本が売れない時代に多少なりともネームバリューがある作家の力を借りて売り出すという意図は理解できる。だが、長年ファンに親しまれたタイトルを排して「水底の女」などという思わず虚脱してしまう邦題を付けるセンスには辟易する。「長いお別れ」を「ロング・グッドバイ」という捻りの無いカタカナ表記にし、「さらば愛しき女よ」を「さよなら、愛しい人」と変えてハードボイルドの硬派なニュアンスを殺す。この統一感無きふやけた一連の改題に、新訳を担当した〝文学者〟がどれだけ関わっているかは不明だが、「僕の愛するチャンドラー」を全面に押し付けけてくる〝村上春樹〟というブランドの驕りが表出しており不快だ。いくら原文に忠実であろうとも、翻訳者の柔な顔が見え隠れする文章を、我慢して読み進めることなど到底出来ないため、今後も硬質で上質な清水俊二らの「旧訳」を堪能するしかない。
のっけから私的な愚痴を並べてしまったが、現在の出版界で海外の名作/古典を新装版/新訳として「新しく」売り出す量が以前と比べて特に目立つのは、読書という娯楽が既に一部の「マニア」向けでしかないことの証左なのだろう。小説の新作はベストセラー入りしなければ読まれない。映画やテレビドラマの原作でなければ見向きもされず、そもそも例え読まれたとしても、後が続かない。ハードボイルド小説の立役者であるチャンドラーの諸作が、この国では著名な〝村上春樹〟が関わることで新規読者を獲得すること自体は喜ばしいことだが、他の秀れた作家/作品に繋がることのない一過性のイベントとして終息するのが落ちだろう。村上の推薦する海外作家を読んでさえすれば、いっぱしの〝通になれる〟という極めて狭く貧弱な読書体験にどれほどの価値があるというのか。こなれていない旧訳を現代語に直し、スマートな改訳を施すことは歓迎するが、ことチャンドラーの作品に関しては、上記の如き思いが強い。
本作は村上版でいえば「リトル・シスター」となる1949年発表の長編第5作「かわいい女」。ファンの間でも最も人気のない作品だが、チャンドラー自身が気に入っていないことも要因の一つなのだろう。割と知られていることだが、最大の欠点は、読み進めていく中で明らかとなる構成上の破綻にある。依頼者とのやりとりの中で、その後の展開に繋がる重要なシーンが欠落しており、完全な推敲が為されていない作品となっている。要は不完全なままに上梓された作品なのだが、そこは腐ってもチャンドラーで、物語の流れを気にしなければ結構楽しめるというのも、やはりハードボイルド小説ならではの人物設定や芳醇な味わいの情景描写などに惹かれてしまうからだろう。
いわば、本作にはチャンドラーの長所と短所がはっきりと表れているため、その特質を掴みやすい。
ハリウッドの脚本家としては大成せず、恐らくはこの時期スランプに陥っていたチャンドラーがマーロウの台詞を通して自己憐憫ともとれる嘆きを物語後半で吐いているのも興味深い。
評価 ★★☆
- 作者: レイモンド・チャンドラー,清水俊二
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1959/06/01
- メディア: 文庫
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