懐から。以前「旅の記録」の拙文でも触れたのだが、私の海外ミステリ〝初体験〟は「Yの悲劇」(1932)だった。まだ十代の頃、気ままに選んでいた国内/海外文学の流れで出会った。各種ランキングで長らく不動の首位に輝いていた本格推理小説黄金期の名作。これは、後になってから知ったことで、学校の図書室で何気なく手にした本作に関して、予備知識は全く無かった。
一気に読み終えた。それまでの文学とは次元が異なる感動を覚え、しばらくは興奮状態にあった。同時にミステリへの興味/好奇心が大きく膨れ上がった。物語が進行するほどに深まる不可解な謎が、緻密な論理に基づく鋭敏な推理によって、鮮やかに解き明かされていく。それは、味わったことのない〝快感〟だった。必然、私は片っ端から海外ミステリを読み漁ったのだが、本作は常に原点としてあり続けた。

ニューヨークの悪名高い富豪ハッター家を襲う災厄。発端の事件以外は同家邸内のみで起こり、核となる老婦人エミリー・ハッター殺害の容疑者は幕開けから絞り込まれている。いわば密室劇に近い構造のため、読み手は集中してストーリーの流れを追うことができる。元シェイクスピア俳優が探偵役を務めることが象徴しているように、戯曲になぞらえた章立て/構成をとり、アクの強い人物を揃えた配役と時代掛かった舞台装置によって独特の雰囲気を創り出している。ケレン味たっぷりの演出を施した愛憎劇。この〝舞台〟にはミステリの醍醐味が凝縮されていた。

今回、数十年を経て再読したのだが、当然のこと大筋と真犯人は記憶していた。それでもなお面白さが色褪せることはなかった。あらためて感じたことは、状況を的確に伝える卓越した文章力、精緻且つ大胆なトリックを生かす高度な技巧、そして隅々までこだわり抜いた構成美だった。人物造型についてはデフォルメ過剰な部分もあるが、これは本格物としては許容範囲だろう。本作執筆時、エラリイ・クイーン(フレデリック・ダネイ/マンフレッド・リー)は、まだ20代後半の若さだが、やはり天才的な技倆を備えていたとしか言いようがない。

「Yの悲劇」の有名な謎のひとつに、老女撲殺の凶器となる〝マンドリン〟がある。邸内には幾らでも〝適当〟な鈍器があるにも関わらず、殺人者はなぜ殺傷能力が低い楽器を選んだのか。極めて計画的な犯罪に見えながらも、奇妙な凶器が表象する意想外の粗/矛盾が積み重なり、さらなる迷宮へと導く。だが、パズルが複雑に入り組むほどに、老探偵は解明の鍵を手にし、扉の向こう側で息を潜める犯人へと迫っていくのである。最も効果的な〝最後の一撃〟を生むように張り巡らされた伏線。それを丹念に回収していく過程は明瞭に示されており、クイーンのいわゆる〝論理のアクロバット〟がどのように為されるのか、その剛腕ぶりを実感できる。実は「第三幕」の早い段階で凡その種明かしをしているのだが、初読で気付く読者は相当なツワモノだろう。
物語では、三重苦のヘレン・ケラーを想起させる女が、触覚と嗅覚によって殺人者を示唆する重要な役目を担う。加えて探偵自身も聴力を失っている。障害があるが故に、限られた能力がより鋭敏になり、難事件を解決する突破口にも成り得る。この着想の妙が光る。

ただ、少年期に読んだ時には感じなかった〝引っ掛かり〟があった。鋭い識者も指摘していることだが、ハッター家は遺伝的な欠陥を持つ血統という前提の上に、物語が構築されていることだった。現在では大いに問題となる要素で、本作の土台を崩しかねない〝亀裂〟でもあると感じた。これは、真相に辿り着いた後、探偵が殺人者に下す最終的〝決断〟への重要な動因ともなっている。「Yの悲劇」発表時の時代背景を考えれば致し方ないことなのだが、精神疾患に関して遺伝学などの科学的根拠がないままに、優生学擬きの通念を取り込んでしまっている。
あくまでも私の推測だが、来日時のフレデリック・ダネイが、しきりに「Yの悲劇」をクイーンの最高傑作に挙げる日本人の偏った称賛を〝喜ばなかった〟訳は、作家として成熟しきれていない倫理的な甘さが露呈している同作に対して、少なからず自責の念があったからではないか。

苦い結末には、罪と罰のあり方、探偵自身が制裁を加えることが許されるのかという重い命題が内包され、初読時には大きな衝撃を受けた。だが、今回の再読では、呪われた血縁による悲劇を断ち切るために選択せざるを得ない、いわば歪んだ宿命論に基づく終幕だったのだと捉え直した。これは、本作が本国アメリカでの評価が決して高いものではなく、〝戦後〟の日本でのみ至宝の如く崇められていた理由のひとつかもしれない。公然たる差別の対象、狂気に呪縛された家/社会の闇。つまり、概ね暗く陰湿だった国内〝探偵小説〟が軸とした因果との親和性を、本作に認めたのではないだろうか。

 余談だが、本レビューにあたり、手元にあった早川文庫版(宇野利泰/訳)で再読したのだが、最初に読んだのは〝定番〟の新潮文庫版(大久保康雄/訳)だった。流石に宇野利泰の翻訳は淀みなく洗練されていたが、大久保康雄による硬い文学調の訳文の方が、本作の持つ異様な雰囲気に合っていたと感じた。無論、私の淡い懐旧がもたらすものだが。
いずれにしても、私にとって海外ミステリの旅に出る〝出発点〟となった「Yの悲劇」との出会いは限りなく大きい。

評価 ★★★★★

Yの悲劇 (新潮文庫)

Yの悲劇 (新潮文庫)

  • 作者:クイーン
  • 発売日: 1958/11/18
  • メディア: 文庫
 

 

時計の針を巻き戻す【名作探訪/序】

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本ブログ開設は2015年6月。レビュー数は、ようやく500を超えた。実質、1年間の数は100作品にも満たない。どうにも中途半端な数字だが、これが私にとっては自然なペースなのだろう。スタート時に掲載した大半は単なる覚え書き同然で、偉そうにレビューと掲げることさえ気が引けるレベルだ。また、古典的作品も殆ど取り上げていない。これは「はじめに」でも触れたのだが、数十年前にあらかた読了しているためと、今さら私がどう紹介しようが大して意味がないことによる。つまり、関連のガイドブック以外にも、ネット上で検索すれば「おすすめ海外ミステリ◯選」などというタイトルのサイトで幾らでも参照できるからだ。手っ取り早く万人が高評価を与えている作品を読みたいならば、それらで十分事足りるだろう。

それよりも、現在「氷河期」にある翻訳ミステリの出版状況に憤慨し、忘れ去られ、消えていった作家/作品に再び光を当て、記録したかった。そのため、どうしても脈絡のないラインナップとなっているのだが、幅広い海外ミステリの魅力をまだまだ伝え切れていないと反省している。そして、不遜にも「海外ミステリ・レビュー」と謳っている以上、今一度〝原点〟に立ち還ることも必要なのだという思いも強くなっている。〝若かりし頃〟に読み、心から感動した名作を再読し、現在どう感じるのか。どこまでも私的な選択とはなってしまうが、通常のレビューの合間に挟み込んで、これから掲載していきたい。

旅の起点に戻り、探訪する。きっと以前とは違う景色が見えてくるだろう。当然のこと、私の拙い経験と偏った嗜好に基づくものなので、中には納得できないレビューもあるだろう。あくまでも、こういう読み方もあると捉えてもらえたら幸いだ。

それでは、本ブログのカテゴリに【名作探訪】を新たに加え、時計の針を巻き戻すことにしよう。