海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「血の極点」ジェイムズ・トンプソン

圧倒的な疾走感で冒頭の1行から息つく暇もない。全てが突き抜けている。本作は第3作「白の迷路」の後日譚であり、限界まで追い詰められた男が己の家族と仲間を守るために私的な闘いをひたすら繰り広げるだけの話だ。凄まじい勢いで燃焼する男の情動を濃密な筆致で活写した「血の極点」は、生半可な犯罪小説を軽く凌駕している。
前作までは顕著だった国家体制に対する批判は薄れ、すでに「警察小説」の形骸すら無い。もはや、緻密な構成など不要と言わんばかりに、ジェイムズ・トンプソンは突っ走り、極めてモダンノワールの世界へといざなう。腐敗した権力者の弱みを握って利用し、闇に潜んだ敵を炙り出し、駆逐するためには躊躇なく暴力を手段として選ぶ。殺される前に、敵を殲滅する。そこに善悪で迷う倫理観の欠片もない。己の業の命ずるままに突き進むのみだ。


フィンランド警察特殊部隊を率いるカリ・ヴァーラは、政敵排除やギャング組織壊滅を狙う私利私欲の権化らの片棒を担いで暗躍すると同時に、予期する裏切りに備えて不法行為で強奪した大金を自らの懐に捻り込む。だが、決着の修羅場に居合わせた妻ケイトが図らずも敵の人間を撃ち殺したショックでPTSDを生じさせ、子どもを残して母国へと帰国する。脳腫瘍手術の後遺症により感情を失っていたヴァーラが、ようやくケイトと子への愛情が甦りつつあった矢先、心身共に破滅寸前の傷を負ったヴァーラは、妻の信頼と愛情を取り戻すために、警官本来の生業である「正義」の行使を決意。偽善とは承知の上でロシアの地下組織の絡む人身売買の解決によって、己の穢れを浄化することへとひた走る。

ヴァーラの原動力となるのは、生き残ることへの執念であり、私闘は須く凄惨な展開を辿る。クライマックスはやや駆け足気味だが、一切を破壊し尽くした後の昂揚/虚脱感は、破滅の文学ならではのカタルシスを伴い昇華する。終幕の束の間の平穏から、次に来る波瀾の予兆を幾らでも読み取ることは可能だろうが、トンプソンの死によって断絶されたヴァーラの物語が「一応」は完結していることに、愛読者としては胸を撫で下ろす。

「白の迷路」から連なる物語は三部作を構想していたらしい。
「Helsinki White(白の迷路)」(2012年) 「Helsinki Blood(血の極点)」(2013年)「Helsinki Dead」(未完)
やがて迎える己自身の死を予期していたかの如き「ヘルシンキ・デッド」という作品名が哀しい。今はジェイムズ・トンプソンの冥福を祈りつつ、渾身のヴァーラ・シリーズが多くの読者に読み継がれていくことを望みたい。

評価 ★★★★★

血の極点 (集英社文庫)

血の極点 (集英社文庫)