海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ライブラリー・ファイル」スタン・リー

1985年発表、東西冷戦末期に誕生した〝究極〟のスパイ/国際謀略小説。中盤まではスローペースだが、後半から一気にボルテージを上げ、終幕まで疾走する。

東西ドイツを隔てる国境線近くに集結していたソ連の最新鋭戦車。その不穏な動きを、米国政府が新設した謀報機関〈図書館(ライブラリー)〉が追っていた。建前上はCIA、国防情報局、国家安全保障局などからの情報収集・集約を目的として設立。だが実体は、大統領と最側近、一部将軍が参画する謀略のための照合/分析を担っていた。極秘プロジェクトは、内容を端的に表す言葉の頭文字を取って「OFF」と呼称。〈図書館〉は実行成否を測る〝判断基準〟を随時算出し、パーセンテージで示していた。その数値は上昇する一方で、東欧に於けるソ連の挑発的な動向が拍車を掛けた。
〈図書館員〉は、偵察衛星や軍事シュミュレーションなど各分野のプロフェッショナル12名が所属、国内外の要人らを公私を問わずリアルタイムで監視した。
そんな中、情報漏洩防止を唯一担当する館員イーバハートが自殺。館長ハリー・ダンは、後任として廃棄物分析の専門家ウォルター・クーリッジに白羽の矢を立てる。
ダンは告げた。〈図書館〉内部に裏切り者がいる。現大統領/〈図書館〉の謀みを探り暴こうとする対抗勢力〈エマスン派〉が「ドクター」と呼ぶ内通者を見付け出せ。密命を帯びたクーリッジは、イーバハートを継いで、〈図書館員〉らの私生活を覗き見ていく。監視システムは、例外なく〈図書館員〉全員の行動範囲内に仕掛けられていた。時を同じくして〈エマスン派〉がクーリッジに接触を図り、「OFF」の真相を明かすように迫る。さらには、米ソ代表者による交渉の場に同行したクーリッジは、ソ連の文官から「ドクター」と勘違いされ、戦争回避のための助力を密かに求められる。ソ連は決して、米国との戦争を望んではいなかった。そもそも「ドクター」は何を目指しているのか。紆余曲折を経て、遂にクーリッジは裏切り者「ドクター」の正体を知るが、その姿は予想だにしないものだった。
「OFF」の数値は90%を超え、実行が目前に迫る。皮肉にも世界の命運は、ゴミ分析家の双肩にのしかかっていた。

前半では、得体の知れない〈図書館〉の目的を探る一派〈エマスン派〉と、内部に潜むスパイを地道に捜すクーリッジの水面下の動きをメインに描く。人類学者でもあるクーリッジは、廃棄物/ごみを古代の遺物のように観察し、捨てた人間の生活状況や社会活動、交流関係や思想までも読み解くエキスパート。恐らく、前例のない設定なのだが、極めて地味な技倆が予想外の威力を発揮し、スパイ活動に生かされるさまが斬新でユニークだ。しかも、なかなか骨のある男で、無謀なる企てを防ぐために、中途から権力者に敢然と立ち向かっていく展開が熱い。
一方、クーリッジを引き込もうと策を練る〈エマスン派〉の面々は、次期大統領選出馬を狙う上院議員を中心に、元CIA長官やコンピューター関連企業の経営者、宗教関係者らが集っていた。不毛な軍備拡張競争を憂慮し、莫大なカネの浪費は国力を弱めるという立ち位置だが、その反体制的な動きを察知した政府が圧力を加えると、ぼろぼろと崩れていく。要は、反対陣営が純粋に人命を尊重する輩の集まりではないというバランスの置き方がシニカルだ。主要な登場人物らが人類の未来を左右する立場にいながらも、裏を返せば須く卑しい俗物に過ぎない。この徹底してアイロニカルなスタンスも、単なる謀略小説に終わらない面白さに繋がっている。

著者紹介によれば、リーは核実験反対を唱える平和団体に関わっていたらしいが、その思想をより過激なかたちで物語へと盛り込んでいる。日々策略に明け暮れ、資本主義の権化として屹立し肥大化した覇権国家アメリカ。その驕り高ぶった帝国主義に鉄槌を下すが如き鋭い批判精神が濃厚で、後半に差し掛かりようやく明らかとなる驚愕の策謀「OFF」も、決して荒唐無稽と笑えない真実味を含む。

かつてはソ連を支柱とする共産主義陣営への根拠無き畏怖によって、威嚇の手段としてのみ有効だった〝核〟は、冷戦終結後は第三世界が力を誇示する最も有効な〝ツール〟となり果て、抑えが効かない状態に陥り、危険度はさらに増し続けている。本作は、核兵器を巡る東西冷戦終結間際の〝究極のゲーム〟を主軸とした見事な娯楽小説だが、暴力でしか自尊心を満たせない狂った首長/国家が後を絶たない現在も、充分にアクチュアルなテーマを含んでいる。

評価 ★★★★

 

ライブラリー・ファイル〈上〉 (創元ノヴェルズ)

ライブラリー・ファイル〈上〉 (創元ノヴェルズ)

 

 

ライブラリー・ファイル〈下〉 (創元ノヴェルズ)

ライブラリー・ファイル〈下〉 (創元ノヴェルズ)