海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「記憶なき殺人」ロバート・クラーク

米国ミネソタ州セントポール市を舞台とする1998年発表作。カメラが趣味の冴えない会社員ハーバート・ホワイトは、以前からモデルや女優を夢見るダンサーの宣材写真を無償で提供していた。女たちには、凡庸で無垢な人畜無害の男として受け止められていたが、或る日、恋い焦がれていた女の撮影時に理性を失いかける。自らの行動に動揺したホワイトは、気を静めるために旅へ出る。数日後、男は山中で逮捕された。容疑は殺人。女はホワイトと別れた直後に絞殺死体となって発見されていた。しかも、同様の手口で別の女も殺されている。実は、男は慢性的な記憶障害を抱えていた。事件当時の前後を思い出せない。少年期の追憶は鮮やかに蘇るが、直近の出来事は忘失した。ホワイトは、威圧的な刑事に誘導されるがままに自白、終身刑となる。
主人公格は、もう一人。妻に先立たれ、娘も家出中のやさぐれた刑事ウエスリー・ホーナー。ダンサーの殺人事件以前から、素人カメラマンの挙動に不審感を抱いていたが、確たる証拠が無く断念していた。そんな折、風紀課所属の粗暴な刑事がホワイトから罪の告白を引き出したことを知る。しかも、その場に立ち合っていないホーナーの名で署名し、恩を着せてきた。ホワイト犯人説に疑念を抱きながらも、ホーナーは事件解決を良しとし、同時期に知り合った未成年少女との情愛に溺れていく。
しばらくして、失った記憶を留めておくためにホワイトが綴っていた日記によって冤罪の可能性が浮上、ホーナーは次第に罪の意識に苛まれていく。

以上がおおまかな流れだが、淡々と進む物語は起伏に乏く単調。流麗な文章によって、孤独な男二人の生き辛さを語ることを主眼とし、文学志向が強い。恐らく、ミステリとしての完成度を高めることなど、作者は端から目指していなかった節がある。その分、読み応えがあれば、謎解きの要素など気にもならないのだが、如何せんすべてが浅い。事件を通して繋がる容疑者と刑事、それを取り巻く者どもの人間模様に、読み手の心を揺さぶるほどの劇的要素が無いのである。
漠とした喪失感と日常の空虚さ。それを甘んじて受け入れるしかないという刹那的且つ自嘲的な人生観が漂い、無実の男を救済するという正義の表出も、すっきりとせず淀んでいる。先日取り上げたジェイムズ・プレストン・ジラード「遅番記者」と構想としては近いが、似て非なるもの。深みのある味わいに於いて天と地の差がある。
また、本作はハードボイルドという触れ込みだが、どこをどう読めばそのテイストがあるのか不明。冒頭シーンについて、訳者と批評家・池上冬樹が口を揃えてチャンドラー「長いお別れ」になぞらえているのも全く理解できず、脱力した。
1999年MWA最優秀長編賞受賞作。同年候補作のマイクル・コナリー「わが心臓の痛み」よりも高い評価を得たこと自体が謎だ。どうも私には世評に合致する優れた作品を見極める素質がないらしい。

評価 ★★

記憶なき殺人 (講談社文庫)

記憶なき殺人 (講談社文庫)