海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ゼロ・アワー」ジョゼフ・フィンダー

1996年発表のスリラー。不法行為によって国外に逃れるも、妻と娘を追跡者に殺された富豪の男が、復讐のためにアメリカ経済破綻を狙ったテロを計画する。その実行に赴くのは、かつて南アフリカ諜報組織の敏腕工作員であったボーマン。思想を持たず、カネのために動く非情且つ狡猾な男で、目的遂行のためには殺人を厭わない。暗号名ゼロを用い、要人暗殺などの数々の謀略に加わっていた。

ボーマンが刑務所から脱走するプロローグから米国潜入後の準備/遂行までが物語の主軸となるが、目論見を察知したFBIの捜査活動を同時進行で描く。リーダーは女性捜査官のセーラ・カーヒル。離婚後は育児をしつつ、キャリアアップのために仕事に打ち込むが、プライドと驕りがミスを誘発する。この時代を反映したものなのだろうが、設定自体は常套で、FBI内部にまで接近したボーマンが、カーヒルの弱点を突いて捜査状況を探り出す展開にも新鮮味があるとはいえない。

本作には、銀行業界の高度なコンピュータシステムをはじめ、諜報分野の通信技術や暗号、破壊工作における爆弾製造法など、綿密な取材を基にしたデータがたっぷりと盛り込まれている。その情報は細部にわたるのだが、プロット上どうしても必要という訳ではない。かえって大量の注釈の挿入によって、肝心のテンポが殺されている。終盤での盛り上がりも今ひとつで、計画が頓挫する過程に捻りが無く、カタルシスに乏しい。

本作の創作は「911テロ」以前だが、1993年の世界貿易センター爆弾テロが及ぼした影響にも言及しており興味深い。同時に、2001年の悪夢を防げなかった米国の楽観主義的な情況も垣間見ることできる。

評価 ★★★

 

ゼロ・アワー (新潮文庫)

ゼロ・アワー (新潮文庫)